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フォールスは、オーランドを伴って、件の小屋へと登った。
当然オーランドは、人間にして部外者であるフォールスを監視する為、という名目で同伴しているのだが、
実を言えば、オーランド自身も、小屋で起きた事件について、現場での更なる捜索を欲していた。
しかし部族全体からはみ出し者として遇されていた故人の小屋への立ち入りは、族長からの強い意向も
あって、なかなか実現させる事が出来なかったのだが、フォールスの捜索を監視するという名目があれば、
比較的自由に、自分自身が現場の小屋へと足を運ぶ事が出来た。
現場の小屋は他のエルフ達の樹上居住空間とは異なり、吊り下ろされた縄梯子を登らなければならない。
結構な高さがある為、初めて登るフォールスには、そこそこの運動となった。
これ程の高さの縄梯子を毎日上り下りするなど、よほど慣れた者でなければ苦痛以外の何者でもない。
息が切れる、とまではいかないまでも、さすがに登りきった直後は多少の休息が必要だったが、しかし、
そんな呑気な事をしている暇はなかった。
「なんだこれは・・?」
オーランドが、珍しく感情を込めた声を絞り出した後、そのまま絶句した。
逆にフォールスは、しかめっ面を作って黙り込んでいる。
遺体は既に運び出されている為、現場に残されているのは、多量の血痕だけであった。
いや、少なくともオーランドが知る限りではその筈であった。
しかし、今二人が目にしている光景は、多少異なるものだったのである。
十数匹の、一メートルを越えようかという巨大なカマス科の魚の死骸が、木組みの浴槽を中心にして、
床上、放射状に散乱していたのである。
「今あんた、なんだこれは、と言ったな?前に見た時とは、状況が異なるのか?」
「・・・こんな魚の群れの死骸などは無かった」
腐敗臭が漂う小屋内を、二人は魚の死骸を踏みつけないよう注意しながら、浴槽へと近づいてゆく。
被害者は、この浴槽に付近の床上で、心臓を貫かれたまま絶命していたという事であった。
「そう言えば、遺体の詳しい状況を聞いていなかったが、全身を食い荒らされた跡はあったのか?」
「いや・・・正確に言えば、食い荒らされていたのは上半身だけだった」
オーランドの回答を聞きながら、フォールスは浴槽を覗き込んだ。
腐った水が一杯に張られているその中にも、数匹のカマス科の巨大な魚の死骸が浮いていたのだが、
奇妙な点がフォールスの目に留まった。
半分程の魚は、恐らく酸欠で窒息したのか、腹を上に向けて水面に浮いているだ
けなのだが、残りは、
頭部と尻尾意外を全て食い尽くされたような状態で、浴槽の底に沈んでいたのである。

その頃、エルフの集落へ向かうと言い残して去っていったゴルデンを見送った後、リグは一人で
イブレムス湖岸に残り、哀れなゴブリンが遺体と化した現場を更に捜索する事にした。
(心臓を一撃で貫かれたのなら、その際の血痕が、どこかにあっても良い筈)
基本的にゴブリンは、地上の妖魔である。
水中や水上をそうそう頻繁に行き来するような習性はあまり聞いた事が無く、せいぜい水を飲む為に、
水辺に頭を垂れるぐらいのものであろう。
幸いにして、リグはグラスランナーである。
盗賊である以上、彼は屋内での捜索活動を最も得意としていたが、種としての彼は、屋外での活動も、
得意としていた。
昼を過ぎた直後である為、まだまだ陽は高い。
水面がきらきらと陽光を跳ね返し、穏やかな湖面の風を運んでくる湖岸に佇んでくる一見すると、
とても凄惨な事件がこの湖で発生しているとは思えない程の、静かでのどかな風景であった。
ややあって、リグは水辺の岩に、血痕を発見した。
(あったぞ・・・でも、随分距離があるところからの血痕だなぁ)
ざっと推察すると、どうやら被害者となったゴブリンは、湖水が膝下ぐらいまで浸かるの浅瀬に足を
踏み入れていたように思われる。
湖水を呑む為か、手足か何かを洗う為かは分からないが、とにかく、湖岸ではなく、浅瀬に居た事だけは
間違いなさそうである。
(この辺かな?)
リグは果敢にも、絶命したゴブリンが、生前最後に佇んでいたであろうと思われる浅瀬へと踏み出した。
グラスランナーの身長から測っても、水深は太股を濡らす程度に過ぎない。
ここで、あのゴブリンは命を絶たれた筈であった。
「!?」
不意にリグは、何かの気配を察して左右を振り返った。
水面で、何が音がしたような気がしたのである。
しかし彼が自分を中心とする透明度の高い湖水を丹念に眺める限り、この浅瀬には何も居ない。
(気のせいかな・・・?)
この静けさが、却って不気味さを増長しているようにも思われる。
また音がした。
今度は、ドボン、というはっきりとした着水音のような空気の振動であった。
咄嗟にリグは、殺気を感じて上体を僅かに反らした。

