結納


翌朝、シモンとマディは早速三箇所のコーヒー農園を回ってみる事にした。
ペネロペに一歩リードされている現状を打破する為の起死回生の策となるかどうかは、
今回の調査が大きく影響すると言って良い。
更に、この三箇所のコーヒー農園の一つ、スウィフト農園の土地所有者アーベイに
至っては、ペネロペの元カレだという事が分かっている。
このアーベイにどう対処するのかも、今後の対ペネロペ戦略を考えていく上で、実に
重要なファクターとなってくるだろう。
いずれにせよ、各コーヒー農園の調査後には、ルシアンからカークを誘って、いずれかの、
或いは全ての農園を見学に訪れるという方向で計画を進めるには、それぞれの農園で
生産されるコーヒーの質や量、ロケーションなどといった情報が不可欠である。
また、もしかするといずれかの農園主に、美術品収集の趣味などがあるかも知れない。
そういったポイントを探るのも、今回の農園巡りにおける調査活動の目的の一つであった。
尤も、コーヒー豆に関して言えば、既にマディが、クリスからある程度の情報が記載された
メモの写しを貰っている為、確認作業にはさほどの困難は生じない。
準備が整い、いよいよ出かけようという段になって、マディはご機嫌伺いを兼ねて、
ルシアンの個室を訪ねてみた。
マッティングリー家督相続人お披露目パーティーで受けた屈辱による精神的なショックは、
もう随分緩和されてきている様子で、マディの来室にも、この大人しい令嬢は気軽に
応じるだけのゆとりを見せ始めていた。
この時、マディは朝の挨拶を述べるついでに、ルシアンの趣味について軽く言及した。
「ねぇお嬢様。もう少し、アウトドアなご趣味を広げる意向はございません?」
「・・・と、言いますと?」
「そう、例えば・・・乗馬や釣りなどは如何でしょう?」
マディの考えからすれば、ルシアンは超インドア派であり、わざわざカークの気を引く
ためだけに、屋外活動を趣味に取り入れるような、媚を含んだ行動などには、一切
目を向けない可能性が高いと思われていた。
が、意外な返答がマディのそんな予測を裏切った。

最初のコーヒー農園であるソレンスタム農場へ向かう途中、シモンはマディの機嫌が
不思議な程に良い事を怪訝に思った。
その事を口にしてみると、マディは明るい表情で、頭二つ分以上は背丈の離れている
美貌のハーフエルフに、満足げな声を放った。
「マディお嬢様ってさぁ、実は意外にアクティブなお方なんだよね」
「ほう・・・と言いますと?」
「乗馬がね、プロ級なんだって。趣味にするほど好きかって言われると、そんなに
 大好きって訳でもないらしいんだけど、貴族子女のたしなみとして、小さい頃から
 相当みっちりと練習してきたらしいよ」
確かに、意外な話ではあった。
しかし実際のところ、ルシアンの乗馬技術は相当なもので、非常な難易度である
輪乗りは当然というレベルであり、更に驚いた事には曲乗りや障害レースも可能だ、
というほどの技術であるらしい。
つまり、単純に馬術だけを見れば、ペネロペをも上回るのである。
「ですが、一つ疑問がありますね・・・カークさんの方は、乗馬が好きなのですか?」
ここでマディは一瞬、言葉に詰まってしまった。
確かに、カークが乗馬好きかどうかという点については、確証が無いのである。
が、愛馬を厩に飼っているという情報もあるのだから、決して嫌いという訳ではない。
「ま、まぁ・・・乗馬はあくまでも、おデェトの際の一手段って事にすれば良いんじゃ
 ないかな?」
(うぬぅ、鋭いところをついていらっしゃるのぉ。この御仁は)
いささか苦しげに、強張った笑みを、傍らを歩くシモンに返したマディであったが、
正直なところ、そこまで考えていなかったらしい。
豊かな金髪をぼりぼりと掻き、わざと下品な街娘を装いながらも、シモンの指摘を
改めて吟味してみたが、結局答えと言えるべき答えは沸いてこなかった。

ソレンスタム農場とミケルソン農園を回るだけで、午前中一杯かかった。
