大司教


その夜、紅い砂塵亭に戻ったエルクは、相変わらず酒浸りで一人ぐずっているクレットを
一階酒場で見つけると、ほとんど襟元を掴んで引き摺るような格好で、二階宿部屋へと
彼女を伴って上がった。
いつものクレットならきつい一言で文句の一つでも口にするところであったが、今はとても
そんな気分にはなれず、エルクに引き摺られるまま、彼ら冒険者チームが二部屋取っている
宿部屋の一室へと連れ込まれた。
既にフェンとカッツェが、エルクの呼び出しを受けて同室にて待機していた。
「何ぞあったんかいの?」
どこか表情の乏しいフェンの声に、これまた沈んだ様子のカッツェが視線を合わせてくる。
只一人、妙に厳しい面持ちのエルクだけが、精神的に高揚しているように見えた。
エルクはマーファ神殿にて、ランカスター大司教から依頼された一件を説明した。
最初こそは、どこか茫漠とした様子でエルクの声に耳を傾けていた一同であったが、次第に
その表情には厳しい色が浮かび上がってきた。
両目を真っ赤に泣き腫らしていたクレットでさえ、手の甲で目元を拭いながら、エルクの
語る内容に真剣な眼差しで聞き入っている。
「またスプリットですかぁ・・・イヤになってきますよね、ホント」
やや怒ったような調子で頬を膨らませるカッツェだったが、エルクは更に重要な情報を
仲間達にもたらす。
「ランカスター大司教様が仰る事には、もともとこの情報を伝えてきたのは、盗賊ギルドの
 エステヴェス卿だという事でした。そしてエステヴェス卿が調査したところ、オランの
 大崩壊を画策したのはファンドリアの軍部であり、実行部隊はスプリットという事です」
言いながら、エルクは懐から一枚の紙片を取り出した。
香が染み込んだ上質の紙で、その表面には丁寧且つ流麗な筆跡で、文字が綴られている。
ランカスター大司教が、エステヴェス卿からの手紙を、要点をかいつまんで筆写したもの、
という事であった。
マーファ神殿を出る際、エルクが直接、美貌の大司教から手渡されたものであるらしい。

以下、ランカスター大司教がしたためた手紙の写しの要点である。
・オランの大崩壊を画策したのはファンドリア軍部であり、その実行部隊はスプリットの
 精鋭部隊である。
・ファンドリアは更にオランの壊滅に追い討ちをかけるべく、自由人たちの街道に対する
 破壊テロ行為を計画している模様。これにより、西方からの支援を断絶するのが狙い。
・現在ファンドリア軍部は、スプリットのみならず、蜥蜴人のエスコバル部族とも協定を
 結んでおり、鱗王ザービアックによる第二第三の攻撃計画が予測される。
最後の一点については、冒険者達はあまりよく理解出来なかったのだが、上の二点、即ち
オランの大崩壊にスプリットが関与しているという事実に、驚愕の念を禁じ得なかった。
ミレーンが死んだのも、アニスやサイラスやギャリティ卿達が命を落としたのも、そして
カッツェの家族が安否不明になっているのも、全てはスプリットによる破壊工作が直接の
引き金になっていると言って良い。
「ランカスター大司教様は、この二番目の項目、つまり自由人たちの街道に対する敵の
 攻撃を見極めたいとの仰せでした」
「・・・ふざけた奴らね」
それまで黙っていたクレットが、不意に地獄の底から響くような怒りを抑えた声音で、
歯軋りの鳴る一言を短く放った。
更にエルクは言う。
これだけの重要な情報ならば、本来なら即座にエレミア政府に報告し、調査を進言する
ところなのだが、エステヴェス卿からの情報によれば、そのエレミア政府内部にも、既に
スプリットが侵食している可能性が極めて高く、何の策も無く迂闊に話を持っていけば、
必ずどこかで揉み消されてしまうだろうという事であった。
そこでランカスター大司教としては、緊急度の高い報告内容を仕立て上げる為に、実際に
自由人たちの街道において、スプリットの破壊工作が展開されているという確たる情報を
持って行きたいのである。
緊急度が高く、且つ国家防衛上重要な報告であれば、途中の経過をごぼう抜きにして、
いきなりエレミア国王に上申する事が可能なのである。

