出来るところから始めよう。
ミレーンとクレットは、自分達の置かれた状況を一旦冷静に分析した結果、
極度に効力の有るような方策を、すぐに打ち出せる事が出来ないと判断した。
二人が陣取っている家屋の屋根は、比較的面積が大きく、十名程度までならば
窮屈な思いを味わう事も無く、普通に濁流から逃れる事が出来る。
しかし逆を言えば、それ以上の罹災者を救う事は出来ないとも言える。
そして更に問題なのは、この寒さであった。
降りしきる雨と、濁流の水面から放たれる冷気によって、家屋の屋根上に逃れた
人々の体温は、刻一刻と奪い去られてゆく。
この凍気によって、いずれは少なからぬ犠牲者が出る事になるだろう。
ミレーンはその事を最も危惧していた。
屋根上を伝って移動し、各所での救助活動に入る前に、まずはこの場において
暖の取れる方策を確立する事が急務であった。
火による暖は、現在のところ、ほとんど望み薄と考えて良い。
濁流に乗って流れ着いてくる流木は大量の水分を吸って燃焼には不向きであり、
屋根を剥がして木材を確保しようにも、着火するまでの作業の間に、豪雨に
よって木材の表面が濡れてしまい、なかなか火がつけられなくなる。
古代王国への扉亭から脱出する際に持参してきたランタン用の油では、暖を
取る為の火を着火し、その火勢を維持するのは、この雨の中では不可能である。
屋根となる物があれば良いのだが、今のところそれらしい物も見当たらない。
最初ミレーンは、少しでも良いから種火を確保し、マントを広げて屋根と
すれば、焚き火を作る事も可能だと考えた。
しかしこの雨に加え、風も決して弱くはない。
余程しっかりした構造の屋根を用意しない限り、焚き火まで火勢を強くするのは
まず不可能であった。

とは言っても、手をこまねいて見ている訳にもいかない。
ミレーンとクレットは、屋根伝いに家屋から家屋へと移動し、手当たり次第に
市民を濁流から引き上げる作業に従事した。
それでも、二人で救い出せたのは、せいぜい数十名程度であった。
移動出来る屋根の範囲は極端に制限されており、しかも足場として強固な状態を
維持している家屋自体の数も、さほどに多くは無い。
加えて、二人の体力にも、疲労からくる衰えが見え始めていた。
特に身体能力ではミレーンより劣るクレットは、集中力が途切れがちになる程に
体力を消耗をし始めている。
「クレットさん、しっかり!私達が倒れてしまっては、もうどうにもなりません!」
「それは分かってるよ。分かってるんだけど、私達だって万能じゃないんだから。
 いつまでも体力は続かないだろうし」
クレットを励まそうとしていたミレーンだが、その厳しい現実を逆に突きつけられ、
言葉を失ってしまう始末であった。
気力や覚悟だけでは、この状況は何一つ改善しない。
もちろん何も策を講じなかった訳ではない。
ロープを結びつけた矢を放ち、他の建物に撃ち込む事で、移動用の渡し綱を作れば
何とかなるのでは、とミレーンは考えてみた事もあった。
が、オラン市中の建造物は、大半が石造りである。
木造建築とは異なり、矢が深々と刺さるような条件は皆無であった。
これはつまり、渡し綱を張る為には、誰かが濁流を突っ切り、泳いで渡る以外に
方法が無い事を意味している。
(このままでは、流れから救い出せた人も、いずれは凍死してしまう・・・)
美貌の高司祭の胸の内に、僅かずつではあるが、焦りの念が芽生え始めていた。

一方、濁流の水面上で立ち話という異様な光景の中で、エルクは精霊使いとしては
先輩格に当たるアシュレイから、関係者の安否について分かっている範囲の情報を
得ているところであった。
まずガララーガ商会であるが、当主のアニス以下、家人全員はガララーガ邸のまだ
浸水していない屋根裏部屋に篭もって、一時的に難を逃れているとの事であった。
しかし、水位がいつ上昇するとも分からない為、なんと当主であるアニス本人が、
水没した二階以下に何度も潜水し、脱出用の小船を造る為の材料や道具を、何とか
確保しようと頑張っているらしい。
そしてギャリティ商会の方だが、こちらはまだ、安否の確認が取れていない。
ガララーガ邸とほぼ同様の規模の邸宅である為に、屋根裏部屋はあると思われるが、
しかしこの突然の災害発生に、そこまで機転を利かせているかどうかは分からない。
冒険者としての経験があるエリセオが里帰りでもしていれば、まだ多少の望みは
持てるのであるが、彼は現在、ミード支店に詰めている筈である。
また、通産大臣ディバース候の邸宅は、ガララーガ邸など比較にならない程の
規模を誇る為、水没していない三階部分に家人が難を逃れていると考えて良いだろう。
「それにしても、一体なんだって、こんなとんでもない水害が起きたんでしょうね」
叩きつけるように降り続ける豪雨の中で、エルクは鹿爪らしく渋面を作って首を
捻ったのだが、アシュレイは別の感想を持っている様子である。
「どうも気になるのですが・・・水の精霊達、どうしてこんなに恐怖心をあらわに
 しているのか・・・」
豊かな肉質の乳房を持ち上げるような形で腕を組む黒い肌の美女に、エルクは疑問の
視線を向けた。
これには、冒険者としての装備で身を固めているサイラスが代わって答える。
「どうやら、純粋な自然災害じゃねぇようだ。黒幕が居る、と考えた方が良いな」

