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フォールスはこの日の朝早くに、軽めの食事を済ませて以来、ほとんど飲まず食わずの状態で行動を
続けてきており、そろそろ空腹と疲労が、彼の肉体能力に多少なりとも影響を及ぼし始める頃合であった。
迷彩衣装の四人組が、テオ達の捕獲に動いていると分かっている以上、のんびり食事などしている暇など
あろう筈も無かったが、もし数分でも休憩が取れるようなら、せめて保存食だけでもひとかじりしたい
ところではあった。
幸い、行動を開始する直前に、ゴルデンが精神力を融通してくれた事もあって、空腹と疲労からくる、
精神の消耗だけは辛うじて避ける事が出来た。
しかしながら、矢張りどこかのタイミングで、ゆっくり体を休めてやらなければならないという思いは、
頭の片隅に残さざるを得なかった。
それほど、彼の胃袋はひっきりなしに悲鳴をあげているのである。
(腹の虫を敵に聞きつけられて返り討ちに遭った、なんて事にでもなったら、それこそ笑い話だな)
などと内心苦笑しつつも、フォールスは、鬱蒼と茂る樹々の間の前方、薄暗い陰の中で先行している筈の
迷彩衣装四人組を、風の精霊の助力を得て、そのほとんど聞き取れないくらい無音に近い移動音を、
辛うじて拾い上げながら、追跡し続けた。
斥候も兼ねている以上、連中は必ずどこかで足を止める筈である。
その一瞬のタイミングを見切って一気に連中を抜き去り、先に自分がテオ達に警告を投げる、というのが
フォールスの計画であった。
この魔術師並みに冷静沈着な精霊使いは、テオ達が、何も知らずに集落へと向かっているであろうという
予測を立てていたのだが、実際は大きく事情が異なっていた。
オーランドが既に看破した通り、彼らは結界消失から、集落での異変を察知していた。
ただ、実際に集落で何が起きているのかまでは完全に把握していないだけの話であった。
ルーシャオが一人暴走したが為に、結果としてナターリアが敵の手に落ちるという失態を演じたのは、
確かに抜き差しならぬマイナス要素ではあっただろう。
しかし同時に、筋肉弛緩ガス弾の威力を身をもって体験し、その脅威を仲間に伝えたという点に於いては、
少なからぬ貢献であると言っても良い。
それが為にオーランドは、敵の存在を察知した場合には、出来るだけ距離を取るという方針を採用し、
こちらが先に敵の行動を把握する為に、ほとんど常時、風の精霊による音声伝達路を前方に張り
巡らせる、という警戒法を取っていた。
これが見事に奏功し、オーランドは、消失した結界付近から僅かに集落方向へ踏み入った地点で、
前方から複数の気配がこちらに迫っている事実を悟った。

オーランドの指示で、テオとルーシャオはお互いの姿が辛うじて視認出来る程度まで左右に展開した。
こうして距離を取る事で、筋肉弛緩ガス弾による被害を最小限に抑え、一人でも行動不能者が出ないよう
配慮したのである。
あらかじめ、手信号による合図で相互の意思を確認し合う手順を決めていた三人は、それぞれが、視界の
片隅に仲間の腕の動きをじっと注視しつつ、息を潜めて樹々の間に身を隠している。
風の精霊が運んできた音声を頼りに、オーランドが前方の敵の様子を逐一手信号で、左右に展開する
二人に状況を伝達する。
そんなオーランドが、不意に、その秀麗な面を怪訝そうな表情で歪め、その数秒後には、左右の二人に、
何かを訴えるような視線を、ほんの一瞬ではあったが、交互に送ってきた。
オーランドの意図を量りかねていたテオとルーシャオであったが、まずテオの耳元に、聞きなれた声が、
突然囁くような低いトーンで鳴り響いてきた。
『フォールスだ。そのまま黙って聞け』
思わずあっと声を上げそうになったテオだが、即座にその声が、風の精霊によって運ばれてきたもので
あろうという事を悟り、辛うじて堪えた。
フォールスがテオの耳元に声を送り込んできたという事は、比較的近い位置のどこかに潜んでいる、
という事になる。
集落に向かった筈のフォールスがここに居るという事は、それはつまり、前方の存在を十分把握した上で
連絡を取ってきたという事であった。
実際フォールスはごく手短に、集落の状況と自分達の現在の行動、及び敵がテオ達の存在を把握して
いるなどの情報を、口早ではあったが、明瞭な口調で伝えてきた。
逆にテオの方からも、筋肉弛緩ガス弾という恐るべき兵器の存在をフォールスに教えた事で、ようやく
フォールスも、エルフの集落が短時間の間に制圧された理由を納得するに至った。
『敵は筋肉弛緩ガス弾と、何らかの方法で遠隔の敵を視認する方法を持っているが、こっちは地の利の
  他、今の状況に限って言えば、敵の動きを完全に把握しているという強みがある。これを活かそう』
この後フォールスは、ルーシャオにも同様の内容を伝え、その後更にもう一度、オーランドと簡略ながら
作戦会議を持った。
迷彩衣装の四人組斥候部隊は、フォールスの存在に気づいていない。
逆にフォールスはと言えば、連中の姿を間近に視界内におさめる位置にまで接近している。
敵側は既に、オーランド動きに変化があった事を察知して警戒を強めているが、さすがにフォールスに
対してまでは完全な無防備な状態であった。
やがて、フォールスとオーランド間で作戦が大方決定した。

