視界


ベバリン工房からファニック商会への製品受領手続きが完了した後、ファニック商会の
手代達は、レイニーを残して商用馬車を引き返させた。
ファニック商会の正社員という訳ではないレイニーとしては、手代の作業をいちいち
最後まで面倒を見てやる必要は無いのである。
では彼女は何の為にベバリン工房に残ったのかと言えば、アネッサの部屋に乗り込み、
ジャドから聞き出したルーベンスとの結婚話の真相に関して、裏を取る為であった。
赤の他人に過ぎないフェンとは異なり、幼馴染であるレイニーが、いつもの調子で
アネッサの自室を訪れた時、部屋の主である少女はいささか不機嫌そうにふくれっ面を
作ってはいたものの、レイニーの入室を拒むような態度は見せなかった。
「ちょっとレイニー。何なのよ、あのフェンっていう人。いきなり訳のわかんない事
 言ってきちゃってさぁ」
「あー、ごめんごめん。悪い奴じゃないんだけど、ちょいとばかし詮索癖があってね」
「それにしても失礼過ぎるわ。会って数十分足らずで、いきなり人のプライバシーに
 首突っ込むなんて、一体何様?って感じ」
ぴしゃりと言い切るアネッサの言葉に、レイニーも苦笑で頷くしかない。
確かにフェンのアネッサへの接触は、いささか配慮に欠け過ぎていたと言って良い。
フェン自身は、初対面の自分に対して普通に警戒心を抱いたアネッサが、どうして
ルーベンスのような怪しい男に簡単に引っかかったのかという疑問を抱いていたが、
それこそフェンの思い違いである。
アネッサとて、最初からルーベンスにべた惚れしていた訳ではない。
二人の出会いは先月の謝肉祭であった。
流れの吟遊詩人としてエレミアの謝肉祭に現れたルーベンスの、その美貌と歌唱能力に、
アネッサは一ファンとして心を奪われただけであった。
その後、祭の喧騒の中で酒の相手を探していたルーベンスが、たまたまアネッサを
ナンパして、一緒に食事をしたのが、二人の縁の最初であったという。

レイニーの為に熱い紅茶を用意しているアネッサの、手際よい支度ぶりを眺めつつ、
どこか茶化す様子でレイニーがルーベンスとの事を話題に上らせた。
「き・い・た・わ・よ・ん♪アネッサ、近いうちに結婚するんだって?」
「やーっぱり、その話を聞きに来たのね」
ティーポット内の湯に、紅茶の葉から染み出したエキスが行き渡るのを待っていた
アネッサは、レイニーが浮かべるにやにやした笑みに溜息を返した。
しかし、一瞬前に浮かべたそのいやらしい笑みをレイニーはすぐさま真顔に変えた。
「実はさぁ、さっきおじさんとその事で話したんだけど・・・やっぱり良くないよ。
 喧嘩してまで結婚する価値がある相手なの?」
「そりゃあ、あたしだってお父さんに祝福して欲しいって思ってるんだけど」
ティーポットからお気に入りのティーカップに丁寧な手つきで紅茶を注ぎながら、
工房の一人娘は、今度は頬をうっすらと紅潮させた。
「でも、喧嘩してでも、お父さんには結婚を認めさせるわ。別にあたしは、絶対
 納得してほしいなんて思ってない。そりゃお父さんだって、本当は後継者が
 欲しいに決まってるんだもん。でもね、あたしにとってルーベンスは、神様が
 あたしの為に、この世に送り出してくれた世界で最高の人なの」
半ば独白に近いアネッサの言葉を、レイニーはティーカップに注がれた赤褐色の
熱い液体をぼんやりと眺めつつ、意外な思いで聞いていた。
(ふーん・・・惚れてる事は惚れてるけど、案外冷静に考えてんのね)
もちろんルーベンスは流れの吟遊詩人で、西方諸国出身だという話だから、彼の
家族や知人などとは、アネッサはまるで面識が無い。
ルーベンス自身も天涯孤独の身だと称しており、そういう身上も、ジャドの不興を
買う原因になっているのだろう。
そんな事をぼんやり考えながら、レイニーは次の一手を打った。
ルーベンスがどのようにしてアネッサの心を完全に奪ったのかを、聞き出すのだ。

「ね、ね、プロポーズはどんな言葉だったの?」
「生まれ変わっても、一緒に居ようね、だって・・・きゃーーー、もう、なぁーに
 言わせんのよぉう!」
大いに照れたアネッサが、レイニーの肩を強烈に平手打ちした。
力任せに肩を叩かれたレイニーは、口元に運ぼうとしていたティーカップの中身が
溢れてしまい、危うく手を火傷しそうになった。
「あちゃちゃちゃちゃちゃちゃ!」
「あー、ごっめーん!」
慌てて紅茶が零れたティーカップを木卓に置き直すレイニーだが、それ以上に、
アネッサがすっかり狼狽して、窓の外に干している手拭を取りに走った。
熱い陽光を浴びてぱりぱりに乾いている手拭は、火傷しそうになった手を拭くには、
いささかつらいものがある。
それでもレイニーはアネッサに礼を述べて、その手拭で紅茶まみれの手を拭いた。
「それで、今日はそのルーベンスさんは、どこに居るのさ?」
「うん、実はね・・・」
ここで再び、アネッサのトーンが下がった。
聞けば、ルーベンスはジャドに認めてもらう為に、ある目的を持って行動を始めた、
というのである。
「ね、レイニー。ブラキの鎚って聞いた事ある?」
「さぁ。何それ?」
レイニーは本気で知らなかった。
アネッサが語るところによれば、鍛冶の神ブラキの神力が宿る魔装具なのだという。
吟遊詩人であり、鍛冶の技術など欠片も持たぬルーベンスは、ジャドを説得する
材料として、ブラキの鎚を手に入れる為の行動を取る為、しばらくはアネッサと
会う予定は無いのだという事であった。

