結納


カークとルシアンの船釣りクルージングに関する打ち合わせの為に、マッティングリー邸の
離れを訪問していたシモンであったが、大体の手順確認や日取り調整が終わったところで、
ペネロペ側の冒険者フィルがひょっこり顔を出した為、ひとまず辞去する事にした。
明日の午前10時から、ガルガライス近郊の磯港からタルキーニ家所有のクルージング用
小型帆船を出すという事以外に、釣具の手配と調理用具の持ち込みリストなどを交換し、
両家の役割分担も決定した。
釣りのポイントに関しては、日々の天候や潮の流れなど様々な要因で変化する為、当日、
クリスとカークが様子を見ながらポイントを定めるという。
シモンとしては、満足のいく交渉を終える事が出来たと言って良い。
着々と、ルシアンのカークへの売り込みが進んでいる状況に、彼は彼で、それなりにでは
あるものの、少なからぬ手応えを感じ始めていた。
もちろん、印象度という点においては、ルシアンはまだまだペネロペには及ばない。
しかし諸々の条件や、ルシアン本人の積極性を引き出す事に成功した点を考え合わせると、
勝機は十分にあるだろう。
そんな意気揚々のシモンとは対照的に、入れ替わるようにしてマッティングリー邸の離れを
訪れたフィルは、あまり浮かない表情を見せていた。
離れの中へ通されると、カークの姿は無い。
父バオーリーに伴われて、ガルガライス城へと出向いているという。
昨日の誘拐事件の調査結果報告を、自らの耳で聞く為らしい。
調査団からの連絡で、野盗団の生き残りを確保しているとの事で、その尋問にも立ち会う、
という予定になっていた。
尤も、カークの不在はフィルにとってはむしろ好都合であった。
この小柄な優男は、いつになく緊張した面持ちで離れに現れたのだが、その表情が冴えない
理由は、カーク本人が同席しては話しづらい内容を聞きにきた為であった。
そのカークが居ないという事で、多少ならずとも、フィルの緊張が緩和された。
フィルがクリスから直接聞き出したかったのは、キルチネルの呪いのその後と、クリスの
視点から見たカークとペネロペの心境についての推測の二点であった。

キルチネルの呪いに関しては、殊更隠すような内容でもない。
午後の強烈な陽射しを蔀戸で遮りながら、クリスはウヅキテンゼンから聞き出した内容の
中でも、自分で理解している部分だけを簡潔に説明した。
「つまり、もうキルチネルの呪いによってペネロペお嬢様が命を落とす事は無い、と?」
「ああ。そういう事らしいぜ。まぁそれで、オロウォカンディがどうしてもペネロペを
 マッティングリーに輿入れさせにゃならんっていう理由は消えちまった訳だけどよ」
クリスの指摘に、フィルは思わず生唾を飲み込んだ。
確かにその通りで、最初にペネロペの嫁入りを画策したマローン老にしてみれば、最早
この結婚話にさほどの力を注ぐ必要がなくなってしまったのである。
但し、公の場で花嫁候補として立つ事を宣言した手前、確たる理由も無くこれを取り消す
というのは、世間体に関わる為、出来ない相談である。
しかしながらペネロペ自身の気持ちはカークに向いている為、マローン老はそのまま話を
進めてしまおうという意図を持っているらしい。
マッティングリー家と繋がりが出来る事は、決して悪い事ではないからだ。
「けどよぉ、あの二人の温度差ってのはちょっと微妙かもなぁ」
カーク代理人を公言する若き盗賊は、思わせぶりな表情で顎先を指で軽く撫でながら、
多少意地悪そうな笑みを、来客用ソファーに深々と腰を下ろしているフィルに見せ付けた。
「カークって野郎はよ。結構男が男に惚れるって事をやらかすタイプでさ。いや、別に
 変な意味じゃねぇからな。あいつにそんな趣味はねぇ。ただ、何て言うのかな・・・
 そう、男気に惚れる。人物に惚れ込むってやつ?カークはアーベイの器量にすっかり
 惚れ込んじまっててよ。ペネロペの前でも無神経なぐらいに、アーベイの事ばっかり
 べらべら喋りやがる。それはおめぇも見てて気づいただろう?」
クリスの言葉に、フィルは苦しそうに頷いた。
確かにカークには、クリスが指摘するような面がある。
何よりも、アーベイがペネロペの昔の男だという事実を、カークはまだ知らない。
その為、余計にカークは、ペネロペの苦しい心境など理解出来ずに、ただただ自侭に、
自身が惚れ込んだ男アーベイの話題を振ろうとするのである。

