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テオとルーシャオは、連れ立って水鏡亭を出た。聞き込みと、ついでに朝食も済ませる為であった。
既に述べたように、ここアズバルチはグロザムル山脈東西の中継点として、交易が盛んな街である。
その為、天候さえ悪くなければ、毎日のように朝市が立ち、食糧雑貨その他諸々が、朝靄にかすむ
早朝の時間帯から、人々の手から手へと渡り、その対価として多くのガメル銀貨が交錯する。
タイロン・キャロウェイが失踪したこの日も例外ではなく、まるで何事も無かったかのように、
朝市は盛況の様相を見せていた。
「まぁ、何て言うか」
大通りから、朝市の立つ公園へと足を踏み入れたところの屋台で、早々に豚の串焼きを買い求めた
テオが、肉汁をこぼさないよう器用に食いちぎりながら、傍らのルーシャオに声をかけた。
「急ぎの用事があって出かけた、というだけのような気がするんだけど」
「それならそれで、問題は無いんですが、しかしキャロウェイさんは今どこに居るんでしょうね?」
水鏡亭を切り盛りしているのは、キャロウェイただ一人であり、宿泊客である冒険者達に、情報や
食事などのサービスを提供しているのも、彼以外に居ないのである。
つまり、困るのはむしろ水鏡亭の宿泊客である冒険者達の側であって、キャロウェイ本人が事件に
巻き込まれたかどうかは、この際あまり問題ではなかった。
「朝の買い出し、っていう訳でもなさそうだね。実際、ここには居ないっぽい」
軽く腹ごしらえを終えたテオの意見には、ルーシャオも異存は無い。
キャロウェイは大柄で、年齢の割にはよく鍛えられ、引き締まった体躯の持ち主である。
もし朝市に出かけていたのなら、その喧騒の中で見つけ出す事は決して難しい事ではないだろう。
「街の外に足を伸ばした可能性はどうでしょう?」
「ありえるね。門番に聞いてみようか」
アズバルチには幾つかの大通りが東西南北に走っており、そのいずれもが街門に繋がっている。
水鏡亭から最も近い西街門までは、徒歩で10分とかからない。
朝市を抜け、途中の屋台で朝食に十分な量の串焼きや揚げ物を確保しつつ、二人は西街門に至った。
門衛の詰め所に顔を出し、キャロウェイらしき人物が昨晩から今朝にかけて通過しなかったか、と
聞いてみたが、期待された回答は返ってこなかった。
矢張り、彼はまだ街の中に居るのだろうか。

水鏡亭を出て聞き込み調査に乗り出したのは、テオとルーシャオだけではなかった。
ドワーフのゴルデンは、実に他の二軒の冒険者の店へと足を伸ばしていたのである。
北街門近くの『蒼の朝霞亭』は、どちらかと言えば暗い雰囲気が漂う冒険者の店らしい。
目つきの悪いごろつき風情の冒険者や、全身を大きな外套ですっぽり包んでいるあからさまに怪しい
人物などが、一階酒場にたむろし、それぞれ朝食にありついていた。
店の主人は小柄な体躯の人間男性で、年の頃は中年を少し過ぎたぐらいであろうか。
客が客なら、主人も主人である。
以前キャロウェイから聞いた話では、蒼の朝霞亭は、その看板名こそ爽やかで清々しいのだが、
その実態は極めて陰湿で危険に満ちた、犯罪すれすれの仕事が舞い込む店だという事であった。
当然、そんな危ない仕事を請け負う冒険者の質も、おのずと知れてくる。
一歩間違えれば盗賊ギルドとも事を構えそうな連中であったが、さすがにアズバルチの堅牢な治安に
挑もうという考えを持つ者は一人も居ないらしく、少なくとも表面上は、街に敵対しない冒険者の
立場を明瞭に示していた。
更に別の一軒『白峰亭』は、女性冒険者が多く宿泊している冒険者の店であった。
実に店の主人は30歳そこそこの端正な美貌で知られている若女将で、彼女を慕う冒険者は、男女の
別なくアズバルチ周辺には非常に多いという。
白峰亭は、若女将の美貌と明るい性格によって、店内全体は非常に華やいだ雰囲気に包まれている。
女性らしいきめ細やかなサービスと繊細でインパクトのあるお洒落感覚に満ちている、一風変わった
冒険者の店と言って良い。
ゴルデンは、これら二軒の店を順番にまわって、キャロウェイ失踪を解決する為の手がかりに関し、
有効な情報は引き出せないかと期待しながら、情報を集めた。
蒼の朝霞亭では、キャロウェイを日頃から快く思っていない主人と話したせいか、誹謗中傷に近い
発言ばかりに終始し、ほとんど情報らしい情報は引き出せなかったのだが、白峰亭では、それなりに
実のある内容を耳にする事が出来た。
どうやらキャロウェイは、街を支配する古豪ソルドバスと長年の付き合いがあるという。
これは、ゴルデンにとっては意外な情報であった。
もともとキャロウェイは、街の若者を無頼の典型であると思われがちな冒険者にたぶらかす
不良の頭領のような存在であると見られており、特に街の秩序や伝統を重んじる型の住民達からは
煙たがられている人物であった。
決して少なくない数の若者達が、まっとうな人生を踏み外そうとする手助けをしているという事で、
水鏡亭の存在そのものに疑問を投げかける声も多数聞かれた。
そのキャロウェイが、領主と付き合いが深いというのである。

