結納


その日の夜遅く。
盗賊ギルドを抜け出したクリスは、釣竿と釣具を持ってマッティングリー家に足を伸ばし、
勝手に裏口から入り込み、カークに与えられている離れへと向かった。
ガルガライスの家屋は、軒並み木造一階平屋建てのものが市中の大半を占めており、更に
各家屋は高床式の構造を持っており、上げ潮などで地面が潮に洗われた際にも、屋内は
濡れる事がないようにという配慮を持って設計されている。
カークの離れも、多分に漏れず高床式の木造平屋建て家屋で、広い敷地内においては、
本宅よりも僅かに海寄りに位置している。
悪友を自認するクリスは、無遠慮にカークの離れの玄関式台に登り、枝を組み合わせた
隙間だらけの玄関扉を軽くノックした。
「よぉカーク。釣り行こうぜー、釣りー」
特大蝋燭で室内を照らし、読書に興じていた部屋の主は、苦笑を漏らしながら、突然の
来訪者の誘いに応じて、自らも釣竿と釣具を用具棚から取り出して玄関に向かった。
二人は、ガルガライス市街の西方に広がる浜へと向かった。
もともと漁村から発展したというガルガライスだが、海に面するその一帯は、どちらかと
言えばあまり漁業には適していない。
南北に走る遠浅の浜は、地引網には最適だが、大型の漁船が出入りするには最悪とも
言える立地条件を備えており、しかも浜を南北に寸断するような形で、ガルガライス城が
沖に居を構えているのである。
実はガルガライス郊外に、漁港として最適な磯が幾つか点在しており、遠漁の際には、
これらの磯漁港が活用されているのである。
ガルガライスでの漁業は上述の通り、地引網がメインなのだが、それ以外にも幾つかの
漁獲方法が確立している。
例えば、カヌーで船団を組み、沖合いに繰り出して素潜りで獲物を捕らえる昔ながらの
漁法などがその典型であるのだが、最近発展した方法として、投げ釣りがある。
これは、木製の太鼓型リールとガイド付投げ竿を用いた、文字通りの投げ釣りであり、
現代でも遠浅の浜でカレイやキスを釣る方法として大いに人気が有る。

クリスがカークを誘ってガルガライスの浜に繰り出してきたのは、この投げ釣りを、
久々に楽しもうという意図があっての事であった。
既に述べたように、ガルガライスの浜は、沖合いのガルガライス城によって、南北に
仕切られている格好になっており、街の住民はその境を起点にして、北の浜と南の浜、
という具合に呼び分けていた。
マッティングリー家の敷地は南の浜に近い為、クリスとカークが向かったのも、当然
南の浜のカヌー揚場に程近い砂浜であった。
釣り針にゴカイを刺し、梃子の原理で数十メートルという距離を飛ばして針先を海底に
沈めた二人は、当たりがくるまで暇を持て余す事になる。
青紫色に広がる夜空には雲一つ無く、上弦の月が柔らかな月光を降り注いでいる。
終わりなき夏の街であるとは言え、深夜の浜辺は潮の香りをたっぷりと含んだ海風が
優しく吹きつけ、心地良い程に涼しい。
砂浜に仰臥し、頭の後ろで両手を組んで枕を作り、満天の星空を仰ぎ眺めている二人で
あったが、やがてクリスが頃合を見計らって、不意に口を開いた。
「んでよぉカーク。おめぇどうするつもりなんだ?」
「・・・どうもこうも、まずは会ってみない事には何とも言えないなぁ」
クリスからの質問が、例の花嫁候補選びの件である事を咄嗟に悟ったカークであったが、
どうにも煮え切らない表情で、いささか困ったような声音を返した。
実際、困っているのだろう。
カークの話によれば、彼の父、つまり現マッティングリー家当主のバオーリーでさえも、
あまり強く選択を迫っている様子ではないらしい。
もしカークが、他に慕っている女性が居るのであれば、その女性との結婚も認めよう、
という腹積もりらしいのだが、現時点では、カーク自身にそういう特別な相手が居ない。
そうなれば結局、現在花嫁候補に挙がっているいずれかの女性を妻に娶る事になるだろう。
「ただこの縁談は、どう見ても政略結婚だからなぁ。何て言うか、気が重いよ」
「そらまあ、本人達と会う前だから、どうしてもそういう気分になるよなぁ」
クリスにすれば、如何に親友の結婚とは言え、所詮は他人事に過ぎない。
気の毒には思うのだが、自分がどうこうなる訳ではない為、その感想は至って適当である。

