結納


終わりなき夏の街ガルガライスの政治的頂点に立つのは、黒真珠の異名を取る若き
美貌の女王ベイブリスであるが、経済的な主導権を握っているのは、むしろ財界を彩る
幾つかの富商と、その支配権を持つ財務省系官僚貴族達であると言って良い。
もちろん財務省系官僚貴族の多くは、女王ベイブリスの息がかかっており、その形態は
半ば直属に近いとも言えるのだが、形式的には、財務省はガルガライス政府の中でも
独立権を持っている事になっており、歳入歳出上の不正が無いよう、独自の監査機関を
設置している為、余程の政治的天才詐欺師でも現れない限り、国家財政を私利私欲の為に
牛耳るなどという事は不可能であった。
以上の理由から、ガルガライスにおける富商グループは、その地位と財力がほとんど
女王によって保障されている傍ら、不正な商取引は一切不可能に近いという縛りの中で
日々の商活動を進めていかねばならない。
尤も、そんな縛りがあったとしても、彼らの持つ地位と財力は大臣級貴族にも匹敵し、
逆に言えば、不正などする必要すら無い程の豊かさを持っている事になる。
マッティングリー家も、そういった実力派富商のひとつであり、監査機関を介して、
女王ベイブリスの鋭い眼光が常に睨みを利かせている中にあっても、正直さと信頼性を
一番の武器にして、今日までその財力を強化させてきた。
もともとガルガライスは、辺境の漁村から国家に発展した経緯を持つ為、伝統や格式は
皆無と言って良い。
しかし土着の網元や豪族の直径が、現ガルガライス国家の上流社会を形成しており、
富商グループもそれらの上流社会の亜流として派生した事を考えると、彼ら富商達に
群がろうとする中・下級貴族や中流以下の商家などが後を絶たないのは、止むを得ない
話であった。
だからこそ、マッティングリー家の一人息子であるカークが家督相続の際に、彼の
結婚相手を選ぶにおいて、一家総出で慎重に事を運ぼうとするのは、これはこれで、
無理からぬ事であった。

カークが帰ってくる。
その一報を受けて、最初に彼をガルガライス近郊の街道にまで出迎えに走ったのは、
意外にもマッティングリー家の家人ではなく、カークの古くからの友人であった。
年齢的には、カークよりも10歳近く年が若いのだが、カークが冒険者として街を
出る以前から親交を持っていた狩人一家の末っ子で、現在は盗賊ギルドに所属する、
言うなれば半ばチンピラに近い青年であった。
名を、クリストファー・エヴァレットと言う。
狩人だった両親は既にこの世に亡く、五人兄弟の末っ子として育っていたのだが、
二年前の山火事で、ガルガライス近郊の自宅を焼け出され、現在は五人兄弟とも
離れ離れになり、それぞれの人生を歩んでいる。
マッティングリー家は、ガルガライス近郊に多くの土地を持っている関係で、その
近隣に在住する住民達とも繋がりが深い。
エヴァレット家もそういった住民の中の一家族であり、カークは冒険者となる以前は、
それらの住民達と押さない頃から付き合いを持っていた為、親しい友人も少なくない。
クリスは、そんな友人達の一人であった。
ガルガライスの平均的な国民の例に漏れず、クリスもまた、浅黒い健康的な肌を持つ
逞しい青年に育っていた。
鮮やかに輝く青い瞳と、癖の無い黒髪が実に上品な、ともすれば知性を匂わせる
育ちの良い貴公子のような雰囲気すら漂わせる。
しかし実際は、盗賊ギルドに拾われて盗みの技術などを伝授されたアウトローであり、
口や態度の悪さでは、同ギルド内の若手達の間では群を抜いていると言って良い。
しかしそんなクリスでもカークの帰郷は思いがけぬ嬉しいニュースであり、こうして
わざわざ足を伸ばし、旧知の友を出迎えに行く程、彼の気分は非常に高揚していた。
比較的危険の少ない近郊の街道という事もあり、クリスは武装を外し、普段着のまま、
深いジャングルに左右を囲まれた未舗装の街道へと繰り出していた。
朝から何時間も待ち続けていた彼の表情が、ようやく緩んだのは、正午を過ぎて、
南国特有の強烈な陽射しが、僅かに西へと傾き始めた頃合であった。

「カーク!てめぇこの野郎、元気そうじゃねぇか!」
