大司教


職能の王国エレミアは、一方で砂塵の王国としても有名である。
その最大にして唯一の理由は、王国領土北辺に広大な面積を以って広がる、悪意の砂漠こと
カーン砂漠の存在に他ならない。
乾燥した気候の為、水田は全くの皆無と言って良い。草原地帯も極端に少ない為、牧畜には
不向きであり、畜産業を営む農家は極端に少ない。
要するに、国内純産の食糧事情は決して芳しくないというのがエレミアの実情である。
しかしそのような輸入一辺倒の食糧事情を補って余りある職能技術が、何よりもこの国の
最大の強みであろう。
ずば抜けて高品質の製品が多く出回るという訳ではないが、廉価で安定した品質の製品を
恒常的に供給する事が出来るというのは、それだけで一国の経済を形成し得る。
多くの優れた製品を生み出す職人達のみならず、それらの品々を売り捌く商人達の数も
決して少なくない。
その為か、エレミアには職能の神ブラキの他、商業の神チャ・ザを信仰する者の数が多い。
しかしながら、大地母神の信徒数もまた、近年急速に勢力を伸ばし始めている。
これはひとえに、大司教フェリア・ランカスターの影響力によるところが大きいだろう。
但し、本人はいささか不本意ながら、信者の多くは大地母神の教えに感化したと言うよりも、
若き女大司教の類稀な美貌に惹かれた男性諸氏が、少しでもランカスター大司教の美貌を
拝みたいが為に入信したというケースが圧倒的に多かった。
それでも中にはランカスター大司教の説く大地母神の教えに触れるうちに、本当に信徒として
目覚める者も居る為、彼女の努力が全くの徒労に終わっているかと言えばそうでもなかった。
エレミアの街のマーファ神殿は、他の建物とは一風異なり、オランの建築様式を採っている。
基本的なエレミアの建築様式を一口で言い表すなら、古代アラビア建築を想像すれば、大体
的を得ていると言って良い。
そんな中でマーファ神殿のみは、重厚な神学を思わせる教会建築様式によるたたずまいを
見せているのである。
この一点だけを見ても、大地母神信仰がエレミアにおいて如何に異質であるかが分かると
いうものであろう。

前オラン国防大臣ドルフ・クレメンスに同伴する形で、四人の冒険者がここエレミアに
渡ってきてから、既に一ヶ月が経過している。
あの恐るべきオラン大崩壊直後から、このエレミアに移動してきた彼らであるが、その
目的は只一つ、死亡した冒険仲間であるミレアンレーヌ・ファインの蘇生を、エレミアの
マーファ神殿に依頼する為であった。
一体どういう繋がりがあるのか、ドルフはランカスター大司教と直接面会し、ミレーンの
蘇生について依頼を申し込んだのである。
否、前オラン国防大臣という立場を考えれば、隣国の大地母神大司教と知己の仲であっても
さほどに不思議ではないのかも知れないが、しかし、ドルフがランカスター大司教相手に
見せた親友然とした態度は、二人の間にそれ以上の友情が結ばれている事をうかがわせた。
大司教の執務室で黒い肌の美青年と、白い肌の美女の邂逅を目の当たりにしていた四人の
冒険者達は、本来の目的を一瞬忘れてしまうほどに、この両者の際立った美しさに、思わず
溜息を漏らしてしまった。
だが、そんな和やかな雰囲気も、半日とは続かなかった。
ランカスター大司教の実力をもってしても、ミレーンの蘇生は叶わない可能性が高いという
現実を突きつけられたからであった。
その後、ランカスター大司教は数名の高弟達を従えて蘇生の儀式を丸三日間、不眠不休で
執り行ったのであるが、その結果は矢張り予想した通り、失敗に終わった。
ミレーンの死が確定した事で、四人の冒険仲間達は、深い悲しみと落胆を味わう事になった。
日頃、あまり表情を面に出さない魔導師レーフェン・ハーヴィでさえ、すっかり言葉を失い
数日間ものが喉を通らなかったという有様であった。
逆に女盗賊クレット・アーリーは深酒するようになり、ミレーンの蘇生儀式失敗後の数日は、
毎日四六時中、酒場に入り浸り、泣き上戸で酒をあおり続けた。
だが、同じ盗賊ギルドに属するカツェール・デュレクの場合はもっと深刻であった。
彼は家族がオラン在住であり、その安否が未だに不明のままなのである。
単純に冒険仲間を一人失っただけではなく、愛する家族の生命がどうなったのかも全く
分からないというのは、この若い少年盗賊の精神には、計り知れない打撃を与えていた。

