視界


その翌日はファニック商会が鍛冶師ジャド・ベバリンから発注していた製品を受領する
期日となっており、これにレイニーとフェンが同行する事になった。
両者の思惑はそれぞれ同じ動機ながら、目的とする人物は異なっている。
いずれにせよ、製品受領に際しては全くの部外者であるフェンを、レイニーが散歩の
ついでに誘い出したという格好で、商用馬車に便乗させた。
「アネッサっちゅうのは、どんな娘かいのぉ?」
「普通に街の女の子なんだけど、ちょっと頑固なところがあるかな。どっちかってぇと
 箱入り娘みたいに、大事に大事に育てられたって感じ。それでも私達兄弟とは、家の
 行き来が頻繁にあったから、兄弟同然に育ったんだけどね」
フェンがレイニーに、ベバリン親子について、特にアネッサに関して簡単な説明を
受けているうちに、商用馬車はほどなくベバリン工房に到着した。
ファニック商会からベバリン工房までは、歩いてすぐの距離であったが、いかんせん、
発注した製品の運搬には人力でそのまま移動させるのは無理がある為、製品受領の際は
常に商用馬車を用いる事になっていた。
時刻は丁度、正午直前という事もあり、レイニー以下ファニック商会の手代達は、
ベバリン工房の食堂で、職人達と食卓をともにするよう薦められた。
特に断る理由も無いので、レイニーがにこやかに快諾すると、工房奥の、ベバリン家の
自宅通用口から、金髪が背中の中ほどまで伸びている年若い娘が飛び出してきた。
「レイニー、いらっしゃい」
「あらアネッサ、ちょっと見ない間に随分髪が伸びたんじゃない?」
などと軽い挨拶を交わしている間も、アネッサは父ジャドには見向きもしない。
対するジャドは、浅黒い肌と頑健な体格の中年男性で、如何にも典型的な職人気質を
見せる気難しい親方然とした容貌を、矢張りアネッサには見向きもさせずに、訪れた
ファニック商会の手代達の対応ばかりに神経を注いでいる。
この親子の態度がそのまま、レイニーとフェンには二人を隔てる距離なのだと咄嗟に
理解していた。

製品受領の手続きや契約書の交換については、レイニーやジャドが直接的に携わる
ような事は稀であった。
二人は大体において、事務的なやり取りが行われている一方で、事務室に隣接する
休憩室で、茶をすすりながら雑談を交わしている事が多い。
何気なく世間話で探りを入れつつ、ジャドの機嫌をうかがっていたレイニーだったが、
矢張り自分が小さい頃から見知っている近所のおじさんという事もあり、踏み込んだ
話題を振るのは、さほど苦にはならなかった。
「それでジャドおじさん。例の件・・・アネッサの結婚の事なんだけど」
「ああ、それか。俺もその事を考えると、頭が痛くてかなわん」
レイニーに水を向けられたジャドは、怒った風ではなかったものの、露骨に嫌な顔を
作って、腕組みしながら、わざとらしく大きな溜息を漏らした。
「レイニーも俺の気質はよう知っとるだろう。あのルーベンスたらいう優男だけは、
 どうにも認める訳にはいかん」
「やっぱり、工房の跡取りとしては力不足だから?」
「それもあるが、あの男、どうも信用ならんのよ」
意外な台詞がジャドの無精髭にまみれた厚い唇の間から漏れ出してきた事に、思わず
レイニーは木椅子の背もたれから上体を起こして身を乗り出した。
「俺とレイニーは、今こうして話している間も、相手の顔をしっかり見て、視線を
 反らすような事はせんわな」
しかしルーベンスという優男は、愛想笑いを浮かべてはいるものの、会話を交わす
相手の顔を正面から見ようとはせず、その気持ちの悪い笑みも、どこか無理矢理に
造っているように思われてならないというのである。
「そうなんだ。ジャドおじさん、人を見る目は確かだもんね」
相槌を打ちつつ、レイニーは内心、只一人の例外を除いてはね、とひとりごちていた。

