視界


結局のところ、後発組のレイニーとエルクに対する措置としては、移動経路の目印と
なるようなものを、地下通路までの数ポイントに残していくという事になった。
しかし、これも結局は気休めに過ぎない。
カーン砂漠の砂塵は、人造の目印など容易く消し飛ばしてしまうし、何よりもこの
恐ろしい程の広大さを誇る砂の海で、目印だけを発見するなど不可能に近い。
レイニーならば、レンジャーとしての技能があるから、という理由だけが、冒険者達の
唯一の拠り所ではあったが、その一方で、内心では無理かも知れない、という諦めが
胸中渦巻いているのもまた事実であった。
目印を残す役目は、カッツェとクレットが担当する事になった。
特にカッツェは、エルクとの通信に期待を持っている。
と言うのも、この少年盗賊が用意する目印は、精霊使いだけに分かる極めて特殊な
精霊記号とも言うべき合図であり、この合図に気づき、尚且つその意味を解読する事が
可能なのは、精霊使いだけなのだ。
本来、精霊語は文字を持たない自然言語であるのだが、精霊使いの間で用いられている
精霊記号だけは別物で、これは各精霊を象徴的に図画化した代物である。
カッツェとエルクだけに通用するこの精霊記号ならば、エルクがこの目印を発見した時、
先発組がどこへ向かったのかが容易に分かるだろう。
尤も、その肝心要の目印自体を、エルクとレイニーの双方が見落としてしまうという
危険性は誰にも防ぎようが無いのであるが。
いずれにせよ、この場に留まって、二人が追いついてくるのを待つ事だけは避けたい、
という意識は全員共通のようで、四人ともが、スジャルタを道案内として同伴して、
地下通路を急ぎたい考えを持っている。
スジャルタによれば、砂漠の地下通路は、どちらかと言えば巨大な迷宮に近い構造を
持っているらしく、荷物を運搬する労力を省く為にも、ラクダは連れていった方が良い、
との助言が彼女の口からもたらされた。

地下通路への入り口は、冒険者達がスジャルタと交渉を持った場所から、さほどには
遠くない位置に、半ば砂の海に埋もれるような格好でぽっかりと口を開けていた。
「照明は、ランタンを使うぞい。今夜は精神力を温存せにゃならんかも知れんでな」
というフェンの宣言通り、地下通路移動の際の照明確保には、ランタンが用いられた。
既にスジャルタが説明したように、この広大な地下迷宮と呼んでも差し支えないほどの
広さを誇る地下通路には、石化蜥蜴や石化蜘蛛といった、恐ろしく凶悪な性質を持つ
魔物が縄張りを張っており、どこに潜んでいるのか分からないのである。
一応、ウグルツ部民は大体の縄張り位置を特定しているらしいのだが、それでも、
これらの魔物は餌を求めて、自分達の領域の外にまで足を伸ばすケースが多いらしく、
出現位置までは想定する事が出来ないらしい。
「まぁともかく、戦闘になって混乱する事があっても、決して私から離れるな。
 この入り組んだ地下通路で迷ってしまったが最後、脱出する前に、奴らの餌となり、
 人生の終焉をこの暗い地下で迎える事になるぞ」
別に脅しでも何でもなく、スジャルタはごく自然な口調でさらりとそう言った。
ラクダの手綱を引きながら彼女の豊かな尻の肉付きを追いかける形になった冒険者達は、
お互いに緊張とも苦笑とも取れる微妙な表情で目を見合わせた。
深夜のカーン砂漠は、確かに暗い事は暗かったが、しかしそれでも、星明りや月光が
天から降り注いでいた為、視界の確保にはさほど苦労しなかったのだが、この地下通路は
完全な闇に閉ざされている為、精霊使いであるカッツェを除いては、照明無しのまま
突破するというのは、まず不可能であると言って良い。
「でも、この照明が逆に、恐ろしい魔物達の標的にもなるんだよな。皮肉な話だよ」
過去の経験から、イーサンが一同に警戒を持続させる意味を込めてそうぼやいた。
ちなみにランタン自体はラクダの背荷物の端に吊るしてある為、誰の手を塞ぐ事もない。
逆を言えば、そのラクダとはぐれてしまうと、完全な闇の中に取り残される事になる。
そういう意味でも、彼らは魔物と遭遇した際には、ラクダをも防衛せねばならない。

