ディバース邸へ向かう四人と別れて、イーサンは太陽丘へと進路を向けた。
単独での移動には、巨大鮫との遭遇を考えると危険極まりないのだが、しかし
イーサン個人の考えとしては、全員でぞろぞろとディバース邸へ向かうよりも、
少しでも情報入手と早期報告に努める者が、せめて一人は必要であろうという
発想から、ドレイクドールでの水中戦闘ではそれなりに自信を付け始めている
イーサンならば、単独での王城移動はさほど問題にはならないと考えたのである。
心情的にはむしろ、大勢の罹災市民を放置していく事の方が心苦しい。
出来れば、この現状を王城内に設置されているであろう緊急対策本部などに
なるべく早く報告し、救助の目を向けて欲しいところであった。
濁流がオラン市街のほぼ全域を満たしている為、比較的丈の高い家屋の水面上に
顔を出している屋根などが、辛うじてオランの街並みを形作っている。
が、水中移動を可能とするドレイクドールは、まるで濁流による水圧などは
感じてもいないかのように、ハイドロジェットを全開にして、オラン市中の
大通りを進んでゆく。
しばらく西進すると、ハザード河の堤防が見えた。
本流ともども水没している為、全く意味を為していない堤防を左右に望みつつ、
イーサンは律儀に石橋を越えてゆき、太陽丘に向けて進路を南西に取った。
ここまでの間、巨大鮫は影も形も見せていない。
既にイーサンが始末した巨大鮫の数は、軽く二桁に到達している。
それだけの数の巨大鮫がオラン市中に侵入している事実も驚きだが、それらの
化け物を小一時間の間に始末してきたイーサンの技量は更に驚嘆の一言である。
やがて、街路が徐々に上り坂になり、路面と水面との距離が少しずつではあるが、
狭まってきていた。
ラーダ神殿やマイリー神殿などが見える頃には、路面に立つドレイクドールの
腰の辺りにまで、濁流の水位が下がってきていた。

否、正確に言えば、水位が下がっているのではなく、海抜が上昇しているのだ。
太陽丘はその名の通り、オラン市中でも比較的盛り上がった丘状の台地となり、
その一角だけが小高い丘を形成している。
必然的に、濁流の届く範囲も限界が見え始めており、一時は太陽丘上に展開する
建造物においても、二階付近まで浸水していた筈なのだが、それもさほどに
続かなかったらしく、今では人の胸元付近にまで水位が下がってきている。
イーサンはドレイクドールの膝元程度まで水に浸かる路面を進み、オランの
中心部であるエイトサークル城を目指した。
途中、太陽丘の各所に配置されているオラン騎士団の小隊と遭遇したのだが、
どういう訳か、ドレイクドールという特異な存在に対し、彼らオラン騎士達は、
多少驚きの表情を浮かべはするものの、そのことごとくが、顔パス適用者に
対するが如く、軽い会釈を送るばかりで、誰一人呼び止めようとしなかった。
(そうか・・・多分国防大臣が、ドレイクドールの事を騎士団員達に、早い
 段階で通達してたんだな)
イーサンの予想は的中しており、国防大臣ドルフ・クレメンスは、彼の私邸から
ドレイクドールを出動させる旨を、既に全騎士団員に通達しておいたのだ。
しかしそれは同時に、ドレイクドールの存在をオラン行政府に、知識として
与える事にもなる。
矢張りこれほどの存在は、多少の混乱や驚愕を招いたであろう事は、容易に
想像がつくであろう。
ともかくも、イーサンは誰にも見咎められないのを良い事に、どんどん距離を
稼いで、エイトサークル城へと近づいていく。
やがて大手門前に達した時、聞きなれた中年男性の声が擬似聴覚を通して、
イーサンの鼓膜に響いてきた。

