視界


重要な局面で、フェンとクレットの間での意思疎通に、思わぬ欠陥が生じた。
「クレット!ルーベンスのもとへ走れ!」
後方で、フェンがいつもののんびりとした様子とは一変して、鋭い声を飛ばして、
クレットに指示を送った。
もちろんクレットとて、状況が許せばそうしたかった。
目の前に立ちはだかるイーサンを無視して、ルーベンスを追う事が出来るのなら、
一目散にルーベンスを追う事を考えていたのも事実である。
が、現実には、クレットはルーベンスを追わず、イーサンの前に張り付いたまま
動こうとしなかった。
イーサンを無視して突破する事が出来ない、と、彼女はそう判断したのである。
「クレット!何をやっとるんじゃ!はよう行け!」
フェンが必死の形相で大声を張り上げるのだが、しかしクレットは、全く別の事を
考えていた。
(何とか、イーサンに足払いを仕掛けて転倒させてやろう)
この、半ば願望にも近いクレット個人の接近戦術が、彼女をその場に縛り付けたと
言っても良い。
その間も、ヤニックはルーベンスの指示に従い、大理石製の台座の向こう側に潜り、
何やらごそごそしている。
程なくして金槌のような一品を持ち出したヤニックの姿が、ルーベンスの前に現れた。
フェンは焦った。
彼の考えとしては、石奴隷を壁にしてクレットとスジャルタを走らせ、その一方で、
イーサンとカッツェに眠りの雲の呪文を仕掛けて眠らせるという方法を考えていた。
しかし、フェンのそんな意図を、クレットは理解していなかった。
これは性格的な差異と言うべきであろうか。
クレットは、イーサンを振り切る事が出来ない状況であれば、自力で何とかしようと
考えていた為、フェンの石奴隷を間に割り込ませて壁とし、その間にフェンの呪文で
イーサンとカッツェを眠らせてもらおうという発想は、全く無かったのである。

ルーベンスが、ヤニックから金槌大の何かを受け取った直後、モントーヤ遺跡全体が、
大きな振動に襲われた。
まるで大地震が遺跡を直撃したような、凄まじい揺れである。
ピラミッド内のあらゆる箇所を形成する石材が、この突然発生した振動に耐え切れず、
瞬きする間にも、そこかしこで崩壊が始まっていた。
モントーヤ遺跡の力場安定の軸として収まっていたブラキの鎚が取り出された為だ、
という事を後で知ったフェンであったが、この場はとにかく、脱出態勢に入っている
ルーベンスの後姿を、無力感にさいなまれながら、呆然と見つめる事しか出来なかった。
相変わらず、クレットはイーサンの前に張り付いている。
蛇の祭壇内に灯されていた無数の篝火は次々と倒れ、凄まじい振動に加え、闇の範囲が、
徐々に冒険者達を包み込もうとしていた。
不意に、頭上に巨大な質量が発生した。
「クレット!」
スジャルタが、身を投げ出すようにしてクレットに体当たりを敢行した。
その直後、数トンはあろうかという巨岩が落下してきた。
数秒前までは天井の一角を形成していたであろうその巨岩は、イーサンとカッツェをも
巻き込んで床を貫き、そのまま数層下の岩盤にまで達した。
もちろん、イーサンとカッツェは即死である。
二人はルーベンスの魅了下にあった為、頭上に迫る巨岩から身をかわす事もせず、ただ
クレットとスジャルタに対してのみ、攻撃の意図を向け続けていただけであった。
フェンは、悔やんでも悔やみ切れなかった。
眠りの呪文で二人の意識を奪い、石奴隷で安全なところにまで引っ張ってきておけば、
むざむざと見殺しにしてしまう事もなかったであろう。
何の為に二体目の石奴隷を作り出したのか分からない。
だが、今度は自分の命が危ない。
フェンは二体の石奴隷に先導を命じ、その後にクレットとスジャルタを従えて、崩壊が
始まったモントーヤ遺跡を脱出する事に専念せざるを得なかった。