次の瞬間、リグは頬に鋭い痛みを感じた。
浅黒い肌がぱっくりと割れて、深い裂傷が走っている。
リグが上体を反らした瞬間、目に見えない何かが、リグの眼前の虚空を、凄まじい速度で通過したのだ。
その際に生じた真空波のようなエネルギーが、リグの頬を割ったのである。
(何か居る!)
上体を反らした勢いで、リグは背中から着水し、浅瀬の中に全身を横たえる格好になった。
その時初めてリグは、水中に全身が没した状態で、浅瀬の水面下を見た。
「ぐば・・がぼごぼばぁぁ!」
リグは、湖水を半ば飲み込みながら、声にならない悲鳴を上げた。
全身が凍りつく思いだった。
浅瀬の水面下には、無数の、と表現しても差し支えない程の、おびただしい数のミズカマスが、群れを
為して縦横無尽に徘徊していたのである。
当然、リグの周囲もその例外ではなかった。
「うわぁぁぁぁ!」
リグは慌てて立ち上がり、再び湖面の上から浅瀬を見た。
矢張り、そこには何も居ない。
ただ、異様なまでに波立つ湖水が、リグの恐怖心を更に煽り立てた。
(水面上からは、見えないんだ!)
この時になってようやく、リグは全てを悟った。
犯人は矢張り、ゴルデンから説明を受けたミズカマスだったのである。
しかし、水面上から姿が全く見えないなどというような話は、まるで聞いていなかった。
もしかすると、今、この浅瀬を占拠している無数の獰猛なミズカマスは、別種なのではないだろうか。
だが少なくとも、リグの頬に深い裂傷を残す程の破壊力を秘めた跳躍力があるという事は、あの被害に
遭ったゴブリンの心臓を貫いたのも、恐らく今、浅瀬の水面下でリグを包囲しようとしている群れの
仕業に違いない。
となると、この場に居続けるのは愚の骨頂であろう。
リグは、湖水に足を取られながらも、必死の思いで浅瀬を駆けた。
その背後を追うようにして、ミズカマスが目に見えない殺気が、湖水を跳ねた。
左肩に激痛が走った。
駆けながら視線だけを送ると、姿を現したミズカマスの獰猛な顎が、リグの左肩に食らい付いていた。
幸い、浅瀬を走って体が上下する勢いに振り切られる格好で、そのミズカマスは顎を離し、浅瀬の中へ
ドボンと落ちた。
しかし水中に没した直後、そのミズカマスは再び姿を消し、不気味な波立ちだけを残した。

ルーシャオが川舟を漕いでさかのぼってきたオルール川は、左右から延びる樹々に頭上を遮られ、
昼間でも薄暗い。
これが夕刻になると、ほとんど真夜中に近いような暗さになるのだろう。
(一体、何だろう・・・?)
気配が消えては現れ、現れては消える川岸に、ルーシャオは勇気を振り絞って、川舟を漕ぎ寄せた。
既に、古代語魔法の呪文を詠唱する態勢は整えている。
気配の主が、味方なのかどうかも分からないし、無害な相手であるかどうかも分からないのである。
あらゆる状況に備える必要があるだろう。
「あのぅ、どなたですか?誰か居るのですか?」
大胆と言うべきかどうか。
ルーシャオは、自分から声を発して、自らの居場所を相手に教えた。
もし、気配の主が警戒しているのであれば、自分から声を出して存在を知らしめてやれば、相手の
警戒心を解く事が出来るかも知れない、と考えたのである。
これも一つの方法論である、と考えれば、あながち間違った発想ではなかった。
が、今回は相手が悪かった。
舟べりから川岸に降り立った瞬間、左右の茂みから、薄汚れた短剣や槍の穂先が突き出されてきた。
あっと思ったのも束の間、ルーシャオは妖魔の群れに包囲されていた。
逃げ場は唯一、背後のオルール川だけである。
ざっと数えただけでも、十匹は軽く越えるゴブリンの群れであったが、部族という程の数ではない。
流浪の妖魔グループと位置づけた方が正確であろうか。
ただ侮れないのは、一匹だけ、妙に体格が良い上に、趣味の悪い装飾品を身にまとったリーダー格の
ゴブリンが後方に控えている姿が見えた。
(シャーマン!?)
ほとんど一瞬にして、ルーシャオはこの統制の取れたゴブリン集団が、シャーマン種の支配下にある、
という事を悟った。
シャーマン種の大柄なゴブリンが奇怪な雄叫びを上げると、ゴブリンどもは一斉にルーシャオめがけて
殺到してきた。
「ひゃあぁぁぁぁ!」
情けない悲鳴を残し、ルーシャオは踵を返すと同時に、一目散に川舟へと走った。
自分でも信じられないような跳躍力で川舟に飛び移ると、慌ててオールを漕ぎ出した。
が、二匹のゴブリンが、川岸から離れようとしていた川舟に飛び移ってきた。

