大司教


イーサンが先頭に立ち、その傍らをウルメンという二枚の盾が進む。
その直後にカッツェ、レイニー、フェンの三人が並んで続いた。
隊列としては極めて不安定であり、不意の襲撃には対処しづらいかも知れなかったのだが、
しかし敢えてこの陣形を組んだのは、他ならぬイーサンの『バルディの記憶』が、彼に
多くの情報を与えていたからに他ならなかった。
実のところ、イーサンの精神に焼き付けられたバルディの記憶は、急速に薄れつつある。
にわかに与えられた記憶である為、失われるのも早い。ましてイーサンの場合、生命が
断たれた状態でバルディの肉体に魂が宿っていた。
記憶の保存期間が極端に短くなるのも、仕方の無いところであろう。
それでもイーサンは、対サヘエ戦に必要な情報に関しては、自分が忘れてしまう前に、
メモを取るフェンに向けてあらかた喋っており、当面の戦いには支障は無い。
更にイーサンは、旧寺院本堂内の構造についても早い段階でフェンに話していた。
今、彼らが進んでいるのは、旧寺院本堂地下から離れに繋がる隠し地下道であり、これも
イーサンが覚えていたバルディの記憶内から搾り出した情報の一つであった。
フェンが仕掛けた光球の呪文によって、視界の確保には何の問題も無い。
また、食神の精神錠が暴走した区域から、この隠し地下道が外れている事も、イーサンの
記憶の中で確認済みである。
そして何よりも、サヘエがこの隠し通路の存在を知らない事が一番大きかった。
「バルディはこの隠し通路からの奇襲を、対サヘエの切り札に考えていたようだね」
「なるほどなぁ。上から行くよりも遥かに早いし、しかも背後を取る事が出来る訳か。
 こりゃあ、単純にサヘエとかいう呪禁道師を倒すだけなら、楽かも知れんな」
イーサンの言葉に、フェンがやや含みを持たせた響きの言葉を返す。
彼が言わんとしているのは、連れ去られたベンケイの身の安全に自信が持てない事であり、
実際希望的観測として、ベンケイがまだ無事かも知れないと予測している程度である。
が、イーサンの持つバルディの記憶からは、別の意味でベンケイが安全であり、同時に
危険でもある事を物語るサヘエの性癖が彼の心を若干暗くしていた。

サヘエは極度の女好きだという。
ズレータの精神解放の触媒の為に、水賊を装って、マルディーニ河上流の村落などから
若い娘を大勢略奪した際も、サヘエはその大半に手をつけていた。
この無節操で自己中心的な行動も、バルディの不興を買っていたらしい。
そして今サヘエは、ある意味完全に自由の身である。
ベンケイほどの美貌と豊かな肉質の持ち主を、ただ屍傀儡と化してしまうなどとは、
少なくともバルディの記憶をベースに考えれば、有り得ない話であった。
「ベンケイさん、やられちゃったかな・・・」
レイニーは呟いてはみたが、それが必ずしも同情ばかりの感情で出た台詞ではない事は
本人も重々承知している。
言ってみれば、サヘエの女好きがベンケイの命を救っているかも知れないのである。
それを考えれば、確かにベンケイの身と心は穢されるかも知れないが、命を救いたいと
望む自分達からすれば、これは願ったり叶ったりの状況でもあったのだ。
尤も、ベンケイほどのよく鍛えられた僧兵ならば、強姦を受けたから即座にどうこう
言うような事は無いのかも知れない。
この辺は、レイニーのような『ごく普通の感覚の女性』には理解出来ない。
「見えたぞ、あれだ」
抜刀したまま隠し地下通路を進んでいたウルメンが、光球の範囲ギリギリの前方に
出現した木製扉を指差して言った。
硬い石造りの地下通路は、背筋に悪寒が走るような冷気で覆いつくされていたのだが、
かび臭い寒さよりも、今は戦闘直前の緊張で全身の筋肉が程よく温まっている。
誰一人として、寒さに震える者など居なかった。
「カッツェ、頼む」
「はぁい」
イーサンの指示を受けて、カッツェがその小柄な体躯を屈強な戦士二人の間から、
するりと前方に抜け出させて、木製扉にぴたりと張り付いた。
しばらく耳を木製扉の表面に押し当てていた少年盗賊であったが、やがて仲間達に
見せたその表情は、戸惑いに満ちていた。

「あの・・・真っ最中みたいですぅ」
カッツェのこの報告を、一同は一瞬、何を意味しているのか理解出来なかったのだが、
やがてフェンが、男女の性交をあらわす下俗な仕草を簡単にして見せると、傍らの
女高司祭が顔をしかめるのも気にせず、カッツェは恥ずかしそうに小さく頷いた。
しかしイーサンとウルメンは、全く異なる表情を見せている。
戦闘直前の、気合と緊張に満ちた引き締まった顔つきになっていた。
「好機だ。奴は油断している」
「首無し騎士が同室しているかも知れない。フェン、援護を」
イーサンの低く落とした声にフェンは頷いた。
既に、古代語魔法で作り出した石の従者を突入姿勢に構えさせており、フェン自身も、
魔術師の杖を構えて、すぐにでも呪文の詠唱に入れる態勢を維持している。
一方、銀製の鏃が闇の中に輝く矢を長弓につがえたレイニーも、フェンの隣で既に
臨戦態勢に入っていた。
全員の準備が整ったのを見て取り、カッツェは一呼吸置いてから、木製扉を勢い良く
押し開き、手にした短槍を軸にするような格好で、前転しながら室内に踊り込んだ。
その直後に、トータルフィアーズを下段に構えたイーサンと、愛用の長剣を薙ぎ払いの
構えで肩から突進するウルメンが続く。
薄暗い室内が、光球によって一気に明るさを増した。
冒険者達が突入した木製扉から少し離れた壁際に、粗末な木製ベッドが設えてある。
その上に、白い肌の大きな女体が、全裸で戒められていた。
太い鉄製の鎖が、肌をあらわにしたベンケイの四肢を堅く封じている。
横になっても尚美しい彼女の肉体美の上に、貧相な容貌を見せる中年手前の年代の
痩せた男が、これまた全裸のまま、驚愕の表情で全身を凍りつかせていた。
後で知った事だが、冒険者達が飛び込んだ木製扉は、室内から見れば、薄っぺらい
書棚でカモフラージュされていたのである。
サヘエはそんなところに、隠し地下通路への入り口がある事など露とも知らなかった。

