結納


スウィフト農園の園道脇芝生で、軽い怪我を負ったルシアンの応急手当をしているシモンの
傍らで、マディは太い寝息を立てて横たわっていた馬を優しく揺り起こし、目覚めを待った。
程なく、その馬は正気を取り戻し、いささか不機嫌気味に立ち上がった。
転倒の際に脚の骨が折れてないかどうかを確認してみたが、特にこれと言った不具合は
無いところをみると、どうやら心配された怪我は無いように思われる。
「カーク様は、一体どこへ連れ去られたのでしょう?」
不安げに呟くルシアンに、シモンが努めて無表情を装って、クリスから既に聞き出していた
ウォージー遺跡に居座る野盗団の事について語り、恐らくカークは、その遺跡内部へと
連れ込まれた可能性が高い旨を告げた。
「とにかく、一度態勢を立て直しましょう。こちらは装備に乏しい。このまま突っ込めば、
 ミイラ取りがミイラになってしまいます」
「・・・そうですね。先程は、馬が眠るというアクシデントさえなければ追いつける自信が
 あったのですが、事がこういう状況に至った以上、焦って行動するのは危険ですね」
ルシアンの返答を聞いて、シモンは内心、感心していた。
彼が見るところ、この深窓の令嬢は予想以上に猪突猛進な性格の持ち主だとばかり思って
いたのだが、むしろその逆で、攻めるべきところは攻め、守るべきところはしっかり守る、
という冷静さを持っている人物のようだった。
むしろ、何も考えずに飛び込んでいったのはクリスであった。
この若く血気盛んな、と言えば聞こえが良いが、実際のところは単なる身の程知らずである
無鉄砲青年は、シモンとマディが咎めるのも聞かず、一人でウォージー遺跡へと走っていった。
盗賊用具すら身に付けていない状況で、一体どれほどの実力が発揮出来るのか極めて怪しい。
が、実のところ、盗賊用具をマッティングリー家に置き忘れてきた事すら忘れていたので、
本人は恐ろしく自信過剰になっており、自分一人でも何とかしてみせると大見得を切って、
馬を遺跡へ走らせていったのである。
「まぁ、そのうち痛い目を見て帰ってくるんじゃない?」
マディの半ば呆れた声に、しかしシモンは素直に頷く事が出来ない。
クリスの暴走の結果如何によっては、カークの命が脅かされる可能性も否定出来ないからだ。

それから、30分もしないうちに、アーベイが街から引き返してきた。
シモンとマディの装備一式を、タルキーニ家から持ってきてくれたのである。
ついでに、マッティングリー家からもクリスの装備を全て運んできたのだが、しかし肝心の
本人が既に遺跡へと走っている為、そのまま馬の背荷物に積み込んだままとなっている。
「ペネロペ達は、直接遺跡へ向かったらしい。俺達も追うぞ」
このアーベイの言葉に最初に反応したのがルシアンであった。
彼女に対しては、少し前に、マディが引き返すよう進言していたのだが、しかしこの意外に
気丈な美女はかぶりを振って、やんわりと拒否した。
ルシアンにしてみれば、己の剣の腕と馬術には少なからず自信がある。
十分戦力に成り得ると思っているのに、自分と同等の技量程度の少女から、危険だからここに
留まれと言われるのは、ルシアン本人のプライドが許せないのと同時に、矢張りカークを
一刻も早く救い出したいという思いの二つが重なった為、到底聞き入れる事が出来なかった。
また、アーベイ自身もルシアンの参戦を希望している。
ペネロペの恋敵としてカークと一緒になってくれれば、などという下心などは皆無で、心底、
カークを無事に救出する為に必要な戦力だから、というのが彼の本心であった。
実際、クリスから聞いている野盗団の総勢は20名を越えるというから、こちら側の戦力は、
一人でも多いに越した事はない。
「ただ、ちょっと待ってください」
逸る気持ちを乗せて馬上の人となったルシアンとアーベイに、シモンが落ち着いた表情で
待ったをかけた。
「敵には魔術師が居るようです。眠りの雲を浴びたら、それこそ目も当てられません。まずは
 十分に戦術を吟味した方が良いでしょう」
「そういう事なら、馬を走らせながら相談しましょう。移動しながらでも相談は出来ます」
言い終わる前に、ルシアンは早くも手綱を打って園道を農園裏手の通用口へと馬を走らせた。
彼女の言葉に一理有ると見たアーベイも、その後に続く。
「ね、早く行こうよ」
既にマディが、鞍に跨って手を差し伸ばしていた。
こうなると、シモンも彼らに従わざるを得ない。

