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ゴブリンの大集団らしき気配が、研究室跡の比較的近い位置に生じた。
これが何を意味するのか、というところにまで意識を飛ばしている余裕は、この場の誰にも無い。
分かっている事は、例の轟音を停止させている状態が続けば、バーミール本体の霊が目を覚まし、
対抗手段を持たない者全員が、無残な屍を晒す結果になるであろうという、その一事のみであった。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
モイセスと対峙を続ける冒険者達の間から、リグが小柄な体躯を隙間から押し出すようにして前に
進み出てきて、時間稼ぎも兼ねた交渉に入ろうとした。
「今、こっちにあのゴブリンの大集団が向かってきてるみたいなんだ!あいつらを何とか捕獲して、
  生命の精霊力を利用する事は出来ないかな!?」
リグの発案には、頷ける部分もあるのだが、モイセス自身、バーミール本体の霊が完全に目覚めて
しまうまでの制限時間を把握しておらず、間に合うかどうかを判断する材料が無い。
彼が知っているのは、バーミールの遺体は既に録音媒体としての機能しか果たしておらず、一部が
欠損したぐらいでは問題が無い事と、目覚めるのはあくまでも霊体だから、首があろうがなかろうが、
目覚めるものは目覚めてしまうという二点のみであった。
その間、ルーシャオは必死に資料のページを繰りながら、録音媒体としてのバーミールの遺体に
関する情報を最大限引き出そうとしていたのだが、あいにく、さほど参考になるような事はほとんど
書かれていないのが現状であった。
ルーシャオにしても、そしてその傍らで護衛の為に佇んでいるゴルデンにしても、ゴブリンを捕獲し、
その生命の精霊力を利用する方針でモイセスと対していたのだが、その実効性については、誰も
確信を持っていない。
「あのゴブリンどもは、ここで誕生した。それは間違いねぇだろう。つまり、生まれながらにして、
  負の精霊力を身につけている可能性だってあるんだろう?そんな奴らで、生命の精霊力の代用が
  本当に可能なのか?」
訝しげな表情で問い返すモイセスの疑問にも、一理あった。
そして何よりの問題は、今の時点で積極的にゴブリン捕獲に動こうとしていたのは、テオでも
キャロウェイでもゴルデンでもなく、フォールスただ一人だけ、という事であった。
いくら冷静且つ切れ味鋭い頭脳の持ち主である彼であっても、たった一人でゴブリンの大集団から、
ゴブリン一匹だけを捕獲しようというのは、無謀であろう。
フォールスを除く他の面々はと言えば、どちらかと言えばゴブリンの大集団の到着を待つ、という
スタンスで、モイセスとの交渉に臨んでいたのである。
意思の疎通が欠けていたと言えば、それまでであるのだが。

そんな中で、一人だけ、必死に頭脳を回転させて事態の打開策を思案していた者が居る。
意外にも、戦士であるテオであった。
彼は、レイ・クラウザーとの距離が思った程離れていない事実を思い出していた。
馬鹿正直に、レイ・クラウザーの元に走るのは時間がかかりすぎる。
では、他の方法で彼をこの場に呼び出す事は可能かどうか。
そこで思いついたのが、クリスタナ達三人娘を、呼びに走らせる、という案であった。
一見、ひどく馬鹿馬鹿しいようにも思われるこの方法だが、実はこの中では最も理にかなっていた。
「クリスタナさん、ちょっと、耳を」
死人のように真っ白な面に、無数の死紋を浮かべた凄惨な表情で、テオは声を落として美貌の
令嬢を手招きし、モイセスに気づかれぬよう、そっと耳打ちした。
最初は驚いた様子で聞き入っていたクリスタナであったが、やがてその端正な面に、彼女なりに
納得したらしい表情を作った。
「なるほどね・・・私達三人の甲高い声なら、ちょっとぐらい距離があっても確かに届くか」
「あの轟音が消えている今がチャンスなんです・・・お願い出来ますか?」
「もちろんよ。任せて」
テオから、例の地下埋葬場までの道のりを簡潔に聞き出し、二回ほど復唱してから、クリスタナは
級友達を伴って、足早に研究室跡を飛び出していった。
彼女ら三人の走り去る姿は、モイセスの位置からは全くの死角になっていて見えない。
「おい、彼女達は一体どこへ行くつもりなんだ?」
いささか咎めるような視線でテオに食いついてきたフォールスだが、テオは逆に質問で返した。
「あのさ、ゴブリンどもの気配は、今どの辺なんだい?」
「そうだな・・・丁度、俺達が来た方角とは逆方向になるな」
よし!とテオは内心拳を握ってほくそえんだ。
少なくとも、クリスタナ達がゴブリンの大集団と遭遇する危険性は、これでなくなったと見て良い。
この時になってようやくキャロウェイが、クリスタナ達の不在に気づいた。
暴れまわるガルシアパーラを押さえ込むのに必死だった為、クリスタナ達の走り去る姿を全く
見ていなかったらしい。
テオが、レイ・クラウザーを呼びに走らせ、且つゴブリンの大集団とは逆方向である旨を告げると、
一瞬心配そうな色を浮かべたキャロウェイも、不承不承納得する以外になかった。

