水没したディバース邸前の大通りを、数匹の巨大な鮫が、不気味な影を蠢かせて、
ゆったりと行き来している。
フェンの知識からでは到底信じ難いのであるが、これらの鮫は、ほぼ間違い無く、
人食い鮫としてその名を轟かせているホオジロザメの類であった。
(あかん、さっぱり分からん。考えるより、今は行動しとくか)
思い立った長身の若き魔術師は、水中でドレイクドールの巨影を、同じく水没した
高級邸宅の角に隠しつつ、古代語魔法の呪文詠唱に入った。
ドレイクドールの魔力増幅機能は、搭乗者の呪文詠唱音声と、外界のマナとを、
論理的に結合させて、実際の魔力を引き出すというプロセスを実行する。
その為、フェンはドレイクドールに搭乗したまま、古代語魔法の呪文詠唱を行い、
魔力をマナから引き出して、魔法効果を実現する事が出来るのである。
かくして、姿形隠匿の呪文が完成し、フェンはドレイクドールに搭乗したままで、
姿も音も完璧に消し去った。
(よっしゃ、行くか)
多少の不安を感じないでもなかったが、このままここで身を隠していても話が
進まないと判断したフェンは、呪文の力でドレイクドールごと姿を消した状態に
全てを賭けて、ディバース邸へと向かう事にした。
が、彼の思惑は、既に破綻していた。
何食わぬ顔でディバース邸正門付近まで移動していったフェンだが、いつの間にか、
鮫の群れが彼を包囲する形で遊泳している事に気づいた。
(まさか、わしの魔力を見破ったというのか?)
疑問を抱きつつ、フェンはふと、自らの後方に視線を飛ばし、そして愕然とした。
しまった、と思ったが、最早後の祭りである。

ドレイクドールのハイドロジェットは、バックパックと脚部推力装置に内蔵される
キャタピラーシステムがその根幹を成す。
これは、前方の水を吸い込み、後方へ噴き出す事によって、水中での移動を可能に
するシステムであり、当然の事ながら、キャタピラーの噴出孔からは、大量の水が
後方へ押し出され、一定の水流を発生させる事になる。
その水流は明らかに他の水流とは異なる形状を形成し、しかも数本並んで渦を巻く為、
視覚的にも容易に他と見分ける事が出来るのである。
フェンの姿形隠匿の呪文は確かに、ドレイクドールの姿と音を完全に消し去った。
しかし、キャタピラーシステムから噴出される推力痕跡である水流までは、さすがに
隠匿の範囲外であった。
鮫の群れは、ドレイクドール本体の姿を確認してはいないが、あからさまに接近を
試みる水流の主の位置を、おおよそながら特定していたのだった。
(まずい!)
と、心の中で叫んだ瞬間、フェンが駆るドレイクドールに衝撃が走った。
丁度前方に位置する特に巨大な鮫が、鋭い牙が並ぶ顎を目一杯に広げ、そこから、
岩石を一撃で破壊するのではないかと思われる程の衝撃を秘めた凝縮水圧波を
放ってきたのである。
ドレイクドールの巨体は、凝縮水圧波の直撃を受けて水中を吹っ飛ばされてゆき、
大通りの、ディバース邸とは反対側の邸宅の門扉に、背面から叩きつけられた。
痛覚遮断機能により、直接的な苦痛は無い。
が、凝縮水圧波のもたらした衝撃は想像以上に大きく、フェンは脳震盪を起こした。
意識が朦朧とし、姿形隠匿の呪文はあっさりとその効力が途絶えた。
その途端、それまで距離を置いていた数匹の巨大鮫の群れが、破壊された門扉に
上体を預ける格好で尻餅をついているドレイクドール目掛けて、一斉に殺到してきた。

霞がかかったようにもやもやと膜が張る意識の中で、フェンは眼前に迫る鮫の、
大きく開かれた牙だらけの顎を、まるで他人事の様に眺めていた。
数秒後には、彼の擬似聴覚に緊急離脱を促す警告音声が流れ込んできている。
その内容によれば、ドレイクドールの左腕が上腕部から破壊されて引き千切られ、
更に右脚部の膝下部位も失われているという。
数匹の巨大鮫の中でも、特に体格の大きな二匹が、フェンの駆るドレイクドールの
左腕と右足を、恐ろしい程の強靭な顎の力で噛み千切っていったのである。
(これは・・・拙い)
理性の中で、誰かが警鐘を鳴らしている。
が、未だにフェンの意識は霧に包まれたように朦朧とし続け、はっきりしない。
何とか右手を伸ばして門柱を掴み、よろよろと立ち上がるのが精一杯であった。
不意に、扇状に展開されていた鮫どもの陣形が乱れた。
そして直後、別のドレイクドールが猛然とその真っ只中に突進してきたのである。
左手でプラズマブレードの光る刃を振りかざし、右手にはパルス機関砲を携えて、
威嚇射撃で間合いを取ろうとしている。
『フェン!おい!しっかりしろ!』
聞き慣れた幼馴染の声が、ようやく若き魔術師の意識を覚醒させた。
助けに飛び込んできたイーサンのドレイクドールが、フェンの左腕と右脚を軽々と
食い千切っていった巨大鮫に、果敢に戦いを挑みかける。
『イーサン、気ぃつけぇ!そいつら飛び道具もありやぞ!』
『前もって経験済みさ!』
さすがだな、と思いつつも、フェンは鮫どもの意識が全てイーサンの機体に対して
注がれたのを見極めると、右手を背中に伸ばしてパルス機関砲を取り出した。
左腕と右脚喪失により、バランスが極めて悪い為、照準が正確に定められないが、
援護射撃程度は出来るだろう。