カークには決して悪気は無い。
むしろ、アーベイを共通の話題とする事で、ペネロペとのぎくしゃくした間を改善する
足がかりにしたいとすら思っているらしい。
しかしそれが却って逆効果になっている事を、カークはまるで理解していなかった。
カークがアーベイの話題を振れば振る程、ペネロペはカークの言葉を変に詮索し、妙な
猜疑心を抱く、という悪循環に陥っているのである。
「まさか俺の口から、アーベイが実はペネロペの元カレだ、なんて言えねぇしなぁ」
「それだけは勘弁してください。もしそんな事が知れたら・・・カークさんはますます
 アーベイさんの男気に惚れ込んでしまうかも知れません」
フィルは半ばすがるような表情で、にやにや笑うクリスの嫌味な笑顔を拝むような格好で
両手を合わせた。
実はこの後、フィルが辞去した後に、しばらくしてからライトが訪れてきたのであるが、
クリスは彼に対しても、カークのアーベイに対する惚れ込みようを説明する事になった。
ライトはフィルとは異なり、直接カークと面会して、ペネロペに対する心境を聞き出す
つもりでいたのだが、そもそもカークがペネロペとアーベイの過去の関係を知らない、
という現状を知った時点で、彼があれこれ考えていた事は全て無駄に終わったのである。
ただ、クリスはこうも言った。
「カークは不器用な奴だからよ。ひとたび、ある人物に興味が深まっちまったら、女の
 ことなんざ頭の片隅に追いやっちまう事が少なくねぇんだよな。だからよ。ここで
 アーベイの印象を拭い去って、なんとかあいつの気持ちを引き戻さねぇとならねぇ」
そういう意味では、早くから船釣りクルージングという次なる手段を打ってきたシモンと
マディの二人の対応は、極めて適切だったと言って良い。
カークの趣味である釣りに、クルージングという、当節あまり普及していない遊びを
セッティングする事で、ルシアンの印象がアーベイへの興味を駆逐する可能性が大いに
期待されるからだ。
(しまった・・・これは、少し後手に回り過ぎましたか)
マッティングリー邸を後にしたライトが、強い陽射しが容赦なく照りつける大通りを
歩きながら、内心歯噛みしたのも無理からぬ事であろう。

