視界


イーサンが、大慌てでヘンルーダの葉をベルトの小物入れから取り出し、その表面を、
トータルフィアーズの柄に近い刃で刻んでいる傍らで、クレットは、蛇の祭壇を挟んで
丁度真向かいの位置にある小通路の入り口付近に姿を現したヤニックに対して、一体
どうすれば、危機が間近に潜んでいる事を伝えられるのかと思案していた。
自分も通路の陰に隠れ、大きく両手を振り回すなどの身振り手振りで、ヤニックに
危険を伝えようと試みたのだが、そもそもヤニック自身が、クレット達の居る通路の
存在に、まだ気づいていない。
ヤニックは、足元を注視しながら蛇の祭壇に向かっているのである。
(あー、もう!こっち向きなさいって!)
苛立ちを隠せないクレットであったが、ここで下手に声をあげてしまえば、今度は逆に
自分達が窮地に陥る可能性が高い為、ぐっとこらえるしかなかった。
やがて、イーサンが苦味を押し殺した表情で、中腰の姿勢から立ち上がった。
ヘンルーダの葉を噛み終えたらしい。唇の周りが、僅かに緑色で染まっていた。
その時、クレットとイーサンにとっては、思いも寄らぬ事象が発生した。
『おいヤニック、そこで止まれ!エドゥーが待ち構えとるぞ!』
聞きなれた魔術師の若々しい叫びが、ヤニックの居る小通路入り口から蛇の祭壇に入る
数メートル程離れたある地点の一角から、不意に響き渡ったのである。
「フェン達も来ているのか」
長弓に矢をつがえ、エドゥーへの攻撃タイミングを見計らっていたイーサンの表情に、
僅かながら安堵の色が見え隠れする。
幼馴染の高位魔術師がこの場に居ると居ないとでは、戦力的にも格段の差が生じる。
エドゥーもまた、フェンの声を聞き、ヤニックの足音が止まった事に激怒した様子で、
ほとんど老婆にしか見えないその醜悪な鱗だらけの面を凶暴な顔色に変じた。
甲高い金切り音のような雄叫びをあげて、エドゥーはそれまでの這いつくばっている
姿勢から、上体を大きく持ち上げ、背にしていた超巨大長弓を手に取った。

エドゥーの意識は、ヤニックの居る小通路入り口と、フェンの声が響いた一角付近の
石床に向けて固定されている。
この時、既に気配を消しつつ蛇の祭壇内に歩を進めていたカッツェが既に矢をつがえ、
照準を定めていたファイアーフォックス改の弦から指先を離した。
極限まで力が込められ、小刻みに震えていたファイアーフォックス改から、一直線に
一本の矢が放たれ、宙空で紅蓮の炎を纏い、ほとんど瞬時にしてエドゥーの丸太の
ように太り左上腕部に命中した。
再びエドゥーは、耳障りな金切り音に近い雄叫びを上げて、炎の矢が飛来した方向に
恐怖の石化視線をめぐらせたが、その時には既に、カッツェの小柄な体躯は、蛇の
祭壇内部の壁沿いに立ち並ぶ石柱の陰に隠れていた。
カッツェの先制攻撃が皮切りになり、戦闘が開始された。
イーサンとクレットも、既に狭い通路から広い面積を誇る蛇の祭壇内部に突入し、
ひとまずカッツェと同様、石柱の陰に身を潜ませた。
炎の矢を浴びせた敵の存在を探し回り、その方向に意識が向かっているエドゥーの
後頭部に、今度はイーサンの放った長弓の矢が命中した。
的が大きい分、こちらの攻撃に意識が向いていなければ、ほとんど必中の状況である。
イーサンの放った矢は、エドゥーの頭髪を構成する大蛇のうちの数匹を、まずは
確実に仕留める事が出来た。
エドゥーは、カッツェが隠れ潜んでいる方角から、イーサンの隠れている方向へと
超巨大長弓につがえた長い矢の先端を向き直らせて、緊張し切った弦から鉤爪の
生える指先を離した。
空を切る凄まじい轟音と共に、イーサンが隠れている石柱が中ほどから粉砕された。
矢張り、エドゥーの矢は人外の破壊力を持っていると言って良い。
直撃すれば、如何に熟練の冒険者と言えども命は無いだろう。
(イーサンお兄ちゃん!感謝!)
心の中でイーサンを拝みながら、カッツェは再び石柱から半身だけをエドゥーの
前にさらして、再度炎をまとう矢を放った。