レイニーも認めているように、ジャド・ベバリンは有能な職人であると同時に、
人を見る目も十分に鍛えられている点では、大いに評価されるべき人物であったが、
そんなジャドにも見誤った相手が居る。 ヤニック・シェクターという若い冒険者で、且つレイニーやアネッサに取っても、 幼い頃からの友人であった。 実際レイニーは、過去の冒険でヤニックとチームを組んだ事があるのだが、朗らかで 誠実な人柄は、レイニーも好感を抱いている。 しかしジャドは、子供の頃から浮浪の家なき子であるヤニックを、ならず者の果てに 冒険者に落ちぶれたとしか見ていない。 ヤニック本人は、決して人の道から外れるような悪事に手を染めた事はなかったのだが、 彼の周囲にたむろするちんぴら連中の印象が、どうしてもジャドの脳裏に焼き付いて しまっており、それがそのままヤニック本人への評価となっているようであった。 そしてヤニックが、アネッサに淡い恋心を抱いている事も、レイニーは知っている。 もちろんジャドもその事は既に承知しており、殊更に、アネッサをヤニックには 近づけないようにしているらしい。 そういうところもあって、レイニーは、ジャドが嫌うルーベンスも、本人を直接 見てみない事には評価を下す事は出来ないと考えていたのだが、少なくともジャドが 語るルーベンス像を頭の中に思い描く限りでは、ヤニックとは似ても似つかぬ、相当 人間的にレベルのかけ離れた人物であると言えるだろう。 「なぁレイニー。お前からもアネッサに灸を据えてやってくれないか。あんな訳の  分からん胡散臭い野郎の言う事など信じるな、ってな」 「そぉねぇ。考えておくわ」 いささか適当な口ぶりで答えつつ、レイニーは木卓に置いた茶碗の中身をすすった。
一方、フェンはアネッサから手痛い反撃を食らっていた。 彼は食事が終わり、工房奥の通用口から自宅内の自室に引き返そうとしていた少女に 自ら声をかけ、簡単に自己紹介した後、何か力になれる事はないかと切り出した。 まだほとんど初対面の相手にこんな事を言われて、怪訝に思わない者は居ない。 フェンはレイニーの紹介で、アネッサと挨拶を交わしはしたが、しかしいきなり 個人の事情に踏み込める程には、この多感な年頃の少女と親しくなっていないのだ。 「あなた、一体どういうつもりですか?赤の他人に話す事なんて、今のところ全く  ないんですけど」 「いや、どういうつもりっちゅう訳でもないんじゃが」 「だったら、個人の問題に、不用意に首を突っ込もうとしないで。不愉快です」 ぴしゃりと言われ、フェンとしてもそれ以上返す言葉が無かった。 実際アネッサの言う通り、全く赤の他人に等しいフェンが、いくらレイニーの紹介で 顔見知りになったとは言え、初対面から一時間もしないうちに、いきなり個人の 問題に首を突っ込もうとしたのである。 普通に考えれば、これほど非常識な話も無いだろう。 しかしフェンとしては、このようにアネッサから拒絶されたところでさほどに痛くも 痒くもないし、何よりアネッサという少女の人柄や性格を、断片的にでも知る事が 出来たのだから、全く何の収穫も無いという訳ではなかった。 そこへ、休憩室から出てきたレイニーが、手持ち無沙汰に工房の片隅で佇んでいる フェンを見つけ、足早に近づいてきた。 「どしたの?」 「いやぁ、ここの娘さんに嫌われてしもうたわ」 「どうせまたあんたの事だから、アネッサに不用意な接触を取ろうとしたんでしょ」 ずばりと指摘され、フェンとしても苦笑せざるを得ない。 頭脳明晰な高位魔術師も、多感な少女の感情を理解し切るには、まだまだ経験が 足りないようであった。 他方、エルクとイーサンは、自分達が寝泊りしている冒険者の店『紅い砂塵亭』の 階下に腰を据えて、ある人物をじっくり観察していた。 偶然にも、目的の人物は同じ宿に部屋を取っていたのである。 吟遊詩人ルーベンスは、ここ数日、エルクとほとんど交代で、紅い砂塵亭一階酒場の 流しを務めているような状況であった。 まさか、日替わりで酒場の流しをやっている優男風の美貌の吟遊詩人が、アネッサの 想い人であるルーベンスであろうなどとは、この日の朝になるまで、全く知る由も 無かった二人であった。 基本的に冒険者の店の一階酒場は、冒険のネタが枯渇し、やる事もなく、ただ無為に たむろしている冒険者連中の溜まり場となっている。 その日の紅い砂塵亭も例外ではなく、二組の冒険者グループが、それぞれ大きめの 木製丸テーブルに陣取り、昼間からエールをあおり、酒臭い息を吐き散らしている。 ルーベンスは、壁際の小さな木卓に席を取り、リュートを爪弾いて、薄暗い店内に 柔らかな旋律を提供していた。 色白の優男で、驚くほどの美貌の持ち主である。 世間知らずの年若い街娘ならば、少しばかり甘い言葉をかけられただけで、簡単に 落ちてしまいそうな雰囲気であった。 昨日フェンに諌められたばかりのエルクであったが、こうしてルーベンス本人を 目の前にしてみると、嫉妬心や羨望の思いが改めて沸き起こってきた。 やがて意を決したエルクは、木椅子から立ち上がった。 右手の拳に親指を立て、小声で「グッドラック!」と茶化すイーサンを尻目に、 エルクは大きく深呼吸してから、ルーベンスの卓に向かっていった。 「あのー、ルーベンスさん、ですよね?」 「はい。そういうあなたはエルクファント・レガシー殿」 意外にも、ルーベンスはエルクの事を知っていた。 思いがけない展開に、戸惑い気味の表情をイーサンに振り向かせてみたエルクだが、 対するイーサンも小さく肩をすくめるばかりである。 「そんなに驚く事でもありませんよ。あなたのご高名は、オランから流れてきた  数多くの情報が雄弁に物語っておりますよ」 エルクはほとんど不意打ちにでも遭ったような心境で、口をパクパクさせている。 しかし実際、ルーベンスの言う通りでもあった。 前オラン国防大臣ドルフ・クレメンスに近しいハーフエルフの精霊戦士であり、 且つ様々な事件の解決に関与している。 更に旧ガララーガ商会や、オラン行政官の実力者であるディバース候とも親しい、 となれば、吟遊詩人仲間の間では知らない者は居ないと言って良い。 まさかエルクは、自分がそこまで名の知れた有名人と化しているとは、自身では 全く想像だにしていなかった。 これは恐らく、エルクだけの感覚ではなく、彼の仲間の冒険者達も同様だろう。 彼らはこれまで、多くの冒険をこなして知名度を知らぬうちに上げてきたのだが、 本人達は使命を達成し、生き残る事で精一杯になっていた。 その為、自分達の名声がそれほどに広まっている事など、考えても見なかったのだ。 「ディバース候をオランの正式な大臣に押し上げた功績や、バルバッツァ号の  オラン直撃を回避した大冒険など、お聞きしたい事は実に数知れない。もし、  あなたさえ良ければ、勇敢なハーフエルフのサーガを私に紡がせては頂けないか、  とそのように思っている次第です」 もうすっかり、ルーベンスのペースであった。 エルクは同じ吟遊詩人とは思えないほどに狼狽している。 インタビューをするつもりが、逆に自分が質問攻めに遭っていた。 そんなエルクの哀れな程の慌てぶりを、イーサンは別の木卓で冷静に眺めている。 (食えない奴だな。僕の方にも、ちらちらと親しみを込めた笑顔を送ってるけど、  何ていうか、気に入らない笑顔だ。視線がどこか浮ついてるっていうか) イーサンのこの感想は、偶然にも、ジャドがレイニーに語ったものと極めて
似通っていた。

