視界


レイニーは、腰を据えてアネッサのエレミア残留説得に取り掛かった。
何とかしてレイニー達に同伴しようと必死になっているアネッサであったが、しかし
冒険者の側にすれば、それ以上に必死になって、アネッサを何としてでもエレミアに
留めさせねばならない。
もしアネッサが同伴するような事になれば、彼女の命は十中八九失われてしまうだろう。
幼馴染であり、小さい頃から兄弟同然で育ってきたレイニーにしてみれば、それだけは
何が何でも避けたい事態である。
その為、レイニーは説得材料を選ぶだけの余裕が無かった。
まずはともかく正攻法から攻めるべしと判断し、カーン砂漠の危険性と、父親ジャドの
心境を説くところから始めた。
が、半ば予想していた事ではあったが、レイニーはその程度では動じた様子を見せない。
もとより危険は覚悟の上であり、更には父ジャドとは喧嘩中であり、彼に対する配慮が
ほとんど持てなくなってしまっている今の彼女には、ジャドの名を出したところで、
さほどに堪えるものではなかった。
真夜中の北街門前広場で繰り広げられる、女同士の激しい口論は、街門を守護する数名の
衛兵達や、付近を往来する通行人の注目を、どうしても集めてしまう。
しかもその内容が、街娘がカーン砂漠へ自分を連れて行けという物騒なものであるだけに、
余計に人々の印象に残ってしまう。
アネッサとの間で、激しい言葉の攻防を展開する一方で、レイニーは傍らのエルクが、
いつもとは違って妙に緊張した面差しを見せている事に気づいた。
まるで、魔物との戦闘に際しているような面持ちであり、その態度から、レイニーは
咄嗟にエルクの発想を読み取った。
(まさか、精霊法術を・・・?)
確か、精神の精霊を操る精霊法術には、対象生物を永遠の眠りに落としてしまうものが
あったという事を、レイニーは今更のように思い出していた。

(ちょっと・・・冗談じゃないわよ!)
思わずレイニーは、心の中でエルクに罵声を送っていた。
エルクとしては、アネッサが強情にも引き下がらなかった場合、この場でアネッサの
精神の精霊に働きかけて、彼女を深い眠りに落としてしまおうと考えていた。
しかしながら、ここは真夜中とは言え、人の往来が微妙に途切れず、更には王国の
衛兵達が視界内に何人も認める事が出来る街門前広場なのである。
こんな衆人環視の中で、もしエルクが街の一般人であるアネッサに対し、精霊法術を
仕掛けたりなどしたらどうなるか。
これはエレミアに限った事ではないのだが、基本的に大都市圏と言われる都市部では、
古代語魔法、法力、そして精霊法術を駆使する事は、ご法度なのである。
法律上では、魔術師ギルドや神殿など、極めて限られた空間でしか、これらの特殊な
力を行使する事が出来ないのが、大都市部における不文律となっている。
もちろん、これはあくまでも建前上で、実際には役人の目の届く範囲でなければ、
これらの力を自由に行使して良い。
その典型となる行使場所が、冒険者の店や場末の酒場、或いは盗賊ギルドが拠点を
置くような裏路地などである。
特に公権力が認めるような事態、例えば犯罪者や魔物に対処する為に使用するような
場合を除いては、こうした街門前広場のような場所で公にこれらの力を使うのは、
公権力に対する挑戦だと見られるケースが極めて多い。
これは矢張り、古代王国期に現在の人種を奴隷扱いしていた歴史上の苦い経験が、
人々に魔法や法術、法力などに対して今でも強い警戒感を持っている事の顕著な例で、
エルフ社会で育ったエルクにとっては、人間のそういった感情を理解しろ、と言う方が
むしろ無理な注文であっただろう。
だからこそ、レイニーは焦った。
自分の説得が不首尾に終わり、エルクがアネッサを精霊法術で強引に眠らせるという
最終手段に打って出れば、場所が場所であるだけに、非常な危険を伴うからである。