いよいよ、ゴブリンの大集団の気配が近くなった。
フォールスが予想していた以上の早さだった為、のんびり構えている余裕も無く、ゴルデンの背中に
緊急を告げる声を発すると、自らも武装を施して臨戦態勢に入った。
「ゴブリン達が、近いようです。今、あの轟音を復活させると、乱戦になって、逆にこちらの命が
  危なくなってしまう可能性が高いですよ」
ルーシャオも、モイセスとの交渉に必死だったが、それ以上に、今接近しつつあるゴブリンの方が、
脅威となりつつあった。
いつ目覚めるか分からないバーミールに怯えるよりも、先に対処せねばならぬ敵が迫っている以上、
モイセスとしても渋々ながら、目の前の冒険者達と共にゴブリンへの対処に動かざるを得ない。
「ともかく、ゴブリンどもを生贄にして一度は試してみるか」
結局、リグの提案に乗る形で、モイセスはバーミールの遺体から離れ、研究室跡内へ引き返してきた。
この時になってようやく、クリスタナ達が居ない事に気づいた。
「おい、あの娘どもはどうした?」
「さぁ・・・気がついたら居ませんでした」
テオは無表情のまま、しれっと答えた。
死後硬直が始まっている為、顔の筋肉はほとんど動かない。
本人としてはあまり喜ばしい事態ではないのだが、ことポーカーフェイスを維持するという観点から
見れば、意外に役立っていると言って良い。
「来たぞ」
フォールスの声に、緊張がみなぎっていた。
単純にゴブリンを相手に回すだけなら、これほど緊張する必要も無かっただろう。
しかし今、彼らの前に姿を現しつつあったのは、ゴブリンだけではなく、二つの生ける屍の影も、
同時に含まれていたのである。
こればかりは、完全に計算外であった。
モイセスの仲間であった筈の、デスモンドとマメットの両名であった。
面影こそは辛うじて残されているものの、その容貌は、ネッロと同じく、完全に醜悪な腐乱死体と
化している。
ゴブリンどもと、この二つの複製死霊が、行動を共にしているとは、誰が想像したであろう。
だが、これで逆にある程度の合点はいった。
「なるほど、こいつらがここにゴブリンどもを誘い込んだっちゅう訳かい」
武器を構えるゴルデンの声には、どこか剽悍とした響きが篭もっている。

ネッロとの死闘で、バーミールの複製死霊がどれほど手強い相手であるかは、既に知っている。
あの破壊力と突進力が、単純計算でも二倍になって、襲いかかってくるのである。
ゴブリン捕獲だけでも相当気力を必要とする筈なのだが、それ以前に、二体もの複製死霊との戦いに
耐えなければならないというのは、非常につらい話であった。
不意に、冒険者達の左手の方で、低い呻き声のような悲鳴が轟き渡った。
慌てて振り向いてみると、手首と足首の骨を自ら砕いて戒めを解いたガルシアパーラが、凄まじい
までの形相で仁王立ちになり、キャロウェイを背後から殴り倒して昏倒させているではないか。
「よりによって、こんな時に・・・!」
死後硬直で痛む全身が声無き悲鳴を上げる中、テオは愛用の六角棍を構えて、ガルシアパーラの
前に立ち塞がる。
対複製死霊及びゴブリンの大集団には、あまり幅の無い研究室跡の入り口で、仲間達による対処に
任せておけば良いのだが、ガルシアパーラは完全にこちら側の内部で行動を開始した為、誰かが
注力しなければならない。
「ガルシアパーラは、まだ完全に不死族とはなっていない。手加減してやれよ」
フォールスが、まるで他人事のように言う。
内心苦笑したいテオだったが、顔面が固まった石のように動かない。
彼自身の肉体も、いつ、ガルシアパーラのような状態へ変貌するか、まるで予断を許さなかった。
ルーシャオが驚きの声を放ったのは、それから僅かに間を置いた頃であった。
突然、暗い通路を殺到しつつあったゴブリン大集団の後方で、甲高い獣のような悲鳴や怒号が、
次々に鳴り響き始めたのである。
「な・・・何が!?」
端正な面持ちに戸惑いの色を浮かべる若き魔術師の背後で、テオは小さな安堵の溜息を漏らした。
(間に合ったんだ)
逆集団リンチとも言うべき破滅的な攻撃力が、ゴブリン集団の最後尾から徐々に前方へと流れ、
遂には貫通して、冒険者達の前へと突破してきた。
松明の炎が照らし出す薄暗い空間の中で、蒼みがかった銀髪が美しく映える。
背後に従えた三人の少女達は、この美貌の戦士が切り開く突破口を、ただ無心に走り続けるだけで
良かった。
モイセスの面が驚愕と恐怖に歪んだ。
「貴様・・・レイ・クラウザー!」
「馬鹿な奴だねぇ。こんなとこうろうろしてねぇでさっさと逃げてりゃ、俺に見つからずに済んだ、
ってぇのに」

