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浅く焼けた色の肌と黒髪、そして元気一杯の言動から、リグ・ラク・ダックはやんちゃな人間の子供、
と見られる事が多い。
山岳小都市アズバルチの官憲隊詰め所に彼が現れた時も、リグを知らない新米隊員などは、同僚の
弟か子息が遊びにきたものと勘違いする事が多かった。
その日も、このグラスランナー盗賊は官憲隊幹部イネス・デュケットからの呼び出しに応じて詰め所を
訪れたのだが、応対に現れた若い隊員は、子供をあやすような態度で用件を聞こうとしたものだから、
リグの訪問を察知して奥の部屋から姿を現したイネスは、腹の底から笑いが止まらなくなってしまった。
「全くもう、冗談じゃないよ。ちゃんと事前に話通しててよね」
ぷっと頬を膨らませて憤慨する様は、本当に人間の子供にしか見えないのだが、まだあどけなさを残す
容貌のこのグラスランナーが、実は盗賊ギルドに於いては一人前のプロとして認められている本物の
盗賊であろうなどとは、彼の事を知らない者には想像する事すら容易ではないだろう。
怒ったリグをなだめつつ、イネスは彼を奥の一室へと招きいれた。
その部屋に入室した瞬間空気が一変した。
イネスの面は緊張の色に染まり、リグの顔つきはプロの盗賊としての厳しい表情へと変化した。
部屋の中央に、ベッド大の簡素な石台が設えてあり、その周囲に、数名の官憲隊員達が屯していた。
いずれも険しい表情で、石台上に横たわるそれを凝視している。
イネスとリグが傍に寄ってきた時も、軽く会釈を交わす程度で、ほとんど言葉も出てこない。
腐臭が鼻をつき、思わずリグは顔をしかめた。
「酷い見世物だね、こりゃ」
台上のそれは、人間の遺体と思しき肉塊であった。
損傷が異様なまでに激しく、ぱっと見ただけでは、人の形をかたどった塊であるようにしか見えない。
表面の九割以上が鋭い刃物のようなものでそぎ落とされたような傷で埋め尽くされ、筋肉組織が露出し、
部位によっては骨が剥き出しになっていた。
イネスの説明によれば、パエンタ湖に注ぐ清流の一筋、オルール川を上流から流れてきたのだという。
遺体の生前の所持品らしきものも同時に回収されており、身元はほぼ判明しているらしい。
聞けば、アズバルチでも比較的よく知られた老齢の釣り名人で、オルール川上流のイブレムス湖まで、
しばしば足を伸ばしては釣りを楽しむ事が多かったという。
「何があったんだろうね?」
呟くようにささやいたリグに、イネスは軽く肩をすくめて、
「さぁ。それを調べてもらおうと思って、君を呼んだんだ」
遺体の状況から考えて、これは単なる事故では済まされない。
リグは、調査依頼を正式に受諾するかどうかも含めて、持ち帰り案件とさせて欲しい旨を申し出て、
そのまま官憲隊詰め所を後にした。

