結納


マディは、マッティングリー家督相続人お披露目パーティーが開催されたその日の夜に、
早くも劣勢を巻き返すべく、行動に出ようとしていた。
現在マディとシモンの行動拠点は、基本的には冒険者の店『椰子木立亭』という事に
なっているのだが、実際には、ルシアンの好意で執事ロナウジーニョに用意させている
タルキーニ邸客室がよく使われるようになっている。
その方がマディとしても動き易いし、何より、ルシアンと会いたい時にいつでも会える、
という利点が大きい。
しかしながら、その夜のルシアンは思いつめた様子で自室に引き篭もり、少なくとも、
夜が明けるまでは誰とも会いたくないと言い放ち、マディも訪室を控えざるを得なかった。
こうなると、もうマディ個人のアイデアで動くしかない。
一度決意を固めると、この少女は行動が極めて迅速だった。
既に幾つかのアイデアを用意しているらしく、頭の中では、交渉すべき内容が相当細かく
整理されている様子だったのだが、いかんせん、相手はあのクリスである。
カークと直接交渉出来ればそれに越した事はないのだが、正式な代理人としての立場が
クリスの最大の強みである以上、必ず間に立ち塞がってくる事だろう。
それでも、退く訳にはいかない。
マッティングリー家の邸宅敷地の裏手から、勝手口に当たる通用門に入り、カークが
あてがわれている離れへと足を進めた。
開きっぱなしの窓からは、ぼんやりと燭台の光が漏れ出ている。
少なくとも、誰かは在室していそうだ。
マディは離れの玄関に延びる高床への低い階段前で一旦足を止め、小さな深呼吸で心を
落ち着かせると、表情を引き締めて扉をノックした。
しかし彼女の意に反して、中から出てきたのはクリスであった。
昼のお披露目パーティー時のような、例のふざけた正装ではなく、初めて駅馬車の中で
出会った時のような、ガルガライスの青年に共通する、薄手のラフな衣装を身に纏い、
髪型も適当に流したままで、もちろん黒縁眼鏡など外してあった。

「ども・・・こんばんは」
いささか硬い表情でマディが挨拶を述べると、クリスは若干眠たげな両目をこすりながら、
寝起きと分かる茫漠した表情で、少女を室内に招き入れた。
「カークなら、今は居ねぇぜ。家督相続手続きの為に城に行ってらぁ」
かく言うクリスは、代理人として留守番をしているのだという。
本当なら、カークと直接話がしたかっただけに、マディはあからさまに落胆した。
「何か用があって来たんじゃねぇのか?」
水瓶に手桶を突っ込み、汲み上げた取り置きの水で顔を洗いながらクリスが話を向けると、
見るからに不本意ながらという表情を浮かべて、マディは諦めがちに頷いた。
「実は、カークさんとルシアンお嬢様の、デートのお約束を取り付けにやってきました」
「なんでぇ、それなら俺の仕事じゃねぇか。で、日時と場所はもう考えてあるのかい?」
矢張り予想通り、クリスが間に一枚噛んできた。
避けられない事とは言え、マディはこの時点で既に気が重くなり始めていた。
が、いずれはクリスにも分かる事だからと気を取り直し、マディは自分で考えたデートの
アイデアをこの場で披露した。
一応客人であるマディを手近の木椅子に座らせ、自身は天井と壁に端を吊るしている
ハンモックに腰かけながら、クリスは黙ってマディの案を聞いている。
マディの計画によれば、ルシアンからカークを美術館か画廊に案内し、そこで絵画鑑賞を
二人で楽しんで頂く、という内容がメインであった。
ところが、計画の一段目を聞き終えたところで、クリスはむっつりした表情でかぶりを
振って、マディの計画を否定してしまった。
「あのなぁ。このガルガライスには美術館やら画廊なんて気の利いた施設は、なぁに一つ
 存在してねぇんだよ。悪いが、その案はボツだな」
クリスが説明するところによれば、このガルガライスは漁村がそのまま規模を大きくして
都市国家クラスの面積と人口を抱えるに至った国であり、文化程度は極めて低い。
その為、実用的な施設やギルド以外は、ほとんど皆無なのだという。
「個人的に絵や美術品が好きな奴も大勢居るが、そんな連中は大体にして、ベルダインや
 タイデル辺りから、個人的に買い付けて、自宅に飾ってるよ」

