結納
ウヅキテンゼンが、椰子木立亭に戻ってきているらしい。 この情報を、自らの足で街中から持ち帰ってきたクリスは、ほとんど迷う事がなかった。 (話を聞き出してやるしかねぇな) そう判断した直後、彼は朝からマッティングリー邸内敷地の離れを飛び出し、足早に通りを 駆け抜けて、椰子木立亭へと辿り着いた。 一階酒場は夏の朝陽特有の、明るく強烈な熱を伴う日光で照らされ、その中で、幾つかの 丸テーブルが宿泊客(その大半が冒険者であるが)によって占められている。 ウヅキテンゼンの巨大な体躯は、日陰になる位置の丸テーブルの際にあった。 クリスは何食わぬ顔で強面の巨漢の正面に席を取って、木椅子に腰を下ろした。 見た事も無い素焼きの食器を口元に寄せ、長い箸を使って豪快に掻き込んでいた巨漢は、 一息ついたところでようやくクリスの姿を認め、器と箸を丸テーブル上に置いた。 「昨日の坊主か」 「なぁおっさん。色々教えて欲しいんだけでよぉ」 懐から爪楊枝を取り出し、人目も憚らず、歯間をつつき始めたウヅキテンゼンであったが、 意外にも、クリスの申し出に二つ返事で頷いた。 「その代わり、わしも聞きたい事がある。情報交換といこうではないか」 「良いぜ。まずおっさんから聞きなよ。何が知りたいんだ?」 この時点ではクリスはすぐには気づかなかったが、どうやらこのウヅキテンゼンなる男は、 クリスがこのガルガライスの盗賊ギルドに所属している事を知っているようであった。 であればこそ、この巨漢はクリスに情報交換を申し出てきたのであろう。 盗賊ギルド所属ならば、少なくともウヅキテンゼンの知りたい情報は握っているだろう、 という観測があったかと思われる。 「トノイ岬までの要害状況を知りたい。それから、ゴルゴ火山の事もな。知っている限りの 情報で構わん」 この要求に、クリスは自身の知識を総動員させて回答した。 トノイ岬とは、ここガルガライスから南方に下った先にあるコリア湾の突端で、その周辺の 海域は、暗礁が極めて多い海の難所としても知られる。 その為この海域だけは、沿海航法を取る事が出来ず、熟練の船乗りでさえも、相当に神経を 尖らせて慎重な航海が求められる海域なのだという。 つまり、このトノイ岬に足を踏み入れようと思ったら、地続きで進む以外に方法が無い。 欝蒼と茂る深い熱帯性ジャングルが続き、岬の先端に至るには、余程土地勘のある者でも なければ、その達成は極めて困難であった。 加えて、トノイ岬に至るまでの各地には古代王国期の遺跡が点在し、そこに住まう恐ろしい 魔獣の姿や、巨大にして凶暴な野獣の姿がジャングル内を我が物顔で闊歩しているという。 とてもではないが、未熟な冒険者や不案内な余所者が進んで行けるようなところではない。 そしてゴルゴ火山は、別名野獣の山とも呼ばれ、体長数十メートルにも及ぶ巨大で獰猛な 肉食獣が棲息しているとの噂もよく聞かれる。 2000メートル級の火山で、常に噴煙が舞い上がっている光景は、その一帯が危険に 満ちている事を象徴しているかのような禍々しさを人々に感じさせていた。 トノイ岬に至るまでの最大の要害が、まずこのゴルゴ火山である事は間違いない。 いつ噴火するとも知れぬ危険性が何よりも一番の問題であり、更にその周辺に棲息している 数多くの野獣や魔獣の類が、旅人の足を余計に遠のかせている。 相当に熟練した冒険者や探検の達人でもなければ、まず出向こうとは思わない土地だろう。 そしてクリスが噂として知っている、半要塞型の古代王国期の遺跡が、両手の指で数えても まだ足りない程の数が揃っているという。 各遺跡の周辺には、移動だけでも困難を極める程の切り立った崖や急流などが走っており、 もしここに一国の軍隊が篭城を展開すれば、大陸中の国が連合して兵力を押し寄せても、 数十年は陥落しないだろうとさえ言われている。 つまり、トノイ岬そのものが天然プラス人工の大要害であると言って良い。 大半が未踏破という事もあり、冒険者にとっては一攫千金の夢が募る舞台にも成り得るが、 しかしそれ以上の危険があまりにも多い。 クリスから聞き出した情報を吟味するように、器と箸を置いた丸テーブル前で、強面の 巨漢は丸太のような腕を組んでしばらく黙り込んでいた。 が、そのうち開き直ったような表情に強面を一変させると、今度はクリスから発せられる 質問に応じようという姿勢を見せた。 「ずばり、単刀直入に聞くけどよ。キルチネルはどうなったんだ?それから、あいつが オロウォカンディの家にかけていた呪い、あれもどうなったか知りてぇんだけど」 このクリスからの問いを半ば予想していたのか、ウヅキテンゼンはさほど驚いた様子も無く、 青年盗賊が知りたがっていた情報をすらすらと答え始めた。 「あいつはまだ生きておるさ。実際、わしがあいつから聞き出したかった事は、奴との 戦闘中、ある秘孔を攻撃して直接奴に喋らせる事に成功した。よって、わし自身の目的は 既に達成されたのだが、キルチネルめは、あの後トノイ岬のある要塞に走った。そこが いささか問題と言えば問題なのだがな」 「ふぅん」 クリスにとっては、ウヅキテンゼンの目的などは、正直なところあまり興味は無い。 このあからさまに適当な相槌を受けて、強面の巨漢もつい苦笑を作った。 「それからキルチネルの呪いとかいうものは、あんなものは最初から無かったと思って良い。 あれは奴の縮量砲起動コードを守る為のセキュリティコードが張り巡らせていた霊的防護 制御システムの一環に過ぎんのだ。お前達が呪いと勘違いしていたのは、縮量砲と呼ばれる 魔装兵器の起動コードを、オロウォカンディの血族に伝わるのを防ぐ為に起動したのを、 妙に勘違いして、あのお粗末な魔力付与石棺で無理矢理封じ込めていただけの話だ」 ウヅキテンゼンが何の事を言っているのかさっぱり理解出来ないクリスであったが、しかし それでも、キルチネルの呪いが、彼が聞いていた内容とは大きくかけ離れ、しかも目の前の 巨漢が、縮量砲の起動コードなる物をキルチネルから聞き出した時点で、既にその霊的防護 制御システム自体が機能停止しているという旨を語ったところで、ようやく、キルチネルの 呪いが反古になっている事を悟った。 「じゃあさ。ペネロペやアーベイの命が危険にさらされる事は、もうないんだよな?」 「そう思って結構だ。キルチネルにしてみれば、そんな小物に構っている暇などなかろう。 今後奴は、わしの縮量砲への接近を全力で阻止する事だけに力を注ぐ以外に無いのだからな」 |