大司教


その巨躯から東の方向へ伸びる長い影の主は、ほとんど西の稜線の向こうに消えようと
している暮陽を受けて、一段と大きな姿を見せているように思われた。
カッツェはほとんど迷う事なく、二回り以上も体格の優る美女に、いささか上擦った声を
かけながら、大慌ててで駆け寄っていった。
「おお、誰かと思えば」
対する美貌の女僧兵ベンケイも、振り向きながら、相手の声の主が誰なのか、早々と
判別をつけていた様子で、形の良い真紅の唇に軽い笑みを浮かべつつ、カッツェを迎えた。
「どうも、ご無沙汰してますぅ。お元気でしたかぁ?」
「見ての通り、相変わらずの図体です」
一通り挨拶を交わしてから、カッツェは自由人たちの街道沿いに並ぶ幾つかの料理店の
中から、女性の利用客が多そうな、小洒落た店を選び、夕食に誘ってみた。
ベンケイは特に断る理由も無かったようで、カッツェの後ろに従って件の店に入った。
前菜とサラダが出された頃合になって、フェンがひょっこり姿を現した。
別に不思議な事ではなく、カッツェに同伴している黒猫の使い魔カリルからの視覚映像で、
カッツェがベンケイと出会った事を知り、長身を走らせて、合流しにきたのである。
比較的静かで、どちらかと言えば男性客の少ない店内であったが、フェンは全く気にせず、
二人が陣取っている丸テーブルに近づく。
ベンケイが立ち上がって、破顔しつつフェンを迎え入れた。
「まさか、こんなところで会うとは思ってもみなんだわい」
給仕の娘に木椅子を一つ追加してもらいながら、フェンは当然のように同じテーブルに
席を取った。
足元に寝そべっていたカリルが、するするとフェンの座る木椅子の下に潜り込む。
「しかし、あんたがここに来たのは、どうも偶然とは思えんなあ」
「それは猫も思ってましたぁ」
矢張りカッツェも、フェンと同様の感想を抱いていたようである。

料理が次々と運ばれる最中に、カッツェは彼らがこのマルディーニの街を訪れた経緯を
簡単に説明し、更にミーニャのその後や、オラン大崩壊についても説明を加えた。
美貌の僧兵は黙ってカッツェの言葉に耳を傾けていたが、時折フェンが口を挟んで、
細かい注釈を加える際には、わざわざ視線を長身の魔術師に向けていた。
「それで単刀直入に聞きたいんじゃが、あんたがここへ来たのも、矢張り怪仏絡みの
 事なんかいな?」
「隠す事もないので喋りますが、フェン殿の仰る通りです」
ベンケイの答えに、フェンとカッツェは目線だけで頷き合う。
僧兵ではあるが、殺生と飲酒は特に禁じられていない宗派である為、ベンケイが見せる
飲み食いは実に豪快で、堂に入っているものがある。
その迫力に圧されながらも、カッツェは更に質問を重ねた。
「それで、ベンケイさんはやっぱり、怪仏の旧寺院を調べにきたんですかぁ?」
「あの寺院の事については、拙僧は大体の情報を持っております。知りたいのはもっと
 別の事でしてな。ズレータの名は、既に聞き及んでおりますかな?」
この台詞に反応出来たのは、フェンだけである。
生憎カッツェは、まだこの時点では川龍ズレータの噂については、ほとんど無知だった。
いずれにせよ、フェンだけでもズレータの名を知っていた為、ベンケイはさほどに
説明を要する事も無く、話を進める事が出来た。
「マルディーニ大橋の破壊工作には、怪仏信者とズレータが絡んでおります。もともと、
 スプリット内部には怪仏信者が多く、呪禁道師も少なくありません。オランにあの
 大崩壊をもたらしたそもそもの原因は、怪仏信者がそれを望んだからです」
思いがけないベンケイの一言に、フェンとカッツェは一瞬耳を疑った。
しかし美貌の女僧兵は、二人の様子などお構い無しに話を続けた。