マディは、傍から見てても気の毒な程に落胆した。
彼女としては、クリスがどんな妨害工作を仕掛けてきても、毅然たる態度でその全てを
退ける覚悟を決めていたのだが、そもそも自分自身の情報不足から、計画が企画倒れに
なってしまおうなどとは、夢にも思っていなかったらしい。
がっくりと肩を落とし、立ち上がる気力も失せてしまった様子のマディを見て、果たして
気の毒に思ったのかどうかは定かではないが、クリスはにやりと意味ありげな笑みを湛え、
少女の気品ある面を覗き込むようにして言葉を繋げた。
「まぁ、そうがっかりすんなって。美術館なんぞなくても、十分デートに堪え得る場所は、
 他にもあるんだからよ」
この、クリスからの思わぬ助け舟に、マディは嬉しさよりも、驚きと不気味さの方が逆に
勝ってしまい、訝しげな表情を浮かべてしまった。
が、クリスはマディのそんな気分など知ってか知らずか、勝手に話を進め始めている。
「カークの趣味が、釣りとコーヒーってのは知ってるか?特にコーヒーは結構本気でよ。
 家督相続して、土地購入手続きが可能になったら、まず最初に、適当なコーヒー農園を
 買いたいって言ってたぜ」
更にクリスは、ハンモックから立ち上がり、書棚から一枚の文書を取り出して、そこに
書かれてある項目を軽く一瞥して確認した。
「今んとこ、街の近辺で売りに出ている農園は三つだな。ソレンスタム、ミケルソン。
 それから・・・スウィフト」
最後の一つを読み上げる際、クリスは一瞬、いやらしい笑みをそっと浮かべた。
そのいかにも意味ありげな笑みに、マディは内心嫌悪感を覚えながらも、しかしそこに、
何か重要な情報が隠されているに違いないと咄嗟に直感した。
「そのぉ・・・スウィフト農園ってとこ、何か知ってるの?」
「まぁ、知ってるっつぅかな。カークは全然知らねぇ事なんだけどよ」
などと勿体ぶって得意な表情を作る辺り、クリスには三流役者の素養がある。
「実はここの土地所有者のアーベイって奴な、ペネロペの元カレなんだよ。まぁ、なんだ、
 この情報をどう使うかは、おめぇらの胸一つなんだがよ」