ガルガライスは、街の面積だけでも相当な規模があり、その郊外ともなると、通常の
都市国家の数倍はあろうかと思われる程の敷地が、そこかしこに広がっている。
ある地点では深いジャングルが木々を茂らせているかと思えば、その傍らには広大な
畑が延々と広がっている、というような光景が、ここガルガライス郊外では珍しくない。
しかも終わりなき夏の街の異名から分かるように、その暑さたるや他国人の想像を絶する。
ソレンスタムとミケルソンの両農園のコーヒー豆品質と収穫量、及び農地自体の地理的な
条件は、いずれも似通ったようなものであり、決定打に欠けると言って良い。
既に売りに出されている事もあってか、応対に出てきたのはそれぞれ地主ではなく、その
管理人と思しき下級行政官僚だった。
つまり、仮にカークとルシアンが連れ立って見学に訪れても、ぱっとしない応対だけが
二人を出迎え、挽きたてのコーヒーが飲めるとか、地主からの情報が聞けたりといった、
気を引くようなサービスは、全くの皆無なのであった。
その後、街道沿いの茶店で軽い昼食を取ったシモンとマディは、いよいよ問題の農園へ
足を向ける事になった。
シモンとしては、出来ればスウィフト農園の土地所有者には、今回の花嫁選びの件には
関わって欲しくないと思っている。
アーベイの気持ちを利用してペネロペを蹴落とした、などという風評が立ってしまえば、
それはそれで、ルシアン側に余計なマイナスポイントが付随してしまう事になる。
しかし、いずれは全くの無関係で終わらせる事など出来ないだろう。
特にカークが、ペネロペと結婚する事になるかも知れないという事実が、今や街中の
誰もが知っている以上は、アーベイとて、何かしら思うところがあるかも知れないのだ。
(ま、今のところはなるようにしかならない、と腹をくくるしかないでしょうね)
シモンとしても、現在はそれ以上考えようがない。
やがて二人の冒険者は、最後の一箇所、スウィフト農園の入園門前へと辿り着いた。
ところが、先客が居たらしい。
ペネロペ陣営の雇われ冒険者ライトであった。

入園門に程近い母屋で、ライトは挽きたてコーヒーのもてなしを受けていた。 歓待しているのは、土地所有者であるアーベイその人である。 ライトより10歳ほど年上の、雰囲気も外観も、物静かな大人の男性を地でいくような、 どこか渋みのある人物であった。 褐色の肌と黒髪は国民性そのものであるが、落ち着いた雰囲気は、むしろ陽気な夏の 国の民とは、一線を画しているように思われる。 一瞬、優男そのまんまの外観であるフィルと頭の中で比べてしまったライトであったが、 人間的な魅力という点では、アーベイの方が圧倒的に上回っているようにさえ感じられた。 ライトはほとんど単刀直入に用件を切り出していた。 つまり、ペネロペとカークの結婚の邪魔にならないよう、お願いしていたのである。 このいささか傍若無人な申し出に対し、アーベイは静かに苦笑した。 恐らく彼にしてみれば、ライトのような若者にまで、自身の気持ちをとやかく言われる 事を情けなく思っていたのだろう。 もっと言えば、ライト程度の者がアーベイの想いに口を出す義理など無いのである。 しかしライトはライトで、オロウォカンディ氏に雇われた冒険者という立場がある以上、 アーベイに釘を刺しておかねばならない。 これはこれで、アーベイもそれなりに理解はしているのだが、しかしライトの申し出は、 いささか分を越えていると言えなくもない。 が、それでもアーベイはライトに対し、少なくとも表面上はこれといった反論はせず、 ただ苦笑して、じっと耳を傾けるのみであった。 そして、アーベイ自身の返答はというと。 「もちろん、君に言われるまでもなく、俺はペネロペの結婚に異を唱えるつもりはない」 と、いささか予想外とも言える内容が返されてきた。 ペネロペとよりを戻したい願望がある、という情報を聞き及んでいただけに、ライトは、 むしろ意外な思いを抱いた。 