大司教


深夜になってから、レイニーはエルク、イーサンの仲間達に引き合わされ、改めて、
共に行動する旨を自らの口から伝えた。
クレット、フェン、カッツェの三人はそれぞれ、やや複雑な思いが胸中に去来している。
つい一ヶ月前、幾多の苦難を共にしてきた冒険仲間を一人失ったばかりである。
新たな仲間の登場は嬉しい反面、命を落としたかつての冒険仲間とは、全く対照的な
性格の持ち主の登場に、どう対処すれば良いのか、戸惑いの念が隠せない。
それでも、強烈な個性を持ちながら、ある面ではマイペースを崩さないレイニーの雰囲気に、
いつしか全員が呑まれてしまっている感があった。
「しかしまぁ、戦力が整った事に違いはないしのぉ。ひとまず、街道を東に向かってみるか」
紅い砂塵亭の二階宿部屋で、ベッドの端に腰掛けたフェンが、半ば結論づけるようにそう
提案してみたが、彼の意に反し、エルクとクレットがマーファ神殿に乗り込むと言い出した。
「目的は何じゃい?」
フェンの的を得た鋭い問いが二人に投げかけられた。
エルクにしろクレットにしろ、マーファ神殿にわざわざ潜伏するという危険な行為について、
これといった明確な目的を持っていなかったのだ。
強いて言えば、ランカスター大司教と、ドルフ前オラン国防大臣の安否を確認するぐらいか。
しかしこれには、イーサンもいつもの穏やかな表情とは異なり、渋い表情を首を振り、
「そんな必要は無いんじゃないかな?どちらも、僕達なんかよりも遥かに技量の優る御仁だ。
 僕ら程度のヒヨっ子に心配されなきゃならない義理は無いと思うけど」
確かにイーサンの言う通りだ。
エレミア政府に潜伏しているスプリット構成員の動きは、とにかく迅速の一言に尽きる。
そんな圧倒的な早さを見せる敵の動きに対処するには、こちらも迅速果敢で動かねばならぬ。
無目的にマーファ神殿などに出向いて油を売る暇などは、無い筈であった。
しかし、エルクとクレットの方針には変化が無い。
結局のところ、自由人たちの街道を東進する四人と、マーファ神殿に潜入を試みる二人の
二組にチームを分ける事となった。

エルクは精霊法術を、そしてクレットは古代語魔法を駆使して、それぞれ姿を消し去る形で、
市道を封鎖する国軍の包囲網をまんまと潜り抜け、マーファ神殿に到達する事が出来た。
他の四人が街道東進の為の準備を始めたのが、丁度午前零時頃だったのだが、この二人が
マーファ神殿に入り込んだのは、それから30分もしないうちであった。
エレミアの国軍は、オランの市中警備のように、全員が騎士という訳ではない。
一般歩卒はエレミア国民から広く徴兵される。
その為、兵士としての技量はじつにまちまちであり、その大半が、素人に毛が生えた程度に
過ぎないのである。
つまり、エルクの精霊法術とクレットの古代語魔法の前には、その程度の国軍兵士など、
全く赤子の手を捻るようなものであり、難なく切り抜ける事が出来たのだ。
但し、市中に配置された封鎖兵力の数は半端ではない。
見つかってしまえば多勢に無勢であり、いくら素人相手とは言え、すぐに捕縛されるだろう。
そこで念には念を入れて、エルクとクレットはそれぞれの術を行使する事にしたのだ。
マーファ神殿の敷地内に潜入し、裏口の木戸から神殿内へと滑り込んだ二人は、まず最初に
ドルフが寝泊りしている客室を目指した。
二人が術を解除してドルフの客室を訪問すると、黒い肌の美青年はまだ眠っておらず、
微かな燭台の炎だけを頼りに、机の前に座って何やら書き物に集中していた。
「やぁ、どうしたんだい?」
随分あっさりとした明るい表情で二人の冒険者を出迎えたドルフに、エルクとクレットは
安堵する一方、あまりにも平穏無事で落ち着いた態度を見せているドルフの姿に、若干の
腹立たしさを感じない事もなかった。
折角心配して様子を見に来たというのに、当の本人は、まるでけろりとしている。
「マーファ神殿が包囲されているのはご存知ですよね?」
エルクが心配げに確認すると、ドルフは二人に木椅子を勧めつつ、自身は再び机に向き直り、
書き物を進める手を再開した。
その驚く程の落ち着きぶりに疑問を感じたエルクが、わざわざそう確認したのだが、しかし、
言われるまでもなく、ドルフは外の様子を完璧に把握していた。

いや、むしろドルフの発した言葉には、逆にエルクとクレットの方が愕然とした。
「知ってるも何も、国軍に市中を封鎖させるよう仕向けたのは、この僕さ」
唖然として、理解出来ていない様子の二人に、ドルフは更に苦笑を浮かべて、
「ほら、こうしてマーファ神殿を包囲する為には、結構な国軍兵力が必要になるだろう?