地下通路を進む隊列としては、先頭にスジャルタとクレットが並んで進み、その後に
イーサンとフェンが続く。
ランタンの照明が多少途切れても、それなりに気配を嗅ぎ取る事が出来るカッツェは、
最後尾に張り付いて、後方への警戒を担当する事になる。
尤もこの少年盗賊が進んで最後尾に引き下がったのは、スジャルタの剥き出しになった
ヒップラインを直接視界の範囲内に納めてしまうと、精神衛生上よろしくないから、
という年齢相応の理由もあったのだが。
そこかしこが破損し、場所によっては大きな亀裂が見える古い石畳の通路を、一行は
急ぎ足で移動してゆく。
本来ならば、慎重を期して歩みが遅くなるところであったが、ことこの地下通路に
限っては事情が逆である。
多少足音を高く立ててでも、素早く突破してしまわねばならない。
先行しているルーベンスとヤニックの行方が気にかかるというのも理由の一つだが、
最大の理由は、石化蜥蜴や石化蜘蛛の接近する時間を、少しでも短縮する狙いがある。
スジャルタによれば、強行軍で押し進めば、一日足らずで地下通路を抜ける事が可能、
という事であった。
常人であれば、丸一日早足で進み続けるのは不可能であったろうが、幸いにして、
彼らは冒険者であり、この手の強行軍には慣れている。
確かに、疲れる事は疲れるが、体が全く動かなくなるほどの疲労に襲われてしまう、
というような緊急事態に陥る事は無かった。
途中、何度か休憩を挟み、その都度保存食と水で体力を補給した事も、消耗を少なく
抑えるのに一役買っていた。
「どうやら、このまま無事に抜ける事が出来そうね」
何度目かの休憩の際、スジャルタから、地下通路の出口は近いという言葉を聞いた時、
クレットが僅かにほっとした表情で息を漏らしつつ言った。
彼女のこの台詞は、仲間の冒険者全員の感想を代弁していると言って良い。

地下通路に突入してから、早十数時間が経過した頃、スジャルタが一同を振り返り、
「もう小一時間もしないうちに、外へ出るぞ」
と、妙に緊張した面持ちでそう宣言した。
本来ならば、長い地下行軍が終わるという事で、全員の表情が緩むところであるが、
この場に限ってはそうではない。
というのも、スジャルタが事前に、この地下通路のモントーヤ遺跡側の出口付近に、
石化蜘蛛の縄張りがあるという情報を冒険者達に語っていたからである。
腹が減っては戦が出来ぬとばかりに、スジャルタはこの少し前、余裕を見て休憩の
時間を取り、全員に軽食と水分補給をさせている。
褐色の肌を持つ美貌の女戦士は、単純に戦闘力だけではなく、こういった局面でも、
その優秀な頭脳と蓄積された経験で、的確な指示を出す事が出来る人材であった。
不意に、カッツェの精霊視覚が何らかの気配を察知した。
それも一つだけではなく、複数の凶悪な殺気を放つ何者かが、彼ら冒険者達の位置を
正確に把握し、急速接近してくる気配が、カッツェの五感を逆撫でした。
「何かがきますぅ!」
半ば悲鳴に近いカッツェの声に、冒険者達は凄まじいほどの機敏な反応速度を見せた。
まずイーサンが、ラクダの背荷物からランタンを引ったくる勢いで取り外し、自身の
腰に巻きつく小荷物用のベルトに吊り下げた。
更に魔装具トータルフィアーズを抜刀し、前後左右に向けて視線を走らせる。
次いでフェンが右手に長弓、左手に魔術師の杖を持ち、接近戦と遠隔戦の双方に
対応出来る態勢を整える。
その傍らで、クレットは右手にブーメラン、左手にカトラスを構え、フェンの側に
素早く移動していた。
「いや・・・実に見事なものだな」
思わずスジャルタが感嘆した程の対応速度である。そのスジャルタは、ようやく
円月刀を鞘から引き抜いたばかりであった。

フェンを中心に据えて円陣を組んだ一同であったが、敵の気配はまだ完全には
間合いを詰め切ってはいないらしい。
「行こう!追いつかれた時点で迎撃だ!」
この面子の中では、接近戦能力に最も秀でているイーサンが指示を飛ばした。
進行方向の遥か前方には、微かながら、地上の光が漏れこむ薄光が見える。
目指すポイントは明確になっており、後は敵の追撃をかわしつつ、地下通路を
飛び出すだけであった。
冒険者達とウグルツ部民の勇猛な美貌の女戦士は、僅かに円陣を崩しながらも、
ラクダの手綱を引いて出口に疾走した。
十数メートルほど走ったところで、カッツェは足を止めずに頭上を振り仰ぐ。
敵の気配が、上から響いてくるのだ。
かなりの高さを見せる地下通路の天井を、3メートルはあろうかという漆黒の
巨大な影が這いずり回る格好で走り去ってゆき、先頭を走るスジャルタの行く手を
阻む位置に飛び降りてきた。
イーサンの腰に吊るし代えたランタンの照明の中に、その正体がはっきりと
浮かび上がった。
「蜘蛛か!」
襲撃者の正体を確認し、足が鈍ったスジャルタの傍らを、イーサンのしなやかな
体躯が一気に駆け抜けた。
ラクダの手綱を放り出した勢いで、そのまま黒い巨大な影に殺到する。
「気をつけろ!そいつの牙には、石化の毒があるぞ!」
スジャルタの警告は、しかしイーサンには無用の叫びであった。
トータルフィアーズの切っ先が、石畳から天井に向けて、つまり下段から上段に、
跳ね上がるような形で白い軌跡を見せた。
と同時に、行く手を阻んでいてた黒い毛むくじゃらの巨大蜘蛛の頭部が、縦に
真っ二つに割れた。