トータルフィアーズの切っ先を腰だめに構えて突入しながら、イーサンはほとんど 瞬間的に、ベンケイの無事を視界の隅で確認していた。 首は繋がっているし、その美貌には驚きの表情が浮かびつつも、生気がみなぎっている。 屍傀儡などには変えられていない証拠であった。 尤も、頬に幾つかの殴られたような痣が出来ており、肩口からは、相変わらず鮮血が 滴っている。 決してダメージが小さいとは言えず、何よりも、その身を汚らわしい貧相な中年男に 犯されたという、精神への打撃が少なからずある筈であった。 しかし突入時の冒険者達、とりわけイーサンとウルメンには、そこまでベンケイの 心情を考慮する余裕などなかった。 室内の奥から、例の首無し騎士数体が跳び上がり、サヘエに殺到しようとしていた二人の 戦士の前に立ちはだかった。 イーサンとウルメンの剣技は、まずこの邪魔な首無し騎士どもを蹴散らした。 ほとんど一瞬にして冷静さを取り戻しつつあったサヘエは、全裸のまま跳び退り、口の 中で何かもごもごと呟いている。 「サヘエ!汝見越したぞ!」 いきなり叫んだイーサンのこの一言に、サヘエの表情は凍りついた。 対言霊用の封じ文言を、イーサンはバルディの知識の中から学習していたのである。 最早この時点で、勝負は決したと言って良い。 毒術は、不意を突かない限り、ほとんどの場合不発する。 特にイーサンとウルメンは接近戦に長け、更にフェンとレイニーの遠隔からの援護が ある以上、戦力で劣るサヘエには、言霊以外に対処法が無い。 その言霊をすら、イーサンは一言で封じてしまった。 サヘエを生かしておく理由はなかった。 ランカスター大司教からの依頼は既に達成しており、スプリットの計画は、詳細に 至るまで、文書として手に入れてある。 怪仏信者の全貌やスプリットの組織情報を搾り出すという目的も考えられたのだが、 サヘエ程度の実戦部隊兵士では、聞き出せる内容などたかが知れていた。 トータルフィアーズの刃が薄闇の中で一閃し、サヘエを血の海に沈めた。 矢張り圧倒的な戦力差の為か、ほとんど危なげの無い戦いで勝利を収める事が 出来た冒険者達であったが、しかしむしろ、その後が大変だった。 全裸のままで粗末なベッドに横たわるベンケイを、鎖の戒めから解放するだけでも 結構な手間がかかった。 カッツェの開錠技術をもってすれば、ほとんど数分で終わらせる事が出来たのだが、 女性の全裸姿にはあまり免疫の無い少年盗賊は、肉質豊かなベンケイの白い肌を 片目の隅にとらえつつの開錠作業には、思わぬ時間を要してしまった。 当のベンケイは、意外なほどさばさばした表情を見せていた。 サヘエのようなくだらない男に身を穢され、さぞ悔しい思いをしているだろうと 予測していた冒険者達であったが、むしろ逆に、気にするなと励まされる始末だった。 「まぁ結果から言えば、命を救えた訳なんじゃが、わしらも、もうちょっとやり方が  あったと思うんじゃよ」 「拙僧は僧兵ゆえ、男女の性差など既に放棄しております。気になさいますな」 などというフェンとベンケイのやり取りが、開錠作業の間に何度も繰り返されていた。 ようやく、ベンケイの救出作業が終わり、冷たい石床に放り出されていた彼女の僧服を レイニーが手渡した頃、別室を探索していたイーサンが、厳しい表情で引き返してきた。 「どうしたの?」 「拙い事になったよ」 チャ・ザの女高司祭に答えながら、イーサンは血まみれの頭蓋骨を差し出した。 思わず、その場に居た全員が息を呑んだ。 薄れつつあるバルディの記憶の中から、何か情報を引き出したらしい。 イーサンの面に張り付いた緊張は、余計な無駄口を叩かせる余裕すら感じさせない。 「何か、あったんですかぁ?」 「サヘエの奴、既にズレータの精神にマルディーニ大橋破壊命令を転送していたんだ」 もともとはマルディーニ河上流付近で生活していた若い娘の、愛らしい笑顔がその上に 浮かんでいた筈の頭蓋骨を、イーサンは手近の卓に置いた。 サヘエがベンケイを強姦していたのは、つまり何もかも終わった後の余興だったのだ。


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