レイニーは、頭に浮かぶあらゆる説得材料を口にして、アネッサを納得させようと
全精力を注ぎに注いだ。
時には、ルーベンスを必要以上に美化して、アネッサに翻意を求めたほどである。
さすがにアネッサは、レイニーがルーベンスの名を出してまで説得を試みているという
その事実に、強い動揺を見せていた。
が、所詮レイニーにしろエルクにしろ、ルーベンスの事を本当に分かっていない。
誰よりもルーベンスの事を分かっているのは自分である、という自惚れがアネッサの
中に常に渦巻いており、そうした感情的な反発心が、却ってアネッサを強情にさせた。
「ルーベンスなら、きっと分かってくれるわ。だから安心して、あたしを一緒に
 連れてってくれて良いのよ」
一体どこをどうすれば、そんな発想になるのか。
正直なところ、レイニーは頭痛すら感じていたのだが、しかし天を仰いでばかりは
いられない。説得が成功しなければ、今にもエルクが精霊法術を行使する態勢に入る
勢いを見せているのである。
既に数名のエレミア国軍兵から組織される街門衛兵隊の数名が、あまりにも騒がしい
口論に見かねたのか、或いは野次馬根性を丸出しにしたのか、アネッサとレイニー、
エルクの三人から僅かに距離を置いた位置に、漫然と佇んでいる姿が見える。
もうこれ以上、説得材料が尽きたと思われた頃合になって、不意に傍らに立つエルクが
かすれた声を風に乗せるような低い詠唱を開始し、奇妙な印を結んだ右手を大きく
宙空に振りかざし始めたのである。
「エルク、拙いって!」
慌てて振り向いたレイニーであったが、エルクが早口で完成させた眠りの精霊法術が、
アネッサの精神を一撃で捕縛し、彼女をその場に昏倒せしめた。
この異常事態に、周囲にたむろしていた街門衛兵達が、表情を厳しくして駆け寄る。
「おいお前、そのお嬢さんに何をした!?」

街門衛兵達の凄まじい剣幕に、エルクは戸惑いを隠せなかった。
エルクにしてみれば、レイニーの友人の精神に軽く働きかけて、深い眠りに落とした。
ただそれだけの事に過ぎないのだが、街門衛兵側の立場から言えば、そんな簡単な事で
収める訳にはいかない。
何しろ立場上はアウトローである冒険者が、街の善良な一市民に、精霊法術を駆使して
危害を加えたという事実には、変わりが無いのである。
もちろん、アネッサはただ単に眠りに落ちただけなのだが、しかしそれが、彼女の
意思を無視した強制的な眠りである以上、法的には危害を加えられた事になるのだ。
そして、如何にアネッサがレイニーの幼馴染であるとは言え、それは弁解材料には
決して成り得ない。
レイニーは、今度こそ天を仰ぎたい気分になった。
あれよあれよと言う間に、北街門に配置されている街門衛兵一個小隊が、簡略武装に
身を固めて、レイニーとエルクを包囲してしまったからだ。
「抵抗するな!武器を捨てろ!」
街門衛兵小隊の隊長と思しき、頑健な体躯の中年戦士が大音声で呼ばわった。
「いや、その、私達はですね・・・」
すっかりしどろもどろになってしまっているエルクであったが、武器の類はすぐには
手放そうとはせず、必死になって打開策を講じようと思案を巡らせている。
しかし、二人の無罪を弁護しようにも、肝心のアネッサが完全に深い眠りの中に落ち、
穏やかな寝息を立てているという有様であった。
(どうしよう・・・)
レイニーもまた、いささか混乱気味に乱れている自身の心を何とか落ち着かせようと
しているのであるが、とにかく場合が場合だけに、心拍数が高まったまま、一向に
落ち着く気配が無い。

一方、先行してエレミアの街を飛び出し、引き返してきたフェンと無事に合流を
果たしたイーサン、クレット、カッツェの三人は、フェンをカーン砂漠からずっと
追尾してきたという謎の気配にどう対処したものかと、対応に困っている。
もし相手がフェンを殺す気で居たのなら、フェンがここまで到達する前に、早々と
襲撃を仕掛けてきていた事だろう。
それが、ここまで一切手を出してきていないのだから、不気味な事この上ない。
「ね、どうするの?」
ラクダの背から降り立ち、カトラスを左手に持ち替え、更に右手には牽制用の
ブーメランを携えていたクレットが、頭一つ分以上も背丈に差のある長身の魔術師に
問いかけてみたのだが、フェンは黙りこくったまま、ろくに反応も返さない。
別にクレットの事を無視しているのではなく、砂漠側に潜む気配の動きを読むのに
必死になっているだけの事であった。
「あのぉ・・・あちらさんは、まだそんなに殺気立ってないようですぅ」
ファイアーフォックス改を手にして、いつでも矢をつがえられる態勢を取っていた
カッツェが、いささか自信なさそうな表情で、傍らのイーサンに小声で言った。
「精神の精霊が、そう教えてくれているのかい?」
前方に視線を固定したままで応えを返したイーサンに、カッツェは小さく頷く。
この時、ようやく決意が固まった様子で、フェンが仲間達に振り返って言った。
「よっしゃ、いっぺん交渉を試みてみよか。ここで睨み合いしとっても埒があかん」
「クレットとカッツェはここで待機だ。僕らに何かあったら、適宜判断して行動を」
イーサンがフェンに付き従う格好で、交渉に臨む事になった。
クレットが、イーサンとフェンの駆るラクダの手綱を預かる。
が、意外な事態が生じた。
砂漠側の目に見えない気配の方から人影が一つ、星明りの中を硬い砂地を踏みしめ、
こちらに向かってくるではないか。