一方、アネッサに手酷く拒絶されたフェンは、今度は別の人物に会う事にした。 次の相手はヤニックである。 レイニーとは過去に何度か冒険をともにした事のある若者だという話を聞いており、 こちらは同じく冒険者であるフェンとしても、アネッサの時のような失態を演じる 結果にはならないだろうと考えている。 尤も、このヤニックという若者、アネッサに対して想いを寄せているという。 そんな人物が、果たしてアネッサとルーベンスというカップルに関して、まともな 話を聞かせてくれるかどうか甚だ疑問ではあったが、そもそもそんな事にはまるで 頓着しないフェンであった。 そんな無神経なところがアネッサの怒りを買う羽目になった事など、彼はほとんど 意識していない様子である。 ヤニックは、工房区画から少し離れた下町のアパートに一人暮らししている。 フェンは再び、レイニーの紹介という立場でヤニックの部屋を訪問した。 さすがにヤニックは怪訝そうな表情で応対に出てきたが、フェンの本名を知ると、 いきなり態度を変えた。 これには当のフェンの方が、内心で逆に面食らった。 「ああ、あんたがレーフェン・ハーヴィだね。その名は聞いてるよ。もう俺たち  冒険者の間では、結構有名なんだぜ」 如何にも精悍な容貌の若者で、荒々しさの中にどこか朴訥とした性格を思わせる シンプルで真っ直ぐな瞳の持ち主であった。 フェンがわざわざ自分の部屋を訪ねてきてくれたという事で、その用件は別にして、 ヤニックは素直に喜びを表現して、フェンを台所に招き入れた。 小さなアパートの狭い部屋を借りて済んでいる為、応接間などという気の利いた 間取りは用意されていないらしい。 とりあえずフェンは、レイニーの名前を最大限に利用する事にした。 全く赤の他人である魔術師が、街の無名な娘に過ぎないアネッサの件で、わざわざ ヤニックの自室を訪れるというのは、それはそれで尋常ではない。 そこでフェンは、アネッサの幼馴染であるレイニーに頼まれて、アネッサと、その 結婚相手であるルーベンスに関する情報を、アネッサと日頃親しいヤニックから 聞き出してくるよう頼まれた、というシナリオを描いたのだ。 さすがに、ヤニックはあからさまに落胆した表情を浮かべたのだが、フェンは全く 気づかないふりを見せていた。 「ルーベンスね・・・実は俺もよく知らないんだよな。第一、知りたくもないし」 一応噂で聞く分には知っている。 それに何より、たまに街中でアネッサと顔をあわせると、彼女はいつも嬉しそうに ルーベンスの賞賛ばかり口にしているという。 彼女のおのろけを、ヤニックは苦い表情を浮かべたくなる心境を抑えに抑えて、 気長に付き合っているらしい。 アネッサの言葉を信じるならば、ルーベンスは美貌と優れた歌唱能力を兼ね備える 天才吟遊詩人であり、女を幸せにするコツも心得ているのだという。 要するに、アネッサはルーベンスにめろめろなのであり、彼女の口から出てくる ルーベンス評は、お世辞にも客観的な内容であるとは言えないのだ。 ただ、アネッサが本気でルーベンスにぞっこんになっているという点だけは、 ヤニックも認めざるを得ない。 「よっぽどご執心なんじゃのぉ」 吐き捨てるような調子で、アネッサが語ったルーベンス評をそのままフェンに 説明しているヤニックに対し、適当な相槌を打ちながら、しかしその実、フェンは 内心で別の事を考えていた。 (つまりは、恋に恋しているだけで、本当に自分が惚れているかどうかは、まるで  分かっとらんっちゅうこっちゃな) 夜になり、紅い砂塵亭に冒険者達が三々五々戻ってきた。 街中でルーベンスに関する噂や情報をかき集める為に奔走していたイーサンと エルクの両名が、二階宿部屋で声を潜めながら、お互いが得た情報を交換している ところへ、まずフェンが戻ってきた。 「よぉ。おまえさんらも、わしに劣らず、他人のプライバシーに口を挟んでいる  っぽいのぉ」 「人聞き悪い事言うなよ。僕達のは、売れっ子吟遊詩人のアンケート調査だよ」 などとイーサンは言い返すが、実態は聞き込み調査である。 エルクはエレミアの街に滞在している他の吟遊詩人達を訪ね回り、ルーベンスの 人となりに関して噂を集めてみようと試みた。 先月の謝肉祭に颯爽と現れた美貌の歌い手というのが、吟遊詩人達の間に漂う ルーベンス評だったのだが、しかし誰一人として、ルーベンス個人に対しては 好感を抱いていないような様子だった。 どうやらルーベンスは、その美貌と歌唱力を武器に、他の吟遊詩人達の縄張りを 荒らしまくっているとの事で、お抱えのご指名客をルーベンスにさらわれてしまった とある吟遊詩人などは、口汚く罵る有様だったという。 「基本的に、吟遊詩人は連帯感という横の繋がりが強い人種が多いんですけども、  どうやらこのルーベンスっていう人は、一匹狼の性格が強いみたいですねぇ」 などとエルクが呑気に感想を述べているのは、同じ紅い砂塵亭に宿泊していながら、 ルーベンスが殊更に、エルクの歌を邪魔するような真似をしなかったからである。 「確かに嫌な奴じゃが、別にそれがどうこう言うほどのもんでもないのぉ」 そんなフェンの間延びした声を、しかしイーサンは空を切るような鋭い声で遮る。 「いや、そうでもないぞ。何か臭い奴なんだよな」 今度はイーサンが、彼の調べ上げた情報を披露する番である。