一方、クレメンス邸では、フェンとカッツェはミーニャをエイメカに任せて、 アンダーテイカーが篭もっている別室へと足を運んだ。 漆黒の巨漢は、ミーニャ以下、クレメンス邸の家人をこの大洪水から何とかして 脱出させる為の方策を実行に移そうとしているという。 もしそれが、自分達にも手伝える事であれば、何とか力になりたい、といのが、 今の二人の正直な心情であった。 しかしこの直後、フェンとカッツェが目撃した物は、余りにも意外な物であった。 クレメンス邸は装飾を極端に削減し、機能性と頑丈さを全面に打ち出して建築された 屋敷であると言って良いのだが、しかし、三階の半分以上を占めるほどのスペースが、 住居以外の用に供されているとは、想像だにしていなかった。 そこは、100人を越える人数が入り、大宴会をも開催出来そうな広間であった。 テラス窓から射し込む薄日の中で、フェンとカッツェが見たのは、全高4メートルに 届こうかという、漆黒の色合いに輝く人型の巨大金属製人形の列であった。 見るからに分厚い装甲と重量感に富んだ巨大金属製人形の総数は、実に10体。 いずれも全く同じデザインで、うなじから腰の辺りにかけて、観音開きのような 扉が外部に向かって開かれている。 どうやら中に人が搭乗する事が出来る構造になっているらしく、中には二人乗り用の 物も見受けられた。 「あの・・・これは一体、何ですか?」 思わずカッツェが声を潜めてフェンに聞いてみたのだが、傍らの魔術師も、初めて 目にする代物であり、正確な返答を口にする事が出来ない。 広間の片隅で、金属製の大きな箱のような物の前に居座り、何やら作業をしている アンダーテイカーが、二人の入室に気づいたらしく、手を休める事なく、太い首を 巡らせて、無愛想な強面を向けてきた。 「来たのか。呼びに行くつもりではあったが」 無骨な姿を見せる巨大金属製人形は、人間と同様の可動関節を持っているようだ。 という事は、これらの物体は動くと考えるべきだろうか。 そのような疑問をフェンが頭の中で巡らせていると、察してアンダーテイカーが、 ようやく作業の手を止めて木椅子から立ち上がり、二人に向けて半身で振り向いた。 「ドレイクドールAH323型だ。もともとはタラント特務戦術隊に配備された  機体なのだがな。ドルフのオラン赴任に際して、リュウゼンが手配しておいた。  総Dシルバー製機種で、汎用性に富む」 アンダーテイカーの説明を、フェンとカッツェはいまいち理解出来ていない。 そこへ、エイメカがふらっと顔を見せた。 更なる来客があったとの事である。聞けば、どうやらイーサンらしい。 「丁度良いところに、もう一人増えたな。幸いハイドロジェット換装が終わった  ばかりだ。後は搭乗者の脳波シンクロ調節だけが残っている。乗る気があれば、  少しばかり時間を融通しろ」 「つまり・・・それに乗るっちゅう事ですかいの?」 やや戸惑い気味に聞くフェンに、アンダーテイカーは無愛想に頷いた。 本来、ドレイクドールは戦略兵器である。 しかし今回の大災害に際しては、脱出と救助活動に用いる為に、水陸両用の機能を 達成する為に、水中酸素吸収機構と内部温度調節機能を強化した。 更に、水中移動用にキャタピラーと呼ばれる水中用推力と、浮沈調節用リキッド タンクを追加したとの事である。 と、ここまでアンダーテイカーがざっくばらんに説明したのであるが、矢張り 二人にはちんぷんかんぷんである。 やや疲れた表情のイーサンが、廊下から顔を出した時、フェンとカッツェは半ば 困り果てた様な顔で、濡れ鼠と化した戦士を出迎えた。


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