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ゴルデンは、再び馬上の人になった。
前方の樹々の間に見える迷彩衣装の影は二つ。そのいずれもが、そこそこの太さの木の幹の根元に、
じっと視線を注ぐ格好で佇んでいる様子までは視認出来たのだが、それ以上の詳細はよく見えない。
ドワーフには暗視能力は備わっているのだが、遠目であるかどうかは、これはもう完全に個人差による。
しかもゴルデン自身は、野外での特殊行動に関しては全く訓練を受けていない為、相手に気配を
悟られず、ぎりぎりまで距離を詰めるという芸当は不可能であった。
にも関わらず、赤ら顔のドワーフは敢えて馬の背に、そのずんぐりとした体躯を登らせた。
当然の事ではあるが、相手に気配を悟られず、ぎりぎりまで距離を詰めさせる、という行動を、自身が
騎乗する馬に取らせるという技術は、相当訓練を積んでいない限り、まず無理であろう。
それでもゴルデンが騎乗を選んだのは、矢張りいざという時に、咄嗟に逃走する態勢に入れるかどうかを
考えた時、徒歩ではいかにも危うい、という現実を見据えての事であろうか。
いずれにせよ、騎乗のまま接近を試みると言っても、相手にこちらの気配を悟られない範囲というのは、
たかが知れている。
結局、ゴルデンが知り得た情報は、二つの人影が矢張り間違い無く迷彩衣装と、例の筒状の装備で身を
固めたロドーリル軍兵士であろうという事が、ほぼ確定出来たという点にとどまり、それ以上の事は
何一つ分からなかった。
更に言えば、ゴルデンとしてはそれ以上の危険を冒して接近を試みる、という意思は無かったらしく、
彼の観察はここでほとんど終了していた。
(なんかよう分からんが・・・とにかく一旦、エディスと合流するかのぅ)
いつになくゴルデンは警戒に警戒を重ねていた。
下手に関われば、折角エルフの集落からの脱出に成功したというのに、また敵の手に落ちてしまうという
無様な結果になりかねない。
そんな思いが、彼をより慎重にさせたのだが、これが、リグを見た最後となろうとは、如何にゴルデンが
経験を積んだ冒険者であろうとも、さすがに予測出来なかっただろう。
せめて彼が、風の精霊を通して現場の音声を拾い上げる事が出来たなら、そこで何が行われているのかを
即座に理解出来たのだろうが、悲しいかな、ゴルデンはドワーフである。
精霊法術に関する技術も知識も、そもそも種族特性として、体得する事すら叶わなかった。
もしここを通りかかったのがフォールスであり、或いはエディスであったなら、状況はもっと異なったろう。
だが現実は、上記の通りの結果に終わった。
ゴルデンがこの場を去ってからおよそ十数分後、関南軍マルタ処理移送班が到着し、拷問を受けて全身が
ぼろぼろになってしまっているリグを連行してしまった。
その後の彼の運命を知り得るのは、リグ当人と、ロドーリル関南軍のみであった。

ゴルデンが次に仲間と再びあいまみえたのは、オルール川沿いに馬を走らせ続けて、アズバルチ領まで、
もう間近に迫ろうという頃合であった。
この頃になると、もうさすがに陽光は山脈の西の裾野の方へと傾いており、夕闇が迫りつつあったという
事もあってか、夜目に強いゴルデンの方が、先に仲間の存在に気づいた。
「おぅ、おぬしら無事じゃったか!」
二頭の馬に分乗する三つの人影は、聞き慣れた野太い声音に、それまでの緊張を若干ほぐすような様子
で、手綱を軽く引いて馬の足を止めた。
一頭にはテオとエディスが、もう一頭にはフォールスがそれぞれ騎乗していた。
それぞれ馬の背に一人ずつの精霊使いが分乗する方が、何かあった時の対応に困らないという理由
から、このような組み合わせになっていた。