ルーシャオは、尻餅をついて船尾方向へと後退した。
二匹のゴブリンはと言えば、嫌らしい耳障りな含み笑いのような声を漏らし、猫背姿勢のまま、ゆっくり
船尾との距離を詰めてくる。
異変が起きたのは、その直後であった。
ルーシャオを含めて、誰もが全く気づかなかったのだが、川舟周辺の川面が急に波立ち始めたのである。
そして、水面で何かが跳ねるような音がしたかと思った次の瞬間、川舟上に立つ二匹のゴブリンが同時に、
甲高い絶叫を上げた。
何が起きたのか、ルーシャオにはまるで理解出来なかった。
現象を単純且つ客観的に描写すれば、川舟に乗り移ってきた二匹のゴブリンは、突然頚動脈から黒っぽい
血流を迸らせ、更にその直後、胸に大きな穴が開いた。
いずれも、何者かの見えない武器によって、心臓を一撃で貫かれたようにも見える。
更におかしな現象が起きた。
川舟の船底が、水中から無数の何かに激しく打たれるような振動を震わせているのである。
一体何が起きているのか、ルーシャオの理解の域を越え始めている。
ぐらり、と川舟が左右に激しく揺れたかと思うと、二匹のゴブリンは絶命したまま、川面に落ちた。
オルール川の水面は見る見るうちに鮮血で真っ赤に染まったが、しかしそれ以上に恐ろしかったのは、
水中で何かが群れており、落水したゴブリンの二つの死骸を、凄まじい勢いで食い荒らしているのである。
更に、川舟の船底には強い振動が響き続け、遂には、一部が破られた。
「な・・・何ごとぉ!?」
悲鳴を上げたルーシャオだが、船底を突き破ってきたものの正体を目にした時、思わず全身が硬直した。
話に聞いていたミズカマスの獰猛な頭部が、川舟の板製の船底を突き破っていたのである。
到底考えられないような破壊力であった。
船底に穴を開けてきたのは、一匹だけではなかった。
更に続けて、別のミズカマスが次から次へと船底に穴を開け、川舟を破壊し始めたのである。
(ど・・・どうしよう!)
ルーシャオは全身が恐怖に凍り付いて、身じろぎ一つ出来ない。
まさか、ミズカマスがこれほどの獰猛さと攻撃力を備え、しかも群れを為して襲い掛かってくるなど、
全く予想していなかったのだ。
おまけに、川岸にはゴブリンの群れが待ち構えているときている。
最早、完全に追い詰められつつあったが、しかし、神は彼を見捨てなかったようである。
「ルーシャオ!」
聞きなれた声が、ゴブリンの群れを蹴散らすように、川岸の茂みを割って飛び出してきた。