「そこのドレイクドール、止まりなさい」
大手門前の簡易詰め所にて、胸元まで迫る濁流を掻き分けるようにしながら
進み出てきたのは、オラン騎士団衛視大隊のディエター・ラガトであった。
「所属と姓名、及び帰還用件を述べよ」
『イーサン・モデイン。所属はなし。状況報告その他の為に参上しました』
スピーカーから流れる声に、ラガトは僅かに破顔した。
「おお、ご無事であったか。まさかドレイクドールに搭乗しているとは思っても
 見なかったが・・・まぁとにかく、ドルフ閣下のところにご案内しましょう」
『お願いします』
大手門をくぐったところでドレイクドールを降りたイーサンは、ラガトと共に、
河川用の小舟に揺られて王城本丸へと渡り、大会議室へと通された。
ラガトに案内される間、大勢の役人や騎士などでごった返す城内を、驚きの
表情で見回していたイーサンだったが、大会議室は更にバケツをひっくり返した
ような喧騒で、まるで落ち着きの無い程の騒がしさであった。
人込みを掻き分けつつ、ラガトが大会議室の最も奥まったところにある会議卓に
イーサンを連れてゆくと、ドルフ・クレメンスやエイテル・ディバースといった
主要大臣級の面々が、下級役人や騎士隊長などの連中を相手に回して、慌しい
やり取りを展開している真っ最中だった。
「おお、卿か」
先に気づいたのは、意外にもディバース候の方だった。
イーサンはソムリエとして貴族や富豪の邸宅を出入りする際に身に付けた作法で
挨拶すると、ディバース候も客人に対する作法で返礼してきた。

続けて、ドルフ・クレメンス国防大臣とも挨拶を交わしたイーサンは、市中の 凄惨な状況や、突如現れた謎の巨大鮫について、誇張する事無く、簡潔に、 その内容を報告した。 会議卓を前にしてじっと腕を組んだまま耳を傾けている黒い肌の美青年は、 イーサンからの報告を全て聞き終えた後で、少し疲れたような表情を浮かべて 小さな溜息を漏らした。 「やっぱり、ジョーウェポンだったか」 イーサンのみならず、ディバース候もその言葉の意味を理解する事が出来ず、 小首を傾げて説明を促す。 ドルフは、周囲から一斉に視線を浴びる中で、感情を押し殺した声を絞り出した。 「ファンドリアが開発した水上戦闘用改造生物です。ホオジロザメをベースに、  人間並みの知能と、局地戦闘に適した様々な能力を付加している厄介な化け物、  それがジョーウェポンですね」 巨大鮫の正体は分かった。 だが、それでは何故、ファンドリア開発の生物兵器が、この濁流の中に押し寄せ、 オラン市中で破壊行為を続けるのか。 いや、それ以前に、この大洪水を仕掛けたのは一体何者なのか? 「十中八九、後ろでファンドリアが糸を引いてるね。直接的に動いているのは、  恐らく鱗王ザービアックだろうとは思うけど」 何故西の中原国家ファンドリアが、オランに敵対行為を見せるのかまでは、 さすがのドルフにも分からない。 しかし、ジョーウェポンと青葉党=鱗王ザービアックという図式から考えると、 今回のこの大洪水にも、ファンドリガが一枚噛んでいると見て良いだろう。 「ハザード河下流にある新造堰の調査を、君に依頼したい。これは、オランの  国防大臣としての、正式依頼と思って欲しい」 報酬については、別途交渉するので、今は一先ず、最も怪しい存在の調査を先に 進めて欲しいというのである。 更にドルフ曰く、この大洪水を引き起こした陸の津波の発生源と、濁流が市中に 溢れ返っている原因は、別々に存在するであろうという事であった。 目下のところ、緊急に調査すべきは後者であって、前者については水が引いた 後でも遅くは無いだろう。 「ファンドリアは二段構えで水攻めを展開してきたという訳か。何とも手の込んだ  やりようですな」 ディバース候が苦虫を噛み潰したような表情で唸る。 ところで、と黒い肌の美青年が、イーサンに水を向けた。 「君が乗ってたのは、AH323だったよね?悪いけど、それはラガト隊長に  まわしてもらえないかな?脳波調整は僕の方でやっておくから」 その代わり、イーサンにはAHXという別タイプのドレイクドールを貸す、 と言うのである。 聞けば、AH323よりも機能が数段優れている最新型だという事らしい。 AH323はDシルバー製だが、AHXはアダマントリウムΣ製だという。 特殊金属にはまるで疎いイーサンの頭脳では、よく理解出来ない話だった。 ドルフの考えでは、ハザード河下流の謎の新造堰調査には、ほぼ間違い無く、 敵による妨害が発生し、苦戦を強いられる事になるだろう。 それであれば、こちらとしても、より戦闘力に優れたドレイクドールを派遣し、 事態の解決に臨みたい、という事であった。 一方、フェンとカッツェの駆るドレイクドールは、重傷を負っているエルクと クレットをディバース邸にまで運び、ミレーンと合流する事が出来た。 途中、ジョーウェポン(この時点ではまだ、彼らがその正体を知るには至って いないのだが)と接触する事は無かったのが幸いであった。 尤も、オラン市中の鮫の群れは、その大半をイーサンが駆逐してしまっている ようなものであったが。 ともかく意識不明のエルクと、下半身に重傷を負っているクレットとしては、 風雨を凌げる邸宅内というのは、非常にありがたいところであった。 ドレイクドールを降りたカッツェがクレットに肩を貸し、同様にフェンが、 エルクを背負って、テラスから三階中心部付近の寝室へと足を向ける。 そこでは、魔法の絨毯をどうやって持ち出したものかと思案に暮れていた ミレーンやオリビエ他、十名余りの家人達が、薄暗い室内で四人を出迎えた。 ここでようやく、エルクとクレットはミレーンの法力による治癒を受けて、 傷が全快した。 エルクもやっと意識を回復したのだが、しかし、失った右足を見た途端、 もう一度気絶しそうになる程、動転してしまった。 「これじゃあもぉ、冒険出来ませんよぉ・・・」 「まぁ、そんなに悲観しないでください。法力の中には、失われた肉体を  再生するものもありますから・・・」 ミレーンの慰めが届いているのかどうか、エルクは一人で落ち込み、遂には 涙目になって寝室の隅にうずくまってしまった。 確かに失われた肉体の部位を再生する法力はある事にはあるが、しかし、 実際にその法力を望むには、それ相応の額のガメル銀貨が必要になるだろう。

