結納


夕刻になっても、灼熱の陽射しが大地を焼く熱量を緩める事もなく、気温は相変わらず、
30度を上回ったままである。
地面が剥き出しの大通りを駆け抜けてきたフィルは、オロウォカンディ邸前に到着した時、
全身から吹き出る汗に辟易しながらも、正門をくぐり、玄関へと辿り着いた。
丁度、スウィフト農園から戻ってきていたライトが、玄関口から邸内へ入ろうとしていた。
ここぞとばかりにフィルはライトをつかまえ、そのまま急ぎ足で、彼らにあてがわれている
客室へと引き篭もった。
いつにない険しい表情のフィルに、ライトは何事かを感じ取ったのか、客室へ戻る間も、
ほとんど無言で、緊張した様子の優男の横顔を、それとなく眺めていた。
「大変な事実が発覚しました」
フィルが一息ついてからそう語り出した内容に、ライトは思わず言葉を失った。呪い。
この恐るべき響きを含む一言が、ともすれば、ペネロペ自身の破滅にも繋がりかねない事を、
ライトはほとんど一瞬で理解した。
「確か、賢門院の方からカークさんに情報が伝わった、という事でしたね?それでしたら、
 私が直接、プレドラグさんと連絡を取り、賢門院側で掴んでいる情報を聞き出します」
「・・・分かりました。それじゃあこちらは、マローンさん他、オロウォカンディ氏の中で
 事情に詳しそうな人に説明を求めてみます」
ほんの数分程度の話し合いの中ではあったが、二人は素早くそれぞれの役割分担を決定し、
すぐさま行動に移った。
目下、最も知られてはいけない相手、即ちペネロペとバオーリー・マッティングリーの
両名には、この呪いの件は伝わっていない。
カークが既に知っている以上、彼が同情心からペネロペとの結婚を決意するかも知れず、
そういう動機での結婚には問題があると考えたライトは、この問題を迅速に解決する必要が
あると判断していた。

情報収集の単純な早さから言えば、邸内でマローン老をつかまえるところから始められる
フィルの方が、圧倒的に早い。
邸内の個室で茶をすすっていた政治顧問の温厚な老人を訪ねたフィルは、早速、この呪いの
件について問いただしてみた。
さすがにマローン老は驚いた表情を隠せなかったが、しかし観念したらしく、深刻な顔で
一つ深い溜息を漏らしてから、フィルに木椅子を勧め、自身も別の木椅子に腰を下ろし、
向かい合う格好で説明を始めた。
「当オロウォカンディ氏勃興の父祖ゲルツ様が、財を成すきっかけとなったのは、極めて
 強力な呪いのエネルギーによって守られた莫大な財宝を手にした事でした」
ゲルツが探り当てたその財宝は、ガルガライスの街から南へ下った、とある古代遺跡に
おいてであるという。
が、その財宝のもともとの持ち主は、古代王国末期の魔術師ブランカ・キルチネルという、
恐ろしくけちで、財宝や魔装具に対する執着心が常人の数百倍はあろうかという、まさに
守銭奴そのものの人物であったという。
ゲルツが獲得した財宝には、キルチネルの霊が呪いの力を得て憑依していたのだが、しかし
その呪いの性質を巧みに利用したゲルツが、その財宝からキルチネルの霊の呪いを除去し、
更にキルチネルの霊そのものを、あるものに封じた。
ここでいう「あるもの」とは、実にゲルツの従弟であった。
まだ年端もゆかぬ従弟の少年に、キルチネルの呪いのエネルギーに満ちた霊を憑依させ、
そして従弟の少年ごと石棺の中へ封じ込め、ガルガライス近郊の古代遺跡へ封印したのだ。
キルチネルの呪いの性質とは、彼の財宝を奪った者の親族のうち、最も末端の者から憑依し、
憑り殺してしまうというものであった。
ゲルツは従弟の少年に憑依したところで、霊の力を封じ込める事の出来る特殊な石棺に
少年もろとも封じ込め、キルチネルの呪いを押さえ込んでしまったのである。
何とも酷い話であった。
現在のオロウォカンディ氏の成功は、一人の年端もゆかぬ少年の犠牲の上に成り立っていた、
というのである。

ところが、この呪いを封じる力が、もっと正確に言えば呪いのエネルギーを封じていた例の
石棺の魔力が、時間の経過とともに失われてしまい、現在に至っては、あと数年のうちに、
キルチネルの霊が解放されてしまうというところまできているらしい。
オロウォカンディ氏の危機と言って良い。
