結納


夜になっても尚、フィルとライトの行動は止まらない。
キルチネルの呪いの概要を知った以上、これを即座に対処する必要があった。
まずフィルであるが、彼はどういう訳か、タイデル魔術師ギルドの連絡員が常駐する
詰め所へと足を走らせた。
彼としては、先にカークをつかまえ、彼にキルチネルの呪いの一件を話した賢門院の
魔術師が誰なのかを聞きだしたかったのだが、あいにくカークはペネロペと二人で、
海岸線方面へ散歩に出かけた後なのだという。
仕方なく、フィルは他の情報源を探るべく、ガルガライス国内に常駐しているという
タイデル魔術師ギルドの連絡員のもとを訪れたのだが、この際、フィルは何を根拠に
勘違いしたのか、花嫁候補の権限をもって呪いに関する資料の閲覧を求めたのだ。
そもそもマッティングリー家への花嫁候補に、権限などあろう筈がない。
あくまでも家対家の花嫁候補であり、世間一般においては、ただの一般人に過ぎない。
更に言えば、タイデル魔術師ギルドと関係があるのはガルガライス盗賊ギルド側であり、
つまり、タルキーニ家と何らかの繋がりがあったとしてもおかしくはないのだが、逆に
オロウォカンディ氏とは敵対関係にこそあれ、協力を得られる期待を持つ方がおかしい。
そういった事を、フィルは何も考えていなかった。
彼の行動が、このタイデル魔術師ギルドの連絡員を通じて、タルキーニ家側、即ち
ヒューベルトの耳に入ってしまう危険性を大いに孕んでいるという可能性を何一つ
考慮しなかったのは、フィルの手落ちと言って良い。
上述の通り、フィルはオロウォカンディ氏側に与する者である事を堂々と宣言した為、
タイデル魔術師ギルドの連絡員から門前払いを食ってしまった。
しかも、フィルは最初に、呪いについて調べたいなどと用件を述べてしまった。
普通、花嫁候補の補助員に過ぎない者が、呪いなどという安穏ならぬ言葉を使うなど、
考えられない事である。
にも関わらず、フィルは堂々と、呪いに関して調べたいという旨を述べた。
ヒューベルトならずとも、オロウォカンディ氏側に、何らかの問題が発生した、と
察するのは実に容易な事だった。

一方、スウィフト農園を訪れていたライトは、再度アーベイと面会した。
ライトはプレドラグからキルチネルの呪いに関する情報を仕入れた時点で、アーベイが、
自ら犠牲になってペネロペを救うのではないかという危惧を抱いていた。
もちろん、それはアーベイとペネロペの間に肉体関係が過去にあった場合に限られる。
が、二人が三年間も恋人関係にあった以上、普通に考えれば、その可能性は極めて高いと
思わざるを得ない。
さすがに失礼だとは思ったが、しかし逡巡している場合ではない為、ライトは生真面目な
表情で、アーベイにまず、その事を聞いた。
これに対して、アーベイはにこりともせず、しばらく押し黙っていた。
ライトの必死な表情から、この若い魔術師がキルチネルの呪いに関しての情報を既に
握っているのだ、と直感したのである。
母屋の応接間に緊張した空気が充満していた。
ややあって、アーベイは静かに頷いた。
「君の言わんとしている事は、何となく察しがつく。例の呪いの事を聞きたいのだろう?
