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長い黒髪を三つ編みにまとめ、すっきりと伸びる背筋に垂らしている青年魔術師が、彼の宿所であり、
且つ当面の職場でもある冒険者の店『水鏡亭』に、朝市で仕入れた大量の野菜を買い物籠一杯に抱えて
引き返してきた時、見慣れぬ影が、カウンターの向こう側に立つ若者クィン・ガルシアパーラ相手に、
何やら早口でまくし立てている最中であった。
ガルシアパーラの頼りなさげな面が、その青年魔術師ルーシャオの姿を認めた途端、期待に満ちた
笑顔でぱっと明るくなったのだが、大体ガルシアパーラが絡んでいるとろくな事が無いという経験を
重視したルーシャオは、この場は敢えて気づかないふりを決め込み、そのまま裏庭へと通じる廊下へ、
さっさと引っ込んでしまった。
一階酒場はまだ薄暗く、他の宿泊客の姿は一つも見当たらなかった。
仕入れてきた野菜を水洗いする為に、裏庭の井戸に向かったルーシャオは、朝っぱらから赤ら顔を
携える屈強なドワーフの出迎えを受けた。
「おはようございます、ゴルデンさん。珍しく早いですね」
「いやぁ、もうエエ加減慣れてきたわいな」
鍛冶の神ブラキを信仰する下級司祭として正式な認定を受けたゴルデンであるが、酒好きなところは
全く変わっておらず、昨晩も浴びる程飲んだせいか、まだぷんぷんとアルコール臭が漂っている。
それでも司祭の務めとして、早朝の祈りを密かに欠かさない辺りは、多少自覚を持つようになってきた、
と見て良い。
水鏡亭の主人タイロン・キャロウェイの負傷が癒えるまでの間、彼ら冒険者達が代理で切り盛りする
運びとなっており、ゴルデンもその例外ではない。
彼はその自慢の腕力を駆使して、薪割りに精を出しているところであった。
薪割り斧を担いで一息ついているゴルデンの傍らを通り抜け、井戸へと向かう。
通常、アズバルチ程度の規模の街では、水汲み用の井戸は共用である事が多いのだが、パエンタ湖が
最大の水源として、更に細い清流が街中を幾筋も走っている事から、地下水が豊富であり、各家庭の
敷地内に専用の井戸を掘っているケースは少なくない。
ここ水鏡亭でも、主人キャロウェイが冒険者の店を始める前にこの井戸を掘っており、少なくとも
水の供給に悩まされる事は一度も無い。
大きなたらいに冷たい井戸水を半分ほど汲み上げ、そこへ朝市で仕入れてきた野菜を放り込む。
軽装に着替えて、たらいの脇にしゃがみ込んだルーシャオの背後に、幾つか別の気配が沸いた。
人間の子供ほどの体格と、長身の影が二つ。
いずれもルーシャオと同様、水鏡亭の切り盛りを任されている若き冒険者達であった。

グラスランナーのリグ・ラク・ダック、精霊使いのフォールス・スルースパス、そして戦士としては
珍しい棒使いテオ・ルイス・ファーディナンドの三名であった。
この日、彼らは遅番で、ルーシャオとゴルデンよりは、僅かに遅れて起床してきた。
同室である為、誰か一人が起きれば、その気配に刺激されて、他の二人も釣られて目を覚ます。
今日はテオが最初に起きた。
いささか寝癖のついたブラウンの髪が、朝陽に照らされて微かに金色の輝きを見せる。
フォールスとリグを伴って顔を洗いにきたところで、野菜を洗っているルーシャオと出会った。
「や、ご苦労さん。朝市はどうだった?」
言うだけ言って、ルーシャオの答えも待たずに、水汲み桶を井戸の中に放り込む。
まだテオの意識は若干茫漠としているようだった。
「そう言やぁさ」
井戸水の順番待ちでテオの後ろに並んでいるリグが、しゃがんでいる為、同じ目線の高さになる
ルーシャオの端正な面を覗き込みつつ、何かを思い出した様子で、
「ガルシアパーラ兄ちゃんが、変な箱を担いでたけど、あれ何?」
「変な箱ですか?」
野菜を洗うのに必死だったルーシャオは、リグの台詞の意味を一瞬理解出来なかったが、しばらく
考えて、ガルシアパーラが見慣れぬ顔の中年男性の応対に出ていた事を、ようやく記憶の片隅から
引っ張り出した。
「そう言えば、誰か知らない顔を相手に困った様子でしたね」
「あいつ、接客もろくに出来ないのか」
相変わらず、フォールスの言葉には鋭い棘が含まれていた。
辛辣な態度を隠そうともしないのは、つまりフォールスにとってガルシアパーラとは、その程度の
存在に過ぎないという事を雄弁に物語っている。
しかし、ガルシアパーラを一階酒場のカウンターに朝番として一人で任せておいたのは、彼らに
とっては一つの失態であったと言って良い。
何故ならこの後、ガルシアパーラを起点として、水鏡亭に無用のトラブルを招く結果に陥ったからだ。
尤も、自らリーダーを任じ、同じ冒険者の店でも表の仕事とも言うべき酒場カウンターの朝番を
誰にするかという話が出た時に、真っ先に手を挙げたのはガルシアパーラである。
この自惚れなどという表現では生ぬるい程に自己意識の強い青年は、自分以外に接客は務まらない、
と本気で考えている節があった。