駅馬車の最後尾に席を陣取っていた懐かしい顔に、クリスはほとんど飛びかかる
勢いで駆け込んでいった。
御者台の老人は、無断乗車のクリスに苦々しそうな視線を送ったが、もうすぐ路線の
終着点であるガルガライス門前駅に到着する事もあり、敢えて何も言わなかった。
対するカークは、にこにこと穏やかな笑みを湛えて、9歳年下の若者から、手荒い
歓迎を受け、満足そうに頷いていた。
駅馬車には他に、二人の客が同乗している。
一人はまぶしいほどに鮮やかな銀髪のハーフエルフの青年で、もう一人は、実際の
年齢よりは相当若く見える金髪の美少女であった。
いずれも冒険者か、或いは訳有りの旅人といった風情であった。
駅馬車の中で雑談を交わすうちに、お互いの自己紹介を既に済ませていたのだろうか、
ハーフエルフと金髪の美少女は、カークに微笑を送っている。
「やっぱり、故郷は良いもんですねぇ」
色白の細面だけならば、長身の美青年で済むのだが、鋭く尖った耳の先が、どうしても
クリスの視線を奪ってしまう。
しかしながらそういった視線にはすっかり慣れてしまっているのか、そのハーフエルフ、
シモン・エルステッドはさほど意に介した色も見せず、穏やかに微笑したまま、二人の
ガルガライス青年を眺めていた。
「なんだ、こいつら?」
「ああ、紹介するよ。シモンさんと、マディさん。お二方とも、冒険者なんだって」
クリスとは体格的にも年齢的にも近いシモンが、まず穏やかに会釈した。
しかし一方の金髪美少女の方は、いささか憮然とした表情で僅かに会釈しただけである。
それも無理からぬ事で、見ず知らずの赤の他人に、いきなりこいつら呼ばわりされれば、
普通は気分を害するものであろう。
カークの紹介によれば、この少女はマカディア・クリュグという一般市民あがりの
冒険者であり、いささか体力面に問題はあるが、戦士としての一通りの基礎を身に付け、
一人立ちした人物なのだという。

クリスは無遠慮に、客席のマディをじろじろと眺めた。 「ふーん。こんな貧弱な娘っこがねぇ」 明らかに偏見と侮辱に満ちた感想を口走ったクリスだったが、対するマディはと言うと、 額に青筋を浮かべただけで、強張った微笑を端正な面に張り付けているのみである。 言っている本人のクリスとて、決して頑健な体躯の大人という訳でもなかったのだが、 しかし彼の場合は、盗賊としての技量を発揮するには十分な体格と筋力を備えており、 そういう意味においては、戦士であるマディの体力不足を指摘したくなる気持ちも、 分からないでもなかった。 更に言えば、同席しているシモンは傭兵上がりの精霊使いであり、むしろこちらの方が、 戦士としての素養は上かも知れない。 それでも敢えてシモンが何も言わないのは、自身が精霊使いとしての道を歩んでいる、 という強い自覚があったからに他ならない。 まだ年若い若い少女ながらも、戦士として一人立ちしようとしている以上は、たとえ どんなに身体能力に劣っていようとも、シモンはシモンで、マディに敬意を表している。 しかし、精神年齢に関して言えば、まだ少年そのものと言い切っても良いクリスにとって、 マディに対する気遣いや敬意などはまるで皆無であった。 そんな事よりも、クリスはカークに、どうしても話しておきたい事があったのを思い出し、 二人の同席者の存在などすっかり忘れたように、その話題に転じた。 「ところでよぉカーク。おめぇ、自分が呼び戻された理由分かってっか?」 「いや・・・全然聞いてないんだけど」 「かぁーっ、これだからおめぇはよぉ」 額を押さえて天を仰ぐ仕草を見せながら、クリスは心底呆れ果てた声を放った。 マディはそっぽを向いているが、シモンは何か冒険の匂いを感じ取ったのか、二人の ガルガライス青年のやりとりを興味深そうに眺めていた。 さて、クリスはきょとんとしているカークに、更に言葉を続けた。 「親父さんがおめぇを呼び戻したのは、花嫁候補をおめぇに選ばせる為なんだよ」 さすがにこの一言には、穏やかなカークも一瞬言葉を詰まらせている様子だった。 豊かな黒い髪をぼりぼりと掻きながら、クリスは何から説明すべきかを迷っている 表情を作っていたが、やがて意を決したのか、カークと向かい合う座席に座り直し、 「良いか。