ガルシアパーラと対峙している為、背を向ける格好になっているテオに、モイセスは怒りを含んだ
強烈な視線を送ったが、テオはまるで気づかない。
いや、気づいているかも知れないが、彼はガルシアパーラを相手に回すだけで精一杯だった。
例の轟音に、生命の精霊力を乗せる為には、生命の提供者の血液を録音媒体に吸収させ、その上で、
専用の起動呪文を上位古代語で詠唱させる必要がある。
既にルーシャオはその起動呪文を暗誦する程度にまでは記憶しており、生命の提供者さえ決まれば、
いつでも作業に取り掛かる事が出来る。
実はクリスタナ達も、その方法をルーシャオからの簡単な説明で聞き知っており、そして更に、
レイ・クラウザーにも受け売りながら伝えていた。
モイセスが金属製扉を開け放った時に鳴り響いたあの轟音を、レイ・クラウザーも地下埋葬場に
居ながら聞いてしまった。
彼としても、生命の精霊力に乗せ換えた音を聞かねばならなくなってしまっている。
そしてレイ・クラウザーが下した結論は、たった一つであった。
「お前さん達、ちょこっとだけゴブリンどもの相手しててくれ」
クリスタナ以下三人の少女達を引き連れて研究室跡内へと飛び込んだレイ・クラウザーは、半ば
恐慌状態に陥りつつあったモイセスを追って、バーミールの遺体が安置されている金属製扉の奥へと
駆け込んでいった。
ルーシャオは、レイ・クラウザーの思惑を即座に悟った。
「ま、待て!待ってくれ!」
懇願するモイセスの声を完全に無視して、レイ・クラウザーは愛用の魔装具を振るった。
妖しく光り輝く切っ先が、モイセスの右肩口を貫通し、そのまま激しく痙攣を続けるバーミールの
遺体へと突き刺さる。
当然、傷口から噴き出したモイセスの鮮血は、バーミールのミイラ化した遺体に、スポンジが水を
吸収するような勢いで吸い込まれていく。
その様子を、金属製扉の外側から、いささか戸惑った様子で眺めていたルーシャオに、美貌の戦士は
世間話でもするような何の気も無い調子で言い放った。
「よし良いぜ。やっちまってくれ」
レイ・クラウザーの声を、どこか遠くで聞くような感覚の中、ルーシャオは我知らずのうちに、
起動呪文の詠唱に入った。
モイセスが、声にならない悲鳴をあげて、恐怖に歪む顔にどっと冷や汗を流していた。