キャロウェイは、本当に水鏡亭内には居ないのか。
そして居ないならば、自発的に姿を消したのか、或いは他の意思が強制的に働いたのか。
リグは様々に推理を働かせながら、水鏡亭内調査に着手していた。
キャロウェイは、朝食を作っている最中だったのか?薪割りしている最中だったのか?
寝室に乱れた様子はないか?布団は暖かいか冷たいか? 
或いは、事故の可能性は無いか?
全ての面に於いて様々な可能性を検証しつつ、リグは実に手馴れた動作で、キャロウェイの
私室から台所、地下の食糧貯蔵室に至るまでを徹底的に調べてみたが、しかしながら
不審な点は全くと言って良い程に見受けられなかった。
争った形跡すらも発見出来なかったのである。となれば、キャロウェイは自分の意思で、水鏡亭を
出て行ったのだろうか。
しかしそうなると、主人キャロウェイは宿泊客を放置して失踪した事になる。
或いは、何者かに不意打ちを食らった可能性も考慮されるのだが、そこまで考えを広げてしまうと、
最早収拾がつかなくなる。
「今のところ、状況証拠を見る限りじゃあ、急用で出かけたとしか思えないんだけど・・・でも、
  宿泊客をほったらかして、一人で居なくなる店の主人なんて居るかなぁ?」
リグの感想は的を得ている。
無愛想で、あまり他者と協調しそうになさそうなフォールスでさえ、リグの考えには頷かざるを
得なかった。
「伝言すら残していないとなると、余計に怪しい。矢張り事件の線は捨てきれんな。但し、本人が
  自発的に巻き込まれたという状況も考慮すべきだろう」
一通りの家宅捜索を終え、一階酒場のカウンターに並んで座る二人の背後に、ガルシアパーラが
大きな足音を立てて椅子を引いてきた。
「そら見ろ。やっぱり俺の予想通り、キャロウェイ氏は何かに巻き込まれたんじゃないか」
リグとフォールスの調査による結論を、まるで自分の手柄のように誇るガルシアパーラだが、実際
この男は、そんな予見を立てていた事など一度も無い。
他人のまわしで相撲を取るタイプの人物である事は、この時の言動でもよく分かった。
正直なところ、リグにしろフォールスにしろ、ガルシアパーラには半ばうんざりしている。
結局リグとフォールスは、ガルシアパーラを置いて、二人で朝食を取りに出かける事にした。
あんなお調子者と一緒に居ては、頭が痛くなる一方だった。
ところが、二人が水鏡亭に引き返してくると、事態は既に新たな展開を見せていた。

