大司教


ベンケイを連れ去った謎の影の追跡を終え、ウルメン達と合流したフェンは、長弓から、
魔術師の杖へと持ち替えていた。
この場では単体に対する攻撃手段よりも、一度に複数を巻き込む事が出来る魔法の方が、
より効果的であろうと判断したのである。
もちろん、この場で戦闘が発生すればの仮定ではあるが、しかしこの状況を鑑みるに、
一切の戦闘行為が行われないと考えるのは、いささか無理があるだろう。
フェンと同じく、カッツェは短槍を構え、そしてウルメンは愛用の長剣を鞘から抜き放ち、
間合いを詰めつつあるアンダーグールの群れに対して、その切っ先を向けている。
「あっちもくるよ」
離れの方に意識を向けていたレイニーが、長弓に矢をつがえた姿勢のまま、その鏃の先を
やや地面に向けた格好で、首無しオラン騎士の一部に顎をしゃくった。
アンダーグールと同様、こちらも抜刀して、早足で近づいてくる。
淡い月光が照らし出す荒涼たる岩場の谷地にて、不死属性の土人形と、首無し騎士の
集団という光景を目の前にすれば、素人ならばまず卒倒するか動転してしまい、まるで
役に立たないところであろう。
しかしそこは、熟練の、と言っても良いだけの経験を積んでいる冒険者達である。
どの方角が最も安全であり、且つ生き残る可能性が高い経路なのかを、ほとんど瞬時に
見抜いていた。
レイニーは口早に、幸運の神への祈りの言葉を紡ぎ出し、法力の発動を完成させた。
見る間に、その場だけがほんの一瞬、まるで日中のような明るさに覆われた。
僧侶の対不死属性の定番とも言える聖光の法力である。
単なる目くらましだけではなく、物理的な破壊力をも備えたこの優秀な法力の発動は、
見る間にアンダーグールの陣形を大きく突き崩していった。

「さ、いこ!」
レイニーが甲高い声をあげて指示を出すまでも無く、他の三人は聖光の発動によって
包囲網が崩れるのを見て取ると同時に、旧寺院本堂に向けて駆け出していた。
アンダーグールは声無き悲鳴や苦悶をあげながら、あるものは硬い岩が剥き出しの
地面に崩れ落ちたり、あるものはよろめいて姿勢を崩してしまっている。
しかし計算外だったのは、首無しオラン騎士達の猛追であった。
確かにレイニーの聖光は効果をあげた。
それは、首無しオラン騎士達の簡易兵装の隙間から、何かが焼け焦げたような煙が
ぶすぶすと上がっているのを見ても分かる。打撃は確実に届いていた。
しかしながら、この首無しオラン騎士達は聖光によるダメージに全くひるむ様子を
見せずに、抜刀したまま猛然と追跡を開始したのである。
「目の無い相手に目潰しは効かなかったかしら!」
軽口を叩くレイニーの表情には、しかしその台詞ほどの余裕は無い。
ウルメンとカッツェが並んで走り出し、直後をフェンとレイニーが続く。
旧寺院本堂までの経路上に立ち塞がるアンダーグールの群れは、短槍と長剣によって、
次々と蹴散らされ、薙ぎ払われていった。
別の方角で、金属が乾燥した石を叩くような、耳障りな音が集団で発生した。
走りながらフェンが視線をちらと向けると、別の首無しオラン騎士数体が、同じく
不死属性であるアンダーグールの群れに長剣を振りかざして突撃を敢行していた。
ある程度の予測は立てていたが、矢張りアンダーグールと首無しオラン騎士達は、
敵対関係にあるようだった。
フェンが立てた首無しオラン騎士を生み出したのが怪仏信者であるという仮定は、
ほぼ的中している事になる。
旧寺院本堂の裏口が、もうすぐそこにまで迫っているという地点で、フェンは不意に
足を止め、驚く程の速さで後方に振り向き、古代語魔法の呪文詠唱を開始した。

当初フェンは、雷撃の呪文を経路上のアンダーグールに叩き込む方向で精神力を
調整していたのだが、ウルメンとカッツェの接近戦能力で十分突破が可能であると
見て取るや、その魔力の矛先を、追いすがる首無しオラン騎士数体に向けたのだ。
月光に煌くオラン騎士団正式兵制長剣の刃が、フェンの無防備な肉体に届く前に、
雷撃の呪文が完成した。
青白い光がフェンの胸元付近で発生し、太い帯となって正面の空間を一瞬に貫く。
落雷のような、独特の凄まじい衝撃音を残して、破壊の蒼い稲妻が、ほとんど
直線に並んでいた首無しオラン騎士の群れに直撃し、そのまま貫通するようにして、
遥か向こうの岩肌に到達した。
雷撃の呪文を真正面から浴びた首無しオラン騎士は、一人残らず吹き飛ばされ、
直撃部分が真っ黒に炭化した状態で、硬い岩の地面に叩きつけられた。
それっきり、ぴくりとも動かない。
フェンは殊更に威力を強めた訳でもなかったが、しかし、彼の魔力でも十分に
対処可能な相手である事が、この一撃の雷光によってほぼ証明された。
「フェンお兄ちゃん、早く行きましょうよぉ!」
既に旧寺院本堂裏口に到達していたカッツェが、表情を強張らせて叫んでいる。
彼とウルメンの両者が、それぞれの得物でアンダーグール包囲陣をある程度
蹴散らしていた為、フェンと裏口までの間にはこれといった障害物は無い。
フェンは悠々と旧寺院本堂の外壁付近にまで走り寄り、再度離れとの間で激しく
展開される、アンダーグールと首無しオラン騎士達の戦闘に、ちらと一瞥を
与えるだけの余裕があった。
単体の戦闘力では首無しオラン騎士が優るが、アンダーグールはとにかく数で
押しまくっている、というような状況であった。