「当方はスジャルタ・プラフヴィン!ウグルツ部民の戦士である!」
満天の星空を切り裂くように鋭く発せられた凛としたその声は、意外にも女性の
ものであった。
全く臆する様子も見せず、どんどん間合いを詰めるように歩を進めてくる相手に対し、
イーサンとフェンも、負けてはならじと気合を込めて、矢張り硬い砂地を進んで行く。
やがて双方、お互いの顔がはっきりと見て取れる距離にまで近づいた辺りで歩を止めた。
「レーフェン・ハーヴィとイーサン・モデイン。冒険者ですわ」
フェンは、なるべく相手を刺激しないように、穏やかな声音を心がけ、普段はあまり
見せた事の無い柔和な笑みさえ浮かべていた。
対するスジャルタは、20代後半の精悍な面構えの女性で、艶のある唇を真一文字に
結ぶ引き締まった表情を見せていた。
小麦色に焼けた健康的な肌が、戦士を名乗る彼女の強気な性格とは裏腹に、どこか
奇妙な色気すら感じさせた。
暑さ対策と動き易さを追求している為か、急所にだけ防護を施した薄手の革鎧で武装し、
二の腕や太股などは、ほとんど剥き出しになっている。
柔らかく弾力のありそうな尻の肉付きですら、半分以上が露出していた。
背中まで届くであろう黒髪はポニーテールの形にまとめられ、乾燥した空気に当てられ
相当傷んでいるのだが、しかし精悍で端正な容貌を貶めるまでには至っていない。
フェンは、スジャルタの健康的な色気を伴う引き締まった体躯をそれとなく観察しつつ、
頭の片隅でウグルツ部民の噂を思い出していた。
カーン砂漠には邪教を信仰する数多くの部族が点在しており、ウグルツ部民もその中の
一つであった筈だが、他の部族とは異なり、このウグルツ部民は外交戦略を駆使して、
エレミア政府と領境界交渉を粘り強く続けている、比較的平和指向の部族であるという
話を聞いた事があった。

相手がウグルツ部民の戦士であるならば、そう容易くは荒事に発展する事はない。
咄嗟にそう判断したフェンは、相変わらず微笑を湛えたまま、相手が警戒しない程度に
軽く歩を進めて、
「単刀直入にお聞きしたい。そちらさんは、如何な料簡でわしらの前に現れたので?」
これに対し、スジャルタは形の良い薄桃色の唇を、この時初めて苦笑の形に歪めた。
「ふっ、何も知らずにこの先へ向かおうとしていたのか。おめでたい連中だな」
スジャルタは、豊満すぎる程にふっくらと盛り上がる胸元で組んでいた腕を解いた。
代わりに、右手の親指で自身の後方を指差す仕草を見せる。
「お前・・・そう、レーフェン・ハーヴィとか言ったな」
「フェンで結構ですぞい」
「ふん。ではフェン、お前が行こうとしていた経路は、ディッキンベ部民の縄張りだ。
 あのまま突き進めば、確実に殺されていたぞ」
スジャルタの、どこか呆れたような声音には、フェンの無知を嘲るような響きすら
込められているようであったが、しかし実際のところ、彼女はフェンをエレミア側に
追い返す事で、ディッキンベ部民の脅威から、彼を守ってくれた事になる。
では何故、スジャルタ達ウグルツ部民はフェンをディッキンベ部民から守ったのか。
そんなフェンの疑問を素早く察し、スジャルタは言葉を更に繋いだ。
単なる戦士というだけではなく、頭の回転も相当に早いらしい。
「困るのだよ。エレミアから出てきた奴が、連中の被害に遭うのは。冒険者だろうが
 役人であろうが学者や商人であろうが、エレミアから来た奴がディッキンベ部民に
 襲われて被害に遭えば、我らの対エレミア外交政略にとっては痛手となるのだ」
なるほど、とフェンは心の中で頷いた。
エレミア側からすれば、カーン砂漠に点在する部族は、全て邪教の部族という事で
ひとくくりにしか見る事が出来ない。
如何にウグルツ部民が平和的交渉を求めても、ディッキンベ部民の暴力的な態度が
エレミア政府を刺激しては、まともに話し合いの場を持つ事すら難しくなるのだろう。

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