 恐らく大体のところは察しているだろうが、確かに、俺はペネロペを抱いた事がある」
矢張り、とライトは一瞬天井を仰ぐ心境になった。
そして間髪入れずに続ける。
「まさかアーベイさん・・・あなたは、ペネロペお嬢さんの為に犠牲になろう、なんて
 考えているんじゃないでしょうね?もしそうなら・・・絶対、やめてください」
ライトは、アーベイが何か言うのを強引に言葉で制しながら、ひたすら説得の言葉を
並べ立てた。
アーベイが犠牲になる事でペネロペが罪悪感を背負い、結果として彼女を苦しませる事に
なるのだから、それはペネロペを救う事にはならないという意味の事をライトは説いた。
そして、コーヒー農園を売却して得たガメル銀貨を使って、キルチネルの呪いを何とか
封じれば良いとまで言い出したのだが、しかし、ライトの説得は結局、失敗に終わった。
「君はペネロペの気持ちを考えろと言うが・・・では逆に聞こう。ペネロペが心に傷を
 負う事と、ペネロペの命が失われる事では、どちらが大きな損失なのだ?」
アーベイの鋭い指摘に、ライトは答える事が出来ない。

ライトの、スウィフト農園を売却して得たガメル銀貨で呪いを封じようという案も、最初の
時点で既に構想が崩れている。
実のところ、スウィフト農園の評価額は、キルチネルの呪いを封じる為に必要な額の、実に
五分の一にも満たないのだ。
これでは到底、キルチネルの呪いを封じる為の手段には成り得ない。
「ライト君が言っている事は、所詮は感情が先走った人道論に過ぎないよ」
天井から吊るされたランタンの灯りの下で、アーベイはぴしゃりと言い切った。
「良いか。人間の心というものは、つらい思い出など意外に忘れてしまうものなんだよ。
 よく言うだろう?時間が解決してくれる、と。俺の場合も、まさにそうだ。ペネロペの
 心は既に俺から離れている。ならば、俺が死んだところでどれほどの傷がつく?」
更にアーベイは言う。もし彼が犠牲になった事をペネロペが知れば、彼女が大いに悲しむ、
と言うのであれば、アーベイの死を彼女に知られさえしなければ済む事だ、と。
「幸い、この件を知っている人間は少ない。その全員が、俺の死について口をつぐめば、
 それで済む事なんだ。君がペネロペの気持ちを思うのなら、俺の事は一切忘れるんだ」
ともかく。
アーベイとしては、ペネロペの気持ち云々ではなく、彼女の命が失われない為に行動する。
この一点のみに照準を絞っていた。
ペネロペがアーベイの犠牲によって罪悪感を背負うなどという事は、彼女の命を救う事に
比較すれば、ごく些細な事に過ぎない、というのが、アーベイの基本路線であった。
「でも、アーベイさん・・・!」
「さぁもう、帰ってくれないか。俺は明日の準備があるんで、忙しいんだ」
ライトはまだ知らない事だが、明朝スウィフト農園は、カークとルシアンを見学に迎える
手筈になっている。
アーベイはその受け入れ準備の為に、色々とやらねばならない事があるという。
こうなると、最早ライトは為す術もなく、ただ追い出されるだけであった。

翌朝、ルシアンとカークが、それぞれの愛馬にまたがってスウィフト農園を訪れた。 それぞれ同伴者が居る。 ルシアンにはマディとシモンが、カークにはクリスが付き従っていた。 実は出発前、シモンがルシアンに対し、手製の弁当など作ってはどうかという提案を 持ちかけてみたところ、この貴族の令嬢は手を打って喜び、早速キッチンに篭もっていた。 シモンにしてみれば、どんなに下手でも、まず誠意を見せる事が肝要だという考えから、 この手製弁当持参案を提案してみたのだが、意外にも、ルシアンは料理が得意であった。 包丁捌きも火加減も、そして最も大事な味加減も、全てにおいて、ルシアンの料理技術は、 少なくともシモンのそれを大きく上回っていたのである。 さすがにこれには、シモンだけでなく、マディも一緒になって驚いた。 二人ともルシアンという女性を少々甘く見過ぎていたきらいがあったのは、否定出来ない。 改めて考えてみると、ルシアンは貴族の子女ながら、家事全般に関してはほとんど完璧に 近い技量を持っていると言って良い。 自室の掃除も、使用人やメイドには任せず、全て自分でやってしまうのである。 これほど家庭を守る主婦としての才能に恵まれた貴族子女も、いささか珍しいであろう。 