 そうすれば、その分、君達が自由人たちの街道を東に向かうのが楽になる」
ドルフは、エレミア政府に潜り込んでいるスプリットのスパイが、東進する冒険者達に対し
何らかの妨害工作を取ろうとすると睨んでいた。
そこで自ら囮になり、国軍兵力をエレミア市中に足止めさせる為に、敢えて自らを大罪人に
仕立て上げ、ランカスター大司教の同意のもと、エレミア国軍に神殿を包囲させたのだ。
「幸い、フェリアさんは僕のよき理解者でね。僕の意図をしっかり把握してくれて、今も
 国軍の司令官相手に、のらりくらりと折衝して時間を稼いでくれているよ」
本当は、この囮作戦についても説明したかったのだが、エレミア政府内のスプリットの
スパイの動きが思った以上に早かった為、ろくに連絡を取らないまま、エレミア国軍への
引き寄せ作戦を実行に移す事になったという。
「じゃあ、あたし達もすぐに皆を追いかけないと」
やや浮き足立ったような様子で木椅子から腰を浮かそうとしたクレットに、しかしドルフは
不意に厳しい表情を浮かべ、立ち上がろうとする二人を手で制した。
「ちょっと待った。今、妙な波動を捕捉した」
緊張した面持ちで黒い肌の美貌に視線を注ぐ二人の冒険者達も、どこか背筋に冷たいものを
感じさせる不気味な気配が、神殿に迫っている雰囲気を機敏に察した。
客室の木扉がノックされ、ランカスター大司教の美貌が現れたのは、その直後である。
「あら、あなた方どうしてここに・・・」
同席している二人の冒険者に一瞬意識を奪われた美女は、しかしすぐに用件を思い出し、
「ドルフ、厄介な事になりました。敦盛が来ています」

自由人たちの街道を東進する方針で意見をまとめた残り四人の冒険者達は、しかし街道を 東進する方法までは、各個人でばらばらであった。 イーサンは大胆にも真正面から街道を東進し、エレミア国軍による街道封鎖に対しては、 「僕はオランの国民だからオランに戻る。それだけだよ」 という実にシンプルな論法で押す事にした。 実際、エレミア政府が自由人たちの街道東進を禁止する名目は、オラン大崩壊の余波から、 『エレミア国民を保護する』事にある。 であれば、その保護の対象外であるオラン国民であれば、自国に戻るのは全くの自由だ、 という論法になる。 イーサンのこの作戦は、見事に的中した。 深夜のエレミアの街を出て、街道を東に向かい始めてから程なく、最初の関所にぶつかった。 そこで彼は、上記の論法でエレミア国軍兵士をあっさりと納得させ、難なく通過したのだ。 オランからエレミアに来る際、各宿場町のエレミア国軍駐屯地に、通関証を出してもらって いたのも大いに役立った。 この通関証は、いわばエレミア政府がイーサンの『オラン国民である』という身元を保証する 最大の公文書であると言って良い。 エレミア政府自らが、イーサンを街道東進禁止の対象外と認めている以上、国軍兵士が、 誰一人としてイーサンの街道東進を阻む事は出来ないのである。 その結果、最初の街道要衝であるマルディーニ大橋には、イーサンが最初に到着した。 エレミアの街を出てから数時間、東の空がうっすらと白み始めてくる刻限であった。 マルディーニ大橋は、自由人たちの街道をエレミアからオラン方面に向けて移動する際の、 最初の要衝である。 河川敷も含めて幅50メートルにも達しようかというマルディーニ川が、自由人たちの街道を 南北に縦断している。 マルディーニ大橋は、自由人たちの街道がこの大河を渡る為の総石造りの橋梁であり、この 橋が落とされでもしたら、それだけで大規模な交通障害が発生する。 マルディーニ大橋自体が自由人たちの街道の要衝である為、橋の両側にはそれぞれ小さな 街が宿場町として栄えている。 西マルディーニと、東マルディーニに分かれているが、実際は川を隔てた一つの街である。 が、幅広の川を挟んでいる為か、それぞれ独自の運営がなされており、いつしか二つの街は お互いをライバル視するようになり、数十年前から小競り合いが絶えないという噂だった。 