結納


船釣りクルージング当日早朝、マディは未明に目を覚まし、準備が整えられている筈の
磯港に、単身足を向けた。
大移動をしている筈のマーマン大集団に対する予防措置を取っておく為である。
ルシアンとカーク、そしてクリスへの対応に関しては、シモンに全てを任せてある。
本来なら、マディも皆と一緒にクルージングに参加したかったのだが、しかしマーマンの
動きがまるで分からない為、その対処も重要であるとの認識から、自らその任務に就いた。
タルキーニ家執事のロナウジーニョに相談してみたところ、マーマン大移動は珍しい事では
ないらしく、ガルガライスで漁業を営む者なら、一生のうちに何度か遭遇する経験を持つ、
とさえ言われている。
ならば、この大移動との衝突を回避する為の方策なり、専門組織などがあっても、決して
おかしくないという発想が、マディを港に走らせた。
果たして、彼女の予測は的中した。
浜から磯港にかけて、地引網やカヌー漁に精を出している漁師達を片っ端からつかまえて、
マーマン大移動に関する情報を細々と集めてみたところ、マーマン部族との交渉人とも
言うべき役割を担っている人々の存在を確認する事が出来た。
また、マーマン側にもガルガライスの交渉人と折衝を持つ役割を任ぜられている者が居る、
との事であった。
その折衝役マーマンは常に女性、つまりマーメイドなのだが、各部族から代表で選ばれた
巫女であるという。
地上の民との意思疎通を円滑にする為に、共通語、西方語、エルフ語、ドワーフ語など、
実に様々な言語に精通しているらしい。
名をアリーナスと言い、マーメイド全般に共通するように、驚く程の美貌の持ち主で、
腰元にまで流れるやや赤みがかったダークブラウンのストレートヘアが特徴的だという。
現在このマーメイド巫女のアリーナスは、磯港近くの岩礁に滞在している。
どうやら、現在進行中のマーマン大移動に関して、移動経路と漁場の調整を目的にして、
ガルガライス側と折衝中であるという事であった。

早速、マディは磯港付近の岩礁に向かった。
既に漁師を引退した浜の老人に請い、手漕ぎボートを借り、ガルガライスが東に背負う
深いジャングルの向こうから、まぶしい朝陽が射し込む頃合になって、その岩礁へと
到達した。
如何に終わりなき夏の街であろうとも、夜明け前は涼しい。
特に潮気をたっぷり含んだ穏やかな海風は、オールを漕ぐマディの頬を軽く撫でてゆき、
心地良い爽やかさが何とも言えなかった。
マディが岩礁に到着すると、人影が、海面上に突き出ている岩場に腰かけている姿を
確認する事が出来た。
ルシアンもペネロペも、そしてマディですら到底叶わない程の煌びやかな美貌があった。
(この御仁がアリーナス・・・)
直感したマディは、突然来訪した非礼を詫び、簡単に自己紹介してから、相手の反応を
じっと待った。
海面上の美女は、意外にも衣類を身に付けていた。
と言っても、豊かなふくらみを見せる胸元と、腰周りを僅かに覆う程度で、どちらかと
言えば、その形状はほとんどビキニに近い。
マディが驚いた事には、この女性は両脚が股間からきっちり別れており、太股の辺りから
鱗に覆われているのだ。
遠目にシルエットだけを見れば、人間の成人女性にしか見えないのである。
但しこの女性がマーメイドである事の証明は、両足先に大きく広がるヒレであった。
「いかにも、私はアリーナスです。ご用件を承りましょう」
これ以上はないというぐらいに整っている端正な面に微笑を湛えながら、アリーナスは
ボート上のマディに小首を傾げた。
面通しが終わった以上、遠慮していても仕方が無い。
マディは素直に、船釣りクルージングの件をアリーナスに説明した。

船釣りクルージングに関して一通りの説明を聞き終えたアリーナスは、しっとりと絹の
ように滑らかな声音で、確認するように、
「それでは、そのご夫妻の船が私どもとぶつからなければ、特に問題は無いのですね?」
と聞いてきたものだから、マディは小さく頷きながら、内心はっと思い立つものがあった。
(そうか・・・マーマン部族に夫妻である事を先に認めさせ、既成事実を作ってしまえば
 良いではなかろうか)
実際、アリーナスは勝手にカークとルシアンを夫婦だと勘違いしている。
マディが二人の関係についてあまり詳しく説明しなかったせいでもあったが、しかし、
この勘違いはルシアン陣営にとって、追い風になる可能性が大きい。
「ガルガライス漁業連合側とは、もう既に大方の調整は終わっておりますので、私はもう、
 しばらく暇になります。良ければ、船釣りクルージングの先導をさせて頂きましょう」
アリーナスからの、思っても見なかった申し出に、マディは一も二も無く頷いた。
これほど都合の良い展開は無い。
マーマン部族の折衝役であり、マーメイド巫女でもあるアリーナスに、カークとルシアンの
仲を見せつけておけば、必ず後で役に立つだろう。
「では、ここでしばらくお待ちくださいな。そのボートを曳く為の海馬を連れて参ります」
ほぅ、とマディは内心で驚くと同時に、期待を抱いた。
陸上では奇種であり、目撃談も極めて少なく貴重であるという海馬を、この目で鑑賞する
機会が訪れようとは予想外だった。
しかし、この好機を逃しては、こんな珍しい経験はこの先、そうそう出来るものではない。
「どうもありがとうございますぅ」
わざと舌足らずな調子で礼を述べ、深々と頭を下げるマディに、アリーナスは太陽のような
笑みを返し、岩場から尻を跳ねるようにして海中へと消えた。
それからほどなく、純白の馬の上半身が、近くの海面上に姿を現した時、マディは何とも
言いようのない感動を覚えてしまった。