只一人、比較的落ち着いているのはエルクファント・レガシーである。
彼は元来、自身が迫害される境遇を長い年月過ごしてきていたせいか、悲しみに対する
心理的免疫が相当強く形成されており、ミレーンの死についても、確かに悲しい事では
あったが、必要以上に落ち込むのは、自らの使命を全うしようとして命を落とした彼女に
対して、逆に失礼であろうとさえ思う事が出来た。
その為エルクは、ミレーンの冥福を祈りつつも、気持ちを切り替える事が肝要だと考え、
気分転換にエレミアの街中へぶらぶらと繰り出していく毎日を過ごしている。
情の深い性格のクレット辺りから見れば、エルクのこの態度は極めて薄情で許しがたい
ものがあったようだが、こればかりは各人の性格と生い立ちによるものである。
むしろ必要以上に泣き続けるクレットを、エルクは不思議な思いで眺めていた。
エルクとしては、ミレーンの蘇生儀式失敗後、ランカスター大司教が本当に申し訳ない
表情で何度も詫びの言葉を述べていた事が印象深かった。
ランカスター大司教には、責められるべきは一点も無い。が、その優しすぎるほどに
優しい性格の美貌の大司教にしてみれば、大切な仲間を失ってしまう事のつらさが
自分の事のように思えてくるのだろう。
涙目になって何度も詫びていた姿に、エルクはちょっとした感動すら覚えていた。
(そうだ・・・ちょっと神殿の方に行ってみようか)
その日の午後、いつものようにぶらぶらと出歩いているハーフエルフ戦士であったが、
不意に何を思ったか、エルクは繁華街を抜けて、エレミアの街西方に位置している
マーファ神殿へと足を向けた。
蘇生の儀式の後、冒険者達は誰一人としてランカスター大司教を訪れていない。
せめて事後の挨拶だけでもしておくのが礼儀であろう。
エルクとしては、実に軽い発想でそう考え、マーファ神殿の方角に気持ちを向けたのだ。
ちなみに、ドルフもマーファ神殿に部屋を借りて起居している。
冒険者達は街中の冒険者の店『紅い砂塵亭』に宿を取り、そこで寝起きしているのだが、
ランカスター大司教の古くからの友人であるドルフだけは、マーファ神殿に部屋を借り、
その黒い肌をあまり人目にさらさないように心がけているらしい。
エルクがマーファ神殿の正面大玄関に足を運ぶと、大地母神の高司祭らしき初老の男性が、
大玄関脇の接待室で一人の女性と何やら揉めている様子だった。
「駄目ですって。もう何日支払いを引き伸ばしてると思ってるんですか?」
「いや、まぁ、それは分かっておるんじゃが、いかんせん神殿のお勤めが忙しくてなあ、
 そのぉ、なかなか小銭を稼ぐ暇が無いというか・・・」
「・・・いい加減、大司教様にチクりますよ」
「あ、そ、それだけはご勘弁を・・・明日までには、全額支払うよってな」
そう言い残し、慌てて神殿の奥へと逃げ去っていく老司祭に、栗色のボブカットがいかにも
元気そのものの雰囲気を強く印象付けている女性は、疑わしげな視線を投げつけている。
「いーっつもああ言って、なかなか払わないんだから。だったら最初から買うなっつぅの」
接待室からぶつぶつ言いながら出てきたその女性とばったり鉢合わせになった格好になり、
エルクは内心大いに慌てた。
立ち聞きしていた、などと思われては、後で面倒な事に巻き込まれるかも知れない。
が、意に反して、その若い娘はむしろ驚いた表情で、自身より少し目線の高いハーフエルフに
裏返った声を放った。
「あらぁ珍しい。不信心なエルフ殿が、神殿に何の御用?って言っても、ここは私の
 教義とは全然違うとこだけど」
それからすぐに、エルクのやや間抜けた面をしげしげと見つめ、
「おっと御免なさい。あんたハーフエルフか。じゃあ神殿に居ても不思議じゃないか」
「・・・あのぉ、何の商いをなさっておいでで?」
エルクは自己紹介するよりも、相手が商人だと見て取り、まずは娘が話題に食らいついて
きそうなところから話を振る事にした。
こういった頭の回転は、矢張り吟遊詩人としてそれなりに世間を渡っている経験からくる。
「雑貨・インテリアのファニック商会よ。あのおじさん、たまぁにうちに絵を買いに
 くるんだけど、いっつも支払いが遅いのよね」
更に娘曰く、あの老司祭が購入していくのは、いつも決まって裸婦画という。
要するにスケベ爺なのだが、ランカスター大司教はまだその事を知らないらしい。