ともあれ、朝から嬉しそうに段取りを整えるルシアンの表情を見ていると、マディもつい、 (必ずやこの女性を幸せな奥方に奉じて進ぜねばならぬ) などと思ってしまった程である。 かくして、ルシアンはカークと仲良く騎手を並べて街道を進み、脇道からスウィフト農園の 入園門を目指した。 同伴者の三人はいずれも徒歩で、それぞれ軽い手荷物を持参している。 ちなみに、クリスは例の、エージェント正装に身を包んでいた。 シモンは特にこれといった感想を持たなかったが、さすがにマディは、むっとした表情を 作り、何度か鋭い視線をクリスの背中に投げかけている。 正直なところ、ルシアンがトラウマに感じていないかと心配だったのだが、しかし当の ルシアンはまるで気にした様子も見せていなかった。 スウィフト農園に出かける前、実はクリスの方から、マディとシモンに接触を取っていた。 「ちっと気になる事があるんだけどよ」 あのふざけたエージェント正装ではなく、ガルガライス青年が纏う、ごく一般の軽い衣装で、 タルキーニ家の裏手の勝手口に姿を現したクリスは、まだ朝食前だった二人の冒険者を 呼び出して、そう切り出していた。 「さっき俺の師匠から妙な連絡が入ってな。ウォージー遺跡に、野盗団が居座ってるから、  くれぐれも注意しろって事らしいぜ」 ウォージー遺跡とは、ガルガライス近郊のジャングル内に存在する古代王国期の遺跡の 一つで、その大半が既に探索し尽くされた、いわゆる『枯れた』遺跡であった。 そこに二十人近い規模の野盗団が、数日前から居座っているとの情報が、盗賊ギルドにて 確認されている、というのである。 この野盗団の目的が何なのかは目下のところ不明だが、少なくとも、スウィフト農園から そう遠くない位置にウォージー遺跡がある為、警戒は必要だという事であった。 マディの、まだ幼さが残る美貌に、緊張の色が走る。 「ねぇ・・・そのウォージー遺跡って・・・」 「そうだ。キルチネルの霊が封じられた石棺が隠されてるっていう、あの遺跡だ」 既にマディから、キルチネルの呪いに関する情報を聞かされていたシモンも、クリスの その一言に、渋い表情を作った。 「まぁとにかくだ。用心には用心を重ねねぇとな。この先何が起きるか、ぶっちゃけ俺にも  全く予測がつかねぇからよ」 ところで。 クリスの耳にもまだ入っていない事だが、実はこの野盗団が出現した直後に、椰子木立亭に 新たな客が現れている。 一見冒険者風の姿ではあったが、2メートルを越える巨躯と、スキンヘッドの強面という、 如何にも凶暴な犯罪者という表現がぴったりの大男であるらしい。 不可思議なデザインの黒い衣装で身を包み、ほとんど足音が消える程の静かな歩き方を 見せるというその巨漢の噂は、椰子木立亭周辺では瞬く間に広がっていったのだが、生憎、 本拠地をタルキーニ家とオロウォカンディ氏それぞれの邸宅に移していた冒険者の耳には、 まだ入っていなかった。 ルシアンとカークのスウィフト農園見学デートは、スムーズに進んでいた。 昼前に入園した事もあり、母屋でアーベイからの挽きたてコーヒーのもてなしを受けた 一行は、農園内の休憩所で早くもルシアン手製の弁当を広げていた。 一番大食らいだったのは言うまでもなくクリスで、その作法も全く滅茶苦茶であった。 まず、とにかく汚らしい。おまけに、よくこぼす。 それだけでもマディの不評をすっかり買ってしまっていたのだが、何よりも、先日行われた 家督相続人お披露目パーティーでルシアンの心を打ちのめした張本人であるにも関わらず、 そのルシアン手製の弁当をばくばく食らいついていたという態度が、マディには最も 我慢のならないところであった。 が、当のルシアンはと言うと、クリスの傍若無人な食いっぷりを、むしろ微笑しながら 眺めている。 相手が誰であれ、自身の手製料理が美味そうに食されている光景を見るのは、決して気分の 悪い事ではなかったのであろう。 実はカークも、クリス程ではなかったが、あまり行儀の良い方ではなかった。 冒険者生活が長かった為、幼少の頃に躾けられた作法の大半を、忘れてしまっていたらしい。 むしろ、ルシアンを除いたこの面々の中で、一番行儀良かったのが、マディであった。 