今や、エドゥーの怒りの矛先は、石柱に姿を隠しながら巧みに波状攻撃をかける
カッツェとイーサンに対して固定されている。
その間隙を縫って、金属鎧に身を包んだヤニックが、愛用の両手剣を上段に構え、
気迫に満ちた足取りで小通路の陰から飛び出してきた。
口元が僅かな緑色に染まっているところを見ると、どうやらヤニックも、フェンの
警告の声を聞いた直後にヘンルーダの葉を噛んでいたらしい。
更に、フェンが放った石奴隷とスジャルタが、カッツェが飛び出してから僅かに
間を置いたタイミングで飛び出していった。
もうほとんど総攻撃という状況である。
前衛陣が全員、蛇の祭壇に突入したのを見計らって、フェンが魔法抵抗力向上と、
物理的肉体能力向上の呪文を、順次詠唱した。
エドゥーが蛇の胴部をくねらせて、太い尾で石柱を砕き、前衛陣の隠れ場所を
完全に消し去る前に、全員に対して魔法による支援が完成していたのは、さすがと
言うしか無いだろう。
イーサン、クレット、ヤニック、スジャルタの四人が、それぞれの得物の間合いに
跳び込んで行き、接近戦に持ち込んだ。
いずれも決して低くない攻撃力を誇っており、エドゥーとしても、彼らをそのまま
放置しておく訳にはいかなくなった。
再び金切り音のような雄叫びを上げた巨大メデューサは、超巨大長弓を投げ捨て、
鋭い鉤爪を持つ二本の豪腕と、頭部から伸びる大毒蛇を駆使して、接近戦に
切り替えざるを得ない。
「ズレータよりは楽だな」
少なくともイーサンにとっては、九本の首を持つ川龍との水上戦の方が、遥かに
厳しい戦いだったように思われる。
確かにエドゥーも強大な戦闘力を誇り、更には石化の視線という決定的な能力を
持ってはいるが、これほど近い間合いでは視線を合わせる事も無い。

激闘は十数分にも及んだが、前衛陣がエドゥーの生命力を確実に削り取り、合間に
カッツェがファイアーフォックス改による援護射撃を繰り出して、徐々にエドゥーの
攻撃能力を落としてゆく。
戦術としては、申し分ないと言って良い。
やがて、エドゥーの巨体は力無く崩れ落ちた。
イーサンのトータルフィアーズと、クレットのファントムメナスのいずれかが、この
恐るべき魔獣の息の根を止めたのだが、どちらが有効打になったのかは分からない。
さすがのイーサンも、息が大きく乱れていた。
クレットやスジャルタに至っては言わずもがなであろう。
カッツェが石柱から笑顔をのぞかせ、周囲に不審げな表情をめぐらせた。
本来なら、強大な敵を倒した事に安堵し、笑顔の一つも見せて良さそうなところだが、
しかしカッツェの警戒感に満ちた表情に加え、フェンが通路の奥でじっと身構えて
神経を尖らせている事で、若干の脱力感に襲われつつあった四人の前衛陣にも、やっと
事態の異常さを把握する事が出来た。
が、既に遅かった。
「いかんぞ、これは」
エドゥーが倒される数秒前ほどから、フェンは気づいていた。
何者かが、この蛇の祭壇のどこかで楽器を奏で、かつその美声に旋律を添えている。
呪歌であった。
ここにエルクが居れば、その呪歌の何たるかが分かったであろうが、吟遊詩人としての
素養を持つ者が、この場には一人も居ない。
これが致命的となった。
フェンは使い魔の黒猫カリルを走らせ、竪琴と美声の音源位置を特定しようとした。
しかしその前にイーサン、カッツェ、そしてヤニックの表情が虚ろになり、どこか
茫漠とした意識でその場に佇んでしまった。

