結納


クリスは、ますます分からなくなった。
カークと話した限りでは、今回の花嫁選びは、単なる政略結婚の域を出ないようにも
思われるからである。
にも関わらず、わざわざ師ベルナールが釘を刺したのには、一体どんな理由があるのか?
もうここまでくると、本人の口から直接聞き出す以外に無い。
そう判断したクリスは、商店街の屋台でその日の朝食を軽めに済ませ、盗賊ギルドに
足を向けさせた。
相変わらず人気の少ない裏路地の一角に、ただの寂れた民家のような様相を呈している
木造建築家屋の勝手口から、薄暗い屋内へと身を滑らせると、そこからいきなり地下に
向かって階段が伸びている。
この二年間、通い慣れたルートである。
木組みの階段を降り切り、赤土が剥き出しになっている迷路のような細い通路を抜けて、
目的の一室に足を踏み込んだ。
師ベルナールの他、数名の盗賊達がたむろする詰め所のような部屋である。
「・・・どうした?」
「なぁ、やっぱわかんねぇんだけどよ」
怪訝な表情でクリスに問いかけたベルナールであったが、クリスが何を言わんとして
いるのかを機敏に察すると、ふんぞり返るような格好で腰掛けていた木椅子から素早く
立ち上がり、クリスを半ば押し出すようにして、室外へと出た。
矢張り、何かあるのだろうか。
内心首を捻りながら、クリスはベルナールに促されるまま、別の階段から地上階に上がり、
更に二階の物見部屋へと移った。
周りに誰も居ない事を確認したベルナールは、開けっ放しの窓から射し込む朝日の中で
渋い表情を作り、いささか不機嫌そうな様子で太い腕を組んだ。
「どうしても知りてぇのか?」
「だってよぉ、昨夜カークに聞いたんだけど、ちっともそれらしい話が出てこねぇしさ」
いよいよもって、ベルナールは苦虫を噛み潰したような顔を作った。

「あのなぁクリス。この結婚は、お前が思ってる程、単純じゃねぇんだよ」
ようやく重い口を開いて、ベルナールは今回の花嫁選び騒動の裏事情を説明し始めた。
クリスも今回初めて知った事なのだが、タルキーニ家に対しては、ベルナールとほとんど
互角の権力を持つヒューベルト・イクスが、秘密裏ながら支援を行う方針を固めている、
という事であった。
このヒューベルトを、ベルナールは酷く嫌っている。
と言うのも、重鎮ヒューベルトは盗賊であると同時に、上流貴族イクス家の当主でもあり、
言うなれば二束の草鞋を履いているような人物なのだが、このヒューベルト、行く末は、
ガルガライス盗賊ギルドを、ガルガライス政府直属機関に組み入れてしまおうという、
ベルナールにとっては由々しき構想を暖めているという話であった。
もし、盗賊ギルドが政府直属機関として組み入れられてしまえばどうなるか。
ギルドが本来あるべき姿を失うばかりでなく、政府の間諜部隊に失墜してしまう事は、
誰の目にも明らかであった。
しかしながら、ガルガライス盗賊ギルドの重鎮であり、且つ財務担当でもある貴族盗賊に
対しては、ギルドマスターですら大きく出る事が出来ないのが現状であり、このまま
ヒューベルトの暴走を許せば、ガルガライス盗賊ギルドはいずれ空中分解してしまう。
そして、今回の政略結婚である。
ヒューベルトが支援するタルキーニ家がマッティングリー家と婚姻関係を結んでしまえば、
どうなる事か。
マッティングリー家の持つ影響力と財力を、タルキーニ家経由で盗賊ギルドの移管作業に
注入してしまおうという動きが、いよいよ露骨になるだろう。
「それだけは、絶対許されん事だ。本来なら、俺も全力を尽くして阻止したいところだが」
ここまで言って、ベルナールは眉間に皺を寄せたまま、深い溜息を漏らした。
実は、タルキーニ家の対抗馬であるオロウォカンディ氏に対しては、別の組織が裏で
支援策を実施しようとしているらしいのだ。
それが、ガルガライス賢門院。
政府直属の魔術師ギルド、と言えば最も分かり易いだろうか。

