大司教


半日ほど時間をさかのぼる。
自由人たちの街道を東進した四人とは別行動でマーファ神殿を秘密裏に訪れていた二人、
エルクとクレットの両名は、無事ドルフとランカスター大司教の両名と再会する事が出来た。
しかしここで二人の冒険者は、思わぬ障害の発生に遭遇する事となった。
「敦盛は、直接的にはスプリットの構成員という訳ではありませんが、協力関係にある
 組織の重鎮であり、そして恐るべき技量を誇る戦士です」
緊張を浮かべても尚その美貌に何ら翳りが無いランカスター大司教の口調は、冒険者達の
気分を引き締めるには十分な効果があった。
なんと言っても、大陸でも屈指の法力の持ち主であるランカスター大司教ほどの人物に、
恐るべき力量を誇ると言わしめるというのは、余程の能力でなければ不可能だろう。
つまり、エルクやクレット程度では対処不可能と言っているようなものである。
「目的は、一体何なんでしょう?」
恐る恐るといった様子でエルクが尋ねると、燭台の淡い光に黒い肌を照らしていた美貌の
ハーフエルフが、ランカスター大司教とは対照的な、妙に落ち着いた仕草で肩をすくめ、
「大方、僕やフェリアさんの足止めってとこだろうね。多分敦盛の事だから、僕の策を
 見抜いてる事だろう。正直、彼が出てきたのは誤算だったよ」
エレミア国軍に対し、囮作戦で兵力を分散させるまでは良かったが、思わぬ強敵の出現で、
本当に身動きが取れなくなろうとは、さすがのドルフも予測していなかったらしい。
「あなた方も、早急にここを去った方が宜しいですわ。本当にここに押し込まれて、何日も
 外に出られなくなってしまいますよ」
ランカスター大司教の言葉に、しかしエルクとクレットは揃ってかぶりを振り、折角の
忠告をやんわりと拒否した。
「俺達は、もう少しここに居ます」
「無策のまま外に出ても、その敦盛とかにすぐ見つかりそうだしね」
つまり、隙を見て脱出の機会をうかがうというのが二人の一致した意見ではあったのだが、
敦盛なる輩が、果たしてそのような隙を見せるかどうか。

ところで、とエルクが、ドルフの客室の入り口付近で佇むランカスター大司教に向き直り、
静かに立ち上がった。
燭台の小さな炎が照らし出す薄暗い室内で、ランカスター大司教は小首を傾げて、先を
続けるようエルクに促す。
「一つお願いがあるのですが、大司教様の権威を示すようなものを一筆書いて頂きたい、
 と思っているんですけど」
一瞬エルクの言っている事が理解出来ない様子のランカスター大司教であったが、すぐに
その内容を吟味し、いささか面を硬くして答えた。
「お断りします。私は自分に権威などあるとは思っていませんし、そもそもマーファの
 教えには、権威とか権力とか、人の自由を束縛するような概念は無用です」
まさか拒否されるとは思っていなかったエルクは、間抜けな面をさらして呆然とその場に
立ち尽くしてしまった。
傍らで木椅子に腰掛けているクレットは、ランカスター大司教の言葉を半ば予想しており、
そしてマーファの教えについてもある程度理解を持っている為、むしろ権威云々を示す
一筆を頼み込んだエルクの馬鹿さ加減に対して、苦笑を禁じ得なかった。
否、たとえランカスター大司教が他の神殿に仕えるものであったとしても、恐らくは、
エルクの依頼を拒否したに違いない。
誰に対しても分け隔てなく接する優しさの持ち主である彼女は、矢張り自分自身に対して
権威や権力を認めるような事は決してしなかっただろう。
もちろん、神殿そのものの権威は、政治的な場においては必要な場合もある。
しかしそれは、そういったパワーゲームによる駆け引きがどうしても必要な場合に限られ、
単純に個人としては、まず不要なものの一つとして、ランカスター大司教の頭の中には、
権威・権力は要らざるものという認識が出来上がっている。
要するに、エルクはランカスター大司教の性格をよく分かっていなかったのだ。