結局、ミレーンとオリビエは、四人の仲間がディバース邸に戻ってくるまで、 魔法の絨毯を持ち出す為の方策を見出す事が出来なかった。 しかしエルクが意識を取り戻した事で、事態は改善されると見て良い。 何よりも、ドレイクドール2体があるという事は、それだけで、水中での 行動の幅が大きく広がる事になるだろう。 「屋敷の中に、鮫が入り込んでいるって事はないかしら?」 「その可能性は、否定出来ませんね」 クレットの疑問に、ミレーンもその美貌に渋い表情を浮かべて首を振るしかない 。 実はミレーン自身も、鮫が侵入している危険性を危惧していたのだ。 「ところで、その魔法の絨毯って、どれぐらいの人が乗れるんですかぁ?」 カッツェの問いには、曖昧な回答しか返ってこなかった。 実際に乗った者が、この場に居ないのである。 が、最初にこの話を持ち出した老執事の言葉によれば、およそ30人ぐらいは 楽に乗れる筈だという事だった。 「結構な大きさじゃな。それがあれば、救助活動にも活用出来そうなもんじゃが」 などと言いつつも、しかしフェンの内心では、目先の救助活動よりも、もっと 根本部分の解決に乗り出すべきではという意識がある。 だが皮肉な事に、その解決の為に依頼を受けているのは、只一人この場には居ない イーサンだけであった。 ちなみに、ディバース邸内は広い事は広いのだが、ドレイクドールが自在に 行動出来る程の余裕は無いのだという。 つまり、魔法の絨毯を取り出す為には、どうしても生身のまま濁流に飛び込み、 地下倉庫にまで潜る必要があるのだ。


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