賢門院がオロウォカンディ氏を支援する理由は二つある。
一つは、この賢門院の二代前の院長が元冒険者であり、オロウォカンディ氏を築き上げた
初代当主の元冒険者とは、同じ冒険者チームを組んでいたという縁がある。
その為、賢門院とオロウォカンディ氏の間には、強固な絆があった。
更にもう一つは、賢門院がタルキーニ家の属する社交界派閥と対立する一派に属している、
という事もあった。
ここまでは別にどうって事はないのだが、一番の問題は賢門院とガルガライス盗賊ギルドが
犬猿の仲であるという点である。
と言うのも、ガルガライス盗賊ギルドが情報提携関係を結んでいるのが、実にタイデルの
魔術師ギルドだから、というのがその理由であった。
情報量に限って言えば、賢門院はタイデル魔術師ギルドの足元にも及ばない。
しかしながら、同じ国に属していながら、盗賊ギルドが他国の魔術師ギルドと情報提携を
持っているというその事実が、賢門院の怒りを買った。
もちろん、盗賊ギルドとて、情報量さえ充実していれば、賢門院と提携する事も一向に
やぶさかではなかったであろうが、事実として、賢門院は情報提供量が恐ろしく貧弱で、
ずばり言ってしまえば、使い物にならないのである。
そうなると、盗賊ギルドとしても、別の組織と手を結ばざるを得なくなる。
それがたまたまタイデル魔術師ギルドだったというだけの話であり、賢門院に外側から
ごちゃごちゃ言われる理由など無いのだ。
ともあれ、そういった経緯があり、ガルガライス盗賊ギルドに所属する者としては、
表立ってオロウォカンディ氏を支援する立場を取る訳にはいかなくなってしまったのだ。
ベルナールとしては、これほどつらい事はない。
ヒューベルトの企みを妨害したいのはやまやまだが、かと言って賢門院に味方する訳にも
いかないのである。
そこで結局、ベルナールは今回の花嫁選び騒動に限って言えば、沈黙を貫く以外にない。

クリスは一通りの説明を聞き終えて、ベルナールの立場は理解した。
が、しかし何故自分までが、ベルナールの意向に沿って行動せねばならないのか。
理由は、分からない事もない。
ベルナールの弟子であるクリスが、いずれかの家に加担すれば、どういう結果になるに
しても、その後のベルナールの立場が拙くなる可能性が大きい。
とは言うものの、クリスは既にベルナールの手を離れた、一人前の盗賊なのである。
いつまでも師匠面されて、自分の行動にあれこれ指図を受けるのは、それはそれで全く
面白くない事であった。
自分の行動や立場は、自分自身の意志で決めたい。
それが今のクリスの本音である。
「全くよぉ、結局それって、全部おやっさんのエゴじゃねぇかよ。そんなんで、俺の
 自由まで奪おうなんざ、わがままも良いとこだぜ。自分勝手ってやつ?」
「お前が言うな!お前が!」
自分勝手という言葉が服を着て歩いているような存在であるクリスに、まさか自分が
そんな台詞を浴びせられるとは、ベルナールも思っていなかったらしい。
かっとなった拍子にクリスの胸倉を掴み、恐ろしい豪腕でぐいと持ち上げてしまった。
「ぐぇぇ!な、何しやがる!放せ!この糞爺!」
「放してやる替わりに約束しやがれ!絶対この結婚話には関わるんじゃねぇぞ!」
「うるせぇな!んなもん俺の勝手じゃねぇか!」
じたばたともがくうちに、クリスの膝頭がベルナールの顎を打ち、その衝撃でようやく
脱出する事が出来た。
そこへベルナールが更に組み伏せようと突っ込んできた為、クリスは慌てて窓に走り、
二階から飛び降りて、裏路地に転げ落ちた。
「ふざけんなよ!こうなったら、何が何でもちょっかい出してやっからな!」
「てめぇ!当分帰ってくんな!」
クリスの罵声に対し、ベルナールは二階から太い声音で怒声を放ち、更には手近の
茶碗を窓の外に放り投げてきた。