再び、あの轟音が地下遺跡内に充満した。
変化はすぐに現れた。
まずガルシアパーラが泡を吹いて昏倒したものの、その表情からは、あの凶悪で醜い形相は消え、
単純に気絶している若者の顔が、キャロウェイの大きな背中にめり込んでいる。
更に、テオの全身から一切の痛みが消え、更に健康そのものの状態へと回復したのも驚きだった。
ルーシャオやフォールスの、タイプは異なるがそれぞれ整った面を持つ若者達の顔に浮かんでいた
死紋も完全に消え失せ、張りのある健康的な赤味がさしていた。
そして、ゴブリン達の先頭に立っていた二つのおぞましい影は、轟音に掻き消される中で、恐らくは
凄まじい悲鳴を漏らしつつ、その場に崩れ落ちた。
既に複製死霊による完全な支配を受けてしまっていた彼らは、最早助かる術はなかった。
ただの腐乱死体と化してしまい、ゴブリンどもに更なる動揺を与えた。
「もういい!消せ!うるさくてかなわねぇ!」
ルーシャオの耳元で、レイ・クラウザーはありったけの声量を振り絞って怒鳴った。
バーミール本体の霊が目覚めたところで痛くも痒くも無い彼としては、鼓膜が痛む方が迷惑だった。
轟音停止の呪文を口中で唱えながら、ルーシャオは金属製扉の奥に視線を飛ばした。
台座の上に、バーミールの遺体の他にもうひとつ、先ほどまで生きた人間だった筈の者が、同様に
干からびた遺体となって、乾いた鮮血に汚れたまま息絶えている。
自分の呪文が、一人の人間の命を奪う結果になったという事実に、気の弱いルーシャオは後々まで
尾を引いて考え込む羽目になったのだが、この場においては、ともかく事態打開しか頭に無く、
レイ・クラウザーに言われるがままに、轟音を停止させた。
「俺ァ先にバーミールを始末するからさぁ、悪いがお前さん達でゴブリンの頭数減らしててくれ」
轟音の停止に伴い、再び目覚めようとしつつあるバーミールのミイラ化した遺体に、まるで犬の糞か
何かを眺めるような無造作な視線を送りながら、レイ・クラウザーはそのように申し出た。
もちろん、冒険者達には断る理由は無い。
強いて挙げれば、クリスタナ達にはあまり無茶をさせないよう留意した方が良い、という事だけか。
「よぅし、そういう事なら発奮するかのぅ」
改めて武器を構えなおしたゴルデンに続き、生気を取り戻したテオが続いた。
これであらゆるハンデは手放した。後は存分に暴れるだけである。
ゴブリンどもは、完全に浮き足立っている。
経験の少ない冒険者達でも、十分互角に渡り合えるだろう。

あの地下遺跡からアズバルチの街に帰り着いてから、一週間ほどが経過した。
ガルシアパーラに殴られた傷がまだ癒えないキャロウェイに代わって、若き冒険者達が水鏡亭を
切り盛りするという、一風変わった光景が見られるという事で、白峰亭からも冷やかし客が連日、
一階酒場を訪れる日々が続いていた。
クリスタナ達も、二日に一度のペースで、神学校帰りに顔をのぞかせている。
「慣れない事はするもんじゃないねぇ」
給仕係として、一階酒場の間を走り回るリグであったが、同じような愚痴を、一体何度漏らしたか、
本人ですら分からない。
それでも何とか冒険者の店として機能しているのだから面白い。
「何かさぁ、これって結局キャロウェイさんが居ない時と、状況的にそんなに変わらないんじゃ?」
リグの分析は的を得ていた。
彼の言う通り、キャロウェイが不在か、怪我で自室に引き篭もっているかの違いだけで、結局、
状況的には何一つ変わっていないのである。
「全く意味が無い訳でもなかろう。少なくとも、キャロウェイさんが無事だという点では、気持ちの
  持ちようも違ってくる」
フォールスのそんな台詞も、しかしテオには素直に受け入れられなかった。
「・・・いや、無事って訳でもないと思うんだけど」
事実、キャロウェイは負傷している。
ゴルデンの治癒の法力に頼れば、そこそこ回復する筈であったが、キャロウェイ自身は、冒険者の
店の主人たるものが、宿泊客の力を借りて傷を癒すなどは、本末転倒で恥さらしだと言って聞かない。
ゴルデンとしてはさっさと治癒の法力でキャロウェイを治してしまって、元の宿泊客に戻りたい、
というのが本音であったのだが。
尚、ソルドバス家からは、正式な報酬は何一つ出ていない。
この点にガルシアパーラは大いに憤慨していたが、ほとんど役立たずで終わった彼は、自分の立場を
彼なりに理解しているらしく、おおっぴらには我慢しているようにも見える。
しかし報酬はなくとも、ソルドバス家の令嬢が足繁く通う冒険者の店、という評判が立っただけでも、
大きな収穫だったと言えるだろう。
「この際ですから、冒険者の店を経営する現役冒険者チームとして売り出します?」
「お、悪くないのぅ。わしらは目だってなんぼじゃからな」
ルーシャオとゴルデンの会話を聞きながら、リグは内心、
(何言ってやがる。給仕の忙しさを経験してみろってんだ)
と毒づいていた。


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