この危機を回避する為に、二つある方法のうちの一つを取る、という事で、キルチネルの
呪いに対する方針が決定した。
即ち、キルチネルの霊を鎮める為に、彼が生前所持していた額と同等の金銀を、その霊と
ともに埋葬する事で、呪いそのものを浄化してしまおうという事である。
そこでマローン老はペネロペとカークの関係に着目し、二人を結婚させる事でキルチネルを
鎮める為の財源を確保しようとした。
しかしここで思わぬ障害が立ち塞がる事になった。
その第一は、ルシアンである。
さすがのマローン老も、マッティングリー家が花嫁選びを実施するなどとは予測しなかった。
折角の対キルチネル用財源を、タルキーニ家などに奪われてはたまらない。
そう考えたマローン老は、冒険者を雇う事にしたのだが、そこへ現れたのがフィルとライト、
という事だったのだ。
更に第二の、そして最大の難関はクリスであった。
あの破天荒で無茶苦茶な行動を取り続ける青年が、マローン老の頭痛の種であるという。
正直なところ、このままいけば、必ずしもペネロペがマッティングリー家に花嫁として
迎えられるかどうか、怪しくなってきている。
マローン老も、如何にしてペネロペを嫁がせ、キルチネルの呪いを回避するのかという事を
苦慮する日々が続いていた。
そして、もう一つの方法とは、かつてゲルツが従弟の少年に対して行った非道な策を、再度
実施する事である。
だが、これには問題があった。
普通に考えれば、この方法ではオロウォカンディ氏の血族から犠牲を出す事になるからだ。

さすがにフィルは言葉を失っていた。 最初彼は、この情報がクリスの口から飛び出したデマの可能性も、若干ながら考慮していた。 しかしマローン老の口からこうして真相が語られた以上、最早信じるしかないだろう。 「その・・・呪いの対象は、オロウォカンディ氏の血族に限る、という事でしたね?」 未だに呆然とした気分が抜けないまま、フィルは何気にそう尋ねた。 ところがマローン老は、 「いや、実のところを言えば、もう少し定義が広うござってな。この呪いの対象は、単に  血族だけではなく、血族内の者と性的関係を持った者も含まれるらしい。だからもし、  ペネロペお嬢様がカーク殿とめでたく結ばれ、初夜を迎える事になれば、当然ながら、  カーク殿もこの呪いの対象者に認められてしまうのです」 だから、もしキルチネルの呪いの一件が現マッティングリー家当主バオーリーの耳に入れば、 ほぼ100%、ペネロペの花嫁候補宣言が却下されてしまうのである。 それ故、少なくともペネロペがカークの心を射止めるまでは、キルチネルの名は決して外部に 知られてはならない。 尤も、例外はある。 オロウォカンディ氏と協力関係にある賢門院の一部関係者には、敢えて全ての真相を、何一つ 隠す事なく、知らせてあるというのである。 その理由は至極単純で、この呪いを解除する他の方法を、彼ら賢門院のスペシャリスト達に 解析してもらおうという魂胆があった為である。 カークが呪いの一件を知らされたのは、この賢門院の関係者の中でも、カークと仲の良い 若手の魔術師だったという事らしいのだが、今の時点では、フィルには分からない事である。 ここで、マローン老は何か思い出したように、ふと口を閉ざした。 「はて・・・そう言えば、何故、今までこんな簡単な事を見落としておったのじゃろう?」 見る見るうちに、喜色に満ちた笑みがマローン老の皺だらけの面に浮かんでくる。 フィルは何故か嫌な予感を覚えたのだが、対するマローン老は、そんなフィルの思いなど まるで気づかぬ様子で、急に慌しく木椅子から立ち上がり、非礼を詫びて部屋を飛び出して いってしまった。 結局フィルは、マローン老が急に思い立った思案を察する事は出来なかったのだが、しかし、 賢門院からの連絡員プレドラグから、呪いの一件に関する情報を全て聞き終えていたライトは すぐにマローン老と同じ考えが頭に浮かんだ。 (もしかして・・・アーベイさんも呪いの対象者に含まれるのでは?) アーベイは、ペネロペと三年もの間、恋人として付き合っていた。 もちろんその間、二人の間に性的交渉があったとしても不思議ではない。 