結局、夜が明けるまでこれといった動きも無いまま、エルクとクレットは神殿内で朝を
迎える事になった。
しかし動きが無いと見えたのはあくまでも表面上に過ぎず、神殿外部を覆いつくしている
不気味な波動の帯は、敦盛接近の報から次第に強まりつつあった。
「まさかとは思いますが、屍兵を配置している、なんて事は・・・」
「さぁ・・・平家のやる事は、いつも予想がつきませんから」
ドルフとランカスター大司教は、パンを頬張りながらも、緊張を解く事無く、精神を
張り詰めたままの口調で言葉を交わす。
緊張した空気の中でも、食事はとらねばならない。
神殿内のごく質素な食堂の長テーブルに、ドルフ、ランカスター大司教、エルク、そして
クレットの四人が適当に席を取り、パンとミルクと干し野菜のサラダ、そして保存の利く
硬いハムだけの、これまた質素な朝食で空腹を満たしている。
昨晩は四人とも徹夜だった為、若干の睡魔に襲われている。
しかしそこは、いずれも冒険者として長い経験を積んでいるだけの事はあり、気力だけで
睡魔を押さえ込む事にかけては、常人の想像を遥かに越えている。
「敦盛の妖力がこれだけびっしりと網を張ってたら、たとえ魔法で身を隠してても、一足
 神殿の外に出れば、すぐに発見されるだろうね」
エルクとクレットは敦盛の何者たるかを知らないのだが、しかしドルフのこの見解を
聞くにつれ、今、自分達は完全に袋の鼠と化している事を悟らざるを得ない。
「外に出れ・・・ますよね?」
おずおずと、エルクがミルクとも生唾とも取れぬ粘っこい何かを飲み込むような表情で、
ドルフとランカスター大司教に聞いてみた。
が、返ってくるのは二つの美貌の仏頂面ばかりであり、色よい返事は皆無である。
一応エルクは、ランカスター大司教から自由人たちの街道を記した、簡単な大陸地図を
借り受けているのだが、これが役に立つ時が来るのかどうか。
尤も、マーファ神殿に置いてある地図などは大雑把で精度に欠けており、仮に神殿を
出る事が出来たとしても、さほど役に立つとは思われなかった。

