視界


その日の夕刻になって、イーサンとクレットが紅い砂塵亭に引き返してきた。
二人は、この日入手した貴重な情報を、他の冒険仲間と共有し、今後の指針について
議論を交わすべきだと判断し、それ以上の調査を手控えて宿に戻ってきたのであるが、
他の面々は、まだ何かと調査や物資調達などで走り回っているらしい。
たった二人ではろくな意見交換も出来ないのだが、ひとまずは、イーサンとクレットで
お互いが調べ上げた情報をそれぞれ報告する事にした。
矢張り、イーサンのもたらした情報の方がよりインパクトが大きかったらしく、狭く
暑苦しい宿部屋のベッドに腰を下ろしていたクレットは、渋面を作って腕を組んだまま、
しばらく無言で固まってしまった。
「まさか、怪仏やミーニャの名前までが出てくるなんてね・・・」
「ああ。全く予想外の展開だよ。でも心配なのは、ミーニャの今の状況だ。確か今は、
 ドルフ前大臣がミーニャの身柄を保護しているんだったよね?」
言いながら、イーサンは今すぐにでもエレミア市中のマーファ神殿に走り、ミーニャを
保護している筈のドルフに面会を求め、本当にミーニャが無事である事を確認したい
心境になってきていた。
「それにしても、ただの結婚詐欺だろうってたかをくくってたんだけど、話がどんどん
 思いも寄らない方向へ転がっていくわよね」
正直なところ、これほど風雲急を告げるような展開に至るなどとは、クレット自身、
全く予想だにしていなかった。
それはイーサンも同様だが、しかし怪仏信者がこの件に絡んでいると分かった以上は、
迅速な行動が求められるのも事実であった。
「早く皆、帰ってこないかしら?幾らなんでも、少人数で足を伸ばせるほど、あの
 カーン砂漠は甘いところじゃないわ」
ところが、クレットのそんな感想を否定するように、単身カーン砂漠へ向かう者が、
この冒険者チームの中から現れてしまった。

ドルフに、ミーニャの安否を確認したいというイーサンの思いは、はからずも、
ハーフエルフの吟遊詩人がその一部だけの情報を知る事となった。
ブラキの鎚について、大地母神の大司教フェリア・ランカスターに情報を求める
つもりで、夕刻のマーファ神殿に顔を出したエルクであったが、生憎かの美貌の
女大司教殿は、数日前からエレミア行政府に出向したまま、ここしばらくは帰る
予定が無いという事を、受付に現れた年若い神官見習いの青年から、半ば冷淡に
突き放されるような格好であしらわれてしまった。
後で知った事だが、ランカスター大司教と奇妙な程に緊密な友好関係を持っている
エルク達冒険者チームは、エレミアの大地母神信者から、半ば目の仇にされている、
との事であった。
彼ら大地母神信者、というよりもランカスター大司教を崇拝する者達からしてみれば、
エルク達は明らかに後から現れた新参者であるにも関わらず、そのコネだけで(と、
彼ら信者達はそのように考えている)ランカスター大司教と必要以上に親しい関係に
なっているというその事実が、どうしても許せないらしい。
その為、今回のように何の事前約束も無しに、いきなり雲の上の人である美貌の
大司教に面会を求めようとすれば、このような対応で追い払われる事も少なくない。
仕方なく、エルクはマーファ神殿の客分として寝泊りしている筈の前オラン国防大臣
ドルフ・クレメンスに面会を求めようとした。
が、ここでも思わぬ肩透かしを食ってしまった。
「ドルフ前大臣なら今朝方、相当慌てて神殿をお発ちになりましたよ。お見送りに
 立った司祭の話では、お知り合いのミーニャという少女の身に、何か緊急事態が
 生じたとおっしゃっていた、との事ですが」
「あ、そりゃどうも」
結局無駄に時間を費やしただけであったエルクだが、まさか今回の件が、食神の
巫女の血を引くミーニャに関係していようとは夢にも思っていなかった。

エレミア市中の商店街を歩き回り、砂漠移動用の品々を物色していたカッツェを、
レイニーが人込みを掻き分けながら呼び止めてきた。
どうやら彼女も、カッツェと同じく、砂漠を旅する為の準備に入ろうとしていた
つもりらしい。
「ルーベンスが向かったのは、多分モントーヤ遺跡ってところね」
大通りに多くの店が軒を並べる中を、レイニーとカッツェは肩を並べて歩き出した。
その際レイニーは、自身が集めてきたモントーヤ遺跡に関する情報を語ったのだが、
いかんせん、情報源がいささか見当外れなところもあった為、大した内容ではない。
モントーヤ遺跡の正確な場所については、まず不明であった。
と言うのも、レイニーが聞き込みに時間を費やしたのは、職能ギルドだったからだ。
ブラキの鎚が関係するのであれば、職能ギルドこそ最適な情報源だと判断したのだが、
しかしそもそもモントーヤ遺跡は古代王国期の遺跡であり、職人の技術と利益を主な
範疇とする職能ギルドには、噂以上のまともな情報などあろう筈もなかった。
最初レイニーはモントーヤ遺跡に住むエドゥーという名のメデューサが、エレミアの
職能ギルドと何らかの関係があるのではないかと睨んでいたのだが、これが既に、
大きな見当違いであった。
所詮、メデューサは人外の魔物なのである。
人々の現実の生活に密着した職能ギルドに、それらしい情報は全くもって皆無だった。
「・・・要するに、エドゥーという名前の魔物と、その魔物がモントーヤ遺跡に
 住み着いているっていう事ぐらいしか分かってないんですね」
カッツェも苦笑せざるを得ない。
この手の話は、魔術師ギルドか冒険者の店でこそ、より有効な情報が得られるという
ものであろう。
ところでこの商店街での買い物の際、レイニーは石化予防の為にヘンルーダの葉を
購入しようとしたのだが、一枚辺りガメル銀貨千枚という高額な値が提示された為、
結局買わずに終わった。