となると、アーベイはペネロペと同等か、或いはもっと下の血族として、キルチネルの霊に 認定される事にはならないか。 広い裏路地の一角でプレドラグと立ち話する格好になっていたライトだが、そんな考えが 頭に浮かんだ瞬間、アーベイの身に危険が迫るのではないかという危惧を抱いた。 「さて、キルチネルの霊を封じる為の石棺を作成する技術ですが、今の賢門院ならば、当時の  封印力を持った石棺を、遥かに凌ぐ封印力を持った石棺を作る事が出来ます。とは言っても、  ペネロペ嬢がカーク殿と無事結婚する事が出来れば、そんな技術など不要でしょうが」 何気なくそう言ったつもりで苦笑するプレドラグの温厚な顔を、しかしライトは、別の感情で 眺めていた。 (冗談ではありませんよ・・・もしアーベイさんが、自身の肉体にキルチネルの呪いを受けて、  その石棺に封じられる、なんて事になったら、幾らなんでも酷すぎる話です!) だがしかし、アーベイを人身御供にしてキルチネルの霊を封じてしまう事が、実はこの場合、 最も現実的で最良の手段であるかも知れない。 人道的かどうかを考慮しなければ、という条件つきではあるが。 ライトとしては、キルチネルの呪いを、呪い除去の法力で消し去る事が出来ないかどうかを、 対策の一つとして考えていたのだが、しかし、決定的な欠陥がある。 現在のガルガライスには、呪い除去という高度な法力を駆使する事の出来る司祭が、一人も 存在しないのだ。 ライトにとっては意外な話ではあったが、テンチルドレン内には、思った程に高司祭の数が 揃っていないのだ。 特にガルガライスは、お世辞にも信仰が盛んな国とは言えず、国内にあるどの宗派の神殿も、 せいぜい司祭クラスが数人程度、常駐しているに過ぎない。 スウィフト農園の母屋でアーベイと交渉を終えたシモンは、契約内容が記された文書に素早く 目を走らせ、間違いが無い事を確認すると、写しの一方をアーベイに手渡した。 傭兵出身ながら、こういう事務的な作業に秀でているのは、シモン個人の特性であろうか。 シモンは、カークとルシアンに、このスウィフト農園を見学させたい旨を素直に申し出て、 承諾が得られれば、礼金を用意する旨も告げていた。 カークとルシアンという組み合わせを聞き、さすがのアーベイも、シモンがタルキーニ家に 与する者である事を咄嗟に悟ったのだが、しかし断る理由もなかったらしく、二つ返事で 気軽に応じてくれた。 恐らくアーベイとしては、一度ぐらいのデートでペネロペの優位が揺らぐ筈もないという、 奇妙な自信と誇りを持っていたのだろうが、それ以外にも、ルシアンを個人的に見てみたい、 という人物観察欲求が働いた事も否定出来ないだろう。 園内のコーヒー畑間を結ぶ園道は馬の通行が可能であり、シモンが求めた、乗馬による 乗り入れも問題が無いという。 更に、アーベイ自らが二人を客として出迎え、挽きたてのコーヒーを振る舞う事に、あっさり 同意してくれた。 但し残念ながら、アーベイには美術品収集の趣味は無いらしく、園内見学を終えたカークと ルシアンが、休憩がてら目を楽しませるというアトラクションを、別に考えねばならない。 しかしここで、アーベイが別の提案をしてみせた。 「ああ、それなら漁火を眺めてみてはどうだろう?この農園は見ての通り、ガルガライスの  街を見下ろす傾斜地にあるんだが、その先に見えるコリア湾に毎夜広げられる漁火は、  絶景の一言に尽きる。街に住んでると中々見る機会が無いから、是非お勧めだよ」 「素晴らしいご提案に感謝します。早速、案を持ち帰って検討させて頂きますよ」 アーベイがペネロペの元カレという事もあり、もしかすると交渉が難航するかも知れないと 踏んでいたシモンだったが、アーベイの器量の大きさにはむしろシモン自身が好感を覚えた。 「非常に良いお話をまとめる事が出来ました。感謝致します」 「いやいや、この程度の事で良ければ、いつでも協力するよ」 握手を交わし、母屋を辞したシモンだったが、入れ替わるようにして、オロウォカンディ氏の 政治顧問である老人が、急ぎ足で入園門をくぐる様子が視界内に飛び込んできた。