ルーシャオが見かけたという、その見慣れぬ客から、ガルシアパーラは大きな化粧箱を預かっていた。
その中身は、牡牛の角をかたどった純銀製の室内装飾品で、預かり料としてガメル銀貨五百枚程が
詰められた麻袋も、同じ化粧箱の中に入っていた。
ガルシアパーラ曰く、彼にこの化粧箱を預けたのは、オランの上級貴族ギーン・ブジェンスカ卿の
使いの者で、三日後に訪れる予定になっている別の使いに、この化粧箱を渡すようにと、一方的に、
半ば押し付けるような格好で、慌てて辞去していったという。
相手の勢いにすっかり呑まれてしまっていたガルシアパーラは、事情を聞くゆとりも無かったという。
当初は扱いに困り切った冒険者達であったが、どういう形であれ、預かる羽目になってしまった以上は、
責任を持って保管しなければならない。
事の経緯を主人キャロウェイに説明して一応の承諾を得た彼らは、この日から三日間、厳重な管理の
もとで、件の化粧箱を預からねばならない。
ところが翌日には、早くも問題が発生してしまった。
地下倉庫に保管しておいた筈の化粧箱が、見事に消えてしまっていたのである。
これには、水鏡亭全体が大騒ぎになった。
無理矢理押し付けられた格好で置き去りにされた品だった為、水鏡亭には直接の不備は無い。
しかし、他人からの預かり物をこうもあっさり紛失するというのは、店の信用に関わる問題であった。
「全く・・・なんでこういう事になるんだ」
療養の為、自室に篭もっているキャロウェイは、リグから化粧箱消失の報告を受け、頭を抱えた。
最後にあの化粧箱を見たのは、フォールスとテオの両名で、二人が昨晩、地下倉庫に安置したのだ。
そして翌朝、調味料を取りに下りたルーシャオが、化粧箱がなくなっている事に気づいたという。
他の宿泊客に事情を説明して、不審な人物を見かけなかったか聞き込んでみたが、夜中に水鏡亭へと
侵入した怪しい人影等は、一切目撃されていない。
もちろん、店を切り盛りする彼ら冒険者達とて、不審な影は見ていない。
では、一体誰がどのような方法で、あの化粧箱を持ち出したというのか?
謎は深まるばかりであったが、水鏡亭としては、そんな事はどうでも良く、とにかくあの化粧箱と
その中身を何としてでも探し出す事の方が肝要であった。
「とにかく、一番怖いのは、悪評が立つ事だ。噂になる前に、探し出さないと」
もっともらしい顔で腕を組むガルシアパーラであったが、彼を見る他の冒険者達の視線は
厳しい。
そもそもこのガルシアパーラが、あんな代物を預かりさえしなければ、こんなトラブルには最初から
巻き込まれるような事は無かったのである。
しかし彼の頭の中では、そんな理屈すら成立していない様子であった。