一方、マディとは役割を分担して、別の方面に当たっているシモンは、夜の大通りに 面する小さな居酒屋で、ある人物と会っていた。
ベルナールである。 今回の花嫁選びに関しては、クリスが最大の難関だと悟ったシモンは、まずはクリスを 何とかしないと話が進まないと考え、まずはヒューベルトに相談を持ちかけてみた。 ところが、ヒューベルトはクリスに対して直接の指揮権が無いから、彼の盗賊ギルドに おける権力を行使しても、あの無茶苦茶な青年の動きを阻止する事が難しいらしい。 では、クリスの直接の上司に当たる人物を紹介してくれ、と頼んだところ、ベルナールの 名前が出てきたのである。 ガルガライス盗賊ギルドには何のコネも無いシモンは、ヒューベルトに頼み込んで、 ベルナールとの面会をセッティングしてもらった。 如何に犬猿の仲の二人とは言え、この程度の呼び出しには、ベルナールも応じるらしい。 尤も、シモンがヒューベルトとベルナールの対立関係を知ったのは、随分後の事なのだが。 ともあれ、気さくで知られる初老にして屈強な盗賊ギルドの重鎮ベルナールは、シモンの 請いに応じて、約束の時間に、その居酒屋へと姿を現した。 シモンはベルナールに頼み込み、クリスの動きを封じてもらおうと考えていたのだが、 しかしその望みは、あっさりと拒絶されてしまった。 「どうして駄目なんですか?ヒューベルト氏と賢門院の両方に喧嘩を売る事にもなって  しまいかねないクリスの暴走は、あなたも快く思っていない筈でしょう?」 「・・・そんなこたぁ、お前さんの知ったこっちゃねぇな」 「クリス個人がどちらかに肩入れする、或いはどちらも妨害するという事は別に構いません。  というより、どうしようもないと私も思います。しかし、ガルガライス盗賊ギルドの  メンバーであるクリスが、組織の力なり、個人的な繋がりなりを使って妨害を働くのは、  困ります。何しろ、対抗する手段がないですから。  あなたが今回のルシアン嬢とペネロペ嬢の件に首を突っ込まないと決めた事は賢明だと  思いますが、せめてクリスの手足を縛る手伝いをお願いできませんか?  これで、どちらかが有利になることは絶対にないですから」 シモンは言葉を尽くして説得を試みたが、しかし、ベルナールは決して応とは頷かない。 「どうして、駄目なんですか?せめてその理由ぐらいは教えて頂けませんか?」 尚も食い下がるシモンに、ベルナールは渋い表情で深い吐息を一つ漏らして答える。 「あのなぁ。俺がクリスに『やめろ』って言えば、あいつがギルドメンバーとして行動を  起こしている事を認める事になる。今のあいつは、ギルドに『暇乞い』を出して、  一時的にギルドメンバーから外れている事になってるんだよ。だから、俺がどうこう  言ってあいつを止める事は出来ねぇのさ」 「でも、パーティーの席では、クリスは後輩の若手盗賊を使っていた模様です。それに  ついてはどう説明するんですか?」 「・・・説明も何も、あいつが個人的な友人関係でお願いした、って言っちまったら、  それまでじゃねぇか。それがたまたま、ギルドの若手連中だったってだけの話さ」 あくまでも、クリスに対しては何一つ関与しようとはしない姿勢を、ベルナールはシモンに 対して鮮明に打ち出している。 だがしかし、逆に言えば。 「まぁそうだな。お前さん達があいつをどんなにとっちめようと、ギルドとしては、今の  ところは知らんぷりだ。だから、どうしてもあいつを止めたかったら、俺達に頼らず、  てめぇの力で何とかしろ、ってところだ。悪く思うなよ」 と、一応はベルナールもクリスを突き放すような台詞を口にしているのだが、果たして、 どこまで信用出来たものか分からない。 もしシモンがクリスの命を害するような行動を取れば、恐らくベルナールは、ギルドの 重鎮としての立場を離れ、あくまでも個人的に復讐を果たそうとするだろう。 しかしこれはシモンにも察しがつかない事ではあったが、ベルナールは、今のクリスの 破天荒な行動を楽しんでいる節がある。 確かに、クリスが盗賊ギルドの一員として行動していれば問題があるのだが、建前上は、 今のクリスはギルドから外れている。 その上で、クリスが取ろうとしている行動の結果は、ベルナールにとってもこれまた 痛快この上ない事になるのだ。 賢門院からの情報では、カークは翌日の午後、干潮になって、ガルガライス城と街との 間に登城路が浮かび上がるまでは、戻ってこないという事らしい。 という事は、少なくともそれまでの間は、クリス相手にしか交渉は出来ない事になる。 またプレドラグの使い魔が収集してきた情報では、クリスがマディに対し、ペネロペの 元カレについての情報を聞かせていた事も分かっている。 これは、ペネロペ陣営としては、厄介な情報でもあった。 プレドラグ曰く、ペネロペとアーベイ・スウィフトは、一年前まで、およそ三年ほど 付き合っていた過去があるらしく、一時は結婚話まで浮上していたという。 それがお互いのすれ違いなどで次第に心が離れ、一年前にどちらから言い出すともなく、 自然消滅の形で関係が失われてしまったのだという。 しかし実際のところ、アーベイは未だにペネロペの事を想っているらしく、もし機会が あれば、よりを戻す事も考えている節があるとの事であった。 (これはちょっと、拙い展開になるかも知れませんねぇ・・・) ペネロペの好意で、オロウォカンディ氏の邸宅に仮住まいする事になったライトは、 あてがわれた客室のベッドに横たわりつつ、プレドラグからの元カレ情報に、いささか 頭を痛めていた。 いずれにしても、明日になるまでは、ペネロペとカークが接触を取るチャンスが無い。 それまでに、ルシアン側の動きにどう対処するか、考えねばならないだろう。 と、そこへマッティングリー家に出かけていたフィルが戻ってきた。 カークの煩雑な仕事の手伝いがしたい旨をクリスに伝えたところ、当面必要なのは、 厩でのカークの愛馬の世話と、家督相続の手続きに関する膨大な文書の処理手伝いと いったところらしい。 「どっちをやるにしても、一度引き受けたら、当分はペネロペ嬢の為に何かの行動を  起こすのは難しくなってしまいますねぇ」 と、この金髪碧眼の優男は、まるで他人事のように感想を口にしている。 アーベイという危険分子の登場を考えると、フィルがマッティングリー家にそのまま べったり張り付いてしまうのは、如何なものであろう。

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