視界


女盗賊の古代語魔法によって作り出された光球の照明下で、イーサンは、クレットに
背を向けて立ち、周囲に警戒の視線を流している。
イーサンの背後ではメンインブラックに着替え終えたクレットが、腰周りのサイズを
調整したり、若干丈の長い袖口を捲り上げるなどして、新しく手に入れた魔装具が
自身のスレンダーなボディラインに上手くフィットするよう腐心していた。
特に下半身はウェストからヒップ、更に太股にかけてぴったり張り付くようにして、
ラインが浮き出ている。
「もう良いわよ」
クレットの声に振り向いたイーサンは、その意外にセクシーな外観に、内心で思わず
感嘆の息を漏らしてしまった。
「やっぱりこれ、女物のサイズだったわ。でも動き易い。すごくよく伸びるのよ」
「・・・だろうね」
下手にミニスカートをはいているよりも、腰元から股下までのラインがくっきりと
浮き出てしまう分、こちらの方が余程目のやり場に困ってしまうのだが、いずれは
慣れるだろうと、イーサンは心の中で自分に言い聞かせている。
「イーサンは良いの?」
「ああ、うん」
ファントムメナスを腰の鞘吊ベルトに差し込みながら聞くクレットに、イーサンは、
どこか茫漠とした様子で曖昧に頷いた。
メンインブラックは、もう一着あるのだが、イーサンはまるで手をつけようとしない。
これほど優秀な魔装具に見向きもしないというのは、一体どういう事であろう。
さすがのクレットも、この時のイーサンの心理を推し量る事は不可能であった。
ともあれ、エドゥーが近いと分かっている以上、移動する前には極力準備を怠らず、
咄嗟の局面に備える必要があるだろう。
鞘吊ベルトの間に挟んでおいた身の厚いヘンルーダの葉を取り出し、銀製ダガーの
切っ先で表面を簡単に刻むと、クレットはそのまま丸めて口の中に放り込んだ。
さすがに苦い。つい涙が滲んでしまう程の強烈な苦味だが、これを噛んでおくと
おかないのとでは、対石化耐性には格段の差が生じる事を知っている為、ここは
とにかく我慢するしかないだろう。

スジャルタ、フェン、カッツェの位置は、分からない。
であれば、近くにある筈のブラキの鎚を目指し、エドゥーと遭遇する危険を冒しつつ、
ヤニックもしくはルーベンスを発見する方に力を注ぐべきであろうという結論のもと、
イーサンとクレットは、無残に砕かれた石像だらけの空間から、移動を開始した。
メンインブラックを装備して、安心感が出たのだろう、クレットは自ら前に出て、
盗賊としての技量を発揮しながら、イーサンを背後に従えつつ前進してゆく。
そもそも、盗賊としての経験や技量は決して他者に劣る事の無いクレットである。
判断ミスなどで様々に失態を犯してきた印象の強い彼女ではあったが、純粋に素質と
能力だけを見れば、決してイーサンに見劣りするものではない。
石像の山が築かれている広間を抜けると、二人は恐ろしく狭い通路に入った。
ピラミッド状の遺跡内部である為、細い通路が縦横に走っている事は容易に想像が
ついたのだが、いざこうして足を踏み入れてみると、緊張と息苦しさで、常人ならば
すぐに精神が病んでしまうのではないかとさえ思われた。
相変わらず、イーサンは前を行くクレットのヒップラインに困っている様子だった。
メンインブラックは、素地自体が極めて薄く、しかもクレットの着用しているそれは
彼女のボディラインが、細かい部分に至るまでくっきりと浮き出るという、極めて
微妙なサイズなのである。
その外観は、色が黒いだけでほとんど裸に近いと言っても良い。
クレット自身は、そんな事はまるで気にしていない様子だったが、変に朴念仁な
ところがあるイーサンにしてみれば、良い迷惑であったかも知れない。
ともあれ、二人は細く曲がりくねったかび臭い通路を進み、やがて、前方に再び
広大な面積を誇るであろう空間を認める位置にまで辿り着いた。
「何か・・・気配を感じるわね」
「ああ。それも、相当な質量だな」
クレットは、一旦光球を、メンインブラックに着替える前に着用していた革製の
ベストの下に隠し、照明を断ってみた。