オーランドの手信号に従い、まずテオとルーシャオが前進を開始した。
それから少し遅れて、オーランドも続く。
三人の行動を察知したのか、フォールスの視界の中で、迷彩衣装の四人組が、筒状の装備をそれぞれ、
クロスボウで言うところのいわゆる肩撃ちの態勢に入った。
二人ずつ、左右に筒先が向けられているところを見ると、どうやら照準はテオとルーシャオに定められ、
射程範囲内にまで接近してくるのをじっと待っている様子であった。
ここでまず、フォールスが行動に出た。
彼は大地の精霊に語りかけ、相当な精神力を消耗しつつも、同時に四人の敵全員に向けて攻撃した。
下生えの間から、大地の精霊が岩石の腕を突然突き出してきて、迷彩衣装どもの足をすくった。
この思わぬ奇襲に、敵は対応出来なかった。
全員無様な格好で転倒し、今にも引き金を引き絞ろうとしていた筒状の武器もろとも、もんどりうって
地面と激突した。
そこへ更に、十数本にも及ぶ別の岩石の腕が群れを為して地面から突き出してきた。
足早に接近を果たしていたオーランドが、大地の精霊に命じていたのである。
人間とは比べ物にならない程の剛強な力が、迷彩衣装達の装備や背負い袋などに掴みかかった。
「撤退せよ!」
ほとんど自身の装備を大地の岩腕に掴まれたまま、最後尾の迷彩衣装が力任せに立ち上がり、他の
面々に声高に命じた。
どうやら、少しでも不利な状況に陥ったら即刻退去するよう、上からの指示が徹底されていたのだろう。
他の三人の迷彩衣装どもも、続いて強引に立ち上がり、幾つかの装備を地面に引きずり込まれる格好で、
文字通り一目散に集落方向へと駆け去っていった。
ほとんど精神力を使い切ってしまっていたフォールスは、それ以上追撃をかける事もままならず、若干
呆然とした表情で、迷彩衣装の走り去る姿を視界の片隅に収めていた。
オーランドが敵から奪った装備には、さすがに筒状の武器までは含まれていなかったが、しかしながら、
それ以上の収穫があったと言っても良い。
ガスマスクがまるまる四人分、そこに残されていたのである。
更に、二人分の背負い袋と思しき装備も、大地の岩腕はその剛力でむしりとっていた。
予想以上の戦果ではあったが、しかしここで、それを呑気に喜んでいる場合ではない。
「敵はこちらの存在を完全に把握した。この場で愚図愚図するのはまずいぞ」
オーランドの言葉に従い、テオとルーシャオはフォールスと合流した後、足早にその場を去った。

オーランドが冒険者達を案内したのは、一見何の変哲も無い森の間の岩場であった。
「ここは、我が部族が命の大樹の苗を秘密に管理している聖域だ。本来なら部外者は完全立ち入り
  禁止なのだが、今はそんな事も言っていられない」
曰く、この聖域は集落の数倍の強さの結界を張り巡らせているとの事で、容易には発見されないだろう、
という自負が、オーランドの表情にもあらわれている。
大地の精霊が敵から奪い取った装備を、ここで確認するだけのゆとりが出来た。
精神力を使い果たし気味のフォールスは、ようやく食事休憩を取る事にしたのだが、テオとルーシャオは、
ガスマスク以外の装備、即ち二人分の背負い袋と思しき装備の中身の吟味に早速取り掛かった。
大型のリュックサックのような布状のそれも、矢張り迷彩模様で彩られている。
幾つものポケットや掛け金具が配置されており、彼ら冒険者が用いるような背負い袋とは、全く比べ物に
ならない程の収容性と簡便性が追求されていた。
中には糧食やロープ、様々な野外行動用の道具の他、ロドーリル官製の衣類や下着なども見られた。
「あの・・・これを見てください」
ルーシャオが指摘したのは、脇ポケットに押し込まれていた、青黒い金属製の円筒形の物品であった。
アンチバラクーダ発振筒、という刻印が底辺部に刻み込まれている。
「これってもしかすると・・・ミズカマス対処用の何かでしょうか?」
刻印のアンチバラクーダという部分に注目してのルーシャオの分析であったが、一同曖昧に頷くしか
出来ないのも無理からぬところであった。
何しろ、使用法に関する情報が、一切見つからないのである。
「でも仮にそうだとしたら、もう水に入る事を恐れなくても良いって事だよね」
テオの声が僅かに弾む。
ガスマスクも含め、これで少なくとも彼ら四人は、筋肉弛緩ガス弾とミズカマスの脅威に対しては一応、
立ち向かう手段を得た事になるのである。
「これで、ナターリアさんを助けに行きましょうよ!」
声高に提案したルーシャオであったが、しかし、その明るい表情を、オーランドは敢えて厳しい視線で
抑え込んだ。
「いや・・・諸君はまず、アズバルチに戻る事を考えた方が良かろう」
この拒否発言には、さすがにテオとフォールスもその真意を読み取れず、怪訝な色を浮かべた。
しかし、オーランドが言わんとしている内容は実に筋が通っていた。
「既にアズバルチはミズカマスの脅威にさらされているのではないのか?」
まさにその通りであった。

