結納


ウヅキテンゼンという男の動きがまるで読めない。
下手をすれば、ペネロペとアーベイの命が危機的な状況にさらされる危険性を孕んでいる。
となれば、この強面の巨漢は、必ずしも味方であるとは言えないのではないか。
そんな事を考えつつも、フィルは脂汗で額や首筋にべったりとへばりつく金髪をか細い指先で
払い除けながら、不気味な石棺へ歩を進めようとしていた漆黒の巨漢に慌てて声をかけた。
「あ、あの・・・オロウォカンディ邸を訪れられた目的は、何なのでしょうか!?」
しかし、ウヅキテンゼンはフィルの問いを完全に黙殺した。
答える義理も無ければ、今や目的の代物を目の前にして、他の雑事に気を向けるつもりは
毛頭無いらしい。
では、と、今度はシモンが続けて質問の声を発した。
「出来ればお答え頂きたいのですが・・・あなたは、キルチネルの呪いを解除する方法か、
 或いは封印の方法なりの方策をお持ちなのでしょうか?」
ウヅキテンゼンの恐るべき力量と、キルチネルの呪いが解放されるかも知れないという実に
切羽詰った空気の中で、その美貌に緊張感を張り付かせながらの質問であったが、矢張り、
これまた黙殺されてしまった。
ウヅキテンゼンにとっては、キルチネル以外の存在は、一切眼中に無いらしい。
その丸太のような豪腕が伸び、漆黒の革手袋をはめた左手が、石棺の蓋にかかった。
身じろぎ一つせず、と言うよりも、何が起きるか分からないという緊張と恐怖で全身が
すっかり硬直してしまっていたクリスは、ウヅキテンゼンの一挙手一投足に全神経を集中させ、
いかなる変化にも対応出来るように心構えを作っているつもりであった。
ほとんど一瞬にして、ウヅキテンゼンは石棺の重い蓋を跳ね上げ、傍らの石床に放り投げた。
地鳴りが響くような音を残して石棺の蓋が石床の上で砕けた。
次の瞬間、ウヅキテンゼンを除くその場の同席者の全員が体中に凄まじい悪寒を感じ、更に
どうしようもない息苦しさと、冷や汗とも脂汗ともつかぬ嫌な汗を流した。
妖気か、あるいは鬼気か。
解放された石棺の中から一瞬、陽炎のようなゆらめきが石室内に満ち、そして数秒後には、
黒いもやのようなものが石棺を飛び出し、何かの形に凝縮し始めたのである。

一方、カークをロープの戒めから解放したマディとライトであったが、どういう訳か、
揺さぶったり頬を叩いたりしても、まるで目覚める気配が無い。
精霊法術による眠りが作用しているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
マディが昏倒したまま目覚めないカークの体をざっと調べてみたところ、首筋に、何かの
痣のような痕が残っていた。
「どうやら・・・催眠剤か何かの毒が注入されているようですね」
カークの首筋に残る痣のような痕の中心には、小さな傷跡を見る事が出来た。
吹き矢か何かで撃ち込まれた可能性が高い。
こうなると、最早ライトの解呪の法は用を為さなくなる。
解毒の法力のみが、カークを目覚めさせる事が出来るのだが、少なくとも、この場に居る
冒険者や二人の令嬢、或いはアーベイといった面々には、その心得も技量も無い。
つまり、カークを街まで担いで戻らねばならないのである。
「俺が担ごう。この中で彼を担いだまま動き回れる体力があるのは、俺だけだ」
アーベイの申し出を断る理由は、誰にも無い。
マディ、ライト、そして二人の令嬢は、筋肉で盛り上がる逞しい肩にカークを担ぎ上げた
コーヒー農園の若き土地所有者の後に続いて、野盗達の無残な屍骸と夥しい血量によって
埋め尽くされた広間を出ようとした。
が、ウヅキテンゼンが石棺の蓋を跳ね開け、更にその内部から不気味な黒いもやが噴出し、
凄まじい形相の人面を模るに至って、不意にペネロペが息苦しそうに呼吸を乱し始め、
その場にうずくまってしまった。
次いで、左の肩口にカークを担いでいるアーベイも、急に呼吸困難に陥った様子で片膝を
血の海に染まる石床に着き、身動きが出来なくなってしまった。
「まさか・・・!」
全身に凄まじい悪寒を感じつつ、脂汗を滴らせるライトが石棺の安置されている石室に
振り向くと、黒いもやが形成する巨大な人面が大きく口を開き、そこから、これまた黒い
もやが帯のように伸びて、ペネロペとアーベイの背中にまとわりついていた。