結局、イーサンの突入によって、何とか鮫の群れの包囲網を突破する事が出来た フェンは、援護を受けながらディバース邸三階テラスから、室内へと強引に ドレイクドールの巨体を押し込んできた。 その後に、イーサンが濁流から浮上してきて、同じ三階テラスに陣取った。 既にミレーンをディバース邸内に押し込んでいたイーサンは、そのままテラスに 留まり、追撃してくる鮫の群れに対し、パルス機関砲による威嚇射撃を続けている。 鮫の警戒はイーサンに任せて、フェンとミレーンがディバース邸三階の中でも、 特に中央に近い寝室へと急いで向かった。 しかし、そこで二人を出迎えたのは、ディバース候本人ではなく、その娘である オリビエと、ディバース邸の家人達ばかりであった。 「おやさ、おめさんら無事でだか。よがたよがた」 「あの・・・ディバース候は、どちらに?」 「んぁぁ、ててそんならやくそにおんべ。たぶん他の大臣さといっそでねでか」 ミレーンはオリビエの言葉に、思わず天井を仰いだ。 確かに、有り得る話だった。 ディバース候もまた、このオランの行政の一角を預かる大臣なのである。 一人だけ、のうのうと自宅で救助を待っているような、そんな間抜けで悠長な事を しているような人物ではないだろう。 オリビエの話によれば、まだ街路が完全に水没してしまう前に、大急ぎで王城へと 向かっていったとの事であった。 恐らく国防大臣クレメンスも、同じくエイトサークル城に詰めているのだろう。 しかし、オリビエの無事が確認出来ただけでも、無駄足ではなかったと言って良い。 一方、クレット、エルク、カッツェの三人には、絶望的な、と形容しても良い程の 圧倒的不利な状況が発生していた。 彼らの前にも、遂に例の鮫の群れが出現したのである。 何より最悪だったのは、彼ら三人の冒険者達には、守るべき無力な市民が多数居た、 という事であった。 三人に救出され、家屋の屋根の上に避難していた市民達は、押し寄せる濁流や、 降り続ける豪雨のみならず、突如として現れた巨大鮫の群れという新たな猛威にも 耐えなければならなくなったのだ。 水上歩行の精霊法術をエルクに仕掛けてもらったクレットが、愛用の武器を片手に、 激しく波立つ水面上に降り立って、濁流の下を悠々と泳ぎ回る鮫の群れに対して 威嚇しようと試みたが、まるで焼け石に水であった。 鮫の群れはカッツェの駆るドレイクドールから敢えて距離を置きつつ、その巨体を 利した体当たりや、凝縮水圧波等を駆使して、人々が辛うじて濁流から逃れている 家屋の破壊に着手し始めた。 精霊法術を使って鮫の動きを阻害しようとしたエルクなどは、凝縮水圧波の直撃を 浴びてしまい、肋骨折と内臓破裂という重傷を負って、行動不能に陥る有様だった。 『クレットお姉ちゃん!エルクお兄ちゃんを早く上に!』 カッツェに指示されるまでもなく、クレットは、本来なら絶対安静にしておかねば ならない重傷のエルクを引き摺って、手近の家屋の屋根上にまで何とか逃れた。 途中、激しく波打つ濁流の水面から鋭い牙の並ぶ顎を突き出してきた一匹の鮫が、 エルクの右足首を噛み千切っていってしまった。 既に意識を失っているエルクにとっては、苦痛を感じずに済んだのが、まさしく 不幸中の幸いと言って良いだろうか。 ドレイクドールを駆るカッツェのみは、巨大鮫の群れを相手に回して互角の戦闘を 展開しているのだが、しかしその間にも、少年盗賊は何故こんなところに大量の 鮫が発生したのか、という疑問を少なからず抱いていた。


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