特に先年就任した西マルディーニ区長と東マルディーニ区長は恐ろしく仲が悪く、何かにつけ、 街ぐるみでの張り合いや競争を煽り立てている有様であった。 西から来た旅行者には西マルディーニの客引きが必死になって足を止めようとさせ、逆に 東から来た旅行者には東マルディーニの客引きが血相を変えて足止めに尽力する。 夜をそれぞれの街で過ごさせて、少しでも自区の収益を上げようという魂胆だった。 当然、西のエレミア方面から来たイーサンは、西マルディーニの宿場町通りで猛然たるという 表現がぴったり当てはまるほどの客引きに遭った。 もう明け方だというのに、この騒ぎようである。 日頃の東西マルディーニの対立がどれほど激しいものなのか、容易に想像出来よう。 「お客さん、うちに泊まっていきなよ!料理も女も絶品だよ!」 「ちょっとそこの粋なお兄さん、うちで休んでいきなよ!きっと満足する事請け合いだよ!」 などと、それこそ真昼の喧騒のような客引き声の大洪水が、イーサンを辟易させた。 オランからエレミアに向かう時にも、この客引き攻勢に困らされたばかりである。 もっとも、それは橋の反対側、東マルディーニにおいての事であったが。 しかし今回は、これらの客引きを無視して突破する訳にはいかない。 国際テロリスト集団スプリットの破壊工作員が、街道の要衝を狙っているのである。 このマルディーニ大橋もその破壊対象の一つとして候補に上がっている以上、どうしても、 西か東のいずれかの宿場町で逗留する事になるのだ。 イーサンは、最初に声をかけてきた二十歳前後の娼婦に手を引かれるまま、川霧亭という 女郎宿に足を踏み入れた。 尤も、イーサン自身は女を買うつもりはない。いつスプリットと遭遇するか分からないのだ。 のんびり女の柔肌を楽しんでいる余裕などなかった。 「お客さん、若いのに変わってるね。本当に良いの?」 イーサンを川霧亭に引き込んだ娼婦は、一階酒場で夜食にありついているイーサンに 給仕しながら、不思議そうに小首を傾げた。 それもそうだろう。イーサンのように逞しく精力に満ち溢れた若者が、女郎宿で娼婦には 目もくれないなどとは、異常としか言いようがない。 「それに宿帳には、何日か逗留しなさるって事だけど、その間、一度も女と寝ないつもり?」 「うん、ちょっと訳ありでね。でも、女郎宿に泊まってて全く何もしないってのも変だから、  一応表向きは、僕が何人かの娼婦と寝てるって事にしといてくれないかな」 イーサンの一風変わった申し出に、その娼婦サナ・リュインデラは、ますます興味を持って 夜食をかきこむ冒険者を眺めている。 長い金髪をまとめるように結い上げているサナは、なかなかに顔立ちが整っており、これは 後で聞いた話だが、この川霧亭では一番人気だという。 川霧亭は全部で二十人近い娼婦を抱えている、西マルディーニでも五指に入る規模の女郎宿で、 サナの他にも人気の高い娼婦は何人も居るのだが、特にこのサナは、気立てと教養も兼ね備え、 ベッドでのテクニックも抜群という美人娼婦であるとの事であった。 だがイーサンは、サナに対して別の角度から興味を持っている。 それはサナが人気の娼婦という事で、数多くの客を取っているという実績に対してだった。 つまりこの美人娼婦は、色んな客からベッドの中で様々な情報を吸収しているに違いない、 と考えたのである。 「サナさん、単刀直入に聞くけど、最近妙な客を取った事は無いかな?」 「・・・あなたが一番妙よ。女郎宿で女と寝ないなんて」 「いや、僕は別にして、だね・・・」 イーサンは苦笑して柔らかなブラウンの髪に覆われた頭を掻きながら、 「その、何て言うのかな。普通の旅行者じゃなく、どっちかっていうと、冒険者に近いけど、  でも冒険者よりは傭兵や軍関係に近い男を客に取った事が無いか?って事を聞きたいんだ」