その夜、下城したカークはクリスから船釣りクルージングの件を聞き、目を輝かせた。 「へぇ・・・それは、楽しみだな。クルージングっていうのも、体験した事ないし」 カークのこの喜びように、内心クリスは、次なる敵はルシアンだと頭の中で決め付けた。 (ペネロペは今んとこ一歩後退だが、ルシアンはかなりポイントを稼いでいやがるな。  ここ一つ、クリストファーさんの恐ろしさを思い知らせてやらねぇとな) などと馬鹿な事を考えつつ、クリスはシモンと調整した予定などについて、細々とした 説明を加えていく。 「けどよぉ。あのルシアンってお嬢さん。釣りは出来るんかな?」 「さぁ?料理は得意だって事だから、きっと僕らが釣り上げた魚を、その場で捌いて、  色々美味しく仕上げてくれるんじゃないかな?」 クリスのとぼけた台詞に、カークもそれとなく反応したのだが、しかしクリスは全く 別の方策を頭の中で固めつつある。 (よぅし・・・スパルタ釣り教室で泣かせてやるか) めらめらと闘志が湧き起こるクリスの不気味な笑顔を、カークは気味悪そうに眺める。 と、ここでカークが、何かを思い出したかのように、あっと声をあげた。 「そうだ・・・今の時期は、確かコリア湾の沖合いで、海の民が漁場移動してる筈、  だったんだ。大丈夫かな?」 海の民、とはマーマン族の事である。 ここガルガライス近郊の湾岸付近には、マーマンの集落が決して少なくない。 そのうちの幾つかの部族が、潮流が変化する時期によって漁場を変える為の大移動を する事がある。 船釣りクルージングが、そんな大移動真っ最中のマーマン大集団に突っ込んでしまえば、 これはこれで大問題となるだろう。 「まぁ、要は気をつけりゃ良いって事だろう?」 言いつつ、クリスは腹の底では逆の事を考えていた。 わざと船釣りクルージングの小型帆船をマーマンの集団にぶつけてみたら、どうなるか。 それはそれで、何か面白い事でも起きそうな気がしていたのである。 「ところで、例の野盗団連中の尋問だが・・・あれ、結局どうなったんだ?」 いきなり話題を変えたクリスに、カークはやれやれと肩をすくめて苦笑したが、しかし その語り口調は真剣そのものであった。 ウォージー遺跡を根城として活動していた野盗団は、最初からカークを狙って行動を 起こしていたとの事であった。 当初は、ペネロペやルシアンが狙われたものだとばかり思われていたのだが、あの時、 スウィフト農園に居合わせた中で最も身代が高かったのはカークであり、この良家の 家督相続人を誘拐して、高額な身代金を要求する腹積もりだったらしい。 しかし、迅速に動いたルシアンとペネロペ、アーベイ、そして冒険者達といった 面々の他に、ウヅキテンゼンとキルチネルという全く人外の化け物達の戦いが発生し、 彼らの野望はあえなく潰えた、というのが真相らしい。 なんともお粗末な話である。 そもそもこの野盗団のリーダーは、ベルダインの魔術師ギルドを追われたもぐりの 魔術師だったという。 あまり頭の良い方ではなく、しかも何かと問題を起こす不良魔術師だったらしい。 結局、魔術師ギルドを追放された後は、近在の野盗どもをまとめ上げ、ちょっとした 勢力を誇る野盗団にまで成長させた。 しかし、そんな不良魔術師リーダーの思惑が成功したのはカークを誘拐したところが 限度であり、ウヅキテンゼンに喧嘩を売ったのが、全ての不幸の始まりだった。 呆気なく斬殺された上に、キルチネルの霊力によって哀れな生ける屍と化してしまった。 小悪党の末路など、往々にしてこんなところが関の山であろう。 「へっ、馬鹿な野郎どもだぜ。俺達にちょっかい出したのが間違いなんだよ」 「・・・クリス、その連中に袋叩きにされたって話を聞いたぞ。本当かい?」 「何の事だ?」 クリスはしれっととぼけてみせたが、内心脂汗をかく思いだった。 恐らく、見舞いに訪れたマディ辺りが告げ口したのだろう。 そのマディは、夕刻過ぎまでオロウォカンディ氏の動向を探っていたのだが、しかし さほど気になる動きが無かった為、早々に退散し、タルキーニ邸に戻っていた。 「今んとこは順調だね。このままいけば、明日のおデェトは上手くいくんじゃない?」 いささか楽観的な調子で自身の推測を述べる金髪碧眼の美少女に、しかしシモンは逆に、 その端正な面を仏頂面に固めていた。 「いえ、今度の敵は、恐らくクリスさんの方でしょう。野盗団騒ぎが収まった今、次は  ルシアンお嬢様に的を絞ってくる可能性大です」 「う・・・だったら、あいつを張っておいた方が良かったかな?」 今更ながら、マディは後悔し始めている。 確かに、もしクリスの動きを張り込んでおけば、彼が明日、ルシアンに仕掛けようと 画策している作戦を、事前に察知する事が出来たかも知れない。 そして事実、あのガキ大将のような悪知恵大王は対ルシアン工作を着々と進めていた。 タルキーニ邸食堂での夕食の席において、シモンが明日の船釣りクルージングの詳細を ルシアンに説明した。 ここ最近、深窓の令嬢から、活発なお嬢様へと変貌しつつあるルシアンは、シモンの 説明を聞いているだけで、早くも頬に赤みが差し、明日が待ちきれないといった風な 表情を浮かべつつあった。 「ねぇルシアンお嬢様。釣りはお好きですか?」 ふと、何か不安を感じたマディが、隣の席で見事な礼儀作法を見せながら料理を口に 運んでいるルシアンに問いかけてみた。 案の定、美貌の令嬢はややはにかんだような面を作り、小さくかぶりを振る。 「生まれてこの方、釣りというスポーツはやった事がありませんわ」 しかし、やれと勧められれば、やってやれない事はない、とも言った。 「ゴカイやフナムシなどを餌にする事もありますが、触る事が出来ますか?」 「それなら大丈夫ですわ。お魚を捌く時に、時折寄生虫などが居てびっくりする事が  ありますけれど、全部私が自分の手でそれらを取り除いたりしてますから」 また、庭の手入れ等の際にも、ナメクジやミミズなどを指先でつまむなどは、いつも やっている事なのだという。

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