大司教


その後の意見調整で、結局一同は、地下最深の埋葬墓地へと向かう事にした。
離れに連れ去られたベンケイの安否も気になるところではあったが、謎の影が、彼女の
命を奪わずに連れ去ったところを見ると、すぐに生命が害される心配は無いだろう、
というのが、フェンの持論であった。
残る三人にしても、ベンケイを何が何でも今すぐに救出せねばならないという強い理由が
見当たらなかった為、フェンの言葉に異論を挟む事はなかった。
むしろ、最初にランカスター大司教に依頼されていた、スプリットの活動痕跡を発見し、
その証拠を持ち帰る事を優先させるのであれば、埋葬墓地の探索こそ、最初にしなければ
ならない行動と言って良い。
「じゃ、行こうか。くれぐれもアンダーグールの出現には気をつけてね」
レイニーが銀製の鏃を仕込んだ矢を長弓につがえたままの姿勢で、先頭を進む役割を自ら
買って出たカッツェに言った。
こういう屋内での探索移動について言えば、戦闘力の高い者が壁となって押し進むよりも、
斥侯能力の高い者が先頭に立つのばセオリーである。
この場で言えば、少年盗賊のカッツェが該当した。
右手に短槍、左手に松明を掲げたまま、カッツェがやや緊張した面持ちで先頭に立ち、
そのすぐ背後を、ウルメンとイーサンが続き、しんがりをフェンとレイニーが進む。
ごく基本的な陣形と言えるだろう。欠点を挙げるとすれば、後方を守る壁役が不在である、
という事ぐらいか。
ともかくも一同は、イーサン=バルディが引き返してきた地下通路の奥へと足を向けた。
程なくして、鉄製の扉が松明に照らされる視界内に見えてきた。
既に一度イーサンが開けている為、罠や仕掛けの心配は無い。
そのまま、カッツェが重く軋むような耳障り極まりない金属音を響かせつつ、ゆっくりと
その鉄製扉を押し開けた。

広大な空間を誇る地下埋葬墓地には、相変わらずひんやりとしたかび臭い空気が充満し、
乾いた石床の上を歩く毎に、妙に殷々と響く足音が鼓膜を刺激する。
「あれは・・・」
カッツェが一瞬、足を止めて一同に振り向いた。
少年盗賊が指差して、松明の照明範囲のぎりぎりのところで血溜まりの中に沈んでいる
一つの遺体を、全員が認めた。
アンダーグールの襲撃を警戒して、やや摺り足になりながらその遺体に近づいてみる。
ルオル・バルディのなれの果ての姿であるが、この場においては、イーサン=バルディ
以外の者には、その正体を知る術が無い。
「・・・恐らくこいつも、スプリット兵の一員だったんじゃろな」
全身を無残に食い散らされている上に、足も一本失っている凄惨な死に様を目にしても、
フェンのやや茫漠とした面に変化は見られない。
一方、レイニーやカッツェは矢張り表情が豊かであり、その遺体から、顔を歪めて視線を
僅かに反らしたのは、ごく自然な反応だったと言って良い。
イーサンとウルメンは、矢張り職業柄、フェンと同様の冷静な反応であった。
「この遺体、喉元に切り裂いた痕がありますね。多分、これが致命傷になったんじゃ」
傍らにしゃがみ込んで遺体の状態を調べていたカッツェが、仲間達を振り仰ぐようにして
自らの所見を述べた。
少年盗賊の頭上から覗き込むような格好で、フェンがふむ、と小さく頷く。
「つまり、アンダーグール以外にも、何者かが居るっちゅう事じゃな。イーサンよぉ、
 お前誰か見かけなかったか?」
「いや・・・全然気づかなかったな」
フェンの問いかけに対し、イーサン=バルディはまるで何事も無かったかのように、
自然な表情でかぶりを振った。

しかし、一つの遺体にばかり時間を割いている訳にもいかないという事で、カッツェが