おめぇが選ばされるのは、タルキーニ家の令嬢と、オロウォカンディ氏の  一人娘だ。どっちもお互いを強烈に敵視している関係だってのは知ってるよな?」 と、両手の人差し指を立てて、ぶつかり合うような仕草を交えながら説明した。 カークとしても、表情を硬くして聞かざるを得ない。 が、その傍らでは、シモンのみならず、マディさえも、どこか興味津々な面持ちで、 クリスの言葉に耳をそばだてていた。 タルキーニ家は、ガルガライスにおいては中流貴族ではあるが、古くから、つまり ガルガライスがまだ小さな漁村だった頃から郊外に土地を持つ豪族の血筋を引き、 家格と伝統という意味では、マッティングリー家には決して引けを取らない。 が、代々の当主が凡庸な人物揃いであった為、その財力と影響力は常に中流貴族の域を 出る事が出来ず、現在に至っているという。 一方のオロウォカンディ氏は、新興の大地主である。二代前の当主が元冒険者であり、 とある遺跡探索で莫大な財を成したのをきっかけに、現在の土地を購入し、更に大勢の 小作農を抱えるようになり、現在の地位を築く足がかりとした。 貴族ではないが、人脈と政治力は中流貴族をも上回る。 但し、もともとが一介の冒険者から身を立てた家系であり、家格という点でも他貴族と 比較すると圧倒的に劣る為、妙な劣等感が家系全体に蔓延している。 この二つの中途半端な名家が、カークの花嫁候補探しにおいて競争を演ずるという 事態になっているという。 そもそも、何故カークの父親がこの両家の令嬢を花嫁候補に選んだのかは、未だに 意図が不明なのだが、少なくとも、カーク自身に結婚相手を決めさせる自由だけは 残しておいてくれたらしい。 「こりゃあ、とんでもねぇ綱引きが始まるぞ。おめぇも覚悟しとけよ」 まるでカークを脅すような一言で締めくくったクリスだったが、その口調にはどこか、 嬉々とした声音が感じられた。 その日の夕刻、シモンとマディはガルガライスの街に入り、大通りの一角に面している 冒険者の店を宿に取った。 大陸の中でも、と言うよりは、テンチルドレンの国家群の中においても、どちらかと 言えば辺境に部類する為、訪れる冒険者の数も多くはない。 それでも、二人の少年が丸テーブルの一つに陣取り、早めの夕食にありついている姿を 発見する事が出来た。 このガルガライスにおいても、冒険者の店の構成は他国と何ら変わりは無い。 一階は酒場兼食堂となっている一方、二階は幾つかの客室が並ぶ宿部屋となっている。 もちろん、この二階の宿部屋には個室がある一方、相部屋用の比較的多きな部屋も 一応あるにはあるのだが、いかんせん、利用客自体が少ない為、ほとんど使用されず、 もう随分長い間、誰も使っていないのだという。 その相部屋に宿を取っているのが、二人の先客である少年達であった。 少年、と呼ぶに相応しい年齢である。 一人は16歳の吟遊詩人にして芸術神の信徒でもあるフィル・ウェザーライト。 小柄な体躯に加え、金髪碧眼の端正な優男という外観の為か、時折、男娼としての 仕事を取っているのではないかと間違われる事もあるらしい。 同じくもう一人は、17歳のライト・クライフ。 年齢だけを見ればシモンと同い年なのだが、ライトの方が更に幼い雰囲気が漂うのは、 その大人しく、物腰の柔らかい態度が、彼を年下然とさせているようだった。 丁寧な態度だけを取り上げれば、シモンもそれなりに礼儀正しい人物なのだが、しかし 彼の場合は傭兵の血筋を引いている上に、体格も決して悪くない。 その為どうしても、ライトの方がシモンよりも年若く見られてしまうのだ。 しかし、如何にフィルやライトが少年然としているとは言っても、まだまだ年相応だと 言えるだろう。 ではマディはどうかと言えば、彼女の場合、この冒険者の店の最年少である上に、単純に 外観だけを見れば、まだ13歳ぐらいにしか見えない若さがあった。 煌びやかな金髪はいささか年齢に相応しくないが、アーモンド型のぱっちりとした瞳と、 そして何より、小柄な筈のフィルよりも、更に一回り以上体格の小さな彼女を見れば、 誰もが子供扱いしてしまうのは、仕方の無いところであった。 