馬二頭を連れてエルフの集落を脱出したエディスが、オルール川沿いの獣道をアズバルチに向けて移動を
急いでいたところ、徒歩で小走りに進んでいた二人に追いついたのである。
同じ経路を辿っていたのは決して偶然ではなく、三人ともアズバルチを目指していた事が起因しているが、
しかしエディスの方が、後ろから二人に追いついた点に関して言えば、これはもう幸運が働いたとしか
言いようが無いだろう。
ともあれ美貌のハーフエルフは馬の足を早めて二人に追いつき、集落での状況を手短に伝えたところで、
二頭の馬にどういう形で分乗するかもその場で決めたという塩梅であった。
アズバルチ領に近いところで仲間と出会えたという事で、すっかり安堵の気配を見せて豪放に笑っている
ゴルデンとは対照的に、テオ達三人の表情は決して芳しくはなかった。
エルフの集落へ引き返していったオーランド、そして彼の後を追っていったルーシャオ、更にアズバルチの
現状を鑑みれば、呑気に笑っていられよう筈も無かった。
「リグは、どうしたんだい?合流出来なかった?」
この時ようやく、テオがグラスランナー盗賊の不在に気づいた。
わずか数時間しか離れていないのだが、もう随分長い間、顔を見ていないような錯覚に襲われた。
実は既に述べたように、ゴルデンはリグが拷問されている現場に遭遇していたのだが、全くもって不幸な
事に、彼はその事実を全く認識していなかった。
ただ一つだけ言えるとすれば、エルフの集落から見てアズバルチ方面に、迷彩衣装の人影が視認
出来た、という事実だけであり、そこから、敵がアズバルチにも向かっているかも知れない、という漠然
とした推測しか出来ない事であった。
「まぁ、無事で居てくれれば良いんじゃがのぅ」
さすがにここに至って、ゴルデンも若干の不安を覚えるようになったのだが、時既に遅しである。

東街門脇の厩に、官憲隊から借りた馬を三頭とも返却し、一歩アズバルチの街並みに踏み入れてみると、
そこは最早、テオ達の知っているアズバルチとは明らかに異なる様相を呈していた。
視界に入るそこかしこで、大勢の人々が手に手に武器を取り、どこかの家屋に押し込んでいるようで、
またその家屋内では、そこに住んでいると思われる人々が、防衛の為に武器を振り回すというような
有様が、数多く展開されていた。
オーランドが指摘した通り、生活用水路を屋内に引き込んでいる世帯では、軒並みミズカマスの被害を
受けているような状況に陥っていたのである。
水鏡亭には戻らず、その足で直接官憲隊詰め所へと急いだ四人を、憔悴し切った表情のイネスが出迎えた。
「アズバルチは、もう駄目かも知れない・・・」
力無く、呟くように発せられたイネスの一言で、冒険者達はようやく、事の大きさを改めて実感した。
イネスの説明によると、生活用水路やパエンタ湖港湾区に侵入してきたミズカマスの数は尋常ではなく、
水辺という水辺は、ことごとくミズカマスによって占拠されているような状況なのだという。
生活必需品である水を奪われた世帯は、井戸水などに頼らざるを得ない。
その為、人々はまず最初に、公共の井戸へと走り、我先を争って湧き出る地下水を奪い合った。
更に一部の住民達は、敷地に井戸を所有する世帯へと押し込み、半ば強奪するような形で、次々と水を
汲み上げていくという暴挙に出ているという。
対して、井戸を所有する世帯も、それらの暴動に近い人々からの襲撃に対抗し、素人ながら、武器を手に
取って防衛する、という騒ぎにまで発展していた。
つまり、ここアズバルチの街中で、ほとんど内戦に近いような事態が勃発していたのである。
予測もしていなかった状況を聞かされ、テオ、フォールス、そしてゴルデンまでもが、呆然とイネスの
言葉に聞き入る事しか出来ない。
