視界


その日の夜遅く、エレミアの街の北街門に、砂漠移動用の装備を整え終えた一団が、
三々五々に集結した。
多少値が張ったが、頑健で若いラクダを手配し、水・食糧や砂塵防護用外套、更には
奮発して石化対策用のヘンルーダの葉までを購入した冒険者達は、一人マーファ神殿に
出向いていたエルクとも無事合流し、いよいよカーン砂漠への挑戦に踏み出そうと
意気込んでいた。
既にエルクからの報告で、前オラン国防大臣のドルフ・クレメンスが、食神の巫女の
血を引く少女ミーニャ・フィッティバルディに緊急事態が生じた事を理由にして、
相当慌てた様子でエレミアを去った事を、全員が知っている。
イーサンの集めた情報の中で、ミーニャの身に危険が迫っている事を知り、尚且つ、
その危険が今回の件と意外な接点を持っている事も既に判明している。
一行は、はやる気持ちを抑えながら、入念な準備の為に時間を割き、これまでの冒険で
貯め込んでいた財産を投げ出す格好で、完璧なほどに準備を整えたのである。
そしてやっと、これから北街門を出ようとしていた頃合になって、思わぬ珍客が現れた。
アネッサである。
彼女は恐ろしく動揺し、しかも非常に慌てた様子で夜の街中を彷徨っていたのだが、
レイニーの姿を認めると、ほっとした表情を僅かに作り、急ぎ足で駆け寄ってきた。
「レイニー!大変なの!ルーベンスが・・・!」
冒険者達が砂漠移動用の旅装に身を固めている事にすら気づかない様子で、アネッサは
言葉半ばにして不意に泣き出してしまった。
困った表情でレイニーはアネッサを軽く抱き止め、落ち着くのを待ってから、幼馴染の
泣き顔を覗き込んだ。
「アネッサ、ルーベンスがどうしたっていうの?」
「助けてレイニー。ルーベンスが、ブラキの鎚を探す為に、たった一人であの恐ろしい
 カーン砂漠に向かったらしいのよ!」

冒険者達は、いささか戸惑った様子で無言のまま、互いに顔を見合わせた。
「ヤニックにも言ったんだけど、あいつったら、そんなの知らないなんて言って、
 ぷいっとそっぽを向いて、あたしがどれだけ悲しんでるのか、ちっとも聞こうと
 しないのよ・・・!」
半ば愚痴に近いアネッサの独白を聞きながら、レイニーは心中首を傾げた。
ヤニックは、ルーベンスの後を追うようにしてカーン砂漠に向かったのだが、しかし、
アネッサは逆の事を言っている。
これは一体、どういう事であろう。
そしてレイニーは、昼間に職能ギルドで出会った際のヤニックの態度を思い出していた。
あの時ヤニックは砂漠移動用の装備を揃え終えていたのだが、その事実を悟られるのを
殊更に嫌うようにして、レイニーとフェンの前からそそくさと姿を消していた。
ヤニックのあの態度に疑念を感じていたレイニーであったが、この直後のエルクの
発言が、全ての謎を解き明かす鍵となった。
「ああ・・・ご安心ください、アネッサさん。実は俺達も、これからカーン砂漠に
 向かうところなんですよ」
この一言でようやく彼ら冒険者の装備が普段のそれとは異なる事に気づいたアネッサは、
しばらく呆然としていたのだが、やがて勢い込んでレイニーの両肩を強く掴み、
「お願い!あたしも連れてって!絶対足手まといになんかならないから!」
「ちょ・・・ちょっと、急に何言い出すのよ?」
「だって、ルーベンスを探さなきゃ!ヤニックは全然あてになんないし・・・お願い!」
この時になって、レイニーはようやく全てを理解した。
ヤニックは、アネッサの為にルーベンスを連れ戻す決心を固めていたのだ。
たとえルーベンスが結婚詐欺師の疑惑を向けられているとしても、今のアネッサには
ルーベンスが必要なのである。
しかし下手にルーベンスを探しにカーン砂漠へ行くと口走れば、アネッサは今のように、
間違いなく連れて行けと駄々をこねた事だろう。

カーン砂漠のような恐ろしく危険な場所に、無力な一般人に過ぎないアネッサを伴う
危険だけは絶対に避けねばならない。
だからこそヤニックは、アネッサの願いを一蹴する態度を見せ、更にはレイニーに
対しても、自分がカーン砂漠に向かう事を極力知られたくなかったのであろう。
何とも健気というか、いじらしいと言うか。
ヤニックは、アネッサの心が決して自分に向く事はないだろうという事を覚悟しつつも、
彼女の為に命を捨てる覚悟で、ルーベンスを探しに行ったのである。
そう思うと、レイニーは今、自身の目の前で無理な要求を押し付けているアネッサに、
非常な腹立たしさを感じずにはいられなかった。
「無茶な事を言うもんじゃないの、アネッサ。カーン砂漠がどんなに恐ろしい場所か、
 あんたも分かってるでしょ?」
「それは、大丈夫。だってレイニー達がついてるじゃない」
レイニーは思わず天を仰いだ。
アネッサに対しては拒絶の態度を見せ、密かにカーン砂漠に向かったヤニックの判断は
正しかったと言って良い。
彼女のこの性格を知り尽くしているからこそ、ヤニックは敢えてアネッサを手酷く
突き放すような態度を取ったのだ。
もし、仮にここでアネッサを拒絶したとしても、恐らく彼女の事だから、勝手に一行の
後についてきて、そして要らぬトラブルを巻き起こす事になるだろう。
となると、何としてでもこの場で彼女を説得し、納得させねばならない。
だが、既にカーン砂漠へ向かったと思われるフェンの事も気になるし、何よりも、
単身街を出たヤニックの事も心配である。
ここで愚図愚図している訳にはいかない。
「悪いけど、僕は先に行くよ。フェンが心配だ」
ラクダに繋いだ手綱を引くイーサンが、街門前広場から、足早に夜の砂漠へと向かって
身を翻し、さっさと移動を開始した。