本人は街娘を気取って雑な食事をしているつもりだったのだが、どうしても品の良さが 滲み出てしまっていた。 ちなみに、この日ルシアンが持参した手製料理は、野菜と豚肉のサンドイッチ、カボチャの 冷製スープ、鶏の唐揚げ、シーザーサラダ、海鮮パスタなどである。 人数分より少し多めに仕上げたこれだけの品数を、わずか小一時間程度で完成させたのだ。 矢張りルシアンの料理技術は、並の素人を遥かに凌駕していると言って良い。 しかも味つけと歯ごたえも秀逸だったのだから、言う事無しであった。 既にデートと言うよりも、ピクニックに近い。 昼食後の絶妙なタイミングで、アーベイが再び挽きたてのコーヒーを鉄鍋に入れて、一行に 差し入れてくれたのも有難かった。

事変が生じたのは、昼食休憩を終えた直後であった。 不意に、農園のどこかに大人数の気配が生じ、静かなコーヒー畑が騒然とし始めたのである。 「何事でしょうか・・・?」 巧みに手綱を操り、輪乗りしながら不安げに周囲を見渡すルシアンであったが、冒険者の 生活が長かったカークは冷静に、周辺気配をうかがっている。 単なる農園見学の為、誰一人として武器は持参していなかった。 精霊使いとしての感覚を早い段階で解放していたシモンの端正な面に、緊張が走った。 「多数の生命の精霊を感じます。二桁は越えていますね」 「よし、じゃあ俺が」 見てくる、と言いかけたクリスの目の前に、不意に数名の影が、コーヒー畑の木と木の間から 飛び出してきた。 いや、それだけではない。 他の面々の周囲からも同様に、貧相な革鎧を身に付けた覆面の一団が現れ、一斉に包囲陣形を 完成させてしまったのだ。 「何だ、あんた達は!?」 カークが手綱を操り、馬の前足で包囲する人影の群れを牽制しながら鋭く叫ぶ。 しかし相手側からの答えはない。 いずれも、薄汚れた野盗のようないでたちだが、覆面の間から見え隠れする眼光だけは妙に 鋭く、殺気に満ちていた。 全く唐突に、カークの上体が馬上でがくりと崩れた。 「カーク、どうした!」 クリスが呼びかけるが、その間にも、手近に居た革鎧の男が、驚く程の身軽さでカークの 愛馬に飛び乗り、馬上で上体を突っ伏しているカークを片手で押さえつけ、もう片方の腕で 手綱を握っていた。 クリス、マディ、シモンの三人は、全く何も出来ない。 武器も防具も無い上に、相手は二十人近い軽武装集団なのである。 手の出しようが無かった。 カークの馬を乗っ取った覆面男が、手綱を操り、鞭を入れて農園内の園道を走らせた。 「あ、待て、この野郎!」 叫んだクリスだが、追いたくても追えない。 何しろ相手は馬なのである。人間の足で追いつけるとは思えない。 唯一ルシアンだけは、別であった。 彼女は手綱を巧みに操って、取り囲む革鎧の男達を蹴散らしている。 そして見事な曲乗りで、馬上から馬腹へと華奢な体躯を滑らせ、覆面男の一人が手落とした 長剣を拾い上げ、再び馬上の人になっていた。 「どきなさい!」 か細いながらも、威嚇する声を放って、深窓の令嬢は品の良いドレスを纏ったままで、 カークを愛馬ごと連れ去った男の後を追い始めた。 クリスもマディも、そしてシモンも、ルシアンが見せた意外な勇敢さに、状況を忘れて つい舌を巻く思いを抱いていた。 実に、ルシアンの剣捌きは、下手をすればシモンよりも上なのではないかとさえ思われた。 後で知った事だが、ルシアンは馬術同様、剣術と槍術も、貴族子女のたしなみとして、 幼い頃から相当鍛えられているらしい。 そんな彼女だから、馬上剣を振るいながら、敵を振り切りつつ、カークを連れ去った男を 追跡するのは、お手の物であった。 むしろ、為す術もなく動きを封じられているのは冒険者達の方であった。 しかしそこへ、援軍が現れた。 異変を察知したアーベイが、母屋から馬を駆けさせてきたのである。 小脇に人数分の長剣を抱えていた。 「どうした!何があった!」 などと叫んではいたが、三人の徒歩の冒険者を取り囲む一団を見た彼は、既に大体の状況を 飲み込んでいる風であった。 やがて、包囲陣を蹴散らして飛び込んできたアーベイから、それぞれ長剣を一振りずつ 借り受けた冒険者達であったが、そのままルシアンを追うにしても、馬の足が要る。

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