更にルシアンが、喉の奥でか細い悲鳴を必死に堪えながら、震える手で長剣を鞘から
引き抜いてライトに警鐘の声を放った。
「み・・・見て、ください・・・!」
ルシアンの美貌を歪める恐怖の源が、広間の内部全域に広がっている。
それまで血の海に沈んでいた二十体近い斬殺死体が、のろのろと緩慢な動作で立ち上がり、
焦点の定まらぬ虚ろな白濁した目を周囲に向けながら、呻き声を放ち始めたのである。
「不浄なる不死の化け物達・・・!」
恐らく、解放されたキルチネルの呪いの影響を受け、ゾンビとして蘇ったのだろう。
しかもこれらの生ける屍達は、動けなくなっているアーベイとペネロペに群がり始めた。
「お二人とも、早く逃げてください!」
気丈にも、勇気を振り絞ったルシアンが長剣を中段に構えつつ、ペネロペ、アーベイの
両者とゾンビの群れの間に割り込み、自ら盾となるべく、臨戦態勢に入った。
相変わらず、ルシアンの美貌には恐怖の色が張り付き、歯の根が合わずにかちかちと
音を鳴らしているのだが、自らの精神を襲う恐怖心を無理にでも払い除け、二人を何とか
守ろうとする姿は、深窓の令嬢と言うよりも、一人の英雄とさえ言えるだろう。
そのルシアンの傍らに、同じく愛用の得物を構えたマディが並んだ。
美貌の貴族子女と、矢張り美貌の少女冒険者が、成人男女を守り抜こうとする光景は、
いささか奇妙と言えば奇妙ではあるが、現段階では、こうする以外に方法が無い。
石棺の傍ではクリスが半ば腰を抜かしたように石床に尻餅をつき、呆然と事の成り行きを
見守っている。
黒いもやが模る巨大な人面は、最初、ペネロペとアーベイの姿を認めた時、凄惨な笑みを
浮かべたように思われた。
しかしその直後、間際に佇む漆黒の巨漢が放った一言が、その様子を一変させた。
「縮量砲の起動コードを言え。さもなくば、少々痛い目に遭ってもらう事になるぞ」
平然と、雑談でもするような軽い調子で言うウヅキテンゼンに、黒いもやの巨大人面は、
いきなり鬼のような形相を作った。

巨大人面が放つ獣の咆哮のような大音声が、広間と石室を同時に襲った。 強烈な耳鳴りに顔をしかめつつクリスが両手で自身の両耳を覆う一方、シモンやフィルも、 半ば苦痛に近い表情で、同様に両の耳を塞いでいる。 相変わらず、ウヅキテンゼンだけは右手に血刀を携えたまま、仁王立ちになっている。 「矢張り拒絶するか。ならば既に言うたように、うぬには痛い目に遭ってもらおう」 言うが早いか、漆黒の巨漢は左拳に一瞬だけ気合を込めると、ほとんど無造作に近い 動作で軽く突き出し、人面を模る黒いもやを薙ぎ払う仕草を見せた。 するとどうであろう。 一瞬にして、黒いもやが消え失せた。 だけではなく、石棺の中に、一人の恰幅の良い中年男が、全裸のままで佇んでいた。 いつ、どうやってそこに現れたのか、クリスにもシモンにも、そしてフィルにも当然 分からなかった。 ただ一つ言える事は、その中年男の容貌が、先程まで石室内に充満していた黒いもやの 巨大人面と、極めてよく似ている、という事であった。 この全裸の中年男が出現したと同時に、それまで呼吸困難に陥り、動く事すらもままならず、 ただうずくまる事しか出来なかったペネロペとアーベイが、脂汗を滴らせながらも、何とか 回復した様子で立ち上がった。 二人の背中にまとわりついていた黒い煙の帯も、最早掻き消されている。 全裸の中年男は、ただただ驚愕したまま、うろたえていた。 これに対しウヅキテンゼンは、酷薄そうな笑みをその強面に浮かべ、低い嘲笑を漏らす。 「500年の時を逆流させ、再び現世に生ける肉体を授けてやったぞ。気分はどうだ?」 言いながら、漆黒の巨漢は切っ先の下がっていた血刀を両手で構え、戦闘態勢に入った。 その全裸の中年男、即ち魔術師キルチネルは、何が起きたのかまるで理解が出来なかったが、 しかしようやく事態を把握したのか、表情を引き締めて呪文の詠唱態勢に入っていた。 「貴様・・・何者だ!」 若干甲高い声音で下位古代語の一言を放ったキルチネルは、自身の呪いの力が既に失われ、 生前と同じ魔力が復活している事を咄嗟に悟った。 となれば、縮量砲の起動コードを聞き出そうとしている眼前の敵にどう対処すべきかを、 理解するのにさほどの時間を要しなかった。 キルチネルは500年の時を越えてこの世に蘇ったが、しかしその死霊の呪いが作った 生ける屍の集団は尚も健在で、ルシアンとマディの二人に襲い掛かろうとしている。 広間の出入り口までにはまだ相当な距離があり、そこまで到達する為には、少なくとも 誰かが血路を開き、突破口を作らねばならないだろう。 一方、狭い石室内では、ウヅキテンゼンとキルチネルの人外の戦いが幕を切った。 まずキルチネルが、恐ろしく素早い詠唱でウヅキテンゼンに死の雲の呪文を仕掛けんと したのだが、しかしこれを、ウヅキテンゼンは信じられない技法で遮断した。 構えた血刀で空を斬る。 その動きは、常人の目では到底追いつく事が出来ず、ただ残像だけが宙空に残った。 しかし何よりも驚くべきは、その空を斬った血刀の動作によって、キルチネルの詠唱する 上位古代語が掻き消された事であった。 キルチネルは、再び驚愕せざるを得ない。 してやったりの表情でにやりと笑うウヅキテンゼン。 「うぬらの魔術は、全て音声による空気振動が、大気中のマナに作用する事で起動する。  ならば、その音声伝播をマナ発動以前に遮断すれば良いだけの話だ。桐生忍道奥義、  鎌鼬には、それが可能だ。わしの刀が作り出す真空の壁が、うぬの声を遮断したのよ」 シモンは思わず、心の中で唸った。 ウヅキテンゼンの言葉は即ち、精霊法術による静寂の法術を、精霊力に頼る事無く、刀の 技だけで実現してしまうという代物なのである。 こんな恐ろしい技量を持つ者が、まさかこの世に存在しようとは、夢にも思わなかった。 キルチネルは、青白い肌を露出させた格好のまま宙に舞い上がって、石棺の向こう側に 着地した。 魔術だけではなく、体術にも秀でているらしい。 ウヅキテンゼンは嬉しそうに笑い、 「面白い。そうでなくてはな」 と、獰猛な面に、更に凶暴な笑みを浮かべた。

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