シモンとマディは、宿の親父に夕食の準備を頼んでから、二人の先客が陣取っている 丸テーブルに足を向けた。 まだガルガライスに到着したばかりの二人にしてみれば、先客から情報を吸い出すのも 一つの仕事だという意識がある。 幸い、フィルもライトも吟遊詩人である為か、人当たりが良く、シモンとマディを 快く出迎えてくれた。 昼間、駅馬車に突然乗り込んできたクリスとは、大違いである。 終わりなき夏の街ガルガライスに関する基本情報については、シモンもマディも、 それなりに知識として持っている。 今、二人が欲しているのは、この街で何か冒険のネタが転がっていないかどうかだ。 フィルとライトは、外見に関して言えばまるで別人なのだが、さほど差の無い体格と、 揃って後衛向きの性格から、似たような雰囲気を漂わせている。 加えて両者とも、吟遊詩人としての素養を持つ為、ほとんど兄弟に近しい錯覚すら 他者に与えていた。 そんな二人が、交互に、そして半ば謳うような滑らかな口調で、最近耳にしたある噂を、 シモンとマディに語って聞かせた。 「冒険のネタになるかどうかは分からないけど、近くこの街の有力な富商が、長男の  花嫁候補選定の為に、何か特別な催しを開くみたいですねぇ」 「しかも、その花嫁候補に立っている二人のお嬢さんが、いずれも対立する家系から  出ているっていうんですから、大変なものです」 口調までそっくりな二人の吟遊詩人(正確には、ヴェーナーの信徒と魔術師)達の 説明を聞きながら、マディは何故か複雑な表情を作っている。 (なんとまぁ、どこでも似たような事をやらかす連中の多い事よな) しかし、この二つの対立する家系が、その翌日になって冒険者を雇い入れたい旨を、 宿の親父に言伝していた事実を知ると、四人の宿泊客達はさすがに驚きを隠せなかった。 ベルナール・コルブラン、53歳。 知る人ぞ知る、クリスの師匠であり、ガルガライス盗賊ギルドの重鎮たる人物である。 豪快且つ気さくな性格と、筋の通らない事であれば、上司に対しても平気でたてつく 度胸の持ち主として、若手の盗賊達には特に人気のある人物であった。 器量の大きさも群を抜いていると言われ、そのあまりの人気から、ギルド上層部からは 逆に煙たがられているという噂も聞かれる程である。 年齢を感じさせない若々しさと頑健な体躯を持ち、クリスを一人前の盗賊に育て上げた その力量もさることながら、本人もまだまだ現役の盗賊として、その縄張り内部では 猛威を振るっている。 しかし弟子であるクリスはと言うと、このベルナールに対しても態度が妙に大きく、 他の若手盗賊達からは命知らずと笑われているのだが、当の本人達はさほど気にも しておらず、まるで親子のように気軽に接しているらしい。 そして、カークを出迎えたその日の夜、ガルガライスの街の中でも比較的人口の少ない 通りの裏手に本部を持つ盗賊ギルドの一角で、ベルナールはクリスを呼び止めた。 「なんでぇおやっさん。俺を呼び止めるなんて珍しいじゃんか」 「いや・・・一つお前に、釘を刺しておこうと思ってな」 いささか不穏な物言いにクリスは眉をひそめた。 いつものベルナールなら、こんな回りくどい言い方はしない。そこが気になったのだ。 そして更に、立ち話で話せる事ではないとまで言い出し、ベルナールはクリスを、 わざわざ手近の小部屋に引っ張り込んでしまった。 野放図で知られているクリスも、さすがに事態の尋常ならざるを理解したのか、若干 表情を硬くして、ベルナールの後について小部屋に滑り込んだ。 「クリス。お前がマッティングリーの一人息子と親しいのは知っている。そこで俺は、  敢えて言っておきたい。あの家の花嫁候補の争いには、なるべく関わるな」 「・・・はぁ?」 「良いな。それ以上は余計な詮索はするんじゃねぇぞ」 半ば押し付けるような言い方で念を押すと、ベルナールはクリスを残し、そそくさと 小部屋を出て行ってしまった。 薄暗い燭台の灯の傍らで、クリスは一人で小首を傾げつつ、腕を組んでいた。

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