しかしながら、アーベイの落ち着いた雰囲気の柔らかな物腰を見る限りでは、彼が嘘を ついているとは思えなかった。 「このコーヒー農園は、祖父が心血を注いで完成させたものでね」 不意にアーベイは、ライトの申し入れとはかけ離れた台詞を口にした。 が、ライトは黙って聞いている。 自分が相当に理不尽な申し入れをした事は分かっているし、アーベイの話を無視して、 言いたい事を押し付けるというのは、これは最早、吟遊詩人の風上にも置けない。 そして何より、ライト自身がアーベイの独白に近い心境の吐露に、興味を持っていた。 「親子三代に渡って、ここまで大きく、素晴らしい農園に育て上げてきた。俺達親子に  とって、この農園はかけがえの無い宝なんだ」 母屋の開け放たれた窓の向こうに広がる、青々とした葉が整然と並んだコーヒーの木の 列を澄んだ瞳で、いとおしげに眺めながら、アーベイは更に続けた。 その低い声音には、何とも言えぬ無念の想いが込められているようにさえ感じられる。 「祖父も父も、既にこの世には亡い。だから、この農園の運命を決めるのは、全て俺に  託された訳なんだが」 だから、売りに出したという。 しかしライトには分からない。それほど思い入れのある農園ならば、何故手放さなければ ならないのか。 アーベイは穏やかな笑みをライトに向け直し、 「ペネロペが居るこの街に住み続けるのは、正直つらいんだよ」 だから、手放すという。 この時点でライトはむしろ、痛ましいものを見るような心境になってきていた。 「もしペネロペとカークの結婚が決まったら、この農園はカークに買ってもらいたい。  きっとあの二人なら、俺達親子が育て上げたこの土地を愛してくれるだろう」 意外な事に、アーベイはペネロペが花嫁選びに敗れる事など、まるで考えていないらしい。 彼にしてみれば、自分が愛した女が、他の女に後れを取るなどとは、夢にも思っていない というところであろう。 それだけ、ペネロペという女性を誇りに感じている事になる。 ライトはむしろ、不思議に思った。 何故これほど器量の大きい人物が、ペネロペと別れる事になってしまったのか。 その疑問を率直にぶつけてみた。 「さぁな、どうしてだろうな。少なくとも俺は、ペネロペと別れたいなんて思った事は、  ただの一度も無かった。しかし、何て言えば良いのかな・・・俺とペネロペの間に、  心の溝っていう程のものじゃないけど、隙間が生まれてしまった事は、確かに事実だ。  俺はこの農園を愛し過ぎた。ペネロペが俺を想ってくれてた以上に、な」 自嘲気味に笑うアーベイではあったが、その笑みの裏に隠される悲痛な思いを、ライトは 吟遊詩人の豊富な感性で敏感に読み取っていた。 そしてアーベイが気づいた時には、ペネロペの心が、自分から離れてしまっていた。 もうその時には何もかもが手遅れで、アーベイは後悔する日々を過ごしたという。 無論、ペネロペ自身もアーベイに対する気持ちが変化したという訳ではなかったのだが、 一度離れてしまった心を、自分でもどうする事が出来なかったのだろう。 当時のそんな二人の心境は、数多くの恋物語を楽器に乗せて歌ってきたライトは、容易に 察する事が出来た。 そしてアーベイは、更に続ける。 「カークなら、きっと大丈夫だ。ペネロペの心を手放す事はないだろう。だから俺も、  安心してこの街を離れる事が出来る」 この人物が本当にペネロペとよりを戻したいと考えているのか、ライトは甚だ疑問だった。 実は、後で分かった事だが、アーベイがペネロペとよりを戻したいという情報は、なんと、 状況の混乱を望むクリスが適当に放言した内容を、賢門院が情報として信じ切ってしまった、 という笑うに笑えない失敗が原因であったらしい。 そこへ、更に二人の客が現れた。 シモンとマディである。 さすがにライトは、この二人の登場に若干緊張を覚えた。 ルシアン側がアーベイの気持ちを利用して、攻勢に出ようかと一瞬考えたのである。 が、どうやらそうではない事が分かり、ライトはアーベイにもてなしの礼を述べて、 農園を後にした。