アスティーナ・トランティニアンと名乗る街の娘が、水鏡亭を訪問していた。
年齢は17歳で、街の商工ギルドのギルド長宅の長女だという。
腰まで伸びるブラウンの美しいストレートヘアと、雪解けを連想させる白く透明な肌が印象的な、
端正な面持ちの女性であった。
物静かで、いささか内向的な気質の少女らしいのだが、少なくともこの朝に限って言えば、
当人は相当に気力を振り絞って、ここ水鏡亭に足を運んだように思われる。
アスティーナは、キャロウェイを訪ねてきたようだった。
主人不在の為、一階酒場のカウンター近くで途方に暮れていたところを、ガルシアパーラが
いつもの軽い調子で、いきなりキャロウェイが失踪した事を告げたのである。
しかも自分は、これからこの事件(とはまだ言い切れないのだが、既にガルシアパーラ本人は、
キャロウェイが事件に巻き込まれていると断定している)を解決する英雄なのだと遠まわしに
宣言し、ますますアスティーナの不安を煽り立てていた。
そんなガルシアパーラの何の考慮も無いその対応に、リグとフォールスは、ただただ呆れた。
「ね、キャロウェイさんにはどんな用事があって来たの?」
リグはアスティーナの緊張をほぐしてやる為に、わざと舌足らずな子供っぽい仕草で話しかけた。
彼がグラスランナーである事を、アスティーナなる娘は知らないらしい。もっと言えば、彼女は
妖精族の何たるかも、あまりよく知らない節が見受けられた。
「クリスタナ達の事を、私からも改めてお願いにあがったのですが・・・」
「・・・その、クリスタナって人は、お姉さんのお友達?」
「はい。クリスタナ・ソルドバスといって、私の幼馴染の女の子です」
相手が自分より年下と思われる人物であっても、アスティーナは丁寧で柔らかな物腰の態度を
決して崩そうとはしない。育ちの良さが滲み出ていた。
ここで、リグとフォールスは、即座にクリスタナ・ソルドバスという名に内心小首を傾げた。
彼女の姓は、アズバルチを支配する古豪と同一ではないか。
気づいていないのは、ガルシアパーラだけである。
この後、アスティーナはキャロウェイ不在の為、用件を果たす事が出来ずに帰宅したのだが、
出かけていたテオ、ルーシャオ、ゴルデンら三人からの情報で、キャロウェイがソルドバスと
親しい仲にある事を知り、リグとフォールスはほとんど一瞬にして、店の主人キャロウェイの
失踪が、単なる急用程度の内容ではない事を察した。

キャロウェイは、昨晩のうちに水鏡亭を出たらしい。
それは、整頓されたまま冷え切っている寝具からでも察せられる。
となると、二階宿部屋で宿泊客である冒険者達が寝入っている頃を見計らって、水鏡亭を後に
したのだろうか?
書き置きも何も残していないところを見ると、キャロウェイは、冒険者達の追跡を阻みたい
意図を持っていたようにも感じられる。
しかしだからと言って、このまま何もせずに彼の帰りを待つだけでは、埒が明かないのも事実で、
矢張り彼らとしては、キャロウェイの意思がどうであれ、捜索に着手する必要があった。
その日の午後、昼食を公園近くの食堂で済ませてから、リグとフォールスは盗賊ギルドの支部へ
足を運び、クリスタナ・ソルドバスに関して、基本的な情報を仕入れてきた。
二人が睨んだ通り、クリスタナはアズバルチを支配する古豪ソルドバス家の娘であった。
現在は17歳で、アスティーナが語ったように、彼女とは幼馴染の友人関係であるとの事だった。
大地母神の神学校に通っているらしく、成績優秀で、且つ剣術などにも堪能な、実に活発な女性、
という人物像が浮かび上がってきた。
アスティーナに負けず劣らずの美人で、こちらはやんちゃな性格そのままの外観であるらしい。
つまり、ブロンドを切り揃えたボブカットで、神学校の制服以外での普段着では、動き易い革製の
衣服を身にまとっている事が多く、ソルドバス家の令嬢にはあるまじき野暮な服装が目立つという。
このクリスタナが、ここ数日、パエンタ湖に面するソルドバス城の自室に戻っていないらしい。
余談だが、アズバルチ領主は周辺各国のどの国にも直接には所属していない為、領主と言うよりは、
国主に近い地位にある。
が、実際の権限授与に関しては、オランとアノス双方から統治委任という形を取っている為、
通常の地方領主にも近しい立場にある。
しかし元来が独立の古豪であった為、独自の城を築いており、パエンタ湖に臨むソルドバス城は、
かつてこの一帯を支配していた国主時代の名残と言って良い。
城の規模としては、オランのエイトサークル城には及ばないものの、一国一城が居を構える城に
相応しい大きさと構造を誇る。
このソルドバス城が、古豪ソルドバス家の個人宅と、アズバルチの行政官舎を兼ねている。
私兵の詰め所と中央連絡所も、ソルドバス城内に設置されている為、事実上、このソルドバス城が
アズバルチの権力中枢として機能しているのである。