その数時間後、カーク、ルシアン、シモン、そしてクリスの四名が乗船するタルキーニ家 所有の小型帆船が、ガルガライス磯港を出港し、沖合いの潮流を目指して帆走を始めた。 形状的には、どちらかと言うとヨットに近い。 大型のカヌーのような船体に、細長い三角形の帆を張るマストが、真っ青な天に向かって 高々と伸びているシルエットは、美しいの一言に尽きた。 帆を操るのは、ルシアンとカークの共同作業であった。 小さい頃から父親に連れられて、幾度と無くクルージングに出ているルシアンである為、 その操船技量はなかなかのものである。 よって、このクルージングに関して言えば、船長は紛れも無くルシアンであった。 ナビゲーターはクリスとカークである。 ただ一人、シモンだけは、クリスの動向を注視しつつ、海上に妙な変化が無いか、精霊の 動きを読む為の精霊視覚を開放して、ウンディーネ達の声に耳を傾けていた。 「本当に、晴れて良かったですわね」 「だね。時化たらどうしようかと思ったけど、この調子なら何もなさそうだよ」 はしゃぐように明るい表情で言葉を交わすルシアンとカークを、クリスはどこか不気味な 様子で横目に眺めていた。 いつ、どこでルシアンを苛めてやろうかと、そんな言ばかり考えていたのである。 しかしクリスのそんな企みは、純白の海馬の不意なる出現によって、ほとんど頭の片隅に 追いやられてしまった。 「やっほー!みんな!」 純白の海馬に曳かれるボートに乗って、両手を大きく振っているのはマディであった。 更に船上の全員が驚きを重ねたのは、海馬の傍らに表現も出来ない程の美しさを誇る謎の 美女が並んで海上を走っている事であった。 「マディさん、そのご婦人は?」 まずシモンが最初に問いかけた。 マディが簡単にアリーナスを紹介し、次いでアリーナスが、マディから受けた説明に対し、 自らが水先案内人として、マーマン大移動とぶつからないコースへ引率する旨を告げた。 今回の船釣りクルージングは、釣りを始める以前の段階で、アリーナスとその海馬の 出現によって、第一の盛り上がりを見せた。 特に珍しい物好きのクリスにとっては、噂でしか聞いた事のない海馬の出現は、最早彼の ルシアン工作を忘れさせてしまう程の衝撃であった。 (あの海馬・・・の・・・乗りてぇ!) カークとルシアンの手前、そんな本音を口にする事はなかったが、しかしマディに送る あからさまな羨望の眼差しだけは、どうにも隠し切れない。 その後アリーナスの案内で、マーマン大移動の経路から相当離れた海域で釣りポイントを 確定すると、そこで帆を降ろし、船上の面々は早速釣り糸を垂れ始めた。 クリスはとにかく、海馬が気になって気になって仕方が無く、釣りどころではなかった。 そんなクリスの隙を縫うようにして、ルシアンがカークの傍らにぴたりと寄り添っている。 直接カークから釣りの手ほどきを受けているのだが、もともと槍術のたしなみがある彼女は、 棒状得物の扱いが上手く、釣竿から釣り糸を垂れるまでの手順をすぐに覚えた。 こうなると、もうルシアンのペースである。 餌となるゴカイやフナムシ、或いは海老類などを触る事には抵抗の無いルシアンは、隣の カークと一緒になって、あれよあれよと次々に釣果を叩き出し始めた。 マディもボートの上で釣竿を借り、船釣りを楽しんでいる。 尤も彼女の場合、餌に触るのが苦手だった為、海面上でアリーナスに餌をつけてもらって いたのであるが。 ビギナーズラックという言葉がある。 ルシアンの場合はまさにそれで、面白いように次々と獲物が針にかかった。 この後、船上では海鮮バーベキューが催され、ボートから乗り移ってきたマディと、船上に 招待されたアリーナスも加わって、全員で食べに食べまくった。 もちろん、釣り上げた魚を手早く捌くのはルシアンの仕事であり、処理が終わった魚を 焼き網に乗せるのはシモンとカークの仕事である。 マディとアリーナスはルシアンを手伝っていたのだが、クリスだけは、一人食い役に徹した。 結果的に、海馬の出現と海鮮バーベキューの二手が、ルシアンに対するクリスの策略を 完全に封じた形になった。 ルシアン陣営の企画は成功した。一方、ペネロペ陣営はどうか。 こちらは完全に、花嫁選びの戦いから後退した感が拭えない。 まずライトであるが、彼は昼前にスウィフト農園を訪れ、キルチネルの呪いが完全に消え去り、 オロウォカンディ氏を襲う脅威は全て取り除かれた旨を報告した。 本来なら、ライトはペネロペを伴ってスウィフト農園を訪れたかったのだが、しかしこれを、 ペネロペは拒否した。 ライトが様々に言葉を尽くして説いたものの、ペネロペのアーベイに対する複雑な想いは、 そう簡単には整理出来ない。 意外にも、こういう部分に関しては精神的に脆い女性である事を、ライトは改めて思い知った。 矢張りペネロペにしてみれば、アーベイはコーヒー農園と自分とを量りにかけ、最終的には 自分を捨てた男だというわだかまりがあるのだろう。 もうここまでくると、理屈ではない。 今のペネロペの感情を良い方向に転換させようとするならば、彼女の気持ちを、一発で的確に 落ち着かせる方策が必要かも知れない。 つまり、簡単に言えばカークが何も言わず、ペネロペを強引に押し倒すという強硬手段に 頼るのが一番であったのだが、肝心のカークはこの日は不在で、ルシアン達と一緒に、沖への 船釣りクルージングに出てしまっている。 (まだまだ、恋愛に関しては修行が足りませんね・・・) アーベイが出してくれた挽きたてのコーヒーを前にして、ライトはいささか気落ちしていた。 「どうした?ペネロペの旗色が良くないのか?」 母屋の応接室で、テーブルを挟んでライトと向かい合う位置に座っているアーベイが、相手の 面を覗き込むようにして問いかけてきた。 確かに、現状は決して思わしくない。 その事も、ライトの心にずしんと圧し掛かってきている。 目の前のアーベイにしても、まさかペネロペが苦戦するなどとは予想外だったらしい。 しかしいくらペネロペが花嫁選びに敗れたとしても、アーベイは再び彼女にすり寄ろうとは しないだろう。 そういう人物である。