最早アズバルチは、古豪ソルドバス家が強権をもって支配する美しい山間の湖畔の街ではなくなっていた。
相手が街の住民であり、しかもその数が半端ではない事から、官憲隊は完全に機能不全に陥っている。
それどころか、官憲隊の隊員の中からも、生活用水強奪組へと加わる者が多数出ているのが現状であった。
「・・・関南軍の狙いは、本当にこれだけなのだろうか?」
しばらく絶句したまま言葉を失っていたフォールスが、不意に、何か不吉な予感を覚えて言った。
彼は知らないのだが、リグが目撃したように、関南軍の別働隊が蚤の詰まったガラス壺を携え、
アズバルチ、或いはアノスへと行軍していたという事実がある。
大陸制覇を目論むロドーリルが、グロザムル山脈の一地方都市に過ぎないアズバルチを落としたぐらい
では、到底満足するとは思えなかった。
そこへ、思わぬ悲報が飛び込んできた。
商工会議所長を務めるトランティニアン家が、暴徒の手により、家族全員が惨殺された、というのである。

今更アンチバラクーダ発振筒を一つ持参したところで、アズバルチは元の美しい湖畔の街へは戻らない。
そんな悲観的な思いが、冒険者達の胸に次々と沸き起こった。
しかし、イネスから依頼を受けて行動してきた以上は、イブレムス湖やエルフの集落で遭遇した事件に
関する顛末を、一通り報告せねばならない。
早く水鏡亭に戻りたい焦燥感を抑えながら、テオとフォールスが、それぞれ言葉を補いながら、イネスに
簡単な報告を述べた。
木椅子にがっくりと力なく腰を下ろしたまま、イネスは二人の報告に耳を傾けていた。
その間も、官憲隊詰め所の外では、街の人々が集団で争う恐ろしい破壊音や怒声、悲鳴などが響き渡る。
本当にここが、あのアズバルチなのかと、ゴルデンですらそら恐ろしく思う程であった。
「その・・・アンチバラクーダ発振筒というのが、どのくらいの効果を発揮するのかは知らないが・・・
  今は公表しない方が良いだろう。迂闊に街の人々の耳に入ったら、全員血祭りに挙げられるぞ」
イネスに言われるまでもなく、冒険者達は既にその予測を立てていた。
もしアンチバラクーダ発振筒が、限られた範囲でしか効果をあらわさないのだとしたら、それこそ人々は、
井戸水以上に渇望し、冒険者達を殺してでも奪いに来るだろう。
今はもう、アズバルチの全住民が殺気立っており、まともな話し合いに応じてくれるとは思えない。
「それは分かるが・・・しかし、どうも妙だな」
フォールスが渋い表情で首を傾げたのには、理由がある。
彼は、わずか半日で街の住民がこれほど凶悪な暴挙に出たという、その経緯が納得いかないのである。
ミズカマスの被害が明るみに出てから、僅か数時間後には、アズバルチ全体が内戦状態に陥るというの
は、いかにも性急で、普通では有り得ない事ではなかろうか。
「そうは言ってもな・・・事実は事実だろうが」
憔悴し、疲れ切ってはいるのだが、そうやって怒気を発するイネスの様子にも、フォールスは違和感を
覚えずにはいられなかった。
やがて、喉が渇いたのか、イネスは手近の壺へとふらりと寄って、柄杓に水を汲み上げ喉を潤した。
その時フォールスとエディスは、ほとんど同じタイミングで互いの顔を見合わせた。
「フォールスさん・・・気づきましたか?」
「あぁ・・・水の精霊が、半ば狂っている。怒りの感情に支配されていた。一体どういう事だ?」
念の為にフォールスが訪ねてみると、壺に汲み置いている水は、昨晩オルール川からの引き込み上水
から汲み上げたものなのだという事であった。
何とも言えぬ戦慄が、フォールスの背筋に一瞬だけ走った。

水鏡亭は、最早冒険者の店の体を為していなかった。
一階酒場は屋外敷地から店内に至るまで、ことごとく蹂躙の爪痕が残されており、とてもではないが、
商売が成立するような状態ではなかった。