アズバルチは、その世帯のおよそ六割が、生活用水にパエンタ湖の湖水や上流に水源を置いている
各清流を用いており、引き込み水路を設置している家庭や施設が極めて多い。
井戸などの地下水を保有している世帯は残り四割に過ぎず、生活用水路を設置している世帯では、
ミズカマスによる侵入にさらされている危険性が高かった。
恐らく、今この時点に於いても、ミズカマスによる被害は、生活用水路設置世帯で相当数に昇っている、
と見て間違いないだろう。
「今ここに、二つのアンチバラクーダ発振筒なるものが手に入った。君達はまず、これらを携えて街に
  戻らなければならない筈だ」
オーランドの指摘は、それまでエルフの集落に拘り過ぎていた冒険者達にとっては、全身に電流が迸る
ぐらいの衝撃を与えるような内容であった。
だが、ここでナターリアや集落のエルフ達を見捨てて、自分達の安全ばかりを考えられる程には、テオや
ルーシャオの自己保全欲は強くなかった。
但しフォールスだけは、保存食をかじりながら、黙ってオーランドの言葉に耳を傾けている。
彼はオーランドが次に発する一言を、半ば予測してもいた。
「ナターリアも集落も、私が何とかする。これはエルフの問題だ」
ここまで厳しく突き放すオーランドの心情を、フォールスはテオやルーシャオとは異なり感情を見事に
制御する事が出来る分、誰よりもよく理解していた。
ルーシャオは、自分のせいでナターリアが敵の手に落ちたという事を痛感しているのだが、オーランドは
そんな責任感をも、強い口調で放棄せよ、と言っているのである。
「出来ません、そんな事・・・だってナターリアさんは・・・」
言いかけたルーシャオの今にも泣き出しそうな台詞を、オーランドは追い討ちをかけるような鋭い口調で
ぴしゃりと遮った。
「はっきり言おう。君達では足手まといにしかならない。ナターリアを救いたいというのなら、邪魔は
  しないでもらいたい」
これほど相手を突き放すような厳しい台詞を言わねばならないオーランドの感情を、フォールスは耳が
痛くなるような思いで慮っていた。
それだけに、尚も食い下がろうとするテオとルーシャオには、怒りがいつも以上にこみあげてきた。
フォールスは二人の胸倉を掴み、
「馬鹿かお前達は。これ以上彼に言わせるな」
しかしその直後、フォールスは全く正反対の一言をオーランドに向けて放った。
「かと言って、我々もこのままではまだ、任務完了とは言いがたい。少なくとも、ミズカマスの群れを
  完全に除去出来る程度の収穫が無いうちはね」
なるほど、とオーランドも頷かざるを得ない。フォールスの論もまた、筋が通っていた。