ウルメンと三人の冒険者達は、旧寺院本堂の裏口内部で、屋内に残っていた敵を一掃し、 開け放たれていた分厚い木戸を閉め、閂をかけた。 幸い、カッツェが早い段階で松明に火を入れていた為、視界には困らない。 「イーサンはどこじゃいな?」 フェンの問いには、誰も答えられない。 どこへ消えてしまったのか、イーサンの姿は、裏口内付近には見られなかった。 裏口の木戸付近は、ちょっとした広間になっているのだが、左右にやや狭く、地下へ 降りる階段が伸びていた。 「あれだけの数のアンダーグールが居たんだ。恐らくは、活路を見出す為に、他へ  移動していったんだろう」 ウルメンの言葉には、誰も異論を唱えない。 イーサンの性格を考えると、それは十二分に有り得る行動だったからだ。 裏口の木戸が外から激しく殴打され、冷たい空気が充満する暗い廊下の奥に向かって、 まるで地面を叩く豪雨のように、乾いた音が群れるように鳴り響く。 外に締め出されたアンダーグールの群れが、裏口の木戸を破壊しようとしているのか。 それとも、単純に意思無き怒りをぶつけているだけなのか。 しかし、数百年という歳月が、裏口を塞ぐ木戸を極めて脆弱にしている。 破壊されるのも、時間の問題であろう。 「あのぉ、地下の方に行ったんじゃないでしょうかぁ?」 松明を掲げたカッツェが、地階に伸びる階段の、中地階の踊り場で折り返している付近を 軽く指差しながら言った。 そこに、数体のアンダーグールの残骸が散らばっている。 ウルメンとカッツェが破壊したものとは、いささか異なる力加減で破壊された形跡がある。 間違いなく、イーサンが倒したアンダーグールどもであろう。 そのイーサンは、既に地階の探索に入っている。 か細い火を灯している燭台が、離れた感覚で並んでいる地下の石壁に左右を挟まれつつ、 トータルフィアーズを抜刀したままの状態で、金属鎧をがちゃがちゃと鳴らしながら、 ゆっくりと冷たくかび臭い空気の中を進んでいく。 途中、彼は数人の成人男性のバラバラ死体を、地下通路の各所で目撃した。 いずれも、全身を集団に噛み千切られたような、凄惨な死を物語っていた。 アンダーグールに襲われ、悲惨な最期を迎えた哀れな被害者といったところであろうか。 しかし、散乱している遺物を簡単に調べてみた限りでは、これらの被害者は、いずれも スプリットの兵士であろうと思われた。 (一体、ここで何が起きたんだ?) ひんやりと湿った石壁には、場所によっては夥しい鮮血が撒き散らされている。 或いは、人間の頭部が叩きつけられて、ぐしゃっと潰れたような形跡すら見られた。 ところどころに、小部屋に入る幅の狭い木戸などがあった。 中を覗いてみたところ、それらの小部屋の幾つかは、生活の痕跡が確認された。 スプリット兵達が、ここで生活していたものに違いない。 中には、自室でくつろいでいたところを、アンダーグールの奇襲に遭い、そのまま廊下に 引き摺り出されて、全身を食い尽くされたものも居るのだろう。 阿鼻叫喚の地獄絵図が、この薄暗い地下で展開されていた様子が、容易に想像出来る。 (じゃあ、外に居た首無しオラン騎士達は?) これもまた、一つの疑問であった。 旧寺院地下での惨劇が発生する以前から、あのオラン騎士達は首の無い哀れな肉人形と 化していたのだろうか。 などと考えているうちに、イーサンは地下の廊下の突き当たりにある、大きな鉄製の 扉の前に到達していた。 中に人の気配がするのは、恐らく気のせいではないだろう。 ここで躊躇していても始まらない。 イーサンは、慎重に周囲の空気をうかがいながら、鉄製の重い扉を押し開けた。 中を覗いてみると、百坪はあろうかという広大な地下空間が広がっており、そして 無数の石棺のようなものが規則正しく並んでいた。 地下の埋葬墓地か何かだろうか。 全ての石棺の傍らには、火の灯された丈の高い燭台が立っている。 その為、今まで歩いてきた狭い地下通路よりも、この広大な地下埋葬墓地の方が、 遥かに明るく見えた。 この地下埋葬墓地のほぼ中央付近から少し手前に寄った辺りの石床に、黒い影の誰かが、 大の字のような姿勢で仰向けに倒れているのが見えた。 (誰だ?) するりと室内に忍び込み、後ろ手に鉄製扉を閉める。 軋むような、耳障りな金属音が僅かに響き、死臭に満ちた地下空間に殷々と伝播した。 イーサンは思わず息を呑む。 その人影は、半ば乾きかけている血溜まりの中で仰臥していた。 左足が太股の中ほどから失われ、千切られたような肉の断面と大腿骨が剥き出しになり、 そしてもっと凄惨なのは、残る全身のほぼ八割程が、無数の噛み跡によって体表上の 肉が食い千切られていたのである。 「・・・我が死地へようこそ」 不意に、その影が渋い中年男性の声を絞り出した。 まさか意識があり、且つ声まで発せられるとは思ってもみなかったイーサンは、思わず 全身をびくっと震わせ、緊張に強張った表情で、その人物を見た。 「あなたは、一体・・・?」 イーサンの問いかけに、全身食い痕だらけの中年男性は、空気が混じる呼気に乗せて、 かすれた声で答えた 「ルオル・バルディだ。君はどこの何者かね?」


戻る | TRPGのTOP | 次へ
inserted by FC2 system