幸か不幸か、留守番を務めていたガルシアパーラはかすり傷一つ無く無事だった。
尤も、彼が水鏡亭を守る為に、命がけで暴徒に立ち向かったなどとは思えない。
恐らくは店のどこかに震えながら身を隠し、嵐が過ぎ去るのをじっと息を殺して待ち続けていたのだろう。
当然ながら、本人はそんな無様な様子などおくびにも出さず、自分は死力を尽くして、店を守る為に、
暴徒どもと懸命に戦った、と声高に自慢しながら主張するのだが、仲間の冒険者達は誰一人として、
まともに耳を貸さずに聞き流していた。
唯一、ガルシアパーラの過去の言動を知らないエディスだけが、いささか興奮気味な様子で熱心にじっと
聞き入っていた程度である。
裏庭の井戸を覗くと、予想通り、完全に枯渇していた。
暴徒が乱入し、汲み上げられるだけのすべての井戸水を、奪っていったのだろう。
白峰亭も心配になったが、こちらら若女将メメルを中心に、宿泊客の冒険者達が一致団結して暴徒どもを
撃退したという報が、後になって伝えられてきた。
しかしながら、異常に興奮状態にある暴徒どもは、次またいついかなる時に襲い掛かってくるか、全く
予断を許さない状況である事から、メメル自身、もう白峰亭をたたんで、アズバルチを脱出する事をすら
検討し始めているとの事であった。
そのような混乱の中、夜になって、思わぬ一報が、半ば廃墟と化した水鏡亭に飛び込んできた。
街中を流れるオルール川沿いの堤防に、ずぶ濡れになったルーシャオが引き揚げられた、というのだ。
状況から考えても、ルーシャオはオルール川を流されてきたとしか思えない。
ミズカマスによる襲撃を一切受けずに、である。
テオとフォールスは、ルーシャオがオーランドの後を追ってエルフの集落に向かった事までしか知らない。
その後、オーランドやエルフの集落がどうなったのか。
直接ルーシャオに会って問いただす必要がある。
冒険者達とエディスは早速、ルーシャオが保護されている官憲隊詰め所へと足を運んだ。
途中、何度か暴徒と思われる市民集団と鉢合わせしそうになったが、エルフの集落での行動と同じく、
フォールスとエディスが風の精霊の助力を得て前方音声を敏感に聞き取り、何とか事を起こさずに済んだ。
官憲隊詰め所は、アズバルチ帰還後、最初に足を運んだ時と同様、妙に静まり返り、周囲には暴徒の
気配すらも感じられなかった。
意外にも、ここが最も安全な場所なのかも知れない。

ルーシャオは、イネスから下着とコートを借りて着込み、濡れた衣服を屋内に吊り下げて干していた。
本人はと言うと、肉体的には至って健康で、多少顔が青ざめているいる以外、どこにも異常は無かった。
ただ、異様な程に口数が減っている。
いつもなら、冒険仲間と再会出来たら、それこそ満面の笑みを浮かべて喜びを表現しているところなの
だが、この時ばかりは、どこか沈痛な面持ちで、弱々しい笑顔を作るのが精一杯であった。
「何があった?」
敢えて詰問口調を抑え、フォールスが、木椅子にうなだれるルーシャオに、静かに聞いた。
しばらく間を置いてから、若き魔術師は搾り出すような細い声音で開口一声、
「エルフの集落は全滅しました・・・オーランドさんも含めて」
と、衝撃的な結論をまず口にした。
エディスが泣き出しそうな面を作り、その場にへたり込みそうになるのを、辛うじてテオとゴルデンが
支えてやっていた。
ルーシャオの報告によれば、オーランドは関南軍に発見されたルーシャオを救う為にその身を犠牲にした、
という事であった。
「僕が全部悪かったんです・・・おとなしく、皆さんと一緒にアズバルチに戻っていれば、オリーさんは
  あんな事にはならなかったんです」
「泣くな。とにかく詳細を話せ」
涙声になりつつあったルーシャオを、フォールスが鋭い一声で一喝し、更に言葉を続けさせようとした。