アスティーナ・トランティニアンとクリスタナ・ソルドバスという二人の美しい娘の登場によって、
局面は新たな展開を迎えた事になる。
テオ、ルーシャオ、ゴルデンら三人は、午後からも聞き込みを再開すべく、各自簡単な昼食を外で
済ませてから、それぞれが考える聞き込み先へと赴いていった。
アスティーナにしろクリスタナにしろ、商工ギルド長家とソルドバス家の令嬢という以上は、
少なくともここアズバルチでは相当な有名人である可能性が高い。
その二人が、キャロウェイと何らかの繋がりを見せた以上、二人の周辺を探れば、必ずどこかで
キャロウェイに行き着くのではないかと考えるのは、決して不自然な事ではないだろう。
まずアスティーナであるが、彼女は幼少の頃から典型的な富商の令嬢という事で、多くの住民に
知られており、穏やかな性格とその美貌から、特に年頃の男性諸氏からの人気が高いらしい。
人当たりの良さと、商工ギルド長代理としての卓越した事務能力も評価されており、商工ギルドに
於ける彼女の人望についても、侮れないものがあった。
特に需要と供給のきわどい関係を見極めての価格設定能力には、父をすら上回る優れた感覚を持ち、
商工ギルド長の後継者として、将来が有望視されているようであった。
言うなれば、アズバルチ経済の未来を担う次世代の天才と表現すべき存在であろう。
一方のクリスタナは、ソルドバス家長女という事もあり、こちらはアズバルチ行政の後継者という
立場に置かれている重要人物である、筈だったが、どうやら当人にはあまりその自覚がないらしい。
と言うのも、大地母神の神学校で成績こそ優秀な上に、同級生や後輩達からも篤い人望を勝ち得る
リーダーシップをも発揮する少女なのであったが、いかんせん、自分の趣味に没頭する傾向が強く、
しかもその趣味というのが、冒険者の真似事なのだから、ソルドバス家や行政官僚達にとっては、
実に頭の痛い問題であった。
アズバルチ神学校は、大地母神の神殿が指導に携わる女学校で、教師も全て女性である。
学校とは、一種の閉鎖された特殊空間であるのだが、その中でもクリスタナは一際異彩を放つ
存在であった。
特に行儀作法や、婦女子としてのたしなみ等について厳しい教育方針を打ち出している神学校の中で、
クリスタナのボーイッシュな言動や風貌は、その生来の美貌とあいまって、ある種の女英雄とも
言うべき雰囲気を、自然と身にまとうようになっていた。
ソルドバス家の令嬢という立場も彼女の人気に拍車をかけており、新学校の教師達は、校長から
一講師に至るまで、彼女の行動にはほとんど口出し出来ない状態が出来上がっていたらしい。

家庭内でも、クリスタナは強権と言えば多少大袈裟だが、それに近い発言力を持っていた。
これはソルドバス家当主ファジオーリの、クリスタナに対する溺愛ぶりが最大の原因であった。
アズバルチを治めるソルドバス家当主としてのファジオーリは、決断力に富む実力派統治者だが、
一歩家庭内に入ってしまうと、娘にすら頭の上がらない穏やかな父親へと変貌する。
そんなクリスタナに唯一意見出来る人物が、幼馴染のアスティーナであった。
幼い頃からどこへ遊びに行くにしても常に二人一緒で、何か問題が発生すれば、常にアスティーナが
クリスタナを庇い、的確な判断力で解決してきた経緯がある。
それでいて、アスティーナ自身は決してクリスタナに恩を着せる態度は一切見せず、また公式の
場に於いても、彼女は常にクリスタナから一歩退いた位置で、暖かく見守るだけであった。
クリスタナにとっては、この同い年の幼馴染は、頼りに出来るお姉さんといった存在に近しく、
またファジオーリがクリスタナに頭が上がらない以上に、逆らう事の出来ない相手でもあった。
そんなアスティーナが、最近耳にした気になる噂というものがある。
以前から冒険者に憧れていたクリスタナが、ここ数ヶ月、何かと水鏡亭を訪れる事が多くなった、
というのである。
商工ギルドとの関わりが深くなってきたアスティーナは、以前のようにクリスタナと顔を合わせる
機会が多くは持てなくなった。
当然クリスタナも、自分の時間を、自分の意思で費やす事が多くなった。
「そう言えば、そんなお嬢さんを見かけたような気もします」
水鏡亭での宿泊日数が最も長いルーシャオが、記憶を探るような遠い目つきで口にしたのを、
テオは大通りで肩を並べて歩きつつ、傍らで注意深く聞いていた。
「白峰亭がどうのこうの、って言ってたように思います」
「確か、若女将が経営する冒険者の店で、女性冒険者が多いって事だったね」
ゴルデンからの報告を思い出しながら、テオは人通りの多い石畳の街路の前方を、じっと凝視する
姿勢のまま、呟く様に応えた。
「さすがにクリスタナなんちゅうお嬢さんが絡んでいるとは思うておらなんだから、そこまでは
  わしも聞いておらんかったのぅ」
二人の前を行くドワーフの赤ら顔が、太い首だけを後方に巡らせて言葉を継いだ。
「こりゃあ、うまくいけば正式な依頼という形に持っていって、報酬を見込めるかも知れんの」
さほど本気ではなさそうなゴルデンの口ぶりであったが、もしこの場にガルシアパーラが居れば、
大喜びでこの発言に飛びついたところだろう。


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