イーサンとクレットが前方に認めた空間には、明らかに、何者かによる照明が
設置されている模様で、しかもその光量は決して少なくない。
巨大な気配が漏らしていると思われる不気味な息遣いは、恐ろしく低い地鳴りの
ような響きを、その空間内に充満させている。
クレットは、鞘吊ベルトから手鏡を引っ張り出し、慎重に歩を進めた。
石積みの通路に背中をぴたりと張り付け、横這いに、足音を消しながら移動する。
やがて、意外に明るい広間の様子がうかがえる位置にまで至ったところで、左手に
携えた手鏡を使って、空間内の状況をそっと覗き見た。
僅かに離れた位置から、クレットの細面に浮かぶただならない緊張を見て取った
イーサンは、その広間の中に居る存在の正体について、ほとんど一瞬にして
理解する事が出来た。
手鏡の中に映っているその姿は、恐ろしく巨大である。
魔術師ギルドで仕入れてきたクレットの知識を、遥かに凌駕するサイズであった。
(これは・・・とんでもない化け物ね)
数十メートルにも及ぼうかという大蛇の姿が、まず手鏡の中に飛び込んできた。
そしてその頭部付近には、これまた巨人クラスと言っても良いほどの大きさを誇る、
全裸の人間女性の上半身が伸びている。
但し、その皮膚は滑らかな肌色などではなく、硬い暗緑色の鱗で覆い尽くされ、
下半身の大蛇部分からそのまま一体となって続いている事が分かる。
クレットの華奢なウェスト周りの二倍以上はあろうかという、筋肉の束を幾つも
束ねたような太い腕と、数十センチにもなる長い鉤爪だけでも、相当な破壊力を
発揮するだろう。
そしてその面はというと、凶暴な眼光を湛える爬虫類特有の縦割れの瞳だが、
眼球全体が真紅に染まっている。
強面と言って良い。首から上の皮膚も、全て暗緑色の鱗に覆われ、その容貌は
恐ろしく醜悪であった。
そして、頭部にみっしりと生える蛇の髪も、人間の腕ほどはあろうかという程の
巨大なサイズを見せていた。

巨大メデューサは、女性型の上半身も、下半身の延長線上のような格好で、
石床に這いつくばらせている。
長く、凶悪な鉤爪を持つ丸太のような豪腕は、四足の爬虫類生物の前足に近い
仕草を見せ、まさしく全身で這い回っているらしい。
尾の先端を垂直に立て、ガラガラヘビのように、細かく振動させながら乾いた音を
立てている。
以上の描写だけならば、エドゥーは知性の欠片も無いただの魔獣なのだが、しかし
実際はそうでもなさそうである。
その象徴とも言えるのが、背負っている長弓と矢筒であった。
もちろん、巨人サイズの化け物が使うものだから、そのサイズも半端ではない。
矢の大きさなどは、ほとんど人間が使う長槍に近いものがあり、直撃を受ければ、
肉体を貫通されるだけではなく、その衝撃で四肢がバラバラに弾け飛ぶだろう。
「クレット、あれを・・・」
エドゥーの恐るべき姿に気を取られていたクレットに、イーサンが低く声をかけ、
その方角を指差してみせた。
二人が身を潜ませている通路とは、広間を挟んで反対側の位置に、別方向から
伸びていると思われる細い通路への口が、ぽっかり穴を空けているのだが、その
奥に、人影が見え隠れしている。
クレットは直接面識は無いのだが、その装備や外観などから察するに、恐らくは
ヤニックであろう。
「まずいぞ・・・」
イーサンが呟いたのも無理は無い。
金属鎧と大剣を装備しているヤニックは、当然ながら音を立てながら、通路の
中を移動してきている。
つまり、エドゥーに気づかれる危険性が極めて高いのだ。
そしてクレットの手鏡の中で凶悪な姿を見せているエドゥーも、金属鎧特有の
歩行音に気づいたらしく、鎌首をもたげるような姿勢で上体を起き上がらせた。