一方、迷彩衣装部隊に制圧された集落内では、ゴルデンとエディスの決死の隠密作戦が進行していた。
エディスは到着したマルタ処理移送班の動きを風の精霊による音声伝達で綿密に監視しながら、背後に
ゴルデンを従えつつ、慎重に集落の樹々の間を縫うように駆け抜けてゆく。
本当はもっと慎重にいきたいところだが、あまり時間をかけすぎると、却って危ない。
要は、馬さえ確保出来れば、一気に脱出してしまえるのである。
いざという時には、ゴルデン自身が盾となってエディスを逃がすだけの覚悟も決めていた。
「居ました・・・あそこです・・・!」
二箇所目の広場を巡ったところで、ハーフエルフのまだ幼さを僅かに残す美貌が喜色に染まって、
自身の柔らかな尻の辺りで息を殺しているドワーフの、ずんぐり姿に弾んだ声を忍ばせた。
「見張りは・・・おったか」
そんなエディスとは対照的に、ゴルデンはいささか気落ちしたような渋い声を絞り出した。
迷彩衣装の影が二つ、ゴルデン達が潜んでいる茂みとは、広場を挟んで反対側の通路の辺りに佇み、
周囲を警戒している姿が見えた。
エディスがゴルデンを率いて走ってきたのは、集落の中でもどちらかと言えば裏道と呼べるような、
あまり踏み跡が無いような獣道に近い通路ばかりであった。
その為、この広間に接地して二人が潜んでいるのも、矢張り人気の無い裏道であった為、敵の意識が
ほとんど向いていないのである。
「やれやれ。ここは下手に時間をかけても仕方あるまい。一気にいくとするかのぅ」
ゴルデンは早々に腹を決めた。
まず自分が飛び出して馬を奪い、敵の注意を引きつけつつ集落外に馬を走らせる。
その後で、エディスが残る二頭の馬を奪取し、ゴルデンとは別ルートで集落から脱出する。
当初エディスは、ゴルデンが負う危険があまりに大きい事に難色を示したが、そこは冒険者としての
経験をより多く積んでいるから、という理由で、ゴルデンが強引に押し切った。
そんな訳で、ゴルデンはまだ完全には納得していないエディスを茂みに残し、一人堂々と飛び出した。
なるべく敵が隙を見せている頃合を選んで広間に走り込むと、馬がいななくのも無視して、枝から
手綱をほどき、素早く騎乗した。
さすがにこの頃になると、見張りに立っていた迷彩衣装二人も、ゴルデンの存在に気づいた。
「ほっほぃ。ついてこれるかのぅ」
ゴルデンは、エディスが驚く程の見事な手綱捌きで集落の外へ向かう樹々の間へと馬を走らせた。
当然、見張り二人も、虚空に何かを叫びながら、半ば無駄だとは分かりつつも、徒歩で馬の足を
負わざるを得ない。

その後、エディスが馬二頭を手筈通り奪取出来たかどうかは、ゴルデンには知る由も無かった。
何よりゴルデン自身、敵の追跡を振り切るのに必死であったから、そこまで気を配る余裕も無かった、
というのが本音であった。
(さすがにもうこれ以上は、集落ん中にはおれんのぅ)
手綱を操り、左右に緑の風景が次々と走り去っていくのを横目に見ながら、ゴルデンは渋い表情を作る。
エルフ達を救う為に引き返すのは、自殺行為だという事を悟らなくてはならなかった。
集落を飛び出し、オルール川沿いの林道付近まで一気に駆けてから、ゴルデンは手綱を引いた。
さすがに人の足では全力疾走する馬には追いつけなかったらしく、集落を出てほとんど間も無く、追手の
姿は全く見えなくなった。
かと言って、同じ場所に留まっていては、やがて敵の捜索の網に引っかかるだろう。
ここはすぐにでも判断を下す必要があった。
一応エディスとは、アズバルチに向かう途中で合流しようとは打ち合わせてあったが、それは二人ともが
無事に集落を脱出出来た場合に限られる。
ひとまずゴルデンが敵の追手を振り切った以上、エディスも大丈夫だとは思うが、若干の不安は残った。
(さて、どうしたものか・・・)
他の仲間達とも合流しなくては、という思いもある一方で、出来ればエディスだけは無事にアズバルチへ
逃がしてやりたいという気持ちも強い。
出会ってからここまで、何かと協力してくれた上に、同じ冒険者チームとして迎えてやれるものならば、
エディスを仲間に加えたいという感情もあったゴルデンとしては、どちらを選ぶか非常に迷うものがある。
そんな事を考えつつ、オルール川の清らかな流れを左手に眺めて馬を打たせてゆくと、前方に、何かしら
違和感を覚えるような光景がうっすらと見えてきた。
(なんじゃありゃ?)
と思った瞬間には、ゴルデンは素早く馬を飛び降り、手綱を掴んで木の陰に馬ごと身を寄せた。
辛うじて視界が届く範囲で足を止めた為、その詳細は分からない。
しかし、そこに迷彩衣装と思しき人影が見受けられるのは、どうやら間違い無さそうであった。
(妙じゃな・・・集落の連中とは別働の部隊か?)
ゴルデンが訝しむのも無理は無い。
最初彼は、その人影が、集落から自分を追ってきた敵の追手かと考えたのだが、どうも様子が違う。
少なくとも、ゴルデンやエディスを捜索している、という風には見えなかった。
(何やっとんじゃ?)
この距離では良く見えないが、迷彩衣装に身を包んだ二つの人影が、傍らの太い木の幹の根元部分に
注目し、腰を屈めるような格好で、何かをしているように見えた。


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