スジャルタは二度目の嘆息を漏らした。
どちらかと言えば、呑気で茫漠とした雰囲気を漂わせる若い戦士のイーサンが、
いざ戦闘という局面になれば、鬼神の働きを見せるとは、予想外だったらしい。
一撃で最初の石化蜘蛛を仕留めた後、更に天井から降下してくる巨大な黒い影の
群れに、イーサンは躊躇無く突っ込んでゆく。
半ば戦士の本能でトータルフィアーズの刃を振るっている為、必ずしも巨大蜘蛛の
急所を仕留めている訳ではなかったが、イーサンの討ち損じた敵は、後に続く
クレットとカッツェが、それぞれの得物で的確に仕留めていった。
石化蜘蛛の群れは、総勢で十匹近い数が襲撃をかけてきたのであるが、とうとう
最後までスジャルタは自身の円月刀を振るう暇が無かった。
彼女の後方に陣取ったフェンでさえ、魔力を一切消費せずに終わった。
「なんじゃあ、わしの取り分は無いんかい」
「エドゥーは残しておいてやるよ」
などと軽口を交わす若き魔術師と戦士の幼馴染コンビに、スジャルタは今少し、
驚きの念を抑える事が出来ない。
先頭切って飛び込んでいったイーサンであったが、呼吸が全く乱れていないのだ。
ウグルツ部民の優秀な戦士であるスジャルタにとって、この石化蜘蛛は決して
楽な相手ではないのだが、しかしイーサンは、まるで何事も無かったかのように
これらの強敵をことごとく処理していった。
もちろん、クレットとカッツェのサポートがあってこその活躍ではあったが、
それを差し引いても、この青年戦士の技量は、スジャルタの想像を大きく超越し、
ほとんど常識の範囲を逸脱していた。
さすがに、川龍ズレータの首を一本落とすだけの事はある。
と言いたいところであったが、スジャルタには、イーサン達のそんな実績など
知る由もない。

ようやく地下通路を抜け、モントーヤ遺跡近くの砂漠に出た時には、既に日付も
変わっており、太陽が西に傾きつつある頃合であった。
「うわぁ、暑っ」
思わずクレットが、剥き出しの二の腕や太股に照りつける強烈な日差しから
逃れようとして、ラクダの背荷物からマントを引っ張り出したのだが、対して、
スジャルタはどこから取り出したのか、日よけのマントを早々に頭からすっぽり
かぶっており、小麦色の肌は完全に外気から遮断されていた。
「モントーヤ遺跡っちゅうのは、あれかいな?」
フェンが暑さに辟易しながら、蜃気楼が漂うような錯覚すら覚える熱気の向こうを
指差して聞いた。
巨大なうねりを見せる砂の丘陵を越えたところに、三角形の砂色の建造物が、
ゆらめくような熱気の中で、強烈な日差しを浴びている。
日よけマントのフード下で小さく頷くスジャルタに、冒険者達は口々に礼を述べた。
「ありがとう、世話になったよ。ここまでくれば、もう大丈夫だ」
汗を滴らせながらも、イーサンがいつものぼんやりした笑みを湛えると、何故か
スジャルタは迷う仕草を見せて、視線を宙空に漂わせた。
冒険者達は、ラクダの手綱を引いて、早くもモントーヤ遺跡に向かおうとしている。
ランタンを消灯して背荷物の中へ突っ込もうとしているイーサンに、スジャルタが、
ようやく意を決したように言葉を投げた。
「やっぱり、モントーヤ遺跡の中まで案内しよう。これでも私は、あの遺跡の
 中に関しては、お前達よりも詳しいつもりだ」
この突然の申し出に、冒険者達はさすがに戸惑いの色を面に浮かべた。
当初の予定では、スジャルタは地下通路を抜けたところでお役御免になる筈だった。
それを、何を思ったか、一緒にモントーヤ遺跡についてくるという。
「いやぁ、その、実を言うとだな・・・見たくなったのだよ。お前達があの遺跡で、
 どのような技量を発揮するのかをな」

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