視界


翌日になって、ルーベンスが前夜、紅い砂塵亭には遂に戻らなかった事を知った
冒険者達のうち、エルク、カッツェ、クレットの三人が、いささか遅ればせながらも、
ルーベンス捜索の為に、朝からエレミアの街を隅々まで走り回る羽目になった。
別のあの優男の行方が不明になったところで、誰も困る者は居ない。
唯一例外が居るとすれば、アネッサぐらいのものであろう。
言ってしまえば、彼ら冒険者が血眼になってルーベンスを探す必要は欠片も無い
のである。
にも関わらず、三人は奇妙な程の必死さで、エレミアの街を駆けずり回った。
ルーベンス本人の所在が分からない以上、聞き込み調査でその足取りを追うしかない。
そういう意味では、この三人がルーベンス追跡の任に当たったのは正解であった。
吟遊詩人繋がりの情報網や、吟遊詩人としての折衝能力を持つエルクや、街中に際限無い
情報源を有する盗賊ギルドを利用する事が出来るカッツェとクレットの両名などは、
こういった人探しの点においては、まさしくうってつけと言って良い。
この日も砂漠独特の気候の為に、夜明けから乾燥した熱気が街の内外を覆いつくしており、
ちょっと歩いただけでも結構な汗の量が噴き出してくるのだが、三人はそれぞれ、黙々と
ルーベンスの行方を探し続けた。
一人一人が得た情報では、ルーベンスの確かな移動経路を推察する事は難しい。
そこで三人は、昼前に一旦紅い砂塵亭に戻り、それぞれが集めた情報を交換する手筈を
取る事にした。
こうしておけば、情報を整理する事が出来る上に、その後の捜索活動の指針もその時点で
絞り込む事が可能となる。
灼熱の太陽から降り注がれる陽光の下で、数時間にもわたって歩き詰め、聞き込み作業に
精を出していた三人は、紅い砂塵亭に戻るやいなや、果汁ジュースを店の親父に注文し、
まず一杯目を一気に飲み干した。
その後、更に二杯目を注文して、ようやく一息ついたところで酒場の一角の丸テーブルに
陣取った。

「どうやら、ルーベンスはカーン砂漠に行ったみたいね」
二人の盗賊と一人の吟遊詩人が集めた情報から、クレットが一つの結論を導き出した。
紅い砂塵亭から始まるルーベンスの移動経路を細かく分析すると、どう考えても、彼は
単身、カーン砂漠へ足を伸ばしたとしか思われないのである。
「砂漠を移動する為の準備も整えていたようですから、ほぼ間違いないですねぇ」
聞き込みの際に書き取り続けたメモを掌の中に眺めながら、カッツェも同意して頷く。
しかし分からないのは、カーン砂漠のどこへ、何をしに出かけたのかが全くもって不明で、
更に言えば、恐ろしく危険な殺意の砂漠へ、たった一人で出向いていったという事が、
彼らには解せなかった。
「例の、ブラキの鎚ってやつも関係してるんでしょうかね?」
エルクはルーベンスの行方を聞き込む際、この地方の伝承に詳しそうな吟遊詩人数名から、
ブラキの鎚に関する噂話や伝説などを聞いてみた。
ほとんど詳しい事は分からなかったが、伝説上では、どうやらカーン砂漠のどこかに
安置されているらしい事だけは、ほぼ共通した情報としてエルクの耳にも入ってきた。
「確かアネッサって子の話じゃあ、ルーベンスはブラキの鎚を手に入れる意向を彼女に
 漏らしてたらしいじゃない。可能性は否定出来ないわね」
「・・・という事は、フェンお兄ちゃんの情報待ちって事ですかぁ」
カッツェが言うように、現在フェンが、エレミアの魔術師ギルドと、ジャドが所属する
職能ギルドに足を運んで、ブラキの鎚についての情報を調べ上げている最中である。
恐らく彼の事だから、何がしかの有効な手がかりを見つけてくる事だろう。
「そう言えば、レイニーはルーベンスが結婚詐欺師容疑者だって事、知ってるの?」
不意にクレットが、思い出したようにカッツェとエルクに問いかけたが、二人とも、
きょとんとした顔を作るばかりで、かぶりを振る事も忘れていた。
この二人の反応を見る限り、レイニーには話が行っていないのだろう。