その夜、カークはタルキーニ家所有の小型帆船の船室で、ルシアンと共に一晩を過ごした。 船釣りクルージングが終わった時点で、二人以外の面々は全員下船している。 夕刻、磯港に降り立ったクリスは、自分が考えていた策をほとんど実行に移す事が全く 出来なかった悔しさもあったが、しかしルシアンと、彼女を支える二人の冒険者が勝者と なった事に関しては、不思議と腹も立たなかった。 シモンとマディの二人を誘って、馴染みの定食屋で夕食をとっていたクリスは、さばさばと した表情で、敗北宣言した。 「こりゃあもう、あの二人で決まりだろうな」 クリスの言葉通り、その翌日には、カークはルシアンとの結婚をバオーリーに報告している。 アリーナスが、カークとルシアンに向かって『ご夫婦』と呼んだ時、ルシアンは耳まで 真っ赤になりながら、本当に嬉しそうな顔をしていた。 そんな彼女の幸福に満ちた笑顔が、カークにルシアンとの結婚を決意させたという。 「まさかマーメイド巫女を連れ出すなんてなぁ。さすがのクリストファーさんもすっかり  虚を突かれたぜ」 「何言ってんのよ。あなたの場合、海馬に見惚れてたんでしょうが」 クリスにきつい一言で突っ込みを入れてはいるが、マディの表情は実に明るい。 いずれにせよ、この三人の仕事は終わった。 クリスとしても、カークの花嫁と決まった以上、今後はルシアンを応援するつも りであった。 一方、オロウォカンディ邸では、フィルがライトの帰りを出迎えて、がっかりしていた。 「どうしたんですか?」 「ライトさん・・・クルージングの準備して、ずーっと待ってたんですよ?」 「・・・え?」 フィルの予想外の一言に、ライトはすっかり言葉を失ってしまった。 結局最後の最後で、ペネロペを支援する為に雇われた二人の冒険者は、お互いの意思疎通が 不完全に終わり、ルシアン陣営に惨敗を喫した形になってしまった。 翌日になってカークとルシアンの結婚が発表されると、フィルとライトは邸から締め出され、 再び椰子木立亭に戻らざるを得なかった。 もちろん、報酬など貰える筈も無い。


以上でセッション「結納」は終了です。
マディとシモンは経験値1000点と、ボーナス込みの成功報酬として一人頭ガ
メル銀貨が800枚ずつ手渡されました。
フィルとライトは経験値750点を獲得したのみです。
クリスは経験値1000点を獲得しましたが、特に報酬等はありません。

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