クレットも、ようやく呪歌による攻撃を悟った。
耳の奥で耳障りなノイズが響く感触を覚えただけで済んだのは、或いは新しく獲得した
メンインブラックの対魔法防御性能の優秀さに預かるところが大きいかも知れない。
「おい、イーサン、どうしたんだ?」
吟遊詩人の呪歌による攻撃というものを分かっていないスジャルタは、何故イーサンが
表情を消し、漫然と佇んでしまっているのか、理解出来ていない様子だった。
不意に美声が途絶え、竪琴による旋律だけが蛇の祭壇内に軽やかな響きを残す。
(居た)
とフェンが思う間も無く、その美貌に不気味な笑みを湛えたルーベンスが、蛇の祭壇の
奥に設置されている大理石製の台場の陰から姿を見せた。
「イーサン・モデイン、カツェール・デュレク。あなた方は、ご自身の仲間とそちらの
 ご婦人を始末してください。ヤニック、あなたはこちらへ」
ルーベンスの甘ったるい声音を耳にした瞬間、イーサン、カッツェ、ヤニックの三人は、
一瞬ビクっと全身を強張らせ、両目を大きく見開いたのだが、その直後、ルーベンスに
命ぜられた通りの動きを見せ始めた。
優秀な吟遊詩人の歌声というものは、イーサンやカッツェほどの熟練冒険者であっても、
こうも容易くその術中に陥れる事が出来るのである。
「いかん、魅了じゃ!」
叫んだフェンだが、さすがに対エドゥー戦に集中していた為か、精神力がほとんど
枯渇しているような状態であった。
幸い、カリルの精神力が残っているのだが、イーサンとカッツェ、そしてヤニックの
三人までが呪歌の影響下にある現状を鑑みると、あまり状況を改善するには至らないと
考えるしかないだろう。
「イーサンの馬鹿。だからメンインブラックを拾っておきなさいって言ったのに・・・」
ぶつぶつと文句を言いながらも、クレットはファントムメナスを構えた。
対するイーサンは、トータルフィアーズの切っ先をクレットの細面に向けている。

カッツェに対してはスジャルタと石奴隷が対峙しているが、最も厄介なのは、ヤニックが
ルーベンスのもとへ、力無い足取りで向かっている事である。
美貌の吟遊詩人は、ヤニックを使ってブラキの鎚を獲得しようとしているのだろう。
「エドゥーには呪歌が通用しないから、あなた方の来るのを待っていました。私の策が、
 ここまで的中するとは正直思っても居ませんでしたがね」
「ミーニャは、どうしたんじゃ?」
頭脳を回転させながらも、フェンは気になっていたその一事について聞いた。
まさか答えてくれる事は無いだろうという、言わば駄目元での質問だったが、自身の策が
成功した事に気をよくしていたのか、ルーベンスは意外にも応じてきた。
「もちろん、既に我らが手中にありますとも。ドルフ前オラン国防大臣が相当に慌てて
 引き返していったそうですが、時既に遅しです。ファンドリア魔戦特務小隊の最強の
 布陣が、ミーニャ嬢奪取に見事成功しました。どうやら、ドレイクドールの開発が、
 ファンドリア国内にて完了していた事を、かの御仁は知らなかった様子でしたね」
「何故、ファンドリアなんじゃ?あの国の国教はファラリス信仰とちごたんか?」
「簡単な事です。我が怪仏御神体の上位神は、暗黒神です。怪仏御神体の蘇生はつまり、
 暗黒神の勢力拡大には最も有効的なのですよ」
「なら、余計分からん。ミーニャは食神の巫女の筈やないか」
ヤニックがルーベンスのもとに辿り着いた為、フェンのこの最後の問いには答えが無く、
ルーベンスは歩を止めたヤニックの耳元に何事かを囁いている。
するとヤニックは、再び全身をビクっと緊張させた直後、虚ろな表情のまま、それまで
ルーベンスが身を隠していた巨大な大理石製の台場の向こう側に姿を消してしまった。
その後で、美貌の吟遊詩人は再びフェンが身を潜めている通路に面を向けて、
「食神の巫女に秘められた真の能力を我らが押さえてしまえば、食神の精神波動をも、
 我が怪仏御神体の支配下に置く事が可能となる。ただ、それだけの事ですよ。そして
 食神の精神波動を押さえる魔装具を製作する為には、ブラキの鎚が必要なのです」
ここまでべらべらとルーベンスが喋っているのは、つまりもう、ブラキの鎚をほとんど
完全に手中に収めた事に対する余裕がそうさせているのだろう。

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