「スプリットが破壊工作を講じるとするなら、何も無いところではやらんじゃろ」
エルクの説明を聞き終えてからのフェンは、既に幾つもの修羅場を潜り抜けてきた
経験十分の冒険者の顔に戻っている。
恐らくは、そこを破壊されたら大規模な通行が不可能になるという要所を狙うだろう。
だが、そういった要所がどこなのかと言えば、まだまだ情報が不十分である。
オランからここエレミアにまで自由人たちの街道を移動してきた彼らではあったが、
各宿場町や街道付近の地形的な構造までには、いちいち注意を払っていなかったのだ。
「スプリットの動向調査と、自由人たちの街道そのものの情報収集が必要ですね」
「じゃな。カッツェとクレットは街中と盗賊ギルドでの聞き込みを頼む。エルクは、
 冒険者繋がりじゃな。わしはもう一度、マーファ神殿に出向いてみる」
明日の朝になってから、などという悠長な考えは、誰の頭にもなかった。
大切な家族や友人、仲間の命を奪った連中が、まだのうのうと闊歩している。
それだけでも許せないのに、更に敵は、オランに対する攻撃策の手を緩めようとしない。
ここでのんびり落ち着いて事を進めろと言う方が、無理な話であろう。
しかしながら、彼らの逸る気持ちを嘲笑うかのように、事態は恐るべき急展開を見せた。
まずマーファ神殿であるが、フェンが夜の街を抜けて行こうとした頃には、何故か
エレミアの国軍が街の西方付近を完全に封鎖して、とてもではないが、マーファ神殿に
辿り着けないような状況に陥っていたのである。
フェンが何気に聞き込んでみたところ、どうやら重要指名手配の賊が、マーファ神殿内に
匿われているという、信じ難い名目で国軍出動が決定したとの事であった。
(やられた・・・早くもスプリットの方が手を打ってきたか)
国軍兵が封鎖する市道の向こう側を遠巻きに眺めながら、フェンは内心で舌打ちした。
エステヴェス卿がランカスター大司教に協力を要請したという事は、同じく敵の側も、
エレミア政府内部に潜伏しているスプリット構成員に対し、何らかの指示を出した事は
十二分に考えられる。
盗賊ギルドでは、全くと言って良いほど、スプリットの情報が出てこなかった。
仮にも情報集積場として最大に機能する盗賊ギルドにおいて、これまたあまりにも
よく知られている国際テロリスト集団の情報が、全く出てこないというのは一体
どういう事であろう。
考えられる理由は只一つ、何者かが情報統制を布いている以外にない。
そして誰がその情報統制を布いているかと言えば、これはもうスプリットか、もしくは
ファンドリアに通ずる者の仕業に違いない事は、十中八九間違い無かった。
ランカスター大司教と、当面の財源であるドルフ、そして最大の情報源である筈の
盗賊ギルドまでをも封じられたのは、正直かなり痛い。
途方に暮れたカッツェとクレットの両名は、あまり期待は出来ないであろうが、しかし
何もしないよりはましだと気持ちを切り替え、夜の街並みへと聞き込みに出かけた。
だが実際、二人が予想した通り、街での聞き込みは無成果に終わった。
更にカッツェは、自由人たちの街道を東に向かう手段を確保しようと考えていたのだが、
どういう訳か、どの厩舎においても、自由人たちの街道を東に向かうと伝えただけで、
門前払いを食う始末であった。
これは後で知った事だが、どうやらエレミア政府からの通達で、全市民に対して街道を
東進する事が禁止する声明が出されていたらしい。
その理由は崩壊したオランの状況があまりに特異であり、国民の生命の安全を考えれば、
東方向への移動を禁止せざるを得ないというものであったが、しかしこれはどう見ても
表向きの理由にしか見えない。
恐らくは、エレミア政府内部で暗躍するスプリット構成員が、自由人たちの街道を
経由するオランとの全通信を断絶させる為に取った策の一端なのであろう。
二人の状況がこんな有様である。
冒険者繋がりでの聞き込みに向かったエルク只一人が、有効な情報を得ているとは、
到底考え難い。