喉の奥で声が詰まりそうになるルーシャオだったが、テオにも励まされ、何とか話を続ける。
結局のところ、ルーシャオは関南軍がオーランドを誘い出す為の餌でしかなかった。
当初、オーランドは単独でエルフの集落へ潜入し、筋肉弛緩ガス弾で拘束された仲間達を解放し、反撃に
出るというシナリオを頭の中で描いていた。
関南軍側も、オーランドの意図を十分に予測してはいたのだが、しかし彼の精霊使いとしての技量以上
に、森の中における行動能力を警戒し、その対策に相当力を注ぎ込んでいたらしい。
最初に筋肉弛緩ガス弾でエルフの集落を制圧する事は出来たものの、たとえ一人でも、オーランドの手に
よってエルフの精鋭が解放されれば、その時点で、関南軍の撤退は余儀なくされる状況であった。
しかしながら、関南軍にとって何より幸運だったのは、ルーシャオがオーランドの後を追っているという
事実であった。
どのような方法でかは分からないが、関南軍はオーランドの居場所は把握出来なくても、ルーシャオの
位置は容易に割り出している様子であった。
実際ルーシャオは、古代語魔法を駆使しながらエルフの集落へと隠密裏に接近しているつもりであった
が、関南軍側には、あらゆる行動及び移動経路が全てばれていたらしい。

オーランドは、エルフでありながら、自種族のみを守ろうとするのではなく、ルーシャオ程度の一人の
人間に対しても、その身をていして何とか救おうとしようとする性向があった。
古代語魔法によって、周囲の景色と自身とを同化させていた筈のルーシャオであったが、遥か天空から
降り注いでくる謎の赤い光線が、極めて精確に、彼の頭上に当てられた。
丁度、オルール川沿いの獣道をエルフの集落に向かって歩いている最中の事であった。
天空からの真紅の光線が、ルーシャオの頭上にぴたりと照準を定め、寸分の狂いも無くその居場所を
明らかにしていた。
彼の周囲を取り囲んでいた関南軍兵は、全員が真紅の光線が降り注がれるポイントに、筒状装備の先を
向けて、ゆっくりと包囲陣形を狭めてくる。
ルーシャオは、息を呑んだ。
自分は確かに姿を消している筈なのに、関南軍兵は実に精確に、彼の位置を特定しているのである。
最早、何が何だか分からなくなり、一人でパニックに陥っているところへ、オーランドがどこからとも
なく飛び込んできて、ルーシャオをオルール川に突き飛ばした。
その際に、彼が放った台詞を、ルーシャオは混乱に陥りながらも、一言一句違わずに覚えている。
『敵は衛星監視を張っている!間違いなく、スティングが異界の技術をもたらした結果だ!君は逃げろ!』
『もうこうなっては我々の力では対抗出来ない!リュウゼン師を探せ!この世でスティングに対抗出来る、
  ただ一人の人物だ!』
その直後、オーランドは全身から血飛沫をあげたという。
凄まじい苦痛にその美貌を歪めながらも、オーランドはありったけの精神力を振り絞り、水の精霊に
命じて、ルーシャオをオルール川経由でアズバルチに送り届けさせたのだった。
不思議な事に、ルーシャオはオルール川の流れに飲み込まれながらも、決して溺れる事はなかった。
その為、水中で周囲を見渡すだけの余裕が生まれたのだが、そこでルーシャオは奇妙な光景を目にした。
彼の懐の中で、例のアンチバラクーダ発振筒が微かな振動を発していたのだが、その振動を避ける
ように、本来なら一斉に襲い掛かってくるであろう筈のミズカマスの大群が、十数メートル程度の距離を
置いて、ルーシャオには一切近づこうとはしなかったのである。
水の精霊は、清流である筈のオルール川の水面下で、ルーシャオを猛烈な速度で下流へと押し流した。
その圧倒的な速さに加え、関南軍兵はルーシャオがアンチバラクーダ発振筒を所持している事実を