だが、噂が立つよりも早く、意外な集団が水鏡亭を訪れた。
ソルドバス家が私費を投じて設立した、アズバルチ官憲隊西街区守備隊であった。
隊長イネス・デュケットは二十代後半の頑健な体躯を持つ快活な青年で、キャロウェイとも親しい。
いつもなら陽気な挨拶で入り口をくぐる彼であったが、この時ばかりは若干様子が異なっていた。
「おたくに、禁制品が持ち込まれたという情報が入った」
入店するや否や、のっぴきならぬ一言を放って、冒険者達を凍りつかせた。
イネスは、彼ら冒険者達とも見知らぬ仲ではない。
特に、キャロウェイに代わって水鏡亭を切り盛りするようになってからは、ほぼ毎晩のように夕食に
立ち寄るイネスとは、よく言葉も交わすし、どちらかと言えば親しい間柄だと言って良い。
そんなイネスが、いつにない堅い表情で冒険者達と接するには、理由があった。
アノスから派遣されてきたという、ファリス神殿警察所属捜査官が同行していたからである。
エナン・ジョダールと名乗るその人物は、三十歳前後の秀才肌で、襟元で束ねた黒髪と、眼鏡の奥で
鋭く輝く眼光が印象的な人間女性であった。
端正な面立ちではあるが、どこか冷酷で近寄りがたい雰囲気を持つ点では、フォールスと似ている。
身長も、女性にしては高い方であろう。
知性の塊のような人物だが、警察権力に驕った態度は微塵も見せず、公平な正義こそが信条という、
まさにファリス信者の典型のような性格で、非常に堅い性格であるらしい。
イネスにとっては最も苦手なタイプであるとの事で、応対に出たテオに、小声でそう漏らしていた。
「諸君の中で、サラザールの応対に出た者は誰か」
冷たい美貌と非常によくマッチする、どこか無機質な、それでいて凛とよく響く声で、エナンは、
詰問するような口調で言い放った。
おずおずと、ガルシアパーラが手を挙げた。
エナンの黒い瞳は、あまりにも貧相なガルシアパーラの自信なさげな態度に、軽蔑の色をありありと
浮かべている。
「では、あの禁制品に触れた者は誰か。直接間接を問わぬ」
これには、ガルシアパーラを含む水鏡亭を切り盛りしている冒険者全員が手を挙げた。
一人一人の顔を順番に、記憶するようにじっくりと眺めていたエナンであったが、ほとんど表情を
動かす事無く、片方の眉を軽く吊り上げて、
「宜しい。本日午後、官憲隊の西街区守備隊詰め所にまで出頭するように。聞きたい事がある」

官憲隊西街区守備隊とエナンが水鏡亭を去った後で、一階酒場では冒険者達が深刻な面持ちのまま、
半ば呆然と佇んでいた。
イネスの説明によれば、あの牡牛の角をかたどった純銀製の室内装飾品の内部には、驚くべき事に、
ユニコーンの角が隠されていたのだという。
もしその情報が事実だとすれば、あの室内装飾品の価値は、ガメル銀貨にして数万枚はくだらない。
しかし、ユニコーンを保護聖獣として狩猟禁止対象としている国は多い。
オランやアノス、ミラルゴなどはユニコーンの保護条約に批准しており、だからこそ、アズバルチに
於いても、ユニコーンの角は禁制品として扱われるのである。
特にファリス教団は、妖魔や闇の勢力に対して徹底的な敵対心を燃やす一方、ユニコーンのような
聖獣に対しては、森のドルイドでさえも思わず眉をひそめるような保護政策を採っている場合が多い。
それは、ユニコーンに触れたいからという不順な動機ではなく、純粋に、正義に連なる思想として、
ユニコーンを守らねばならぬという方針を定めているに過ぎない。
「とんでもない事になってきたな」
松葉杖をついて冒険者達の前に出てきたキャロウェイだが、彼にもまた、出頭要請が下されている。
矢張り水鏡亭の主人としての責任からは、逃れられないのだろう。
だが、それからほんの一時間後、更に新たな展開が彼らを驚嘆させた。
アズバルチ郊外にあたるパエンタ湖のとあるほとりにて、他殺体が発見された。
更にその遺体の傍らには、例の禁制品が納められていた化粧箱が放置してあったというのだ。
この知らせを運んできたイネスの表情は、緊張で固まっていた。
化粧箱の中身は、空っぽだったというのだ。
「殺されたのは・・・サラザールって人だったんですか?」
テオの問いに、しかしイネスは意外にもかぶりを振った。
全くの別人だというのだ。
殺されたのは、サラザールとは似ても似つかぬ、まだ二十歳そこそこの人物で、記録によれば、
彼もまた、ブジェンスカ家の使用人であるとの事であった。
「そもそも、ギーン・ブジェンスカ卿というのは一体どういったお人なんですか?」
「オランの上級貴族で、通産大臣エイテル・ディバースの派閥に属する人物らしいぞな」
ルーシャオの疑問に答えたのは、西から流れてきた為に、その方面の情報はそれなりに知っている
ゴルデンであったが、彼もそれ以上の事は知らない。
先年のオラン大崩壊の後、極端に国力が衰えたオランではあったが、現在は急速な復興が進んでおり、
再び大陸東方随一の勢いを取り戻しつつあるという。
ディバース通産大臣は、そんなオラン復興の中心人物の一人であるという事は、一般常識であった。


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