クリスがマッティングリー邸敷地内の厩をひょっこり覘いてみると、ペネロペとフィルが、 汗まみれになって馬達の世話に精を出していた。 フィルだけがカークの手伝いを引き受けるものだとばかり思っていたクリスとしては、 まさかペネロペまでがやってくるとは、いささか予想外だったらしい。 「よぉー、ペネロペ。頑張ってんじゃん」 「馬の世話は得意なのよね。あんたもやる?」 カークの愛馬の背中を、濡れたタオルで拭っていたペネロペが、にこやかな表情で僅かに 振り向いてみると、その直後、若干緊張した色をその美貌に張り付けた。 クリスの背後に、カークが驚いた様子で佇んでいたのである。 「やぁ、ペネロペ・・・何か、悪いね」 「あらカーク。早かったわね・・・お城の用事は、もう済んだの?」 「あ、うん。書類を山ほど持ち帰らされたけどね」 苦笑気味に頬を歪めて頭を掻くカークと、手を休めて額の汗を拭うペネロペの二人を、 フィルは何となく羨ましげな眼差しで眺めている。 が、そこへクリスが割り込むような形で、しかしいささか厳しい表情を作りながら、 同じく手を止めていたフィルの腕を取って、厩の外へと連れ出した。 「あ、ちょっと、何を・・・」 「良いから、ちょっくら顔を貸しな」 別にカークとペネロペを二人きりにしてやろうという心配りでフィルを連れ出した訳では なさそうである。 いつになく真剣な表情のクリスは、厩の裏手にフィルを連れ込むと、周囲に視線を素早く 走らせてから、声を落として囁き始めた。 「さっきカークから妙な話を聞いてな。ちょっくら調べてみた事があるんだけどよ・・・  どうもオロウォカンディ氏の家系には、ちっとばかし嫌な話があるみてぇだぜ」 「・・・嫌な話、ですか?」 「ああ。端的に言えば、呪いってやつだ」 クリスの口から飛び出したのっぴきならぬ一言に、優男の吟遊詩人も、さすがに呑気な 顔ではいられなくなった。 「オロウォカンディ氏を興した元冒険者が、今の家系の父祖となった事は知ってるな?  実はその元冒険者が、家を興す際に使ったっていう古代王国期の財宝に、ちぃっと  問題があったらしくてな」 フィルは息を呑んでじっと耳を傾けている。 額から頬にかけて汗が滴り落ちるのだが、しかし、灼熱と言っても良い日差しが強烈に 照りつけているから、という訳でもないようだ。 緊張の汗であった。 「オロウォカンディ氏を興した元冒険者は、強力な呪いが仕掛けられた財宝を強奪し、  それをもって財を成した。ただ、その呪いはある方法で封じ込め、財宝だけをうまく  切り離したらしい・・・んだが」 クリス曰く、その呪いを封じる力の効力が、近年弱まっているらしい、という。 情報の出所は、実に賢門院だった。 カークが最初に、城でこの話を聞き、それをカークの口から伝え聞いたクリスが、 代理人としての立場を使ってオロウォカンディ氏の邸宅に乗り込み、その真相を強引に 聞き出してきたのだ、という。 政治顧問のマローン老が語った事だから、その信憑性は高いと言って良い。 「それで、だ。マローン爺さんは呪いを封じる力を元に戻す為に、ある方法を使いたい、  と言っていたんだが、その方法ってのがな」 クリスの説明では、呪いを再封印するには、その呪いが守っていた財宝に匹敵する 金銀を、呪いのパワーが封じられている場所へ埋葬すれば良いという事らしい。 その金銀を、マッティングリー家に肩代わりしてもらうというのが、そもそもペネロペを 花嫁候補として立たせる一番の理由だったらしい。 幸い、ペネロペ自身がカークに好意を寄せているから良いようなものの、要するに 彼女は家を守る為の人柱にされたようなものである。 「もし、その呪いが解放されたら、どうなるんでしょう?」 「俺が調べた限りでは、家系の末端から餌食になるって事らしいぜ」 つまりその場合、最初に生命が危険に晒されるのは、ペネロペという事になる。

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