いずれにせよ、カークは妻を迎えて家督を継ぐ決心を固めている事には間違いない。
問題は、そこに至る過程である。
単純に家督を譲り受けるだけならば、カークとて悩む必要も無かったのだろうが、しかし
実際には、二つの対立する家から令嬢を娶る格好になっている以上、婚姻成立の結果、
いずれかの家とはその後の関係に亀裂が生じるかも知れない。
諸事穏やかに物事を進めたいという性格のカークにしてみれば、それはそれで、なかなか
やりきれないものがあるらしい。
尚、今後の予定であるが、まずマッティングリー家の家督相続人お披露目パーティーが
二日後に開催予定であるとの事である。
この席で、タルキーニ家とオロウォカンディ氏の双方から、花嫁候補の令嬢二人が、
カークの花嫁候補である事を自ら名乗り出る段取りになっているらしい。
言ってしまえば、このパーティーこそが、両家の正式な宣戦布告の場となる訳であり、
それ以降、互いに相手を牽制しつつ、カークの心を何とかして掴み取ろうとする戦いが、
表面化すると言って良い。
一般家庭の婚姻ならば、ここまで大掛かりな争いに発展する事など有り得ない。
せいぜい女同士の熾烈な恋愛戦争程度で済む筈である。
が、このマッティングリー家の場合はいささか事情が異なる。
次期当主であるカークが、いずれの陣営を味方に引き込むかによって、城内政治の動向が
大きく変化してくるのである。
その為どうしても、個人の結婚問題だけでは収める事が出来ず、こういった派手な展開が
カークを翻弄する事になってしまうのだ。
「社交界ってのは、恐ろしいところだなぁ」
「本当に、伏魔殿のような世界だよ」
一応、覚悟は決めていた筈のカークだが、クリスが改めて無責任な感想を述べると、実に
疲れ切ったような表情を月光の下で作り出していた。
しかしそんなカークの苦悩など既にどこ吹く風のクリスは、砂地に突き刺した投げ竿の
先が大きく振れ、獲物が釣り針にかかった事に集中し始めていた。