ピラミッドの最上階に至るまでに、石奴隷は二体とも、崩壊する石材の下敷きになって
破壊されてしまった。
が、フェン達は何とか頂の外側に飛び出す事が出来た。
「な・・・何よ、これ・・・!」
モントーヤ遺跡の狭い頂部分によじ登ったクレットは、そこに信じられない光景を見た。
色取り取りの次元裂が、モントーヤ遺跡全体を取り囲み、外から内側にかけて収縮して
いくように、渦巻いていたのである。
「ぼーっとするな!走れ!」
スジャルタの鋭い叫びが、クレットの鼓膜を凛と打った。
ようやく我に返った黒尽くめの女盗賊は、フェン、スジャルタに続いて、長い石段を
必死に駆け下りた。
次元裂は、石段最下部にまでは至っていなかった為、三人はほうほうのていながらも、
何とかこの破壊の渦の外側に逃れる事が出来た。
それから数秒後。
次元裂は急速に収縮速度を速め、崩壊する巨大ピラミッドを凝縮させながら細い竜巻へと
変化し、最後には、何も残さずに消滅した。
全く信じられない光景であった。
ついさっきまでそこにあった筈の巨大遺跡が、次元裂に飲み込まれて、完全に消え失せて
しまったのである。
クレットの荷物や、置いてきた装備品はもちろん、イーサンとカッツェの遺体も含め、
全てのものがこの世から消え去った。
フェン達が辛うじて脱出出来たのだから、早めに余裕を持って脱出態勢に入っていた
ルーベンスなどは、悠々と逃れている事だろう。
しかし何故か、その姿は周辺に見る事は出来なかった。
周囲を見渡してみると、ラクダの姿が一頭も見られない。
恐らくはルーベンスがフェン達の足止めと同時に、自らが即時退却する目的で、全て
奪い去っていったのだろう。
こうして冒険者達は、完全な敗北を喫する結果となった。

数日後、レイニーとエルクはようやく仮釈放処分を受ける事となった。
二人を牢から出してくれたのは、どうやらジャドだったようだ。
ルーベンス追跡はどういう結果に終わったのか、まずはそれが気がかりである。
レイニーとエルクは仲間達の足取りを知る為に紅い砂塵亭に向かったのだが、意外にも、
フェンとクレットが店の一階酒場に居た。
いずれも、恐ろしく意気消沈している。
そのただならぬ雰囲気に異変を察知したレイニーは、フェンの前に席を取った。
「ね・・・どうしたの?イーサンとカッツェは?」
「死んだわい」
半ば吐き捨てるように、フェンは視線を丸テーブルに突き刺したまま言った。
レイニーとエルクは全身に電撃が走ったような衝撃を受けた。
正直なところ、フェンの言葉をすぐには理解出来なかったし、したくもなかった。
事の発端であるアネッサは、フェンの処置で目覚めさせる事に成功したのだが、しかし、
ルーベンスもヤニックも行方不明となり、あれ以来戻ってくる様子も見せない為、
相当な落ち込みを見せて、自室に篭もりっきりだという。
「あの、ブラキの鎚は・・・?」
「ルーベンスに持っていかれたよ」
エルクの問いにも、フェンは相変わらず渋い表情でそう答えるのみである。
が、ややあって、彼はルーベンスが語ったミーニャ誘拐の件を口にした。
レイニーは何の事かよく理解出来なかったのだが、エルクは更に衝撃を受けたらしく、
へなへなと木椅子にへたり込み、すっかり言葉を失ってしまった。
そう言えば、あれからドルフ・クレメンスからは一切の連絡が届いていない。
クレットの方はと言うと、一応盗賊ギルドに足を運び、ルーベンスがほぼ間違いなく、
リカルド・フレンツェン本人だという事を報告し、約束されていた報酬を得た。
しかし、たかだかガメル銀貨800枚程度を手にしたところで、クレットは全く
喜ぶ事は出来なかった。
事実上、全てにおいて失敗したのだから、それも無理からぬ事であろう。

フェンとクレットはそれぞれ経験点を500点、レイニーとエルクは200点獲得しました。 またクレットは、報酬としてガメル銀貨800枚を獲得しましたが、新たに得た魔装具と、 ブーメラン、銀製ダガー以外は全て失っています。 フェンも装備している武器防具以外は、全て失っています。 そしてイーサンとカッツェですが、死亡した上に、遺体も遺品も一切残されていません。

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