見たところ冒険者のようですが、とエルクが水を向けると、その娘レイニー・ファニックは、
僅かに苦笑を浮かべた。
決して秀麗な美貌という訳ではないのだが、愛嬌のある顔立ちで、エルクなどはすっかり
この娘レイニーに興味を惹かれている。
「こう見えても私、一応高司祭位なんだけどねぇ。何が悲しゅうて、実家の取立屋なんぞ
 やってる事やら」
冒険者は、依頼や冒険のネタが無ければ、基本的には暇人なのである。
レイニーも多分に漏れず、日頃は暇を持て余しており、こうして支払いの取立てなどに
こき使われる事が少なくない。
まだ駆け出しだった頃は、神殿の勤めや戦闘訓練などで忙しかったのだが、高司祭として
自立した今は、そういった雑務に煩わされる事もなく、時間を持て余す事が多いらしい。
エルクは立ち話をする中でも、レイニーをじっと観察している。
見たところ、体格はごく普通の平均的な女性のそれであり、丈もさほどにはない。
が、エレミア特有のゆったりした衣服の下から見える剥き出しの二の腕や太股などには、
無駄な肉が微塵もついておらず、女性にしては引き締まった筋肉質の四肢であろう。
もしかすると、単純な筋力だけならば、エルクをも上回るかも知れない。
その時、エルクの腹が鳴った。
開け放たれた大玄関からはやや西に傾いた陽光が射し込み始めているが、よくよく考えれば、
昼食がまだだったのである。
「あら奇遇ね、あんたもお昼まだなの?この近くに美味しいザイン料理の店があるんだけど、
 良かったら一緒にどう?もちろんワリカンだかんね」
まさか初対面から僅か数分の女性と、昼食デートをする事になろうとは思っても見なかった
エルクではあったが、断る理由も無い為、快諾する事にした。
そうして、二人肩を並べてマーファ神殿の大玄関を出ようとしたところで、不意に背後から
声がかけられた。

聞き覚えのある声であった。
わざわざ確認するまでもなく、その凛と響く透明度の高い澄んだ声の主は、美貌の大司教の
ものであった。
本来の目的を思い出し、内心苦笑を禁じ得なかったエルクであったが、一方のレイニーは、
驚いた様子で目を丸くしている。
「エルクさん、丁度良いところに来て頂きました。ちょっとお時間宜しいでしょうか?」
大地母神の大司教ともなると、その聖衣には上質な素材が使われており、一目見て、高価な
衣装である事が分かる。
純白の大司教衣に身を包んだランカスター大司教は、足早に、大玄関の手前で足を止めた
エルクに歩み寄ってきた。
「あんた、大司教様と知り合い?・・・いや、なんかたまげたわぁ」
エレミアの街のマーファ信者達にとって、ランカスター大司教はまさに雲の上の存在であり、
同時に高嶺の花でもあった。
が、その美貌の大司教が自ら、一介の冒険者に過ぎないエルクへと声をかけてきたのである。
驚くなという方が無理であろう。
ただただ仰天しているレイニーを大玄関に残し、エルクはランカスター大司教に伴われて、
聖堂脇の待合室へと連れ込まれた。
「ドルフから、あなた方の事は聞いています。優秀な冒険者なのですね。そこでちょっと、
 お願いがあるのですが・・・」
ランカスター大司教直々にありがたい言葉を聴かされたエルクは、多少気分が高揚していた。
しかし一方のランカスター大司教は、決して浮かれている様子など無く、むしろその美貌は
深刻な表情で、やや暗い。
エルクが頼まれた内容というのは、エレミアから自由人たちの街道を東方に向かい、ある
調査をしてきて欲しい、というものであった。
が、その調査というのが厄介である。
国際テロリスト集団スプリットが活動している痕跡を見つけ出してきて欲しい、というのだ。
この後、レイニーと昼食を共にしたエルクであったが、食事が終わっても尚、難しい顔を
崩す事はなかった。


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