ここで、ベンケイの口から衝撃的な事実が二人の冒険者に告げられた。
「怪仏の神体が、オランの地下深くに埋没している」
というのである。
そしてオラン大崩壊は、この怪仏の神体を掘り起こす事を目的としたスプリット内部の
怪仏信者、特に呪禁道師達が作戦を推進し、ファンドリアの後ろ盾を得て、見事その
一掃作戦を成功させたのである。
ファンドリアが後ろで糸を引いてスプリットを利用し、オランを大崩壊に導いたという
情報は、どうやら誤りであるらしい。
少なくともベンケイが語る真相を信じるならば、全ては怪仏信者が元凶という事になる。
驚愕の事実を知ったところで、フェンが話を再度、怪仏の旧寺院に引き戻した。
するとベンケイは、黒衣の胸元付近に手を突っ込み、豊かな肉質を見せる乳房の間を
ごそごそとまさぐり、一枚の紙片を取り出して、テーブル上に広げた。
「例の、怪仏の旧寺院の見取り図です。式鬼を駆使して作成しました」
全三層から成る、怪仏信仰の旧寺院の全容が、その紙片上に簡潔に記されていた。
フェンとカッツェは上体をテーブル上に乗り出し、食い入るように見入っている。
「地下の一部だけが、強力な結界に阻まれて書き取る事が出来ませんでした。恐らく、
 大司教が張った結界でしょう」
「大司教?」
嫌な予感を覚えさせるその一言に、フェンが敏感に反応した。
ベンケイは料理を口元に運んでいた手の動きを止め、やや硬い表情で小さく頷いた。
「怪仏信仰の大司教で、今回の街道封鎖作戦の総指揮を取る男、ルオル・バルディです」
恐るべき法力を操り、更に呪禁道師としても一流の腕を持つという。
オラン大崩壊の実質の指揮権を握っていたのも、このルオル・バルディらしい。
「以前戦ったドウカンなどは比べ物にならぬ程の化け物です。拙僧が全力を出し尽くして
 戦っても、互角に渡り合えるかどうか」
そして大司教バルディ率いるスプリットの精鋭が、怪仏の旧寺院に本拠を置き、街道の
封鎖作戦実行の為に、川龍ズレータの精神操作を実行しようとしているという。

一方、その旧寺院であるが、マルディーニの街から河沿いに上流へ、およそ三時間ほど 徒歩でさかのぼったところから、岩山に囲まれた谷地を東へ向かった山中にある。 この旧寺院に、深夜ながら足を向けた者達が居た。 イーサンとウルメンである。 二人は東マルディーニの居酒屋でお互いの現状を語り合っていたのだが、ウルメンに、 自身の目的を告げても良いと判断したイーサンが、今回マルディーニの街を訪れた 本当の理由を話したところ、ウルメンが、 「では今から、見に行ってみるか」 と持ちかけ、イーサン自身もその気であった為、そのまま街を飛び出し、例の旧寺院へと 姿を現したのであった。 岩山の影からそっと覗き込んでみると、荒涼とした無機質な岩肌に囲まれた谷地の合間に、 不気味な姿を月明かりに照らし出されている総石造りの建造物が見える。 「あれが、怪仏の旧寺院か・・・」 「見るからに、禍々しい雰囲気たっぷりだな」 イーサンとウルメンが、それぞれの感想を口にした直後、不意に背後で物音がした。 凄まじいばかりの速さで武器を構えて二人が振り向いてみると、そこに、更に一層驚いた 表情の年若い娘が、降参を示しているのか、両手を大きく上げて万歳の姿勢で立ち尽くし、 硬直してしまっていた。 「きゃあ!殺さないで犯さないで!身代金ならきっと実家が払ってくれるから!」 「なんだ、レイニーじゃないか」 「知り合いなのか?」 トータルフィアーズを鞘に収めるイーサンに倣って、ウルメンも長剣を引いた。 二人の面には、呆れているような表情が張り付いている。 レイニーをウルメンに紹介してから、イーサンは何故彼女がここへ来たのか聞いた。 しかしレイニーとしても、何かの確信があって来た訳ではなく、単純に怪しそうだ、 という勘に任せて、ここまで歩いてきたらしい。 途中、相当な大人数の足跡を発見したというレイニーの言葉に、今度はウルメンが、 強面を更に渋く歪めて、太い腕を組んで考え込んだ。 「このまま何の策も無しに忍び込むのは危険かも知れんが、しかしここまで来て、  何も得ないまま帰るというのもなぁ」 「あー、じゃぁ私が見に行ってみようか?野外の隠密行動なら任せてちょ」 ついさっきまで、二人の戦士の放つ殺気に竦み上がっていたとは思えないほどの、 気持ちの切り替えようであった。 イーサンはさすがに、苦笑を禁じ得ない。 「ところで、どんな足跡だったか分かるかい?」 「えーっとねぇ・・・全部大人のものばっかりだったんだけど、そのうちの一部は、  ありゃどう見ても女の足跡だったよ」 ここでふと、イーサンは水賊の噂を思い出していた。 確か、マルディーニ河上流地域に出没する水賊が、河沿いの村落を襲撃しては、 村の成人女性を次々にさらっているという話が出ていなかっただろうか。 「なんか色々と、符合してくるものがあるな」 イーサンの思いを察したのか、ウルメンが低く唸って言った。 確かに、偶然にしては少し出来すぎている。 という事は、マルディーニの街で流れていた一連の噂は、根本は同じという事に なるのではないか? 「やっぱり俺は寺院を調べに行くぞ。どうも気がかりでならん」 ウルメンの言葉を、イーサンはどう判じたものかと迷っていた。


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