大司教
イーサン、レイニー、ウルメンの三人は、二手に分かれて調査を進める事にした。 まずイーサンとウルメンであるが、この両名は怪仏の旧寺院本堂付近を外側から調べ、 残るレイニーは単独でマルディーニ河へ引き返し、河原付近をくまなく丹念に調べるという。 意外な程に明るく地面を照らし出している月明かりのおかげで、夜の岩場を移動するには さほど困る事はない。 が、この明るさは逆を言えば、相手側からもこちらを発見する確率が高まる事になる。 その為、旧寺院本堂を探るイーサンとウルメンは、特に注意して行動せざるを得ない。 レイニーが河原方向へ引き返していくのをちらっと見送ってから、二人の戦士は足音を 潜めながら、乾いた岩場をそろそろと移動していった。 総石造りの旧寺院本堂は、相変わらず不気味な静けさの中で、その黒々とした大きな影を 月光の中に浮かび上がらせている。 「人の気配が全く無いようだが」 開け放たれた窓の奥に広がる漆黒の闇を遠めに眺めながら、ウルメンが不審げに呟いた。 確かに、全くというほどに人の気配が感じられない。 本当にこの建物の内部にスプリットが潜んでいるのかどうかすら疑わしい程に静かだった。 「全員、地下に降りているのかも知れませんね」 有り得ない話ではない。 しかしそれならそれで、せめて見張りの一人や二人は、地上階のどこかに配置しているのが 常というものだろう。 ウルメンが不審がるのは、そういった物見の気配すら感じられないからであった。 岩場の陰から陰へと素早く移動しながら、旧寺院本堂の裏手に回ったところで、二人は 息を殺して足を止めた。 開け放たれた裏口の奥の、ねっとりとまとわりつくような濃い闇の中で、何かが動いた。 一瞬目の錯覚かと思った両者だが、互いに顔を見合わせ、それが気のせいではない事を それぞれの表情から確認した。 「スプリットの面子は、闇の中でも見通しが利くのか?」 「有り得ない事ではないと思います。連中の中には、精霊使いも居るでしょうし」 なるほど、とイーサンの言葉に頷きながら、ウルメンは自身の屈強な体躯の倍以上も あるような巨大な岩に背を預けて、丁度月明かりの影に入る位置で腰を下ろした。 イーサンも倣って乾いた岩場の間にしゃがみこんだが、その視線だけは、相変わらず 旧寺院本堂の裏口へと固定されている。 不意に、イーサンの背中にぞくりと悪寒のようなものが走った。 何がどうだとははっきり言えないのだが、何か嫌な予感がする。 だが、イーサンが背筋に冷や汗が浮かぶのを気力で抑えている一方で、ウルメンが思わず、 喉の奥で低く唸るような声を漏らしていた。 「どうしたんです?」 「あれは・・・オラン騎士団だ。いや、だった、と言うべきか」 ウルメンが指差しているのは、旧寺院本堂の裏手から少し距離を置いた岩山の崖下にある 離れらしき総石造りの建物である。 一般民家程度の規模を持つその離れの玄関前に、十数人ほどの人影が、無造作に佇んでいた。 全員、見覚えのある簡易兵装に身を包んでいる。 ウルメンがわざわざ指摘するまでもなく、それはオラン騎士団の簡易兵装であった。 「まさか、俺が待っていた連中か?」 「あまり考えたくはありませんが・・・」 イーサンがやや青ざめた表情で言うのも無理は無い。 離れの玄関前に佇むオラン騎士団簡易兵装の人の群れは、全て首無しだったのである。 落とされた首の切断面には、白い大きな札のようなものが貼り付けられていた。 見た事も無いような紋章か何かが黒々と記されているのがよく見える。 一方、マルディーニ河の河原に向かったレイニーは、そこで背筋が凍るものを見た。 月光に映える黒い川面は、早い流れの為に泡立つような波が立っている。 この急流に飲み込まれてしまうと、泳いで脱出するのはいささか難しいかも知れない。 そんな事をぼんやり考えながら、足跡や河舟などの捜索に当たっていたレイニーは、 河岸のくぼんだ部分、流れが淀んで、そこだけが水溜りのようになっている一角に 差し掛かったが、そこで異様な悪臭に顔を歪めた。 「何だろ?」 小さく一人ごちて、その臭いの源を調べるべく、河岸のくぼんだ箇所の淀みをひょいと 覗き込んでみたところ、十数個にも及ぶ人間男性の生首が、腐臭と燐気を上げながら、 ぷかぷかと浮いていたのである。 「うげ・・・!」 思わず嘔吐感がこみ上げてくるのを必死にこらえながら、醜く腐敗が進行している 生首の群れをざっと一瞥した。 そのうちの一つ、頚部の切断面に何か光るものが引っかかっている。 恐る恐る手を伸ばし、指先でつまみあげてみると、どうやら認識票か何かであった。 (これは、オラン騎士団の認識票じゃないの) レイニーは、先程出会ったばかりのウルメンから、彼がオラン騎士団の増援をずっと 待ち続けていた話を思い出していた。 マルディーニの街は、どちらかと言えばエレミアに近い。 そんなところにオラン騎士団らしき生首の群れが発見されたとなると、どうしても、 ウルメンが待っていたという増援部隊の成れの果てと見てしまうのは自然な事だろう。 (でも、一体誰が・・・?) その疑問は尤もなところである。 が、レイニーはそれ以上、その思考を続ける事が出来なかった。 何気なく川面の沖合い方面に移した視界の中に、恐ろしく巨大な影が月光の下で、 鱗をきらきらと反射させながら出現したのである。 |