本格的に地下埋葬墓地の広い室内を探索し始めた。
怪しいのは、数多く並ぶ石棺の列であったが、それ以外にも、最も奥に見える祭壇と、
その傍らの小部屋も怪しいと言えば怪しい。
結局、石棺は後回しにして、カッツェはまず、奥の祭壇と小部屋から手をつける事にした。
一方フェンはウルメンとレイニー、そしてイーサン=バルディに提案して、二人一組の
チームを組み、石棺の蓋を一つ一つ外していく作業に入る事にした。
いずれの石棺も、蓋の下はごくありきたりな構造になっており、半ばミイラ化した白骨が
入っているものもあれば、埃だけが堆積している空のものもあった。
総じて、特に怪しいものは見当たらなかった。
この作業中、フェンはイーサン=バルディに、ベンケイが謎の影によって、この旧寺院の
裏手にある離れに連れ去られた経緯を説明していた。
「恐らく、そいつがバルディとかいうヤツじゃろうな。バルティという奴はドウカン以上の
 化け物だそうじゃから、単独でやり合う羽目にならんで良かったのぅ。尤も、どのみち
 出てくりゃやりあう羽目になるんじゃけどな」
「今までの経験で言えば、やりあう方に一票だね」
イーサン=バルディの言葉に、フェンは軽く頷いた。
確かにこれまでの数々の冒険において、ボスクラスの敵が出現した時は、ほぼ間違いなく
戦闘に入っている。
「確かミレーンが、呪禁道師の言霊ってやつに随分苦しめられてたよな。今回の敵も、
 呪禁道師が絡んでいる以上、余計な台詞を吐かないよう、気をつけた方が良いな」
「確かにのぉ」
今度はフェンが、イーサン=バルディの言葉に相槌を打った。
尤も、大司教クラスの呪禁道師は、相手の言葉のみならず、意志に対してすら言霊の
秘術を仕掛ける事が出来る事実までは、さすがに口にしなかったのだが。

石棺の蓋外し作業が飽きてきたレイニーは、ウルメンに休憩すると一方的に宣言し、 地下埋葬墓地の最奥の祭壇付近で黙々と調査しているカッツェの傍らへと足を向けた。 「ねーえ、何か分かった?」 「・・・怪仏信仰って、確か偶像崇拝を禁じてたんですよね」 カッツェの言葉に釣られるように、レイニーは祭壇上に視線を移した。 確かに少年盗賊が言う通り、祭壇上には偶像に匹敵するものは一切置かれていない。 六大神を始めとする大陸の一般信仰においては、神の偶像を拝む事は常識である。 しかるにこの怪仏信仰だけは、異国の宗教である事を加味しても、一切の偶像崇拝を 禁ずるという、一風変わった信仰の方法を取っていた。 「だから、怪仏とは何者かというか、そのおぼろげな姿というものが、ほとんど  見えてこないんですよねぇ」 ところで、とカッツェは中腰の姿勢から上体を起こし、祭壇の傍らに見える小部屋の 入り口を軽く指差して話題を変えた。 「さっきその小部屋の中で、有力な手がかりを見つけましたよぉ」 「ちょっと、そういう事はもっと早く言いなさいよね」 レイニーは肩を怒らせてカッツェから松明をひったくり、その勢いで小部屋内へと 足を踏み入れた。 追いかけるようにして、カッツェがレイニーの後に続いて小部屋に入室する。 がらんとした殺風景な正方形の小部屋で、奥の壁に沿う位置に、庶務机らしきものが 据えてあった。 二人はその庶務机に近づき、そこにあるものをじっと凝視した。 「・・・これ、スプリット兵が残した記録書類、よね」 「だと思いますよぉ」 カッツェの言葉をほとんど無視して、レイニーは松明を少年盗賊に押し付けると、 その書類の束と、傍らに置いてあった純銀製と思しき錫杖のようなものを手に取り、 急ぎ足で小部屋を出た。 「フェン!これを見て!」 