エルフ数名の援護を受けたテオが、シャーマン種率いるゴブリンの群れに乱入してきたのである。
愛用の芯入り長棍を自在に振り回しつつ、ゴブリンの群れを蹴散らそうとしていたテオであったが、
しかしオルール川上で展開されている異変には、さすがに肝が潰れる思いであった。
「何なんだ、あれは!?」
思わず叫んだテオだが、誰も分かろう筈も無く、ただただ混乱するばかりである。
しかしながら、エルフ達はゴブリンの群れをどうやら圧倒する事が出来ているらしく、テオ自身には、
あまり負担らしい負担はかかっていない。
となると、危機に瀕しているルーシャオを救出するのが先決であった。
「ルーシャオ、これに掴まれ!」
テオは、愛用の長棍を川舟めがけて突き出した。
幸い、腕を目一杯伸ばして長棍を差し出せば、川舟上でへたり込んでいるルーシャオの手元に届いた。
ルーシャオが、差し出された長棍の端を、無我夢中で握り返してくるのを確認すると、テオは全身の
力を両腕に込めて、一気に川舟を岸に引き寄せ始めた。
その際、川面から数匹のミズカマスが跳躍し、水面上に伸ばされたテオやルーシャオの腕に食らいついた。
肉を噛み千切り、骨を噛み砕く程の凄まじい顎の力であった。
が、ここで手を離してしまっては、ルーシャオの命はオルール川の水上で散ってしまう。
激痛に耐えながら、テオは川舟を岸に引き寄せ、最後の力を振り絞って、ルーシャオを陸上に引き上げた。
「くそ!はなせ!」
ルーシャオを無事地上に確保したテオは、次に、自分の腕に深々と食らいついているミズカマスどもを
引き剥がす作業に入った。
獰猛という表現では形容し切れない程の攻撃性を見せるミズカマスだが、さすがに地上においては、
ほとんど無力であった。
ゴブリンの群れを蹴散らしたエルフ達がテオとルーシャオの周りに駆け寄ってくると、それぞれ手にした
武器でミズカマスを始末していった。
更に、同行したエルフの中には女性も含まれており、その女性エルフが生命の精霊に働きかける事で、
テオとルーシャオが負った傷は全快した。
エルフの集落からこの場へ駆けつけてきたテオは、エルフ達と同行している事に、既に慣れている
様子だったが、初めて見るルーシャオは、半ば感動で呆けたような表情になっていた。
そんなルーシャオを尻目に、テオは草むら上で死骸となって転がっているミズカマス数匹を、険しい
表情で眺め下ろしている。
「一体何なんだ、こいつら・・・」

ただ一人、ミズカマスとは遭遇していないゴルデンだが、彼一人でエルフの集落に到達しようなどは、
不可能であった。
そもそもエルフの集落は、秘密の結界でガードされており、他者が容易に足を踏み入れる事は出来ない。
これに対し、ドワーフの集落は地下洞窟を利用したり、人工的に掘り抜いたトンネルを住居として
用いるのだが、いずれにせよ、他者の侵入を防ぐような魔力的防衛機能は、そもそも存在しない。
その為ゴルデン自身の感覚では、エルフの集落にも特にこれといった障害も無く、あっさりと到達出来る、
と勝手に考えていたのであったが、それが既に大きな間違いだったのだ。
リグと別れた後、特に宛も無く深い樹林の間を、馬を引きながら彷徨っていたゴルデンだったが、
(はて・・・ちと無謀過ぎたかのぅ)
などと、ようやく自身の認識の甘さを理解するようになってきていた。
陽が暮れても、ゴルデンには暗視能力が備わっている為、行動そのものにはさほどの支障は無い。
ただ、折角ここまで足を伸ばして、何の収穫も無しにアズバルチへ引き返すのは、馬を貸してくれた
官憲隊にも悪い気がしてならない。
(さぁて、どうしたもんかのぅ)
全くもって呑気なものである。
馬を休ませる為に、オルール川のほとりに面した開けた空間で腰を下ろしたゴルデンは、水筒を取り出し、
一口二口、喉を潤した。
「・・・誰じゃ?」
妙な視線を感じ、ゴルデンは振り向きもせず、背後の何者かに問いかけた。
ごくり、と喉を鳴らすような音が、茂みの奥で鳴り響いた。
殺気はまるで感じられないどころか、その気配には、まるで覇気というものが感じられない。
怪訝に思ったゴルデンは、この時初めて、ずんぐりとした体躯を座らせたまま、上体だけで振り向いた。
「おやおや・・・どんな化け物が潜んでいるのかと思ったら」
ついゴルデンが苦笑を漏らした程に、全く意外な姿が、そこにあった。
薄汚れた革鎧に身を包み、疲れ果てたような色が全身を重たくしているような雰囲気があったが、しかし、
単純に容貌だけを見れば非常に秀逸で、人間社会ではなかなか見られない程の美貌と言って良い。
キャラメルブラウンの滑らかな髪を襟元で束ね、透き通るような白い肌は艶やかであった。
耳の先が僅かにとがっているが、しかしエルフではない証拠に、その体躯はどちらかと言えば、人間の
体格に近く、年相応のふくよかな体をしていた。
外見年齢はおよそ20歳前後であろうか。
肌が大きく露出している身軽な服装と、長剣、長弓を身につけた美女が、四つん這いの格好で、茂みの
間からゴルデンの水筒をじっと凝視していた。
本人に尋ねなくとも、一目見て、その美女がハーフエルフである事が理解出来た。


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