シモンがスウィフト農園を去った後、同農園を訪れたマローン老と、出迎えたアーベイの 間で、恐るべき密約が成立した。 この事を知っているのは、オロウォカンディ氏側の動向を探っていたマディと、同じく、 キルチネルの呪いに関して秘密裏に調査を進めていたクリスの二人だけであった。 マディとクリスは、それぞれ別方面からオロウォカンディ氏邸宅を張り込んでいたのだが、 妙にせわしなく、いそいそした挙動で邸宅を出たマローン老に何かの思惑を察し、彼に 気づかれぬよう気配を殺しながら、それぞれ別々に、尾行していたのである。 尚、マディはクリスの存在には気づかなかったのだが、クリスの方は、マディが同様に、 マローン老を尾行している事に、早くから気づいていた。 (ははぁーん。あいつも俺と同じ臭いを嗅ぎつけたな) 内心、苦笑を浮かべながら、クリスはマディと併走する形でマローン老を尾行した。
そのマローン老が、スウィフト農園にやってきたのは意外な思いではあったが、更に 農園母屋の外壁付近に身を潜め、マローン老がアーベイと持った交渉の内容を聞くに つれて、クリスの表情は次第に緊張の度合いを増していった。 実にマローン老は、キルチネルの霊の呪いの一件を全て説明し、更に、アーベイもが 呪いの対象者である旨を告げ、ある決断を迫ったのである。 「アーベイさん。もしあなたが、ペネロペお嬢様の幸福を願うのであれば、如何だろう。  あなたの命をペネロペお嬢様の為に、差し出しては頂けまいか」 クリスは、開け放たれた母屋の窓の際に身を潜めている為、室内の様子を視認する事は 出来なかったのだが、しかしマローン老が上記の台詞を口にした時、アーベイが非常に 緊張した表情を作った事を、気配だけで察していた。 (あの糞爺!なんちゅう事を言い出しやがる。アーベイのペネロペへの気持ちを利用して、  犠牲になれだなんて、よく言えたもんだな!) クリスは、今にも飛び出したい衝動を抑えながら、じっと息を殺し続けた。 マローン老は、口でこそペネロペの為だと言い張っているが、しかし結局のところは、 オロウォカンディ氏の為にアーベイを利用し、彼に憑り殺されろと言っているのである。 マローン老がスウィフト農園を辞した後、クリスは母屋を反対側に回り込み、同じく 外壁の陰で屋内のやりとりを全て盗み聞きしていたマディをつかまえると、急ぎ足で 農園の外の林道へと飛び出していった。 マディはまさかクリスも来ていたとは思っていなかったらしく、つい悲鳴をあげそうに なったのだが、アーベイに知られる事を恐れ、必死に声を飲み込んでいた。 容赦なく照りつける真夏の陽射しがようやく傾きつつある中で、クリスはマディを 道端の切り株に座らせ、自身も手近に落ちている潅木を引き寄せて腰を下ろした。 「さて、おめぇにまず聞きてぇ。この一件、どう利用する?」 「利用する、って・・・?」 「だからよぉ。この件をカークの親父さんにチクるかどうかを聞いてんだよ」 マディはようやく、キルチネルの呪いの一件が、タルキーニ家にとっては想像以上の 武器になる事を悟った。 既にアーベイは、ペネロペの為に命を投げ出す覚悟を決めた。 それ故、キルチネルの呪いが必ずしもペネロペ脱落の決定打になる事はないかも知れない。 しかしもしマディが一言この一件をバオーリーに耳打ちすれば、それだけでルシアンに 勝利が転がり込む可能性が極めて大きくなるのである。 しかしクリスとしては、そういう決着は面白くない。 だからこうして、マディに詰め寄っているのである。 少なくともクリス自身は、キルチネルの呪いを理由にペネロペと結婚するような真似は 絶対するなとカークに言い含めてきている。 が、マディがどう出るかによっては、カークの意志云々はまるで関係のないところで、 全てが決着してしまう可能性があるのだ。 だが正直なところ、マディも困惑していた。 アーベイという人物とは直接的に接触の無い彼女としては、別に彼を助けなければならぬ、 という義理は微塵も無い。 しかしキルチネルの呪いの一件を、そのまま自分の判断で利用してしまえば、今度は逆に ルシアンのプライドを傷つけてしまう事にはならないか。 マディが最初に考えたのは、まさにその一点であった。

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