レイニーが呼びかける声に、石棺の蓋外し作業を黙々と続けていたフェンが反応し、 次いでイーサン=バルディが、覗き込んでいた石棺の中から顔を上げた。 一同が、祭壇脇に佇むレイニーの周りに集まった。 この手の資料や手がかりの解析には、魔術師の豊富な知識こそが相応しい。 レイニーはそういった冒険者としての一般常識に従って、入手した資料と、謎の 純銀製の錫杖を、早々にフェンに手渡す事を考えたのである。 年若い女高司祭から書類の束を受け取ったフェンは、カッツェが背伸びしながらも 必死にフェンの手元を明るくしようとして確保している松明の光に助けられながら、 書類に記されている内容を常人では考えられないような速さで速読し、数分ほどで ほとんど理解し終えていた。 「なるほどなぁ、そういう訳じゃったかい」 「ちょっと、一人で納得してないで、ちゃんと説明してよ」 レイニーにせがまれたフェンは、僅かに苦笑して頭を掻いた。 しかし真相を知りたがっているのは、何もレイニー一人だけではない。 ウルメンもカッツェも、早く説明しろと言わんばかりの表情で、長身の魔術師に じっと視線を固定していた。 「そもそもここにアンダーグールが大量発生したのは、連中、つまりスプリットの  人為的なミスじゃったらしいな」 その資料には、川龍ズレータに施された食神チャバーカバの精神錠解除の方法が 詳細に記されていた。 川龍ズレータは、もともとは食神チャバーカバがはるか古代に製造した龍兵器の 亜流だという事であり、つい数年前に至るまでは、食神の精神支配下にあった。 ところが怪仏信者、即ちスプリットの破壊工作部隊がズレータを支配下に置くべく、 食神の精神波動を解除しようとして、そして失敗したらしい。 その結果、解放された食神の精神錠が暴走し、怪仏信仰の聖堂たる旧寺院敷地内に、 大量のアンダーグールを生み出してしまったようだ。 フェンが手にしている資料には、食神の精神錠暴走によって生み出されてしまった アンダーグールの大群に対処する為の人員配置や作戦方針などが、事細かに記され、 これらのアンダーグールどもを全て殲滅した上で、改めて川龍ズレータを自分達の 支配下に置く儀式に入る筈であった。 しかし、その段階で何らかの事故が発生した。 スプリット兵達は次々とアンダーグールの餌食となり、ほとんどの者が死に絶えた。 現在、旧寺院の離れに立て篭もっているのは、恐らくスプリット兵の生き残りで あろうと思われる。 「じゃあこの錫杖は?」 「そいつぁ、ズレータから食神の精神錠を外す為に必要な魔装具じゃよ。正式な  呼び名はよう分からんが、精神強制遊離杖とでも言うような代物じゃな」 「ふぅん・・・」 フェンの説明を受けても尚、いまいちよく分かっていない様子のレイニーだったが、 何を思ったのか、その銀色の錫杖をじっと凝視してから、 「ねぇ、これであのズレータを操れないかな?味方にすれば、スプリットなんて  あっという間に一網打尽に出来るかもよ」 などと突拍子も無い事を言い出した。 さすがに呆れたような表情で、イーサンが手を伸ばし、 「君は何を言い出すか分からないな・・・それは僕が預かっておくよ。何ていうか、  ちょっと危なっかしいしね」 というのに対し、レイニーは不意に何かを思いついたのか、やんわりと拒否する 仕草を見せた。 「あ、ちょっと待って。今、何か頭に浮かんだ」 この時、幸運の神がもたらした不思議な兆候が、実はレイニー自身の法力に 依存するものである事を、本人が気づいていたかどうか。