西マルディーニでの調査活動は、結局フェン一人が担当する事になった。 その内容も、川霧亭で東西マルディーニの現区長に関する情報を聞きだす程度の、 実に簡単なものであった。 イーサンがマルディーニ大橋を渡って街の東側に向かってしまった為、すっかり暇を 持て余してしまっていたサナを、今度はフェンがつかまえた。 彼はあくまでも、イーサンとは赤の他人を装い続けているのだが、しかし宿のお抱えの 娼婦を誰一人抱いていない辺りは、イーサンとまるで同じである。 その為、夜のベッドで仕事を終えた娼婦から、世間話混じりに情報を聞き出す事が出来ず、 仕方なしに、イーサンの給仕役を買って出ていたサナに聞く事にしたのだ。 実際、娼婦を抱かずに逗留する客というものは、宿賃以外の銭を落としていかない為、 宿の従業員や娼婦達にはかなり不評である。 唯一サナだけが、変わり者のイーサンに興味を持っているが、これは例外中の例外と 言って良いだろう。 結局、イーサンの宿部屋の掃除や食事の下ごしらえなどで忙しいサナを、合間を見て 何とかつかまえようとするものの、どうしても片手間で話をする程度であり、あまり 詳しい情報を聞き出すところまではいかなかった。 それでもサナは、東西両区長の就任時期や、街の者なら誰でも知っている程度の情報は 教えてくれた。 東西両区長が就任したのは、今からおよそ半年前の事で、いずれも一斉選挙によって、 二人が選出されたという事であった。 西側の区長は若手の活動家で、東側の区長は行政経験豊富な保守派である。 両者ともに人柄には問題は無く、自身が管轄する街区を経済的に盛り立てようと必死に 頑張っている為、各区民からの評判は悪くない。 但し橋の向こう側が絡んでくると目の色を変えて対決姿勢を表に出してくるという。 尤も、東西の仲が悪いのは今に始まった事ではなく、東西両区長が各区民を煽り立てて 熾烈な競争を展開するのは、最早伝統と言って良かった。 マルディーニの街は、規模は決して小さくないのだが、意外にも、盗賊ギルドは無い。 支部すらも設置されていないのだ。 もともとが宿場町であり、名の有る富豪や貴族が居を構えている訳でもなく、更には 情報が集積するという地理でもない。 盗賊ギルドからしてみれば、何一つ旨みの無い街であり、そんなところにわざわざ 人と物と金をつぎ込んで支部を設置しようなどとは、考えもしなかったところだろう。 よって、盗賊ギルドを若干ながらもあてにしていたカッツェの思惑は外れてしまった。 レイニーは相変わらず、オランの動向を気にかける商人として聞き込みに走り、そして イーサンはサナに書いてもらった紹介状を手に、東マルディーニのとある女郎宿を 直接訪問するという手段に出た。 そこで、青年戦士は思わぬ人物と出くわす事になる。 サナの紹介状のおかげで、例の疑わしき人物を客に取ったという年若い少女のような 年頃の娼婦の娘に案内されて、その人物が逗留している宿部屋を、廊下の角から こっそり覗き込んでみる。 そこでイーサンは、おもわずあっと声をあげた。 「あなたは、ウルメンさん!」 イーサンの驚きの声を浴びたスキンヘッドの強面中年男性は、それ以上に驚いた様子で、 声の主が佇む二階の廊下の角を凝視している。 元ミード憲兵隊捜査課長で、現在はオラン騎士団辺境警備隊の中隊長である筈だった。 確かにサナがイーサンに語ったように、冒険者のようであってそうではなく、しかし 屈強な体躯は軍関係者を思わせる雰囲気が漂う。 てっきりスプリットの破壊工作員が潜んでいるとばかり思い込んでいたイーサンは、 まさかこんなところでウルメンと再会する事になろうとは、思っても見なかった。 「いやぁ、久々に会えたのは嬉しい限りだが、恥ずかしいところを見られたな」 ウルメンは、つるつるに磨き上げたようなスキンヘッドをぼりぼりと太い指で掻いた。 マルディーニ大橋は総石造りの頑丈な橋梁で、橋幅はおよそ15メートルほどにも及び、 自由人たちの街道の一部としては申し分の無い広さを誇る。 基礎部分も頑丈な構造になっており、ちょっとやそっとでは、なかなか破壊出来ない。 少なくとも、オランを襲った陸の津波規模の破壊力が無ければ、そうそう突き崩す事は 出来ないと見て然るべきだろう。 大橋のほぼ中央付近には、旅人が休憩する事が出来るように、ちょっとした広場に なっている箇所がある。 幾つかのベンチが並んでおり、カッツェはそこに腰掛けていた。 夕刻前の、西陽が強烈に暑い時間帯である。 今のところ彼の情報収集は、決して芳しくは無い。 目当てにしていた盗賊ギルドの支部が無い以上、目先を変える必要があった。 と、そこへ同じく東マルディーニで聞き込みをしていたレイニーが、西陽を浴びながら いささか疲れた歩調でカッツェの座すベンチに近づいてきた。 「どうでしたぁ?」 「たいした話は聞けないわねぇ。やっぱりテロリストの噂は、商売人の話の噂には  のぼってこないのかしら」 レイニーのぼやきを、カッツェは額の汗を手の甲で拭いながら聞いている。 しかしそもそも、レイニーはオラン方面に軸を置いた聞き込みを進めていた為、 直接的にテロリストに関係する話に持っていくまでに、途中で打ち切られてしまう、 というケースが非常に多かった。 聞き出せたのは、マルディーニ川上流で出没するようになった小規模な水賊の噂や、 遥か古代に栄えていた異教の宗教団体の遺跡が近くにある事、或いは、下流の河口に 潜むという川龍ズレータの伝説などばかりであった。 「本当にテロリストなんか来てんのかしら?」 「さあ、それは猫にはちょっと・・・」 「どうでも良いけどさぁ。その、猫って一人称、はっきり言って訳わかんないよ。  全然知らない人が聞いたら、それが一人称って事に気づかないよ。場合によっちゃあ  変なところで誤解を招いたりして、話をややこしくするだけなんじゃない?」 レイニーの突っ込みは容赦が無い。


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