そのレイニーであるが、彼女もまた、ブラキの鎚に関する正確な情報を仕入れる為、
ジャドが所属する職能ギルドに朝から足を運んでいた。
フェンとは、そこで鉢合わせになった。
聞けば、フェンは既に早朝から魔術師ギルドに出向き、僅かばかりの情報を仕入れ、
その後に職能ギルドでの情報補完を予定していたとの事であった。
「あらぁ、珍しい。あなたみたいな朴念仁が、どうしてそこまで、アネッサの恋に
 関心を持ってるのかしらぁ?」
「何言うとんのじゃ。あのルーベンスたらいう男に結婚詐欺師疑惑が浮上しとる事を
 お前さんは知らんのか?」
呑気な表情でどこか呆れたようにのんびり言う長身の魔術師のその一言に、それまで
皮肉っぽい笑みで茶化していたレイニーの面が一変した。
「ちょっと、それ一体どういう事?」
「どうもこうも・・・」
西街区職能ギルドの玄関で、フェンは立ち話のまま、カッツェとクレットがこの街の
盗賊ギルドから受けた依頼に関して説明した。
レイニーの表情は更に険しく歪んでゆき、フェンの説明が終わる頃には、ほとんど
憤怒の形相にまで変貌していた。
と、そこへ思わぬ人物が職能ギルド奥の扉から現れた。
冒険者ヤニックである。
「お、レイニーじゃないか。そんなとこで何してんだ?」
「あ・・・ヤニック!ちょっと聞いてよ!」
レイニーは、フェンが制止するのも聞き入れず、ほとんど勢いだけで、ルーベンスの
結婚詐欺疑惑について一気にまくし立てた。
最初は呆気にとられていたヤニックであったが、聞き終える頃には渋い表情を作り、
おおよそのあらましを理解するようになっていた。