同時刻、カッツェとクレットはエレミア近隣の村落を手分けして立ち回り、ある 情報に関しての聞き込みを半ば終えようとしていた。 昨日、エレミア盗賊ギルドの世話役から、知的犯罪者の調査に関する依頼を直接 申し込まれたのだが、あまりにも情報が少なすぎる為、まずは自分達の足でこまめに 聞き込みをした上で受諾するかどうかを決める事にしていたのである。 盗賊ギルドの老世話役が言う知的犯罪者とは、リカルド・フレンツェンという名の 美貌の青年だという事であった。 これまでこのフレンツェンなる美男子は、エレミア近郊の村落で結婚詐欺を繰り返し、 純朴な娘とその家族を手玉に取って、決して少なくない被害を出しているらしい。 いずれも結婚を前提に男女の仲になるところまで話を進めてゆき、ある程度の財産を 村娘の家族から搾り抜いた後、まるで霞が失せるようにして姿をくらますのが、 常套手段だという。 しかしどの村落においても、フレンツェンの外観が微妙に異なっている。 恐らくは、変装の技術もそれなりに身に付けているのかも知れない。 自由人たちの街道沿いに、エレミアの西方向へと足を伸ばしていた二人の盗賊は、 昼過ぎになってエレミア郊外の茶店で落ち合い、互いの情報を交換した。 窓から射し込む砂塵の国独特の強い陽光は、茶店の中に暑い空気を淀ませている。 冷たい飲み物を注文した二人であったが、実際喉に通しているのは、何とも言えぬ 生暖かい果実ジュースであった。 「ここ2、3年の間に、相当荒稼ぎしてるみたいね、このフレンツェンっての」 「でも何でまた、急にエレミアに出てこよう、なんて思ったんでしょぉねぇ?」 「おおかた、エレミアに出た方が稼ぎも上がるって考えたんでしょ」 盗賊であれ知的犯罪者であれ、己の技術に自信を持ち、更に大きな稼ぎが見込めると 判断すれば、より収入の上がる場へと身を移すものである。 リカルド・フレンツェンもその例に漏れないと考えるのは、ごく自然な事であろう。 「さて、どうするか、よね。ギルドからの報酬額は一人あたま銀貨800枚。決して  悪い話じゃないんだけどね」 言いながら、クレットは室温で温まりつつあるジュースを飲み干し、苦い顔をした。 冷たさを失った果実ジュースは、意外に不味い代物であった。

戻る | TRPGのTOP | 次へ

inserted by FC2 system