イーサンの問いに、サナは大きなふくらみを見せる豊かな胸の前にトレイを抱え込みながら、 しばらく天井を眺めて考え込んでいた。 が、何も思い出せず、申し訳なさそうな様子で小さくかぶりを振る。 「ごめんなさい。そんなお客、多分居なかったと思うんだけど」 「うーん、そぉかぁ」 「あ、でも他の子に聞いてみようか?娼婦仲間って結構横の繋がりがあるから、ちょっと  聞いてみれば、誰かが引っかかるかもよ」 イーサンはサナの言葉に甘える事にして、自身は徹夜で歩き詰めだった肉体の疲労を少しでも 取る為に、夜食を済ませると早々に宿部屋へと引き篭もってしまった。 フェン、カッツェ、レイニーの三人がばらばらに西マルディーニへと到着したのは、それから およそ数時間から半日も経過しての事である。 彼ら三人は、自由人たちの街道を真っ直ぐ東進せず、それぞれが突破策を講じて、何とか ここ西マルディーニに到着したのだが、矢張り直線を突っ切ってきたイーサンに比べると、 その到達時間に大幅な遅れが出たのは仕方の無いところであろう。 使い魔カリルを先行させ、イーサンの逗留宿を調べ上げていたフェンは、同じく川霧亭に 腰を据える事にしたのだが、レイニーとカッツェは木賃宿に宿を取った。 この木賃宿は、宿泊料は極端に安く、平均でも一晩で銀貨一枚から二枚程度である。 その代わり食事は全て自炊で、食材も自分で調達せねばならない。 更にベッドも何も無い為、寝具も自前のものを用意する必要がある。 要するに、本当に風雨を避ける為だけの宿なのであった。 フェンがカリルを走らせて、他の三人に逗留宿に関する情報をばら撒いた後、それぞれが しばらく単独行動を取る事になった。 決して大きくない街である為、固まって動けば目立ってしまうのだ。 そこで定期的な連絡会を持つ時意外は、とにかくばらばらに動こうという方針に決定した。 妥当な策であると言えるだろう。 昼過ぎになって宿部屋から這い出してきて、一階酒場で湯漬けをかきこんでいるイーサンの 前に、再び給仕姿のサナが現れた。 他の客を取ろうともせず、イーサン一人の為に一番人気の娼婦がつきっきりの給仕役を 買って出るのは、宿にしてみれば相当な損失だったのだが、サナの機嫌を損ねてしまうと、 宿側としても困った事になる為、今回は大目に見ている様子であった。 「あのね、昨日言ってた、妙なお客の件だけど・・・どうもね、居るには居るらしいのよ」 イーサンは湯漬けをかきこむ手を止めて、丸テーブルの反対側に両手で頬杖をついている 金髪の美人娼婦に視線を向けた。 「ただちょっと問題があってね。妙な客を取ったのは、東の女郎宿の娼婦らしいのよ」 ふむ、と小さく頷いて考え込む様子を見せたイーサンだったが、そこへカッツェとレイニーが 連れ立って川霧亭の一階酒場に足を踏み入れてきた。 年若い少年と成人女性という、女郎宿には普通有り得ない組み合わせの来訪者だけに、 周囲の奇異の視線が二人に集まる。 「どぉも、こんにちはぁ」 「あらぁ・・・良い身分ねぇ。綺麗なオネエチャンはべらせちゃって」 カッツェの間延びした声に続き、レイニーのからかうような調子の冷やかし声が飛んできた。 サナが二人の為に木椅子を他のテーブルから引いてきてから、少し離れた位置に下がった。 他人同士の会話に耳を立てるような真似をせず、席を外すところはしっかり外す。 そういった辺りの気遣いが出来るというのも、サナの人気たる所以であった。 イーサンはまず、サナから聞き出した情報を二人に伝えた。 東マルディーニでの情報収集が必要となってくる。 が、西マルディーニに逗留しているものが果たして、東側において円滑な情報収集が出来るか どうか、極めて怪しいところであった。 気がつけば、いつの間にか黒猫カリルがイーサンの木椅子の足元付近に寝そべっている。 フェンが本人の代わりに、連絡会に出席させているのだろう。


戻る | TRPGのTOP | 次へ
inserted by FC2 system