そのおよそ小一時間後、まだ朝の空気が爽やかに街中を吹き抜ける時間帯に、クリスは
カークの離れを訪れていた。
丁度、マディが帰った直後である。
クリスの右の額が痛々しく腫れ上がっているのは、ベルナールの投じた茶碗が見事に
直撃したのだが、言い方を変えれば、避け損なったのだ。
どんくさい、と言って良い。
尤もクリスは、階段で転んだとしか言わない。それはそれで間抜けな話なのだが、
カークはその辺の事はあまり気にしないたちの人物であった。
「おいカーク。一筆書きな」
「・・・いきなり何を言い出すんだい?」
さすがのカークも、妙に鼻息の荒いクリスの電撃訪問の意図を測りかねている上に、
突然前触れもなくこのように切り出された為、目を白黒させて狼狽していた。
「だーかーら。俺を花嫁候補のお嬢さん達に会えるよう、紹介状を書けっつってんだよ」
要するにクリスは、二人の花嫁候補の見極め係を自ら任じてやろうと言っているのだ。
迷惑と言えば、これほど迷惑な話も無い。
花嫁を選ぶのはあくまでもカークの意志であり、クリスは全く何の関係も無いのだから。
しかしどういう訳か、クリスは異常なまでの執念を見せてカークに迫った。
「なーに渋ってんだよ。一筆書くぐらい良いじゃねーかよ」
「いや、でも」
更に抵抗を見せようとするカークであったが、結局クリスの執拗な要求に屈した形で、
二通の紹介状をその場で書き上げてしまった。
そこにはクリスを代理人とする旨が書かれており、今後、公式非公式を問わず、全ての
連絡はこの年若いエージェント(盗賊とは書かれていない)を介するようにという
文章で結ばれている。
つまり、カークと花嫁候補達の今後一切の交渉は、間にクリスが一枚噛む形となった。
クリスはへっへっへと不気味な笑いを残し、二枚の紹介状を半ばひったくるようにして、
朝陽がまぶしい大通りへと飛び出していった。

その日の午後、オロウォカンディ氏の邸宅に、二人の若者が顔を出した。
フィルとライトである。
色々と情報を仕入れて吟味した結果、二人はペネロペの為に働く冒険者として雇われる
腹を固めたようであった。
門前で用件を告げると、対応に出たのは侍女でも使用人でも執事でもなく、驚いた事に、
ペネロペ本人であった。
「あらあら、お客さんね。いらっしゃい」
健康的な小麦色の瑞々しい肌が八割以上露出している格好で現れた為、フィルとライトは
思わず目のやり場に困ってしまった。
ガルガライスの若い男女の標準的な服装と言ってしまえばそれまでなのだが、しかし
ペネロペのよく引き締まった美しいボディラインと、細面の端正な容貌とがあいまって、
美人モデルのような雰囲気が二人の青年をどぎまぎさせたのだ。
襟元で短く切り揃えた黒髪も実に艶やかで、これだけでもう、彼女の活発な性格がよく
にじみ出ている。
人見知りしない人柄は、矢張り冒険者の家系とでも言うべきか。
応接室に案内された二人は、ペネロペが手ずから茶菓子を供してくれた為、すっかり
恐縮してしまっていたのだが、ともかくも用件を述べなければ話が始まらない。
「ああ、マローンおじさんに用があったのね。呼んでくるから、ちょっと待ってて」
早足で歩み去る形の良い小尻が廊下に消えてから程なくして、今度は痩せた老人が
入室してきた。
「ホルベン・マローンです。このたびは、よくぞお越しくだされた」
物腰の柔らかな人物だが、その瞳の奥に輝く鋭い眼光は、この人物がまだまだ精力に
溢れた政治顧問である事を如実に物語っている。
互いに簡単な自己紹介を済ませると、マローン老は早速、仕事の内容と報酬額について
説明を開始した。