そんなこんなで、カッツェがレイニーを伴って紅い砂塵亭一階酒場に姿を現したのは、 灼熱の陽光を撒き散らす太陽が西の稜線の向こう側に消え、宵闇が天を覆い始めた 頃合であった。 ここに至って、ようやく情報の集積が行われ、各々が現在の状況を把握するに至る。 レイニーは怪仏の存在は知っているものの、食神の巫女であるミーニャに関しては、 全くの無知であった。 その為、イーサン、カッツェ、クレットの三人が言葉を費やして、不幸な星のもとに 生まれたハーフエルフ少女について、事細かに説明する時間を設けた。 尚、モントーヤ遺跡に関しては、紅い砂塵亭の親父が意外なほどによく知っていた。 エレミアの街からカーン砂漠に到達するだけでも結構な時間を要するのであるが、 問題のその遺跡は、更にそこから砂の海を北上し、三日ほども歩き続けねばならない。 つまり、エレミアを出発してから一週間近い日数が必要となるのである。 もちろん直線距離だけを見れば、普通の大地に換算すると僅か二日程度の道程だが、 砂漠の旅に不案内な者が行くとすれば、どうしてもそれぐらいの時間は要するらしい。 「しかも周りには何も無い砂漠のど真ん中にその遺跡はあるって事だから、少しでも  道を誤ると、どれほどの日数を浪費する事になるかも分からないって話よ」 小さく肩をすくめながら言うレイニーであったが、その態度や口調以上に、彼女の 語る内容は極めて深刻であった。 「ラクダを借りた方が良いでしょうかぁ?」 「そりゃ、その方が良いのは間違いないけど」 カッツェに答えながら、イーサンは頭の中で素早く所持金を計算した。 確か、ラクダの借り賃は一頭一日当たり、ガメル銀貨で20枚ほどだった筈である。 しかしながら、ラクダを使えば道程日数が劇的に短縮出来る事も事実であった。 この少し後になって、エルクがマーファ神殿から戻ってきた。 が、フェンだけはいつになっても帰ってこない。 実のところ、フェンは単身、ヤニックを追ってカーン砂漠に向かっていたのである。 最初、夕刻にヤニックのアパートを訪ねたのだが、既にヤニックの姿は無く、周辺の 住民に聞き込みしたところ、街を出て北に向かったとの事であった。 (カーン砂漠に向かいよったな) そう当たりをつけた彼は、すぐさま魔術師ギルドに引き返してモントーヤ遺跡の 位置を割り出し、その足で砂漠移動用の携行品などを買い求め、紅い砂塵亭には 戻らずに、そのままエレミアの街を飛び出したのである。 愚図愚図していると、ヤニックには追いつけない可能性がある。 と言うのも、ヤニックは意外なほどに奮発して、若く頑健なラクダを借りていたのだ。 すると彼の移動速度は、徒歩でモントーヤ遺跡に向かう日数の、およそ三分の一に なるであろう。 かなりの早さであると言える。 フェンとしては、古代語魔法を駆使して追う以外に、ヤニックに追いつく方法は無い、 と即座に判断した。 幸い高位魔術師としての技術を持つフェンは、飛行の呪文を行使して砂漠に向かった。 既に陽もとっぷりと暮れている為、光球の呪文で視界を確保する事も忘れない。 エレミアの街を文字通り飛び立ってから、およそ三時間ほどで砂漠の端に差し掛かった。 本来、飛行の呪文の効果時間は僅か一時間程度である。 つまり、フェンは途中で地上に降り立ち、後は徒歩で砂漠を目指した事になる。 それでもそこそこの飛行速度と、地形を全く無視出来る飛行の呪文の恩恵は、フェンに 少なからぬ道程短縮の効果をもたらした。 満天の星空を眺めながら、そろそろ休憩を取ろうかと思い始めたその時、フェンの レンジャーとしての感覚がピリピリと鋭く刺激された。 (ちと、無用心だったかのぉ?) 邪教を信仰する恐るべき砂漠の民の噂を、フェンはこの時になってようやく思い出した。 今、彼が頭上に掲げている光球などは、彼ら暗殺のプロフェッショナルにとっては、 格好の的となっている事だろう。

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