一方、オロウォカンディ邸から三頭の馬を走らせてウォージー遺跡へと急行した
ペネロペと
二人の冒険者達は、途中から馬を降り、徒歩でジャングルの中を進んでいた。
いずれも完全装備を施し、ライトなどは背負い袋と遺跡探索用具諸々までをも持参している。
彼らが馬を降りたのは、急勾配の傾斜を見せる森林地帯を進まねばならないからであった。
ウォージー遺跡は、ガルガライス近郊に広がる巨大なジャングルの中の、谷間のように鋭く
切り立った、亀裂のような低地に位置している。
スコールが降ると、遺跡周辺の窪地などは、膝までつかるような水溜りが堀のように発生し、
足場が極端に悪くなってしまうらしい。
また、その低地に降りる際も、断崖に近い程の傾斜を見せる坂を下りていかねばならない。
その為、変なところを通れば敵に発見される可能性もあった。
短槍と長弓を背負い、長剣を鞘に差してベルトに吊るしているペネロペは、二人を後方に
従える格好で、慎重に足を運びつつ、傾斜を少しずつ降りていった。
しなやかで美しい小麦色の腕や脚が剥き出しになっている革鎧姿は、これはこれで、妙に
色っぽい艶があった。
が、今は事態が事態な為、ライトにしろフィルにしろ、ペネロペのそんなセクシーな外観に
心安く視線を投げかけている場合ではないのが、若干悔しかった。
ウォージー遺跡は、地上二階の古代王国期の建造物で、見た感じでは、何かの施設だったかと
思われるのだが、詳細は誰も知らない。
全体に緑っぽく見えるのは、苔と熱帯性樹林によってすっかり覆い尽くされているからだった。
しかし、人の気配はそこかしこで感じられる。
矢張りクリスの情報が正しいのだろう。
まだまだ陽は高い位置にあるのだが、この場所は特に薄暗く、不気味なほどに涼しい。
欝蒼と茂る木々が陽光を遮り、更にジャングル特有の湿気が一帯を支配していた。
「気をつけてね。野盗団も厄介だけど、ここで道に迷ったら、生きて出られなくなる可能性も
 結構高いんだからね」
別に脅すつもりはないのだが、ペネロペとしても、初めてこのジャングルに足を踏み入れた
二人の冒険者に、警告の言葉を投げておかねばならない。
つまり、それほど深いジャングルなのだ。

ウォージー遺跡のある裂け目の間の低地に、ルシアン達が到着した。 この一行も同様に、途中で馬を降り、断崖のような勾配を見せる傾斜を慎重に下ってきた。 ルシアンなどは、貴族子女の正装のままでここまで来たのだが、その機能性があまりにも 悪い為、途中でスカートの裾を自ら長剣でばっさりと切り取ってしまった。 下着が見えるかどうかというぐらいにまで短く切ってしまった為、むしろマディの方が 慌ててしまった程である。 張りのある白い肌がまぶしい太股に、シモンとアーベイはいささか戸惑っている様子であった。 要するに、目のやり場に困っているのである。 しかし貴族子女として、男の視線というものをほとんど知らずに育ってきたルシアンの方は、 逆に全く気にしていないらしく、次々と袖や裾を切り取っていってしまった。 そんな訳で、今の彼女は変則ノースリーブとミニスカートのような格好になってしまっている。 ルシアンの格好に驚いたのは、先着していたフィルとライトも同様であった。 ペネロペですら、いささか言葉を失ってしまっていた程だから、余程インパクトが強かった、 と言って良い。 しかし、そんなルシアンの白い柔肌露出などにかまけている場合ではなかった。 「あれを見てください」 渋い表情でライトが指差した先には、全員が思わず頭痛を感じてしまうようなものの姿が、 無残と言うよりも、情けないといった表現が当てはまるような形で転がっていた。 クリスである。 ほとんど裸に近い状態で、全身に無数の痣を作り、顔面はほとんど別人に変貌しているように 腫れ上がっている。 彼はウォージー遺跡の側面から潜入を図ったのだが、あえなく発見され、武器を取り上げられた 挙句に、集団リンチの憂き目に遭い、そのまま遺跡外へと放り出されたようである。 命まで取られなかったのは、彼のチンピラ然とした小物っぷりが、逆に野盗団達において、 さほど重要な人物ではないという印象が強かった為であろう。 「何やってんのよ、全く・・・」 思わず左の掌で顔面を押さえながら、ペネロペは呆れた声を絞り出した。 (うぅ・・・い、痛ぇよぅ) 心の中でべそをかきながらも、クリスは少し離れた位置にペネロペやルシアンといった面々の 姿を視界の中に納めており、どう合流したものかと思案している。 今、迂闊に動いてペネロペ達の居場所を野盗団の見張り連中に知られてしまえば、カークの 救出に多大な影響を出しかねない。 かといって、いつまでも下生えの上に寝転がっている訳にもいかないだろう。 (何か良いきっかけは・・・) などと色々考えているクリスであったが、ふと、銀色の陽光が差し込む頭上の木々の茂みの 間に目を走らせると、ほとんど偶然のタイミングで、巨大な黒い影が宙空を横切るのが見えた。 (・・・何だ?) 丁度、ルシアン達の居る位置からは陰になって隠れる角度であった。 黒装束に身を包んだその大きな影は、オロウォカンディ邸に現れた、あのスキンヘッドの 巨漢だったのだが、クリスはその人物とはまだ会った事が無い。 その為、彼としては単に怪しい人影という認識しか持つ事が出来なかった。 黒装束のスキンヘッド巨漢は、背中に軽い曲線を描く細身の刀剣を鞘に差した状態で背負い、 更に驚いた事には、遺跡の苔生した外壁に、両掌と両足の裏をぴたりと張り付け、まるで蜘蛛か 昆虫のように、見事に接壁しているのである。 (すげぇな、あの禿。どうやってあんなに巧く張り付いてやがんだ?) クリスが内心舌を巻いて驚いている間にも、黒装束の強面の巨漢はするすると壁を登り切り、 一気に遺跡の屋根の上へと到達した。 やがて、その大きな体躯は屋根上の天窓から内側へとするりと滑り込んでいった。 ただただ感心すると同時に、呆れ帰っているクリスであったが、不意に、樹上の雲行きが妙に 怪しくなってきた。 一気に暗い色合いの雲が湧き立ち、陽射しを見る見る遮ってゆく。 (やべぇ!スコールだ!) クリスは慌てて跳ね起きた。 今ここでスコールを浴びてしまうと、ウォージー遺跡を含む裂け目の間の低地は、一気に 泥沼状態へと変貌してしまうのだ。 この天候の変化は、ルシアン達も機敏に察し、素早い判断を迫られていた。

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