「そうか・・・だけど、今はまだ疑惑の段階なんだよな?」 ヤニックに冷静な反応を返されたところで、レイニーはようやく我に返った。 いささか興奮し過ぎたらしい。 「ところでお前さんは、ここで何しとったんじゃ?」 「いや、ちょっとした買い物なんだけど」 どこか余所余所しい笑みを浮かべるヤニックの表情にふぅんと軽く頷いたフェンだが、 しかしその眠たげな目は、別のところを見ていた。 「じゃあ俺、急ぐから」 と短く言い残し、ヤニックは早々に職能ギルドから、強烈な日差しが舞う大通りへと 足早に出て行ってしまった。 「なぁによヤニックったら。変にいそいそしちゃって」 「・・・あいつ、砂漠に行く気なんかも知れんな」 フェンの低いトーンで搾り出された一言に、レイニーは怪訝な表情を向けた。 「あいつ、砂漠移動用の品々を買い込んでおった。まさか、カーン砂漠にでも行く  つもりなんかのぉ?」 「また冒険のタネでも仕入れたのかしらね?」 レイニーのフェンに対する反応は極めて鈍かった。 そんな事より、と話題を変えた彼女は、せがむような眼差しで、フェンが調べ上げた ブラキの鎚に関する情報を教えてくれと、拝む仕草を見せた。 「なんじゃあ?お前さん、自分で調べにきたんとちゃうんかぁ?」 「んー、最初はそのつもりだったけど、その道の専門家が目の前に居るんだから、  聞いた方が早いかなー、なんて思ったりしちゃったり」 「・・・要するに、面倒くさくなったっちゅう訳やないか」 「あら、まぁそうとも言うわね」 全く悪びれた様子も見せずに、おほほほと笑うレイニーを、フェンはどこか疲れた 表情で眺めた。 ブラキの鎚とは、アネッサがレイニーに語った通り、鍛冶の神ブラキの神力が宿る 魔装具である、と伝承で語られている。 製作者は、古代王国期のブラキの高司祭で、その人物は優れた魔術師でもあった、 という事である。 これを手にした者は、ブラキの加護により、鍛冶師としての優れた能力が開花し、 更にもともと才能がある者が手にすれば、世にも稀な魔装具を造り出す事が可能と なるらしい。 現在の古代語魔法ではほとんど失われた永久魔力賦与技術が関与しているという事は、 容易に想像がつくだろう。 「問題は、現在の所持者じゃなぁ。わしが調べたところ、モントーヤ遺跡に住む  エドゥーとかいう奴が、持ってるらしいな」 「・・・誰よ、それ?」 「メデューサっちゅう事らしいぞ」 レイニーは一瞬、うげっと小さく呻き、露骨に嫌そうな表情を作った。 頭髪が全て毒蛇で、更に下半身も数メートルに及ぶ大蛇のそれだという伝説上の 魔物メデューサなんぞが、何故ブラキの鎚を所持しているのだろうか? しかしもっと生々しいのは、エドゥーが住むモントーヤ遺跡は、カーン砂漠に 存在する、古代王国期の遺跡であるという事であった。 「つまりわしが調べた結果を総合すると、ブラキの鎚は実在する事になるな」 そしてもう一つ、ブラキの鎚には決定的な特徴があるという。 この魔装具は、モントーヤ遺跡の奥深くで、特殊な結界に守られているという。 その結界を解除する事が出来るのは、ブラキへの信仰心を持つ者だけであるらしい。 不意に、レイニーは嫌な予感が脳裏によぎった。 確かヤニックは、ブラキの信者ではなかったか。 只一人、イーサンだけは全く別の視点から、エレミアの街中で聞き込み調査に走った。 この鋭い直感を持つ青年は、ルーベンスがアネッサの何を調べまわっていたのかを、 追跡調査する事にしたのである。 このイーサンの行動は、思いもかけない情報を次々と引き出す事になった。 まずルーベンス自身のエレミア出現時期であるが、アネッサがレイニーに語った話を 信用するのであれば、先月の謝肉祭前後だった筈なのだが、実際には、もっと以前から ここエレミアに滞在していたらしい事が分かった。 そしてルーベンスは最初、ジャドとアネッサ親子については全く関心を持たず、別の 情報を聞きまわっていたらしい。 その別の情報とは、カーン砂漠の探索行について、有能な冒険者は誰かという事だった。 エレミアの街はこの殺意の砂漠と隣接している土地柄、ルーベンスが聞きまわっていた カーン砂漠の探索行に相応しい冒険者の名は、幾つも聞く事が出来ただろう。 そのうちルーベンスは、ヤニックの名に行き着いた辺りから、今度はアネッサの周辺 事情について情報を集め回っている形跡があった。 つまりこの美貌の優男は、ヤニックの交友関係から、アネッサの存在を知ったのだ。 これは一体、どういう事であろう。 そしてエレミアの繁華街の裏道に店舗を構える安酒場では、更に驚くべき情報が イーサンの耳に飛び込んできた。 「それ・・・間違いないですよね?」 思わず聞き返したほどに、イーサンが耳にしたその情報はインパクトが強かった。 どうやらルーベンスは、エレミアの街に到着してから数週間ほどは、その安酒場で、 ある人物と頻繁に会っていたらしいのだが、そのある人物の特徴をよくよく聞くと、 それが、マルディーニ大橋への破壊工作を企んでいたスプリットの将校で、怪仏の 大司教でもあったルオル・バルディであろうという結論に至ったのである。 精悍な形相の男と、美貌の優男という、裏手の安酒場にはいささか奇妙なほどに目立つ 組み合わせだった為、この安酒場の親父は、聞くとも無しに、この二人の会話に耳を そばだてていたのだが、その時に聞かれた台詞に、幾つか耳慣れない単語が飛び交って いたらしい。 カイブツ、ミタマガエシ、ブラキの鎚、そしてミーニャ。

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