スジャルタの案内によって、モントーヤ遺跡を下層へ、下層へと移動してきた
フェンとカッツェは、やがて最下層付近の狭い通路を行くうちに、前方に随分と
開けた空間がある事に気づいた。
広大な面積を誇るその空間内には、十分な光量が溢れているらしく、ことさらに
ランタンの灯を掲げる必要も無かった。
先頭に立っていたスジャルタが、振り向きざまに二人の冒険者を制止した。
「あれが蛇の祭壇だ。エドゥーが居る可能性が高い」
「ええ・・・多分、居ると思いますよぉ」
カッツェもスジャルタの言葉に同調して頷いた。
既に彼の精霊視覚は、巨大な質量を誇る生命の精霊の存在を早くから感知していた。
当初カッツェは、エドゥーが話の通じる相手なら、まずは交渉から入ってみるのも
悪くはないと考えていたのだが、この道中、スジャルタからエドゥーに関する
情報を聞くにつれ、その思案も次第に脳裏から薄れてしまっていた。
スジャルタの説明によれば、エドゥーは人肉を生活食にしているという。
ブラキの鎚は、冒険者達をおびき寄せる為の餌であり、一攫千金を夢見て、或いは
スリルに満ちた探索を求めて、この蛇の祭壇に辿り着いた過去の冒険者達は、
そのことごとくが石化され、保存食と化す憂き目を見ているらしい。
またエドゥーは、モントーヤ遺跡を訪れる冒険者の数が少ない時などは、自ら
遺跡の外へ飛び出し、近隣の民を襲っては石化し、遺跡の奥へと連れ去ってしまう、
との事であった。
「っちゅう事は、エドゥー自身は石化した生物を、元の状態に戻す能力を持っとる、
 と考えてエエんじゃな?」
「そういう話らしい。私も実際に、その場面を見た事が無いから分からんのだが」
慎重に言葉を選びながら、スジャルタはフェンの推量に頷いた。
石化した生体細胞を復元する為の魔力に満ちた体液が、エドゥーの尾の部分に
溜め込まれているらしい。

フェン、カッツェ、スジャルタの三者が身を潜めている通路は、ヤニックの居る
通路とは、広大な面積を誇る蛇の祭壇を挟んで直角に当たる位置にある。
という事は、イーサンとクレットが潜んでいる通路とも、同様に直角の位置関係に
あるという事になるのだが、距離が離れている為か、各通路の入り口からは、丁度
フェン達が居る通路の入り口が陰になっていて見えない。
逆もまた然りである。
つまり、冒険者達とヤニックは、蛇の祭壇を挟んで、極めて近い場所に集結している
事になるのだが、お互いがお互いの存在に気づいていない。
唯一の例外は、イーサンとクレットが、ヤニックの姿を認めている事だけである。
「しかし、とんでもない化け物じゃなあ」
フェンがいささか、呆れたように言い放った。
スジャルタとカッツェが、前方の空間、即ち蛇の祭壇内にエドゥーが居る旨を告げた
直後から、肩に乗せていた黒猫を素早く走らせ、内部の様子を確認させていたのだ。
使い魔カリルの小さな体躯は、エドゥーの注意を引き付ける事無く、通路入り口から
広間内部へと飛び出す事に成功していたのである。
「ん?ちょっと待て。様子が変じゃな」
軽く瞼を落とし、カリルからの視覚映像を脳裏に浮かび上げていたフェンが、不意に
渋い表情を作った。
そしてカリルの視線を90度左に展開させ、ヤニックが蛇の祭壇に向けて、不用意に
金属製鎧の音を立てながら歩いてくる姿を認めたのである。
「いかん。ヤニックの奴、あのままアホみたいに飛び出すつもりか」
更にフェンは、カリルをその場でぐるぐると走らせて、他方向にも視線を飛ばした。
この時になってようやく彼は、イーサンとクレットが近くに居る事を知った。
「なんや、あいつらも来とったんか」
「イーサンお兄ちゃんと、クレットお姉ちゃんですね?」
フェンの口調にそれと察したカッツェが、少年の面をぱっと明るくさせた。
が、すぐに緊張した面持ちに戻る。
状況は何一つ改善されていないからであった。

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