知らず、彼がその犠牲になるであろうと勝手に判断した為、誰一人として追ってこようとはしなかった。
ここアズバルチまでルーシャオが無事にオルール川を流されてきたのは、それらの幾つもの要因が同時に
成立したからであり、そのうちのどれか一つでも欠けていれば、彼は間違いなく、非業の最期を遂げて
いたに違いない。
だが結局、ルーシャオの好奇心と無謀さが、エルフの集落の住民を全滅させた事になる。

木椅子にうなだれながら、ルーシャオはフォールスに殴りつけられる事を予測していたが、しかし、
フォールスは冷ややかな眼差しを、若き魔術師に送るのみであった。
今更ルーシャオを責めたところで何の解決にもならない事を、この氷のように冷静な精霊使いは実によく
理解していた。
ただ、エディスだけはとうとう堪え切る事が出来ず、テオとゴルデンに両肩を支えられたまま、両脚の
力を失って、冷たい石床にへたり込んでしまった。
如何に厄介者扱いされていたとは言え、エディスにとってあのエルフの集落は故郷である事は間違い
無く、その故郷が異国の侵略者に蹂躙された事実を受け入れるのは、相当に精神力を要する。
増してや、敬愛していたナターリアやオーランドといった面々が、次々と敵の手に落ちていったのだ。
落ち着けという方が、むしろ無理な話であろう。
「・・・この街での活動は、もう潮時かも知れんな」
誰に語りかけるともなく、フォールスは憮然とした表情で静かにそう呟いた。
官憲隊には街の暴徒を鎮める力は既に無く、冒険者の店を街の住民が大挙して襲撃するなどという、
従来では考えられなかった異常事態が発生している。
関南軍はミズカマスを投入する事で、古い歴史を持つ一つの山岳小都市を壊滅同然に追い込んだのだ。
その成果が如何に重大なものであるのか、理解出来ている者は、果たして何人居るのだろう。
不意に、官憲隊詰め所の外に、不穏な空気が充満し始めた。
数え切れない程の気配が、詰め所を完全に包囲している。
いずれもが、異常なまでに殺気立っている事を、冒険者達は全員肌で感じていた。
「ルーシャオの噂が流れたか」
フォールスの声音に鬼気が篭もる。
恐らく、官憲隊の誰かが、ルーシャオがオルール川から無事に生還した事実を街中に漏らしたのだろう。
そうでなければ、詰め所を覆い尽くす程の殺気の群れに、説明がつかない。
「ミズカマスへの対処法をルーシャオが握っている、と推測した訳じゃな」
あまり乗り気では無さそうだが、ゴルデンも愛用の得物を両手に取る以外に、選択肢は無かった。
怯えた表情で呆然と部屋の中を見回すエディスを立ち上がらせながら、テオも愛用の長棍を脇に構えた。
「たとえ素人とは言っても、多勢に無勢だからね。突破して逃げるのが精一杯だろうね」
「手加減はするな・・・やるかやられるかだ。気合入れていけ」
テオに応じるように、フォールスが珍しく、精神論を打った。
それほど、今の彼らは追い詰められていると言って良い。
「俺が先陣を切る。君達は真っ直ぐ西門を目指せ」
言うが早いか、長剣を振りかざしたイネスが、詰め所を包囲する群集の中へ、怒声を上げながら突入し、
冒険者達もその後に続いた。
彼らが無事アズバルチを脱出したのかどうかは、また後日の話に譲る。


以上で、セッション「歯」は終了です。
テオ、フォールス、ゴルデン、ルーシャオはそれぞれ750点の経験点を獲得しました。
リグはマルタとして移送、処理された為、救出されない限り以後のセッション参加は不可となります。
尚、文中には明記していませんが、生還したPC四名とエディス、ガルシアパーラの計六名は、無事に
街の外へ脱出しました。


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