レイニーは、純銀製の錫杖を手にしたまま、不意に頭に浮かんだ短い発音の繋がりを、 口の中で小さく呟いてみた。 その時に見せたイーサン=バルディの、半ば絶望に近い驚愕の表情に気づいた者が、 この場に一体何人居たであろうか。 突然、イーサン=バルディの体がその場に崩れ落ち、無様な格好で石床に突っ伏した。 「おい、どうしたイーサン!」 ウルメンが慌てて呼びかけたその直後、信じられない光景が、一同の前で展開された。 崩れ落ちたイーサンの体躯から、見た事もない何者かの姿がぼうっと浮かび上がり、 まるでイーサンの背中から引き摺りだされるような格好で浮遊していくのである。 そして一方、地下埋葬墓地の中ほどで、血溜まりの海に沈んでいる例の無残な遺体から、 あろう事かイーサン本人と思しき幻影のような姿が浮かび上がり、冒険者達の足元に 突っ伏しているイーサンの肉体に急接近してきたのである。 イーサンの肉体の背中から放出された謎の人物の幻影は、凄まじい程の苦悶の表情と、 声無き絶叫をあげながら、宙空に霧散してしまった。 が、例の遺体から浮かび上がったイーサンの幻影はと言うと、そのまま石床に顔から 突っ伏しているイーサンの肉体の中に、まるで吸い込まれるようにして消えていった。 「な・・・何が起きたのよ!?」 混乱したレイニーが、純銀製の錫杖を放り出し、数歩後退した。 一方のフェンは、宙空に消えた見知らぬ男の、断末魔を搾り出すような悲惨な姿が 消え去るのをじっと凝視していたが、やがて呻き声をあげながら立ち上がろうとする イーサンに肩を貸して、その表情を覗き込んだ。 「イーサン、大丈夫か?」 「・・・ああ、助かったよ。まだ少し、頭が痛いけどね」 フェンの肩を借りて、若干よろめきながら立ち上がろうとするイーサンではあったが、 自身の脳内に渦巻く記憶の混乱を整理すのに、少し手間取っている。 「バルディの中で、奴の記憶を全て覗いてきた。真相が判明したよ」 イーサンは、意志に仕掛けられた言霊によって、バルディと肉体を入れ替えられた 挙句に、命を絶たれた事を告げた。 さすがに驚きを隠せない一同であったが、レイニーの何気ない思いつき、というより、 彼女が毎朝自身に仕掛けている幸運の法力が、剥離しかかっていたイーサンの魂を 再び本人の肉体に呼び戻した事で、こうして見事復活を遂げたのである。 肉体が入れ替わる事で、お互いの記憶や人格までもが理解出来るようになるらしい。 そしてイーサンは、バルディが何故、地下埋葬墓地で失態を演じたのか、その理由を 知る事が出来た。 「サヘエという怪仏信者の呪禁道師が、大司教の座を狙ってバルディを陥れたんだ」 イーサン曰く、サヘエは毒術の達人であり、同時に屍傀儡法も得意とする。 バルディはサヘエの麻痺毒による罠にかかり、その直後アンダーグールの群れに 襲われたらしい。 「今のズレータは、ただの腹を空かせた肉食獣だ。そのズレータを自らの支配下に  置く為に、サヘエはバルディを陥れたみたいだね」 頭痛に悩まされながらも、イーサンはバルディの記憶から読み取った事実の断片を、 言葉短かに語って聞かせた。 そしていきなりカッツェが何かに思い当たったように、半ば悲鳴に近い叫びを上げた。  「ちょっと待ってくださいよぉ・・・それじゃあ、ベンケイお姉ちゃんが・・・!」 「ああ、危ない。恐らくサヘエは屍傀儡にする為に、ベンケイさんをさらったんだ」 一同の間に緊張が走る。 謎の影がベンケイを殺さずに連れ去ったという事は、まだしばらくの間は、彼女の 生命は安全である、と判断したフェンの意見は、ここで脆くも崩れ去った。 もう既に、首を落とされて屍傀儡と化している可能性がある。


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