リグが引き返したのは、冒険者の店『水鏡亭』である。
アズバルチでも有数の良店だったのだが、主人のタイロン・キャロウェイ死亡後は、客足が徐々に
遠のいており、最近では閑古鳥が鳴く事も珍しくない。
店を切り盛りしているのは、訪れる客同様、現役の冒険者達であった。
自称リーダーを公言してはばからないクィン・ガルシアパーラを筆頭に、人間やドワーフ、更には
リグのようなグラスランナーといった、多彩な種族構成の冒険者グループが、決して忙しいとは
言えない状況の水鏡亭を日々管理していた。
魔術師ルーシャオと、戦士テオ・ルイス・ファーディナンドの両名が、客室管理全般を担当しており、
ドワーフにして鍛冶の神ブラキの神官戦士であるゴルデンと、精霊使いであり且つ盗賊ギルドの
一員でもあるフォールス・スルースパスが一階酒場の裏方を担当、そしてリグとガルシアパーラの
二人が、接客を主に担当している。
愛想が良く、受けも良いリグはともかく、妙に尊大な癖に、一方でほとんど仕事を覚え切れていない
ガルシアパーラは、店の評判を落とし、客足を遠のかせている最大の要因となっている事に、自分では
全く気づいていない様子だった。
先にも述べた通り、彼らは水鏡亭の店員でありながら、同時に現役冒険者でもある為、自分達自身の
仕事が舞い込んできた際には、必然的に、水鏡亭を開店休業状態に放置する必要があった。
リグがイネスからの調査以来を持ち込んできた時、幸いと言って良いかどうかは分からないのだが、
水鏡亭には客は一人も居なかった。
その為、彼らは一階酒場を会議室代わりに使用し、事案の検討に入った。
「正直言って、店の蓄えももうほとんど底を尽きかけてるし、折角イネス隊長が好意で振ってくれた
  仕事なんだから、ここは素直に受けといた方が賢いと思うけどね」
とはテオの意見であった。
正論であろう。
事実彼らは、辛うじて日々の生活に困らない程度に蓄えを消費しつつ毎日を過ごしているのだが、
今後の事を考えると、そろそろ何か手を打たなければならないような状況にまで追い込まれつつあった。
「異議無しじゃな。わしもぼちぼち、腕がなまりかけておった頃合じゃしのぅ」
ゴルデンの一言にフォールスも黙って頷いていた時点で、チームとしての方向性はほぼ固まった。
しかし相変わらず、ガルシアパーラが出来もしないリーダーシップを発揮しよう
と興奮して立ち上がる。
「よし!俺が決を取る!受諾でいこう!」
他の面々から白眼視されている事に、この男はいつになったら気づくのだろうか。

しかしその翌日、更に状況が激変した。
昨日、リグが官憲隊詰め所で見たのと同じような損傷の遺体が、今度はアズバルチの湖岸港湾区で
引き上げられたのである。
湖への漁に出ようとしていた漁師が、その日の早朝に、岸壁付近を浮遊していたのを発見したらしい。
しかも、死後硬直が始まっていないというところから考え合わせると、この遺体はアズバルチ郊外か、
或いは港湾区のどこかで何者かに惨殺された可能性が高い。
イネスの説明では、オルール川を上流から流れてきた釣り名人の老人の遺体は、イブレムス湖の周辺で
殺害された可能性が高いという話であったが、この日の朝の遺体発見により、犯人はアズバルチ領内に
潜伏している公算も大きくなってきた。
まだ朝靄がかかる港湾区に、水鏡亭の面々も眠い目をこすりながら、身支度もそこそこに駆けつけた。
「うぅ・・・」
遺体の損傷があまりに酷く、慣れない者が直視すれば、嘔吐感をもよおす。
ルーシャオとガルシアパーラの二人は、遺体を見た瞬間口元を抑え、青ざめた表情で岸壁に走った。
さすがに盗賊ギルド所属のリグとフォールスは、顔色一つ変えずに遺体を間近から見入っていた。
テオとゴルデンはいささか表情が引きつってはいたものの、まだ辛うじて耐えているといった様子だが、
矢張り決して気分の良いものでは無かっただろう。
「身元は?」
フォールスが傍らに立つイネスに、相変わらずのぶっきらぼうな調子で聞いたが、しかしイネスは、
溜息混じりに小さくかぶりを振った。
「まだ分からない。身元を示すような遺品は、全くと言って良い程に残されていなかったからね」
「・・・これでは性別も分からんな」
イネスの回答を聞いているのかいないのか、フォールスはあまりにも損傷の激しい遺体を凝視しつつ、
何か思案をめぐらせる。
まるで無機物でも眺めているかのような冷静さであった。
更に長身をかがませて、遺体の傍らにしゃがみ込んだフォールスを、テオは驚いた様子で見つめている。
この時、フォールスの端正な面は、僅かにではあるが、怪訝な表情を作っていた。
「なんだこれは?」
思わず呟きながら、フォールスは遺体の腹部へ右手を突っ込んだ。
ぐちゃり、という不気味な音が爽やかな朝の空気の中で淀む。テオとゴルデンは顔をしかめた。
食い荒らされた内臓を掻き分けてフォールスが引っ張り出したのは、鋭利な刃物のように鋭い、小動物の
ものと思わしき小さな歯であった。


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