別の冒険者の店に足を向けていたエルクは、そこで思いがけない組み合わせと
遭遇する事になる。
にぎやかな酒場に踏み込んだハーフエルフの精霊戦士は、そこでよく聞き慣れている
若い男性の声を耳にした。
酒場のカウンターに一組の男女が席を陣取り、軽い夕食と酒を一緒にしている。
一人は、レイニーであった。
同じ日に二度も出会うなど、何か運命的なものを感じる事が出来たエルクであったが、
今回はそのレイニーが相手にしている青年の方に強い意識が飛んでいた。
柔らかなブラウンの髪と、どこか気の抜けたような容貌を、忘れる筈もない。
戦士イーサン・モデインその人であった。
「やぁ、エルクじゃないか」
先に気づいたイーサンの方が、笑顔でエルクを手招きした。
そのイーサンの隣で、レイニーが再び驚きの表情を作っている。
「うっそ・・・あんた達、知り合い?」
「知り合いも何も、冒険仲間だよ」
イーサンの答えはレイニーのつぶらな瞳を杯大にまで押し広げる。
レイニーがイーサンと食事を共にしていたのは、彼がオランから流れてきた冒険者、
というその一点に尽きた。
大崩壊したオランではあるが、復興が進めば市場としてこれ以上は無い程の魅力を
放つ事になるのは間違い無い。
そう考えたレイニーは、オランの状況をよく知る筈のイーサンを訪ね、夕食を奢る
代償に、オランの情報を聞き出そうとしていたのである。
だがこの時点では、レイニーはエレミア政府が発令した東進禁止令を知らない。
先に知っていたエルクがその旨を伝えると、彼女は気の毒な程に落胆していた。

エルクは、ランカスター大司教から受けた依頼について、周囲を憚りながら、
小声で手短に、イーサンに説明した。
どういう訳かレイニーは信頼出来ると思ったエルクは、彼女が同席している事も
特に考慮せず、そのまま全てを語った。
「報酬については何も聞いてませんし、そもそも受けるかどうかも答えてません。
 だけど、マーファ神殿が国軍によって封鎖された今、回答のしようも無いですし」
「・・・前向きに考えたいな」
イーサンは腕を組んで渋い表情を作った。
依頼を受けるかどうかも決まらないうちに、依頼主側が動きを封じられてしまうなど、
今まで経験した事もない。
しかし今回の一件に関しては、事が事である。
スプリット側の動きは信じられない程に早く、僅かな躊躇が致命的な遅れに発展する
可能性すら孕んでいた。
だがそれとは別に、レイニーはこの一件に異なる角度から強い興味を抱いていた。
「ちょっと、冗談じゃないわ。せぇっかく私の市場が発掘出来るかどうかっていう
 ところなのに、そんなくだらない連中に邪魔なんかされちゃ、たまんないってば」
やや興奮した様子で言うや否や、レイニーは両手でエルクの胸倉を掴み、意外なほど
強い力でハーフエルフの顔を、お互いの息がぶつかる距離にまでぐいと引き寄せた。
「私も混ぜてよ。自分の死活問題を、他人になんて任せてらんないわ」
「あぁ、えーと・・・」
目を白黒させながら、傍らのイーサンに助けを求めるような視線を投げかけると、
若き熟練の戦士は苦笑を浮かべながらも、小さく頷いている。
「あー、そうだわ。さっき渡すの忘れてた。これうちのチラシ。持ってってよ」
エルクを自身の顔面の間近に引き寄せたまま、レイニーは腰元のポケットから、
ファニック商会の商品広告を記したチラシをエルクの胸元に押し込んだ。


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