フィルとライトは、マローン老からの説明で、オロウォカンディ氏が賢門院からの
支援を秘密裏に受ける事を、この場で初めて知った。
何故、賢門院からの支援が秘密裏なのかと言えば、そこは女王ベイブリスの監視の目が
鋭く光っているから、というのが理由らしい。
既に語られた通り、マッティングリー家はガルガライス国内でも名の通った富商で、
財界や行政方面に多大な影響力を持っている。
しかしながら、一応名目上は、ガルガライス経済は女王ベイブリスの権力からは独立し、
独自の監査機構を持っている事になっている。
つまり建前上、この政略結婚には女王ベイブリスは関与してはならないのだ。
ところが、賢門院や盗賊ギルドが表立って、対立する両家を支援すればどうなるのか。
女王ですら手を出していないのに、その下部機関に過ぎない賢門院が手を出している、
という事が分かれば、女王の立場が無くなってしまう。
盗賊ギルドにしても同様で、このガルガライスにおいては、盗賊ギルドは女王に対し、
強い敬意を払っている。
にも関わらず、女王が手を出していない結婚話に、ギルドが抜け駆けする形で手を
出してしまえば、それはそれで立場上拙くなってしまう。
その為、賢門院と盗賊ギルドは、それぞれ極秘裏に支援策を実施しなければならない。
が、秘密裏に支援をするにはどうしても限界がある為、実行部隊となる特殊な存在が
どうしても必要となってくる。
そこで両家は、冒険者の存在に目をつけたのだ。
賢門院からの支援内容については、まだ明らかにされていないのだが、雇い入れられる
冒険者には、一定以上の権限が委譲される事になるらしい。
その権限を委譲され、且つ支援組織の意志を汲んで花嫁候補を助けていくのが、今回の
依頼内容であるという。
ちなみに、報酬は成功報酬として、ガメル銀貨500枚が用意されているらしく、更に
働きぶりによってはボーナスも上乗せされる事があるとの事であった。

一方、タルキーニ家の応接室で、執事のグァバ・ロナウジーニョから依頼の説明を受け
大体の内容を理解したマディとシモンであったが、その報酬額に関しても、矢張り
オロウォカンディ氏に雇い入れられる事になったフィルとライトの両名とは、さほどに
差が無かった。
矢張りマディとシモンの報酬はガメル銀貨500枚が基本線で、場合によっては、
ボーナスも上乗せされるという。
そして仕事内容であるが、オロウォカンディ氏側における実行部隊としての支援行動が、
全くそのまま、支援組織が盗賊ギルドになっただけの話であった。
一通りの説明を聞き終えたマディは、ロナウジーニョにせがんで、令嬢ルシアンとの
面会を申し入れた。
ロナウジーニョからは、今後の結婚手続きを円滑に進める為の奉公人という立場で
接するようにとの指示を受けてから、マディはルシアンの自室に向かった。
(はて、一体どのような令嬢なのであろうな?)
少女然とした外観ではあったが、廊下を歩きながら腕を組んで考え込む仕草を見れば、
育ちの良いお嬢様のような雰囲気がある。
そうこうするうちに、ロナウジーニョに案内されてルシアンの自室の扉をノックし、
返事を待った。
やがて、どうぞ、と室内から声を返され、マディはやや無遠慮に木製扉を開いた。
実はこの場で、マディはルシアンの真意を問い質したかったのだが、傍らに執事の
ロナウジーニョが黙然と佇んでいた為、聞きたい事も聞けず、ただ自己紹介の挨拶を
述べるだけに終わってしまった。
対するルシアンは、ガルガライス国民には珍しく色白の肌理細やかな肌を持つ美人で、
ダークブラウンの腰まで伸びる髪が艶やかに輝く、品の良い淑女の面を僅かに微笑し、
礼儀作法にかなった仕草で会釈を返すだけにとどまった。
(なんとかして、この鬱陶しい執事を追っ払って会わねばならぬであろうな)
「どぉもぉー、宜しくお願いしまぁす」
内心で不埒な事を考えながらも、その表情と口調は馬鹿っぽい少女を演じるマディ。
それとも、極秘支援を表明しているヒューベルトと先に会うべきだろうか。

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