結納
少し時間をさかのぼる。 この日の午前中、オロウォカンディ氏側の動きとしては、まずフィルが、賢門院との 連絡員であるプレドラグと接触を取っていた。 丁度朝食時という事もあったので、南の浜の沿海道に面する食堂で、軽食を注文しつつ 用件を述べてみる事にした。 フィルが知りたかったのは、賢門院で進められているであろう対キルチネルの呪い用 除去方法の進捗具合であったのだが、ここでもフィルは、勘違いしている。 否、勘違いと言うよりは、ライトからの情報が正確に伝わっていなかったと言う べきか。 ともあれ、フィルがプレドラグにぶつけた質問は、この温厚な賢門院の魔術師を若干 戸惑わせる事となった。 「いや、ちょっと待ってください。現在の賢門院には、例の石棺の強化版を製作する 技術は十分備わっているとは言いましたが、具体的に対策を進めているなどとは、 私は一言も言っておりませんよ。ただ・・・」 昨晩、オロウォカンディ氏の政治顧問マローン老からの緊急の依頼で、その強化版の 石棺を製作する運びになったばかりだという。 「そんな訳で、賢門院もまだ手を付け始めたところです。完成に要する期間も、今の ところはっきりとした日数は言えません。なんせ、今の代になってからは、初めての 試みですからね」 「そう・・・ですか。分かりました。どうもお手数おかけしました」 この話は、結局そこで打ち切りとなった。 どうもフィルという青年は、物事をしっかり咀嚼せずに、情報の断片を慌てて飲み込み、 半ば思い込みに近い形で先走る傾向がある。 この事は、プレドラグのみならず、ライトも薄々感じているところではあった。 しかしながらフィルの為に弁解するならば、この小柄な優男の吟遊詩人は、あくまでも 音曲の芸を極める事を目的とするヴェーナーの信徒であり、情報を操作する立場には ほとんど立った事が無い。 それ故、どうしても詰めの甘さと言うか、初動の段階でうっかりミスをしてしまうのだ。 一方、フィルの同僚ライトはというと、彼はガルガライスの街中へと単身繰り出していた。 特にこれという目的があっての徘徊ではなく、単純に落ち着いて歩いてみたかったという、 ただそれだけの事であった。 実際、オロウォカンディ氏の雇われ冒険者として活動するようになってから、ゆっくりと 街の中を歩いて、世間の風評を聞き集めるという事がすっかり絶えてしまっていた。 正直なところ、今の状況は行き詰った感が否めない。 そこで、基本に立ち返るという意味でも、ライトは街で聞かれる声に再度注目してみよう、 と考えた訳である。 まずライトは、カークに対して二人の花嫁候補が立っている事が、そろそろ街中でも噂に のぼっている頃ではないかと予想してみた。 市井の民には直接生活に影響する訳でもないので、さほどに関心は無いのであろうが、 例えば、予想屋のような者などが出回っていないか、などと思ったりしたところ、案外、 この結婚話には誰も注目していないのか、噂どころか、立ち話にすら聞かれない始末である。 時間的に、地引網やカヌー漁から戻ってくる漁師達の世間話なども聞けるだろうかと思い、 浜の方へと足を向けたライトだったが、結果は同じで、矢張りガルガライスの街の住民達の 目下の関心は、近く開催される予定になっている漁協祭の事でもちきりだった。 もちろん、ライト自身の最大の関心事は、キルチネルの呪いに関する噂などが街中に堂々と 流れていないかどうかを確認する事であったが、しかし今のところ、それらしい話は全く 耳にする事がない。 花嫁候補の両家の後ろに、賢門院と盗賊ギルドが絡んでいる、という点についても、街では 一切それらしい情報が流れている形跡は見られなかった。 街での噂集めに飽きたライトは、椰子木立亭に顔を出してみた。 相変わらず客足の少ない一階酒場であったが、そこに、見慣れない強面の巨漢の姿があった。 丸テーブルの一つを陣取り、何かの書類らしき文書に集中して視線を落としている。 見るからに獰猛で攻撃的な印象を思わせる外観だが、このスキンヘッドの大男は、意外にも 文字の読み書きに精通しているらしく、相当真剣な表情で、手にした文書を凝視していた。 その巨漢が何者で、どういう目的を持ってこのガルガライスに現れたのか、今の段階では ライトの知る由でもなかったのだが、この後、彼は驚くべき展開を目の当たりにする。 少し早めの昼食を取る為にオロウォカンディ氏の邸宅に引き返してきたライトであったが、 正面玄関に、椰子木立亭で見たあのスキンヘッドの巨漢の後姿を見たのである。 それだけでも十分驚きに値するのだが、この人物、野太く腹の底から響くような大音量で、 マローン老の肝を潰してしまうような一言を声高に放ったのであった。 「誰ぞおらんか!キルチネルの件についてうかがいに参った!」 ライトは呆然と、その巨漢の見慣れないデザインの漆黒衣装をじっと見入っていた。 ここで気づいたのだが、この漆黒の衣装の内側には、細かい金属製の玉か鎖かを網目の如く 繋ぎ合せた鎖帷子のようなものを、巨漢は着込んでいた。 しかしながら、金属音がまるで聞こえないのは、一体どういう事であろう。 特殊な構造になっているのか、それとも巨漢自身の音消技術によるものなのか。 いずれにしても、この巨漢の登場は、オロウォカンディ氏に少なからぬ衝撃を与えた。 まず、ペネロペが驚いた様子で玄関に飛び出してきた。 彼女が用向きを尋ねると、強面の巨漢は同じ台詞を繰り返す。 「キルチネルの件に詳しい者に引見願いたい。誰ぞおるであろう」 ライトは咄嗟に、拙い、と思った。 今ここで、ペネロペにキルチネルの呪いに関する情報を知られる訳にはいかないのである。 と、そこへプレドラグとの面会を終えたフィルがひょっこり戻ってきて、この展開に直面した。 「あれ、ライトさん・・・どうしたんですか?お客さん?」 「いや・・・少し拙い事が・・・」 フィルの問いに、ライトが苦虫を噛み潰したような表情を作りつつ、小声で答えたところで、 今度はマローン老が相当に慌てた様子で邸内から飛び出してきた。 「ど、どちら様でございましょう!?」 「何度も言わせるな。キルチネルの件についてうかがいたい者だと言っておろうが」 ここでマローン老は、フィルとライトに目配せしてから、大急ぎで件の巨漢を招き入れた。 恐らく、二人の冒険者には、ペネロペに対し巧く誤魔化せ、という事を指示したのだろう。 |