「ごめん、私も先に行くわ」
「あ、猫もですぅ」
イーサンに続いて、クレットとカッツェもラクダを引いて夜の北街門をくぐった。
正直なところ、彼ら二人の盗賊にとっては、さほど親しい訳でもないアネッサの駄々に、
これ以上無駄な時間を費やす気にはなれなかったのである。
矢張り、フェンと、そして今回の事件に連なるミーニャの事が心配なのだ。
そしてエルクも、先に北街門を抜けていった三人の冒険者達に続こうとしたのだが、
しかしレイニーがにゅっと手を伸ばし、この貧相な吟遊詩人の肩を、その外見からは
想像もつかない程の馬鹿力でがしっと掴んだ。
「ちょっと、私一人を置いてどこに行くつもり?」
「あー、いや、えーっと・・・」
妙に鬼気を含んだレイニーの問いかけに、エルクは完全に気圧されてしまっていた。
アネッサをどうするべきか。
このまま連れて行くにしろ、彼女を説得するにしろ、さすがにレイニー一人では
いかんともしがたい、と判断したのであろう。
早々にイーサン、クレット、カッツェに去られてしまった以上、残っていたエルクを
道連れにする以外方法は無かった。
「ねぇ、レイニー、お願い!」
必死に哀願するアネッサを、レイニーは困ったような目で見た。
連れて行けば、足手まといになる事は日を見るよりも明らかである。
かと言って、彼女を納得させるだけの説得材料が、今すぐには頭に浮かんでこない。
いずれにせよ、レイニーと、半ば道連れにされた格好のエルクにとっては、砂漠に
出る前の最大の難敵としてアネッサが立ち塞がるような状況となってしまった。
しかしエルクとしては、アネッサの事よりも、ミーニャが今回の件に関わっている
可能性がある以上、こんなところでいつまでも時間を浪費したくない。

エレミア北街門を出てラクダの背にまたがったイーサン、クレット、カッツェの
三人は、早速手綱を打ってラクダを走らせた。
頑健で足の速いラクダをわざわざ選んだだけの事はあり、砂と岩だらけの荒野を
駆けるその足の速さというものは、実に想像以上であった。
恐らくはヤニックも、ほぼ同等のラクダを手に入れて、半日以上も前にエレミアを
出立してしまっている。
という事は、彼との間には相当な差が開いてしまっている事になる。
が、ともかくも今は、まずはフェンと合流する事を考えねばならない。
フェンがカーン砂漠に向かったというのは、あくまでも古い付き合いである
イーサンの直感によるものであったが、しかしイーサンは、予測と言うよりも、
ほとんど確信に近い念を抱いている。
だからこそ、イーサンは焦っていた。
ここ最近のフェンは、以前のように考えに考えてから行動するのではなく、まずは
動いてみてから考えるというような傾向がある事に、早くから気づいていた。
そして今回も、その傾向にはまっているのだろうという思いもあるのだが、同時に
カーン砂漠に拠点を置く、恐るべき邪教部族の事も噂で聞いている。
高位魔術師としての実力を持つフェンではあるが、相手が相手だけに、遭遇すれば
恐らく無事では済まないだろう。
そんな危機感が、イーサンの精神からゆとりを奪い去っている。
直後に付き従う二人の盗賊も、イーサンの普段とは異なる厳しい形相に、言葉を
かける事すら出来ない雰囲気を感じ取っていた。
しかし、イーサンのそんな緊張も、程なく解かれる事になった。
街を出てから小一時間もしないうちに、満天の星空の下に荒涼と広がる殺風景な
景色の中で、見慣れた長身が、早歩きでこちらに向かってくる姿を認めたからだ。

「フェン!」
イーサンが、手綱を引いてラクダの歩をとめさせた。
彼は自身が駆るラクダの他に、フェンの為にももう一頭ラクダを連れてきている。
このフェンの為のラクダは、イーサンが駆るラクダに手綱で繋ぎ、前後に並ぶ
格好で付き従ってきていた。
「よーう。エエところに来てくれたなぁ」
いささか疲れた様子ではあったが、相変わらず呑気でマイペースな笑顔を見せる
長身の魔術師に、イーサン達は苦笑を返した。
イーサンはラクダを降り、繋いでいたもう一頭のラクダの手綱による連結を離し、
その手綱を取ってフェンに差し出した。
「ヤニックかルーベンスは見つかったのかい?」
「いや・・・そん代わり、要らん連中を連れてきてしもうたわ」
イーサンからラクダの手綱を受け取りながら、フェンは頭を掻いた。
その言葉にぴんときたイーサンは、まだラクダの背の上にある二人の盗賊に、
厳しい色を含んだ視線を向けた。
「早速、荒事が待ち受けてるみたいだ。気を引き締めてくれるかい?」
若き戦士に言われるまでもなく、クレットとカッツェは、既にその気配を察し、
それぞれの面に軽い緊張を浮かべていた。
「恐らく、噂に名高い邪教の部族じゃろな。さっきから、距離を置いてはおるが、
 ずーっとわしに張り付いてきとるんよ」
「様子を見るか突破するか、だね」
ラクダの背の上で、クレットがカトラスをいつの間にか手にしていた。
同様に、カッツェも短槍を小脇に抱え、臨戦態勢に入っている。
「敵の数は?」
「気配だけでしか読んどらんのじゃが、ざっと十人前後ぐらいとちゃうか」

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