ガルガライス市中に点在する冒険者の店は、いずれもさほどに儲けが出ていない。 以前は一つしか無かったのだが、数年前ほどに、何かのブームで大勢の冒険者達が街に 押しかけてくるようになり、その需要に目をつけた数件の旅館が冒険者の店を始めたのだが、 今となってはそんな喧騒も遠い昔で、どの冒険者の店も閑古鳥が鳴く状況が恒常的に続く、 という有様であった。 シモン、マディ、フィル、ライトら四人が宿部屋を取ったのは、そういった新興の店の 一つである椰子木立亭という名の店であった。 もともとが普通の旅館だった為に、宿の親父も冒険者出身などではなく、ごくごく普通の 市井人に過ぎない。 その為、冒険者が必要とする情報や装備品の扱いなどに関してはまるで素人であった。 冒険者としては駆け出しに過ぎない四人であったが、これほど使い物にならない店の親父と 接するのは、今回が初めてであった。 ただ、依頼主とのパイプ役になるという仕事だけはきっちりこなしているらしい。 タルキーニ家とオロウォカンディ氏の双方から、冒険者を雇い入れたい旨の雇用情報に 関しては、シモンの問いに正確な答えを口にする事が出来た。 シモンがそもそも疑問を抱いたのは、花嫁選びの為に、何故冒険者などが必要になるのか、 という部分である。 夜遅く、一階酒場のカウンターの向こう側で食器を洗っている中年を少し過ぎたばかりの 店の親父相手に、シモンは例の穏やかな物腰で、その疑問をぶつけてみた。 「そりゃあ、色々あるんですよ。ライバルとカークさんのデートを密かに妨害してみたり、  経済戦略でマッティングリー家の関心を引き寄せてみたり、とかね」 「なんとも姑息な・・・」 いささか呆れた様子で眉をひそめたシモンだったが、政略結婚ともなれば、自然とそういう 動きが出てくるものなのかも知れない、などと一人で勝手に納得したりもしていた。 但し、そういった裏工作を直接に発案・指揮しているのは、双方とも当主や花嫁候補の 令嬢本人ではなく、執事や政治顧問といった連中だそうである。 翌朝、椰子木立亭に宿泊している四人の冒険者達は、一斉に街へと繰り出していった。 目的は当然ながら、今回の嫁取り騒動に関する情報を仕入れる為である。 ライトはタルキーニ家について、フィルはオロウォカンディ氏について、マディは マッティングリー家についてを調べ、シモンは全体的な情報を仕入れる方向で動いた。 四人とも、誰がどちらに雇い入れられるかについては、お互いに口を閉ざしている。 別に冒険者チームを組んだ間柄でもない為、そこまで腹を割る必要は無かった為だ。 例外と言えばライトとフィルの両者で、この二人は少し前から一緒に旅を続けている 間柄の為か、お互いの情報と意志を共有している節が見受けられた。 まずタルキーニ家についてであるが、基本的な概略は既に述べた通りである。 但し、ライトにとって一つ誤算があった。 ガルガライスの街には、魔術師ギルドが存在しないのである。 と言い切ってしまうと語弊があるのだが、少なくとも、挨拶をする為にわざわざ足を 向けるほどの規模のものは、ガルガライスには存在しなかった。 一応、古代語魔法を習得している冒険者や賢者などを支援する為の組織は、この街にも ある事はあるのだが、しかしそれは、十字路の街タイデルの魔術師ギルドから派遣された 連絡員の詰め所がそれであり、そこに詰めている連絡員も正規の魔術師などではなく、 タイデルの魔術師ギルドと定期的に連絡を取り、ガルガライスに滞在している魔術師に 何か不便が生じれば、その便宜を図る為にお伺いを立てる、という程度のものに過ぎない。 むしろ、いわゆる魔術師ギルド的な機能を有する組織というものは、ガルガライス城内に 設置されているとの事であった。 いささか肩透かしを食った格好のライトではあったが、そこは吟遊詩人としての素養を 持つ彼である。 街中で屋台や商店街などの、情報が行き交う場所に顔を出し、市井の民から噂程度の 情報を吸い出そうとした。 そして方法論に限って言えば、フィルとシモンもほとんど同様の手段を取っている。 残る一人のマディは、手っ取り早くカークをつかまえて情報を聞き出していた。 大胆さという点について言えば、彼女が一人群を抜いていたと言える。 朝早くからいきなりマッティングリー家の門を叩き、夜釣りでいささか寝不足気味の カークを叩き起こして、無理矢理に彼が住む離れへと押し込んでいったのだ。 この辺の強引さというのは、マディの育ちの部分に大きく関係しているかも知れない。 マディが聞き出した内容は結局、昨晩クリスがカークから聞いた内容と大差が無い。 家督相続人お披露目パーティーの場を利用して、二人の令嬢が花嫁候補に名乗りを上げ、 以降両者が互いのライバルを蹴落とす為の熾烈な戦いが始まる、というものであった。 そして花嫁を選ぶ基準であるが、基本的にはカーク個人の好みが全てである。 本来なら、この手の政略結婚は利害を基準にした駆け引きが展開されるものなのだが、 今回の場合に限っては、いずれを取ったとしても、差し引きプラスマイナス0という 結果にしかならないらしい。 当主となるカーク自身がマッティングリー家のその後の舵取りを任される以上は、 彼が全てを決定する事は、それはそれで筋が通っているのである。 ちなみに家督相続人お披露目パーティーは、マッティングリー家本宅で催されるという。 その企画進行全てを含めた手配は、矢張り主催であるマッティングリー家が全てを 担当する事になっており、このパーティーには、ガルガライス政財界の著名人が数多く 招待されているとの事であった。 「ところで・・・どうして君が、こんな事を聞きにきたのか、教えてくれるかな?」 「ああ、それはね。実は依頼がきてるのよ」 慎重に言葉を選んだつもりのマディだが、現状そのまんまの台詞を吐いている。 いや、彼女の場合、言葉を選ぶというのは、言葉遣いを選ぶ事であり、言葉の内容は どちらかと言えば二の次であった。 カークは思わず天井を仰いだ。 マディの言葉を信じるのなら、この先、彼の花嫁選びには様々な暗躍がついてまわる、 という事になるのである。