イーサンがフェンとエルクに語った内容を、二人の聴衆に思わず怪訝な表情を 作らしめるものであった。 実は、イーサンがエレミアの街中で情報屋よろしくルーベンスの噂を聞き回って いたところ、思いもかけない一言が、異口同音にして、多くの人々の口に上った。 「ルーベンスって奴は、どうもこの街にきてから、ベバリン工房の親父さんと、  その一人娘に関する情報を聞き込み回っていたらしいんだ」 この説明に、フェンは思わず首を傾げた。 更にイーサン曰く、ルーベンスはアネッサの交友関係まで、それこそ虱潰しに 聞き回るという徹底振りだったという。 「妙じゃよな。惚れ合っている男女の一方が、相手の噂を聞き込みするなんぞ、  わしゃ聞いた事もないぞ」 「僕だって最初は驚いたさ。でも、僕が聞き回れば聞き回るほど、大抵の人は、  あの美男子も遂に聞き回る側から聞き回られる側になったのかって、相当  呆れた表情を浮かべていたんだから、おかしな話だよ」 「・・・何が狙いなんでしょうね?」 エルクが自問したその時、再度宿部屋の木製扉が開いた。 カッツェとクレットが、いささか疲れた表情で部屋に入ってきたのである。 「よぉ、どしたぁ?こっちはちと、面白い話で盛り上がってんぞぉ」 「あー・・・実は私達も、ちょっとした仕事を受けてきたんだよね」 フェンの出迎えの言葉を聞きながら、クレットは汗で汚れた革製の袖無し上着を コート掛けに放り投げた。 室内は若い男ばかりで無用心と言えなくもないが、彼女の剥き出しにされた 白い二の腕や太股などは、既に冒険仲間達は見慣れている様子で、特に誰も 意識する者は居ないらしい。 エルクがトレイに乗せて差し出した井戸水入りの木製コップを受け取りながら、 カッツェがエレミア盗賊ギルドで受諾してきた依頼の件を説明した。 「リカルド・フレンツェンっていう結婚詐欺師の身辺調査なんですよぉ。報酬は、  猫とクレットお姉ちゃんの二人分で、それぞれ銀貨八百枚です」 「ほぉ、エエ額じゃのぉ。んで、そのフレンツェンたらいう詐欺師は、一体  どんな奴なんじゃ?」 フェンに問われるままに、カッツェはフレンツェンの特徴を口頭で説明した。 カッツェとクレットはフレンツェンにまつわる情報を、自身の足でかき集め、 更にエレミア盗賊ギルドからも、フレンツェンの外見的特徴について、更に 詳細な内容を聞き出してきている。 それらを総合してカッツェが説明していくうちに、イーサン、フェン、そして エルクの三人は、次第に奇妙な表情を作り始めた。 「あのぉ、どうかしましたかぁ?」 「いや・・・そのフレンツェンって奴の外見というか特徴が、ルーベンスって  吟遊詩人と、なんとなく通じるところがあるなぁ、と思ってさ」 イーサンの応えに、今度はカッツェとクレットが身を乗り出してきた。 「ねぇ、そのルーベンスって奴、実際に見たの?」 クレットの白い細面に迫られる格好で、イーサンとエルクが戸惑い気味に頷く。 もう一度カッツェが、フレンツェンが過去の結婚詐欺の際に作っていた変装の 部分を除いて、共通する外観的特徴を詳しく述べていくと、矢張りイーサンと エルクは、お互いの顔を見合わせて、 「聞けば聞くほど、ルーベンス本人だよなぁ」 「・・・ですよねぇ。もうこれ以上は無いっていうぐらい、瓜二つですよ」 ところがその晩、ルーベンスは紅い砂塵亭には戻ってこなかった。

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