ライトが調べ上げたタルキーニ家の評判は、市井の民の間では決して悪くないという 結論に落ち着いた。 代々の当主は確かに凡庸な人物ばかりであったが、家訓として、律儀と生真面目を 美徳としている面があり、義を重んずる家風が強いという。 確かにタルキーニ家は、さしたる功績も無く、政治の世界においても辣腕を発揮した というような話はまるで聞かれる事が無い。 しかしながら、領主としてのタルキーニ家はとにかく律儀一辺倒であり、領民に 対しても公平さを第一にして接し、裏金などに手を染める事も皆無なのだという。 これは、花嫁候補である令嬢ルシアンにも当てはまる事であった。 先日20歳の誕生日を迎えたばかりの彼女は、恐ろしいほどに生真面目な性格で、 その堅苦しさから、逆に言い寄る男性が一人も居なかったというぐらいである。 しかし根は優しい女性であり、今回の政略結婚も、自分が感情を抑える事で、家の 躍進に繋がるのであれば、喜んで身を投げ出すという犠牲の精神にも富んでいた。 但しライトが知る事が出来たのは、ここまでである。 マッティングリー家との縁談について誰が一番乗り気なのか。そしてその意気込みは。 この二点については、当人達にしか分からない事であり、街の噂で知ろうとするのは 最初から無理があった。 そして市井民はどちらを応援するのか。 これについては、ほぼ全員が無関心であると言って良い。 いずれの家がマッティングリー家と繋がったところで、市井民の生活にはさほどの 影響が無いからである。 喜ぶのは、せいぜいタルキーニ家領内に居を構える領民達ぐらいであろう。 そして当然の事ながら、魔術師ギルドの意向などはまるで分からない。 タイデルの魔術師ギルドが、ガルガライス国内の政財界について口を挟む事が 出来ないのは、誰が考えても明らかだった。 一方のオロウォカンディ氏は、冒険者から身を立てたばかりの大地主である為か、 特に冒険者達に対する接し方に定評があった。 現在、ガルガライスの街で閑古鳥に喘いでいる冒険者の店の各店に対し、経済的な 支援を行っているのは、唯一オロウォカンディ氏だけなのである。 保守的なタルキーニ家とはがらりと家風が異なり、前衛的な発想でものごとに当たり、 旧来の伝統を打ち破り、新しい風を吹き込む事に生き甲斐を見出している、という 雰囲気が強い家系であった。 令嬢ペネロペは、カークより一歳年下の活発な女性で、矢張り血筋がそうさせるのか、 日頃から暑い陽射しの中を駆け巡り、領地を脅かそうとする妖魔や野盗の群れを、 自ら剣を振るって追い払おうと日々努力しているという。 年齢的には、ルシアンより六つも上なのだが、性格的にはむしろ、ペネロペの方が 圧倒的に若々しいと言って良い。 もちろん、ペネロペ自身もカークと結婚する事についてはやぶさかではない様子で、 幼馴染と添い遂げる事が出来るなら、どんな無理でもやり遂げてしまおうという 強い意気込みが感じられた。 フィルは、街中の情報からオロウォカンディ氏の家風と、そしてその花嫁候補である ペネロペの人柄について様々に情報を仕入れたのだが、次第にペネロペ個人に対し、 強い興味を抱くようになっていた。 彼はライトに運命的な出会いを感じてともに旅をするようになったのだが、一方で、 ペネロペのような英雄的な資質を持った女性にも、何かしら感じるところがあった。 実は、フィルは知らない事であったが、ライト自身も英雄に憧れる気持ちが強い。 そういう意味では、ルシアンよりもペネロペの方にこそ、共鳴出来る部分がある。 ルシアンにしろペネロペにしろ、二人に共通して言える事は、良い女性である、 という事であった。 どちらがカークの花嫁に迎えられても、それなりに幸せな結婚生活を送る事が 出来るかも知れない。 確かに政略結婚がそもそもの発端ではあるが、迎えるべき結果だけを鑑みれば、 悪い事ばかりではないのかも知れない。

戻る | TRPGのTOP | 次へ

inserted by FC2 system